第40話「遺言:前編」

 統一暦一二〇六年五月三日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。皇帝マクシミリアン


 私が即位を強行したことは完全に裏目に出た。

 グライフトゥルム王国の謀略の手は既に伸びており、即位の発表と同時に、民たちが反対の声を上げたのだ。


 昨日は第一軍団が帝都内を精力的に巡回することで何も起きなかったが、今日は朝から民が街に繰り出し、私の即位に反対する声を上げている。


 一斉に立ち上がったという感じはなく、散発的に起きているように見えるが、用意周到なラウシェンバッハがそう見えるように細工をしたのだろう。


 第一軍団長のローデリヒ・マウラー元帥に対処を命じたが、諜報局からの報告では、民たちは合流しながら皇宮に迫っているらしい。


 マウラーが対応を誤ることは珍しいが、彼は戦場での指揮を得意とし、治安維持は専門外だ。純粋な軍人である彼が、謀略家であるラウシェンバッハの策に後れを取ったとしても不思議ではない。


「マウラー閣下がゲルリッツ閣下、ゴットフリート殿下と共にお越しですが、いかがいたしましょうか」


 兄ゴットフリートと枢密院議長代行であるルーティア・ゲルリッツと一緒に来たということは、暴動に関しての協議だと判断し、入室を許可した。


 兄は皇帝となった私にどう接していいのか、困惑している雰囲気があるが、マウラーとゲルリッツは酷く緊張している気がした。


「暴動に対する相談か?」


 私の問いにマウラーは答えず、片膝を突いてから頭を下げる。その横にゲルリッツも並び、同じように頭を下げた。


「陛下に申し上げます。先帝コルネリウス二世陛下の遺言をお持ちいたしました」


 マウラーはそう言ってから、一通の封書を出した。


「先帝陛下の遺言だと……このタイミングでか……」


 なぜこのタイミングでという思いが自然と出てしまう。

 シュテヒェルトが封書を受け取り、私に渡してきた。


「コルネリウス二世陛下より、崩御の一ヶ月後にマクシミリアン陛下にお渡しするようにとの命令を受けておりました。また、この事実は共に命令を受けたゲルリッツ殿と小職以外に知られてはならぬと厳命されており、本日まで秘匿いたしました」


 兄もその言葉に驚いている。


「内容は知っているのか?」


 封書を開きながら確認する。


「聞いておりません。ですが、遅らせた理由は聞いております」


「そうか……だが、まずはこれを読んでからだな」


 そう言って遺言状を読み始めた。

 書いてあったのは次期皇帝に私を推挙するというもので、兄にはこの遺言を守るようにと書かれていた。


「これがもっと早くあれば……」


 思わず独り言が漏れた。


「陛下、どのようなことが書かれていたのでしょうか?」


 シュテヒェルトが静かに聞いてきた。


「私を次期皇帝に推挙するとある。また、兄上にはこの遺言を守るようにと書いてある。マウラー以下の帝国軍の将、そしてお前たち文官には、自分に仕えたように、私に仕えるようにと書かれている。但し、仕えるに値しないと判断すれば、無理に忠誠を尽くす必要はないともあるな」


 そう言いながら、兄に遺言状を渡す。

 兄は急いでそれに目を通していく。


「それで父上が一ヶ月間秘匿するようにと命じた理由を聞かせてくれないか」


 マウラーは私の目をしっかりと見つめながら頷くと、ゆっくりとした口調で話し始めた。


「先帝陛下はフェーゲライン枢密院議長とグライフトゥルム王国を警戒しておられました。そして、ご自身が亡くなられれば、必ずそれらの者が動き出すとお考えでした。陛下は、一ヶ月もすれば、その者たちは必ず蠢動する。それを一気に叩けばよいと……」


 父はこれまでの民の不信の裏にフェーゲラインと王国のラウシェンバッハがいると考え、遺言が公表されるまでの一ヶ月という時間を使い、それらを炙り出して帝都を掃除しようと考えたようだ。


「父上はそのようなことをお考えだったのか……」


 苦笑が漏れるが、マウラーが遮る。


「それだけではございません」


「他にもあるのか?」


「ゴットフリート殿下はどれほどご自身に有利な状況であっても、動かれることはないと確信しておられました。恐らくですが、その一ヶ月でそのことをマクシミリアン陛下が気づいてくださればとお考えであったのではないかと思います」


「そういうことか……」


 確かに兄は何があっても皇位継承権の放棄を取り下げなかった。

 それならば、父の思惑通り、時間を掛けてフェーゲラインを暴発させ、更に王国の者たちを炙り出すか、牽制することができれば、私の即位はもう少しスムーズにいっただろう。


 しかし、私が強引に即位したため、父の思惑通りにいかず、混乱が大きくなった。


「父上は余がこれを見るまで動かぬと考えておられたようだな……」


 思わず独り言が漏れる。


「確かに父上は何も示唆されなかったが、もう少し父上を信じるべきだった。あの父上が何も準備をしていないはずがないとは思っていたのだが、王国を警戒しすぎて焦ってしまったようだ……」


 当然のことだが、父が崩御した後、遺言状が残されていないか、くまなく探している。また、腹心であったシュテヒェルトとバルツァーにも遺言を聞いていないか、死後のことを託されていないかを確認していた。


