第42話「酔いどれ軍師誕生」

 統一暦一二〇六年五月三日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。皇帝マクシミリアン


 父コルネリウス二世の遺言を読み、私の腹心となり得る人物の名を見つけた。

 その人物を知るルーティア・ゲルリッツ元帥を呼び、その人物ヨーゼフ・ペテルセンという士官学校の戦史科の教官について話を聞いている。


 ペテルセンは近年の戦いを研究しており、シュヴァーン河渡河作戦の失敗について独自の考察を行っていた。その話は非常に興味深く、まだ我々がラウシェンバッハという稀代の策謀家について、その存在を知らない時から王国による謀略の可能性を指摘している。


 更に規律が求められる士官学校の教官でありながら、常に酒を飲んでいると聞かされ、驚くと同時に呆れてしまった。


「酒を飲んでいる? あの士官学校でか……余の時代ではあり得ぬな」


 自分の学生時代を思い出す。先輩の言葉は絶対で、厳しい規則と伝統に雁字搦めだった。

 ゲルリッツも苦笑しながら否定する。


「私の時代でもあり得ませんよ。先帝陛下は割と破天荒な方でしたが、さすがにそこまで自由気ままということはなかったですから」


「それにしてもよくクビにならないものだな」


「それについては若い士官に聞いたことがあります」


「ほう」


 そう言って先を促す。


「彼は講義中、喉を湿らせるための水代わりに、常に白ワインを飲んでいるそうなのですが、一度も現場を押さえられたことがないそうです。主任教官が何度も見回りに来たそうですが、その時は必ず水を用意しており、主任教官も罰を与えられなかったと。どのような手を使ったのかは全く分かりませんが」


「何らかの手段で見回りを察知し、対策を打っていたということか。なるほどな……」


 その用意周到さに期待が膨らむ。


「学生からは、ヨーゼフ・ペテルセンではなく、ヨーゼフ・“ベトルンケン酔っ払い”と呼ばれているらしいのです。私への聞き取りの時も酒臭かった記憶があります」


「だから最初に“ベトルンケン酔っ払い”と言ったのか」


 その話だけでも面白いと思い、ますます興味を持った。

 ゲルリッツから話を聞いた後、侍従に命じてペテルセンの論文を取り寄せさせた。


 その日は民衆による暴動未遂があり、更に父の遺言のことなどがあって、夜まで仕事は途切れなかったが、翌日の五月四日に落ち着きを見せたため、その論文を読んだ。


 ヒルシュフェルト会戦やフェアラート会戦など、我が軍が大勝利した戦いについては、多くの論文が出されている。その多くが士官学校の戦術科の教官が書いたもので、戦場での行動について考察したものが多い。


 しかし、ペテルセンの書いた論文は政治的な背景や戦場に至るまでの準備など、戦場以外についての考察が主となっている。我が軍の士官には受けないだろうが、政治的な思惑や経済的な背景、更には商人たちがどう考えるかまで考察されており、非常に興味深い。


「なるほど、父上が興味を持たれるはずだ……」


 午前中に論文を読み終え、侍従にペテルセンを密かに皇宮に呼ぶよう命じた。

 ペテルセンがやってきたのは午後七時過ぎ、私が夕食を摂っている時間だった。


「この時間に来たのか?」


 緊急でもない状況で、臣下が主君の下に訪れるには非常識な時間だ。

 密かに呼べと言う命令を侍従が守ったためと思ったが、確認するとそうでもなかった。


「私は午後四時頃でどうかと伝えたのですが、ペテルセン殿にその時間でない方がよいと言われまして……」


「理由は聞いているのか?」


「陛下もこの時間をご希望されるはずだと言うだけで、明確な理由は聞いておりません」


「余がこの時間を希望する?」


 言っている意味が分からず、聞き返してしまう。


「はい。はっきりとそう言っておりました」


 理由は分からないが、あの論文の著者なら何か理由があるのだろうと、夕食を終えたタイミングで執務室に呼ぶよう命じた。

 そこでいたずらを思いついた。


「せっかくだ。酒を用意しておいてくれ。それも滅多に飲めぬ珍しいものをな」


 夕食を終え、執務室に向かうと、士官学校の教官の制服を着た中肉中背の男が、応接セットのソファに座ってグラスを傾けていた。私が来る前から飲んでいることに疑問を持つが、近くにいる若い侍従が不満げに見ていることから勝手に飲んでいたようだ。


「卿がペテルセンか?」


 そこで私に気づいたのか、ゆっくりと立ち上がった。


「ヴォルフガング士官学校戦術科教官、ヨーゼフ・ペテルセンであります。本日は珍しい酒を飲ませていただけると聞き、やって参りました」


 赤ら顔で腫れぼったい瞼、声は酒焼けなのか掠れた声だ。


「侍従がそのように言ったのか? 余は卿と話がしたいから呼べと命じたのだが」


「侍従殿はそのようにおっしゃっておられましたな。ですが、陛下なら珍しい酒を用意してくださると確信しておりましたよ」


 図々しい奴だなと思ったが、同時に面白いとも思った。


 私もソファに座り、侍従に酒を用意させる。

 酒は葡萄酒の蒸留酒で、琥珀色の液体が大ぶりのグラスに注がれていくが、その間に気になっていたことを聞いた。


「どうして余が珍しい酒を用意して待っていると思ったのだ?」


「陛下が私のような不良教官を呼び出す理由は一つしかありません。私のことを知り、陛下の幕僚となり得るのか、その能力を確認するためでしょう。そして陛下であれば、私のことを詳しく調べるはずです。そうであるなら私が無類の酒好きであり、士官学校でもいろいろとやらかしていると分かるでしょう。せっかく呼ぶのだから、珍しい酒を用意して驚かせてやろうとお考えになる。そう思ったのですよ」


