第24話「ガス抜き:後編」

 統一暦一二〇六年三月十六日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮城門前。マクシミリアン・クルーガー元帥


 商業地区の酒場で兵士たちが騒ぎ始めたという報告を受けてから、二時間ほど経った。

 内務府の諜報局から伝令がやってきた。


「第二、第三軍団の兵士の一部が皇宮に向かい始めました。内務尚書閣下より、クルーガー元帥閣下にお伝えせよとのことです」


「承知した。内務尚書には計画通りに進めると伝えてくれ」


 伝令はすぐに引き返していった。


 本格的に始まったので、今回の実戦部隊となる第一軍団のローデリヒ・マウラー元帥のところに向かう。


 マウラーは準備を終え、完全武装で待っていた。

 内乱に発展する可能性は否定できないが、彼の表情は落ち着いており、さすがは歴戦の名将だと感心する。


「兵の一部がこちらに向かっているようです。手荒な真似はする気はありませんが、陛下をお守りするために皇宮の前に兵を展開していただけまいか」


「承知しました。一個連隊を皇宮の前に展開し、一個連隊を帝都内の治安維持のために巡邏させます」


 マウラーは六十歳を越えた老将だが、張りのある声が安心感を与えてくれる。


 彼と共に皇宮の前の広場に向かう。

 既に準備は整っており、篝火と灯りの魔導具が多数並べられ、広場を照らしていた。


 第一軍団の兵士が完全装備に身を包んで整列する。

 近衛兵でもある彼らは帝国軍の中でも特に優秀な兵士が集められており、味方同士で戦う恐れがあるというのに、緊張の色を見せることなく落ち着いていた。


 それからしばらくすると、遠くから“ゴットフリート殿下を解放しろ”という声が聞こえてくる。

 それも一箇所ではなく、何本かの通りを分散して進んできているようだ。


「ゴットフリート殿下がお越しになられました」


 副官が小声で私に報告する。

 顔を向けると、軍服に身を包んだ兄が立っていた。


「兵たちが俺を助け出そうと暴発したと聞いた。それを抑えるために手伝ってほしいということだが本当か?」


 兄は憂い顔で私に聞いてきた。私が画策したとは夢にも思っていないようだ。


「ええ。兄上が声を掛けてくだされば、兵たちも大人しく兵舎に戻るでしょう。私としても自分の指揮下の兵を無駄に罰したくはありません。今なら酔っぱらって声を張り上げていたということで済ますことができますから」


 私の言葉に兄は大きく頷く。


「すまんな。彼らの不満を解消してやりたかったのだが、俺にはできなかった」


「私も同じですよ。こうなる前に手を打っておくべきだったと後悔しています」


 この言葉に嘘はない。ラウシェンバッハの策略を見抜き、適切に手を打っていれば、ここまで酷い事態にならなかったはずだ。


 兵士たちの一団が広場に入ってきた。


「ゴットフリート殿下を解放しろ!」


「殿下の解任を撤回しろ!」


「俺たちはゴットフリート殿下にしか従わん!」


 そんな声が響いていたが、完全装備の第一軍団が見えたところで、兵士たちの動きが止まった。


 そのタイミングで兄が拡声の魔導具を使い、兵士たちに語り掛ける。


「兵士諸君! 俺はゴットフリート・クルーガーだ! 俺は皇都攻略作戦の失敗の責任を取るため、陛下やマクシミリアンから言われるまでもなく、自ら辞任を申し出た! 俺は諸君らが罰せられるようなことは望んでいない! すぐに引き返してくれ!」