 結局、遺言状は見つからず、二人も何も聞いていないという事実が分かった。

 また、軍の重鎮であるマウラーとゲルリッツには、軍に関して託されたことはないかとしか聞かなかった。


 確かに父は付き合いの長い二人を信頼していたが、それはあくまで軍人としてであり、帝国の将来を託すようなことはないと思っていたのだ。


 結局、父は自らの死を想定しておらず、何も残さなかったと判断したが、その時は私だけでなく、シュテヒェルトも違和感を持っていた。そのことをもう少し深く考えるべきであったと後悔する。


「お二方にはもう一通ずつお渡しする物がございます。家族として遺したお言葉が書かれていると伺っております」


 そう言って私と兄に書状を渡してきた。


「これは後で見よう。それよりも今起きている暴動に対し、この事実をどう使うかだ」


 そこでマウラーが提案してきた。


「すぐに公表いたしましょう。小職とゲルリッツ殿の連名で事実を包み隠さず発表すれば、民も信じてくれるでしょう」


 その提案に頷きそうになったが、首を横に振る。


「いや、父上のお考え通り、我が帝国に仇なす者たちを炙り出し、一気に叩き潰す」


「制御不能な暴動に繋がりかねません。そうなれば、多くの犠牲が出ます。ご再考を」


 マウラーが反対したが、私は即座にそれを否定する。


「この際、多少の犠牲には目を瞑れ。この機に膿を出し切るのだ。その方がトータルで考えれば犠牲は少なくなる」


 マウラーの言う通りにすれば、今起きて掛けている暴動は治まるだろう。しかし、扇動した者は再び潜伏し、機会を見て揺さぶりを掛けてくるはずだ。それならば、暴動を起こさせた上で鎮圧し、扇動した者を含め、関係した者を厳しく処分すれば、膿を出し切ることができる。


「俺もやめた方がいいと思う」


「無役である兄上に発言を求めた記憶はないのですが?」


 私の言葉に兄が苦笑する。


「そうだったな。だが、祖国が混乱することが分かっているのに、指を咥えて見ているわけにはいかん」


 兄が私を貶めるつもりなのかと気になった。


「兄上は私が失敗すると考えているのですか?」


「いや、おまえ……陛下なら失敗はせんでしょう。少なくともフェーゲラインの手の者は処分できる。だが、大きなしこりを残すことも間違いない」


 兄が初めて私のことを“陛下”と呼んだ。

 私を認めたのだと思ったが、それよりも政治的な才がない兄に、完全な成功はないと言われて癇に障った。


「軍事以外で兄上に意見されるとは思っていなかったよ。しこりを残すと言ったが、理由を聞かせてくれないか」


 あえて口調を変えて聞く。

 兄はそのことに気づいたが、特に表情を変えずに説明する。


「簡単なことです。父上は罠を張ったが、掛かったのはフェーゲラインのみで、王国は父上の罠すら読み切っている。この状況で無駄に動けば、ラウシェンバッハの手の上で踊ることになりかねんということです」


 確かに王国の手の者が動いたという報告はない。これは距離的な問題だと思っていたが、これまで的確な手を打ってきたラウシェンバッハが今回に限って動いてこないことに違和感はあった。


「さすがに父上の急逝まで読み切れなかったのだ。千里眼と言っても天才的な先読みの能力があるだけで、すべてを見通せるわけではない。それに王国もこの状況を知ったら本格的に動くだろう。そうであるなら、帝都が混乱していると思わせた方がよい」


 ラウシェンバッハの指示がここに届くのは一ヶ月ほど後だ。その時に私が強引に即位し、支持しないものを処分したと知れば、それに付け込もうとするはずだ。


「分の悪い賭けですね」


 それまで沈黙していたシュテヒェルトが発言する。


「どういうことだ?」


「フェーゲライン議長が帝都に混乱を引き起こしました。ラウシェンバッハの手の者にしてみれば、自分たちが動かなくとも勝手に帝国が混乱してくれるなら、ここで無理に手を出す必要はないと考えるでしょう。ですので、彼らが姿を見せる可能性は低く、単に陛下と民の間にしこりが残るだけで終わる気がします」


 言わんとすることは理解するが、ずけずけと言ってきたことに、まだ皇子を相手にしているつもりなのかと不快になる。


「その点は諜報局に期待しているのだが、できぬということか?」


 嫌みを言ってみるが、シュテヒェルトはいつもの飄々とした感じで否定する。


「恐らく無理でしょう。この時点でできるのであれば、ここまで追い込まれることはなかったでしょうから」


 その言い方に更に不快感が募る。

 私がそのことを言う前に、兄が発言した。


「俺に謀略のことは分からんが、シュテヒェルトが難しいというのであれば、それを前提に考えるべきではないだろうか。シュテヒェルトの才は陛下もお分かりだろう。ここで進言を無視すれば、むざむざ才ある者を失うことになるのではないだろうか」


 そこで父の遺言のことを思い出した。


「仕えるに値しなければ、忠誠を尽くさなくともよいか……父上はお亡くなりになっても厳しいな……」


 そこで自分が意地になっていることに気づき、シュテヒェルトに顔を向ける。


「卿の言はもっともなことである。では、マウラー元帥、ゲルリッツ元帥に先帝陛下から託された思いと共に、遺言の内容を公表してもらおう。それでよいな」


「私に異存はございません」


 シュテヒェルトはそう言って恭しく頭を下げた。

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