 その洞察力に驚くが、それ以上に皇帝である私に対して畏怖していないことに驚いた。

 父の崩御から一ヶ月、私は戒厳令を敷き、枢密院を閉鎖するなど強硬な手段を用いてきた。そんな相手に対し、怒りを誘発するようなことを平気でする神経に驚いている。


「卿は余がその態度を咎めぬと思っているのか? 不敬罪で投獄することもできるのだぞ」


 主導権を握るため、視線を鋭くし語気を強める。


「それでも構いませんよ。既に美味い酒はいただきましたから」


 そう言って笑いながらグラスを掲げるが、すぐに私を見つめ返し、真剣な表情で話し始めた。


「陛下は人材を欲しておられる。そして、私をここに呼ばれた。私が無礼な態度を取ることは事前に調べれば容易に分かることです。それでも呼び出し、その無礼を咎める。そんなことをすれば、陛下の下に人材は集まりません。聡明な陛下がそのことに気づかぬはずがないと確信しておりました」


 言っていることは正しく、私は思わず鋭く細めていた目を見開いてしまう。


「逆に私のような酔っ払いの戯言を咎めず、幕僚に採用すれば、その度量を見込んで優秀な人材が自ら売り込んでくるでしょう。その効果を考えれば、このタイミングで私を処分することは理に適っていません。もし私が気に入らぬのであれば、一旦幕僚にした上で、失敗を理由に処分すればよいだけです。そうすれば、私も処分されないように、陛下のご期待に沿おうと頑張らざるを得ませんから」


 父がこの男を腹心に加えなかった理由が理解できた。

 この男を腹心の一人にすれば、真面目なバルツァー軍務尚書と衝突することは目に見えている。


 内務尚書のシュテヒェルトなら衝突とまではいかないだろうが、彼が間に入ることになり、人間関係でその能力を無駄に使うことを恐れたのだろう。


 その点、私なら腹心と言える人物はいないし、父ほど部下と深く関わることがないだろうから、問題は起きにくい。そう考えて父はこの男を私に勧めたのだろう。


「フハハハハハ! 面白い! 卿が気に入ったぞ!」


「それはよかったです。気に入らぬから牢に放り込めとおっしゃられたら、まだ飲んでいない酒のことで後悔したでしょうから」


 ふざけた物言いだと思ったが、目は真剣で本気でここにある酒に未練があるように思えた。


「卿に問う」


「何でしょうか?」


「卿を余の幕僚、いや軍師として迎えたい。卿が余の軍師となる条件があれば言ってくれ。元帥の階級でもよいし、豪華な邸宅でもよい。元帥の十倍の俸給でもよいぞ。余が気に入らぬ諫言をしても処罰しないという約束でも構わん。余にできることなら望みを叶えてやるが、どうだ?」


 この男がどのような要求を言ってくるのか聞いてみたかった。もちろん、可能であれば叶えるつもりだが、私の想像を超える答えが来ることを期待していた。


「そうですね……望みは二つあります。それでもよろしいですか?」


「構わん。一つだけとは言っていないからな」


「では遠慮なく。一つ目は私が陛下の御前で酔っていても、不敬罪に問われないという公文書を作成していただき、それを周知していただければと思います。いちいち素面の振りをするのも面倒ですので」


 あまりに意表を突かれ、最初言葉が出なかった。


「……それが一つ目の望みなのか?」


 ずけずけというタイプだろうから、余に対して厳しいことを言っても処罰されないと約束してくれというなら理解できるが、酔っていても咎めないでくれと言ってくるとは思わなかった。


「無理ですか?」


「い、いや構わぬ。但し、酒を飲んでいても、卿に求める能力を維持できるという条件が付くが」


「それで問題ありません。私は酔っているくらいの方が調子は良いので」


 その言葉に笑みが零れるが、すぐに二つ目が気になった。


「一つ目はそれでよいが、二つ目は何だ?」


「こちらは少し欲張ったお願いなのですが……白狼宮にある酒を自由に飲める権利をいただきたい。我が国で最も良い酒があるでしょうから」


「その程度なら構わん。約束しよう」


「ありがとうございます!」


 満面の笑みで喜んでいる。

 そこで一矢報いようと一言付け加えた。


「約束はするが、卿が想像しているより皇宮には大した酒はないと思うぞ。父上の代で贅沢品の予算を大きく削っているからな」


 その言葉に心底残念そうな顔をする。


「やっぱりそうですか……先帝陛下にお仕えしなかったのは正解でしたね」


 その言葉と表情に笑いが漏れる。


「フフフ……まあよい。卿が功を挙げれば、その分酒を増やすと約束しよう。それなら卿もやる気が出るだろう」


「さすがは陛下です。人のやる気を引き出す方法をよくご存じだ」


 そして、二人で同時に笑う。


「明日の午後一番に顔を出してくれ。相談したいことがある」


「承知いたしました」


「美味い酒は用意しておくから、遅れるなよ」


「はい。陛下に仕えることにしてよかったと心から思いました。期待しております」


 そして再び笑い声をあげた。


 こうして私は軍師を得た。

 能力は未知数だが、その洞察力は貴重なものになるだろう。

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