 兄の声に兵士たちは戸惑っている。

 それでも引き返す者は皆無で、後ろから続々と新たな兵士が広場に入ってきた。


「兄上、マイクを貸してください」


 そう言ってマイクをもらい、兵士たちに話し始めた。


「私はマクシミリアン・クルーガー元帥だ! 兄ゴットフリートは自ら申し出たと言ったが、解任するように要求したのは私だ!」


 そこで兵士たちがざわめく。

 “やはり貴様が”とか、“ゴットフリート殿下に謝れ!”という声が聞こえてきた。

 私はそれを無視して話を続けていく。


「だが、私は恥じている! これほど多くの兵士に慕われている兄を貶めたのだから! 今回のことは私の失敗だ! 兄上、そして兵士諸君、申し訳なかった!」


 私が謝罪したことで、兵士たちのざわめきが大きくなる。私が謝罪するとは思っていなかったからだろう。


「皇帝陛下に解任要求が誤りであったことを伝え、可能な限り早く、兄が軍団長に復帰できるようにお願いするつもりだ!」


 そこで兄にマイクを渡す。


「マクシミリアンに対してわだかまりはない! こいつは帝国のために最善だと思うことを行っただけだからだ! そして、それは俺の考えとも一致する! 俺も祖国のことを第一に考えるからだ! このままでは我が国に大きな禍根を残す! だから今すぐ引き返してくれ!」


 そして、その横にいたマウラーが兄からマイクを借りた。


「第一軍団のローデリヒ・マウラーだ。私から陛下に言上する。ゴットフリート殿下の処分について、再考していただきたいと。それで納得してくれぬか」


 マウラーはいつも通りの重々しい口調で兵士たちに語り掛けた。

 宿将であるマウラーの言葉に、兵士たちはキョロキョロと左右を見始める。


「俺はマウラー元帥閣下の言葉を信じるぞ!」


「ゴットフリート殿下の命令に従おう!」


「引き上げるぞ!」


 私が仕込んだ隠密たちが声を上げ、それに釣られて兵士たちの心も決まったようだ。

 広場にいた兵士たちは潮が引くように町に戻っていく。


「どうやら上手くいったようですな」


 マウラーが笑みを浮かべている。


「兄上とマウラー元帥のお陰です。ありがとうございました」


 そう言って頭を下げる。


「マクシミリアン、俺に対する解任要求は取り下げないでくれないか。俺はグレーフェンベルクにしてやられた責任を取る必要があるのだから」


「いえ、それはできません。兵たちに約束しましたし、マウラー元帥からも再考してほしいと言上するので、一度は取り下げます。その上でどのような処分が適当なのか、検討させてもらいます」


「そうか……ならば仕方あるまい。それで頼む」


 この会話はマウラーに聞かせるためのものだ。

 実際に一度取り下げるし、マウラーが再考を願うことも認める。こうしておけば、私が約束を守ったとして、マウラーは私を危険視しないだろう。


 しかし、結果が兵士たちの願ったことと同じなるとは限らない。というより、ならない可能性の方が高いと見ている。


 皇帝である父が兵士たちの脅迫紛いの要求で、一度下した決定を覆すことはあり得ない。そんなことをすれば、皇帝の権威は地に堕ちるからだ。


 そもそも兄の解任は妥当な処置だ。

 二個軍団六万もの兵力を与えられたのに、リヒトロット皇国攻略という我が帝国の悲願に全く寄与しなかった。直接的にはテーリヒェンの暴走が原因だが、総司令官が責任を負うことはおかしな話ではない。


 明らかに兄が冤罪と判断できる状況なら別だが、信賞必罰の観点からも父は解任の決定を覆すことはないだろう。


 もちろん、こんなことはマウラーも分かっているし、兄の復権を無条件で認める気はないだろう。

 帝都での騒乱を抑えるために、彼も私に合わせて一芝居打ってくれたということだ。


 私とマウラーが提案すれば、解任こそ覆らないが、名誉挽回の機会を与えるという約束と、謹慎処分の取り消しくらいは行われるはずだ。


(とりあえずはこれでいい。兄上の皇位継承の目はなくなったのだ。処分は軽くすると発表すれば、兵たちも落ち着くだろう……)


 兵士たちの姿が完全に消えたところで、第一軍団は解散した。


(ラウシェンバッハの策略がこれだけならいいが、奴のことだ、まだ悪辣な手を打っている可能性が高い。それをどうにかしなければ、我が国に、そして私に未来はない。だが、どのような手を打っているのか……)


 私は誰もいなくなった広場を見ながら、そんなことを考えていた。

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