第41話「遺言:後編」

 統一暦一二〇六年五月三日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。皇帝マクシミリアン


 父コルネリウス二世の遺言があったと宿将ローデリヒ・マウラーから知らされた。

 この事実を公表し、今起こりつつある民たちの暴動を抑える。そのため、私はマウラーらと共に皇宮の前の広場に向かった。


 皇宮の前の広場には数千人の民が集まっていたが、マウラーとルーティア・ゲルリッツが事実を淡々と説明し、兄ゴットフリートが父の遺志に従うと宣言した。


 更に内務尚書のヴァルデマール・シュテヒェルトが、枢密院議長であったフェーゲラインが暗躍したことを説明すると、民衆は戸惑いを見せながらも叫び声を上げるようなことはなくなった。


 そこで私が最後に民たちに語り掛ける。


「父コルネリウス二世の遺志が明らかになった。しかしは父の想いを汲み取れなかった。グライフトゥルム王国とフェーゲラインの謀略を恐れるあまり、拙速に動いてしまったのだ……」


 “余”という皇帝が使う一人称を使わず、あえて“私”としたことで、先代の後継者ではなく、子として父の想いを汲み取れなかった悔しさを表した。


「此度の混乱の責任はすべて私にある。もちろん、祖国を裏切ったフェーゲラインを許すことはできぬ。しかし、裏切り者に誘導された者たち、いや、彼らに利用された愛国者である諸君らを罰することはできない。私の目を覚ましてくれたのだから。私はこれより心を入れ替え、祖国の発展に尽くす。それを見守ってはくれないだろうか」


 拡声の魔導具から流れる私の声に民衆の戸惑いが強くなる。

 父の遺言を見て改心したのか、それとも単なる演技なのか、迷っているのだろう。


「枢密院の廃止は撤回する。戒厳令も解除し、正常化を図る。物価の高騰に対しては、備蓄を放出して対応する。明確に罪を犯した者以外はすべて釈放する。これらを必ず守るという私の言葉を信じてくれないだろうか」


 皇帝にあるまじき譲歩だが、このくらいのことを言わないと、シュテヒェルトはもちろん、マウラーやゲルリッツですら、私を見限りかねない。


「マクシミリアン陛下のお言葉に従ってほしい! 今は亡き、父コルネリウス二世の最後の望みを叶えるために!」


 兄の声が響くと、民衆はゆっくりと広場から引き始めた。やはり兄の方が民衆に支持されているようだ。


「兄上のお陰で助かりました」


「父上の御遺志を無下にするわけにはいきませんからな」


 兄はそう言って笑みを浮かべる。

 私はそれに軽く頭を下げ、マウラーに視線を向けた。


「戒厳令を解除してくれ。元帥には面倒なことを頼んだが、よい勉強になった」


 そう言ってマウラーを労う。

 ここでマウラーらと別れ、シュテヒェルトと共に執務室に戻った。


「先ほどの話の通り、諜報局が捕らえた者たちを釈放しますが、よろしいでしょうか」


 シュテヒェルトが確認してきたので、即座に頷く。


「それでよい。それから物価高騰の件も対応を頼む」


「承りました。そのように手配しておきます」


 シュテヒェルトが去ると、侍従や秘書官が残るだけとなった。


 そこで父が残したもう一通の遺言書を開く。


 そこに書かれていたのは私が幼い頃の思い出が多く、兄ゴットフリートや他の兄弟を蔑ろにしないことなど、次代の皇帝に対するものではなく、クルーガー家の次男に対して残した言葉だった。


 その中で一つだけ気になった部分があった。


『……お前には信頼できる腹心がおらぬ。そのことが気掛かりだ。お前は自らの能力であれば不要だと思うかもしれない。しかし、俺にシルヴィオ、ヴァルデマール、ローデリヒ、ルーティアがいたように、お前にも優秀で信頼できる者が必要だろう……』


 この一ヶ月で痛感したことであり、読みながら苦笑が浮かぶ。


『お前ほどの能力なら、ただの腹心では満足できまい。もし俺の助言が必要と思うなら、士官学校の戦史科教官、ヨーゼフ・ペテルセンと会ってみるといい。若いが、シルヴィオやヴァルデマールに匹敵、いや彼らを越える可能性を秘めた男だと俺は確信している。俺には奴を御せる自信がなかったが、お前なら使いこなせるかもしれん……』


 あの父が扱えないと諦めた人物ということで、そのヨーゼフ・ペテルセンという男に興味を持った。


(私の学生時代にはいなかった教官だな。それに参謀を得るために調べた時にも名が出たことがない。父が欲しながら御せぬと諦めたほどの男なら、どこかで名を聞いてもおかしくはないのだが……マウラーに、いや、ゲルリッツに聞いてみるか……)


 マウラーは今回の後始末で忙しいと思い、ゲルリッツを呼び出した。

 そして、ヨーゼフ・ペテルセンという人物について聞いてみた。

 その名を聞いた時、彼女は一瞬顔を顰めた。


「“ベトルンケン酔っ払い”……いえ、ペテルセンのことですか……確かに知ってはおりますが、先帝陛下が気にされていたとは思いませんでした」


「父上の遺言に書かれていた人物だ。卿が知っていることを教えてほしいのだが」


「それは構いませんが、小職も詳しいわけではありません。それでよろしければ……」


 そう言って話し始めた。


「年齢的には三十代前半だったと思います。戦史科の教官ということですが、過去の事例より最近の会戦を主に論文を書いております。具体的にはヒルシュフェルト会戦、フェアラート会戦、エーデルシュタイン会戦ですが、小職が失敗した一一九九年のシュヴァーン河渡河作戦についても詳細を知りたいと、五年ほど前に小職の下に来たことがございます」


「ここ十五年ほど、父上の御世での戦いばかりだな。シュヴァーン河渡河作戦は失敗というが、そもそも戦いにすらなっていない。卿に言うのもなんだが、そのようなものを調べて意味があるのか?」


 私の言葉にゲルリッツが大きく頷く。


「小職も同じことを思いました。ですが、それでもよいので聞かせてほしいと言われ、分かる範囲で質問に答えております。他にも部下たちからも聞き取りを行い、論文を書き上げていました」


「それでその論文は見たのか?」


「はい。ペテルセンから記載に誤りがないか確認してほしいと依頼がありましたので」


「それでどのような内容だったのだ? あの父上がシュテヒェルトやバルツァーに匹敵するというほどだ。さぞ示唆に富んだ論文だったのだろうな」


 私の言葉にゲルリッツが苦笑する。


「書かれていたのは、我が軍団の準備不足と謀略への警戒心のなさに対する指摘ばかりでした。当時は後からなら何でも言える、戦史家らしい後付けの指摘だと、不愉快になった記憶がございます。ですが、今思えば非常に的確な指摘だったと思いました」


 彼女が的確と言ったことが気になった。


「具体的にはどういった点なのだ?」


「例を挙げさせていただきますと、フェアラートの町に駐屯した際、兵士の間で食中毒が発生しました。当時は流行り病の可能性を考え、罹患した兵士を隔離した上で、作戦を延期したのですが、原因が近くの海で採取した貝による食中毒だと分かったのです……」


 この件は記憶がある。

 兵たちの健康管理は重要であり、帝国軍でもその点は充分に考慮しており、運が悪かったのだと思ったものだ。


「しかし、ペテルセンはそれが王国の謀略ではないかと指摘していました。土地勘のない兵士が自ら貝を取りに行き、それが偶然危険な場所であったというのは王国にとって都合が良すぎると。フェアラートに不審な者がいなかったことは確認しており、何を言っているのだと思ったものです。ですが、当時はグレーフェンベルクやラウシェンバッハという策謀家がいるとは知りませんでしたから、今思えば王国の謀略であった可能性が高いと思います」


 その言葉に私はなるほどと感心する。


「確かにラウシェンバッハの用意周到さを考えれば、十分にあり得るな。しかし、余が指揮官であってもそこまでは疑わぬ。というより、明確な証拠があるなら別だが、疑いだけで禁ずれば、兵たちに不満が出るからな」


 ゲルリッツは私の指摘に大きく頷いた。


「その点は私も同感であり、ペテルセンに指摘しております」


「それで彼はどう答えたのだ?」


「それも敵の謀略の恐ろしさだと言っておりました。万が一発覚したとしても、将と兵の間に楔を打ち込む策に変えられると。その上で何らかの方法で兵を煽れば、軍としては大きな損失になり得る。恐らく次の手も準備してあったのではないかと言っていました」


 嫌らしい手だが有効だ。

 そして、これまでのラウシェンバッハの策を見る限り、単純な策は少なく、敵の心理を突くようなものが多い。そう考えれば、ペテルセンの指摘は考え過ぎとは言えないだろう。


「五年前にそれを指摘していたのか……なるほど、父上が気にされるだけのことはあるな」


 私が満足そうに頷くと、ゲルリッツは再び苦笑する。


「確かに有能なのですが、かなり変わった人物です。陛下のお眼鏡に叶うかは……」


「変わっている? 具体的にはどう変わっているのだ?」


「規律が求められる士官学校の教官でありながら、常に酒を飲んでいるようなやからです。まあ、酔っぱらって間違ったことを教えるわけではないので実害はないのでしょうが、若い士官候補生にとっては有害な存在と言えるのではないでしょうか」


「酒を飲んでいる? あの士官学校でか……」


 私はその人物に興味を持った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る