第39話「即位の反動」

 統一暦一二〇六年五月三日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。ゴットフリート・クルーガー元帥


 弟マクシミリアンが第十二代皇帝となった。

 奴らしい強引な手段での即位だが、手を拱いていては王国に引っ掻き回されるという危機意識は同じなので、素直に認めている。


 しかし、不安がないわけではない。

 内務尚書のヴァルデマール・シュテヒェルトの提案を受け、家族を脱出させたのはいいが、そのことを弟が不審に思っている節があるのだ。


 奴がそう考えるのは分からないでもない。

 俺のような戦争しか取り柄のない武辺者が、マクシミリアンやシュテヒェルトの目を掻い潜って、女子供を帝都から脱出させることなどできるはずがないからだ。


 協力者がいると思っているようだが、シュテヒェルトも伏せているようで、彼の部下である諜報局の職員が何度も足を運んできている。


 一応、妻の実家がある南部に行かせたと言ってあるが、既に一ヶ月近く経ち、それが事実でないと気づかれている。今は即位のことがあるから、表立って言ってこないだけで、落ち着いたら俺もフェーゲラインと同じように拘束されるかもしれない。


 即位式から二日、公職はすべて返上しているので、昨日から屋敷に篭っている。

 やることもないので、今日も朝から護衛であるデニス・ロッツを相手に庭で鍛錬をしていた。汗を拭っていると、遠くで叫ぶような声が聞こえた気がした。


「あの声は何だ?」


 デニスに聞いてみた。


「何ですかね。大勢が騒いでいる感じですが……見てきますか? 俺なら警備兵も通してくれるでしょうから」


 屋敷には第一軍団の兵士が百人以上警備についている。警備なのか、俺を逃がさないための封鎖なのかは判然としない。


「それには及ばん。暴動ならマウラーが鎮圧するだろうし、皇帝の即位を祝う声なら何ら問題はない」


「そうなんですがね……でもあれは、とても陛下の即位を祝う声には聞こえませんぜ」


 彼の言っていることは間違っていなかった。

 すぐに屋敷を警備している第一軍団の大隊長である上級騎士が、俺のところにやってきたのだ。


「商業地区で暴動が発生したようです。殿下には申し訳ございませんが、屋敷の中にお戻りいただきたいと存じます」


 俺が身体を動かすのが好きなのを知っているので、本当に申し訳なさそうに頭を下げている。


「構わんさ。そろそろ切り上げようと思っていたところだしな」


 そう言いながら屋敷に戻った。


 それからしばらくして、珍しい客がやってきた。

 元第三軍団長のルーティア・ゲルリッツだ。


 彼女は父の士官学校の同期であり、俺が幼い頃からの付き合いがある。年齢的には母より年上なのだが、五歳くらいから剣の手解きを受けているから、俺にとって年の離れた姉のような存在だ。


 今日は少し違和感があった。

 軍人として数万の皇国軍と対峙しても動じなかった豪胆な女性が、今日に限っては少し落ち着きがない感じがしたのだ。


「民たちが即位に反対しているようです。こちらにも流れてくる可能性がありますから、軍団本部のマウラー殿のところに避難した方がよろしいかと存じます」


 第一軍団は近衛兵でもあるため、軍団本部は皇宮内にある。

 そこに避難が必要なほど切迫しているとは思わなかった。


「昨日から反対の声が上がっていると聞いていたが、それほど酷いのか……だが、俺が皇宮に行けば、もっと厄介なことになるのではないか?」


「可能性はありますが、ここにいては殿下が巻き込まれてしまいます。そうなれば、陛下は兵を差し向けてくるでしょう」


 当たり前のことを言っているように聞こえるが、弟がこれ幸いにと、暴徒と一緒に俺を処分すると言いたいのだろう。


「了解だ。デニス、皇宮に行くぞ」


「承知しましたぜ。まあ、ルーティアの姐御が一緒なら何も問題はないと思いますがね……おっと、これは失言だった。元帥閣下、今のは忘れてくださいよ」


 ルーティアがベテランの兵士から“姐御”と呼ばれているのは周知の事実だ。しかし、本人を前にいう者はいない。


 デニスは先ほどの、マクシミリアンが兵を差し向けるという言葉を受けて、ルーティアは信用できると俺に伝えたかったのだろう。

 その点については俺も全く同感だ。


 やはり違和感があった。

 いつものルーティアならデニスの軽口を豪快に笑い飛ばすのだが、彼女の表情は真剣なままで、特に反応していなかったのだ。


「私はご一緒できません。ここに暴徒が来るなら、殿下が既にいらっしゃらないこと説明した方がよいでしょうから」


「それはやめた方がいい。今の帝都は何が起きるか分からんのだ。ルーティアを今失うことは帝国にとって大きな損失だ」


 この状況でルーティアを失えば、暴徒と化した民衆を説得できる者はマウラーしか残らないことになる。


「ですが……」


 果断な性格の彼女が逡巡していることに違和感が強くなるが、暴徒が来るならすぐに行動した方がいいと頭を切り替える。


「一刻を争うのだ。すぐにマウラーのところに行こう。彼のところが一番安全だからな」


 あえて明るい声でそう告げ、出発を促した。


 ルーティアが用意した馬車に乗り、皇宮の正門に向かったが、暴徒は皇宮のすぐ傍にまで迫っていた。彼らは口々に叫んでおり、皇宮に入ることができない。


「ゴットフリート殿下を解放しろ!」


「国賊マクシミリアンは帝都から出ていけ!」


「マウラー元帥は何を考えているのだ!」


 思った以上に激しい抗議に、マクシミリアンが対応を誤ったのだと思い知らされた。


「王国の謀略は想像以上だな。ここまでとはマクシミリアン、いや、陛下も考えていなかったのだろう。これ以上暴れぬように、俺が姿を見せた方がよいな」


「それはよした方よいでしょう」


 ルーティアが即座に反対する。


「なぜだ? このままでは暴動が更に大きくなり、収拾がつかなくなるぞ」


「王国の謀略であれば、殿下のお命を狙ってくる可能性があります。そうなれば、第一軍団でも抑えきれなくなるでしょう。それにあのマウラー閣下がいつまでも手を拱いているとは思えません。閣下にお任せしましょう」


 それだけ言うと、御者に別の門に行くように命じた。

 幸い、別の門にまで暴徒は来ておらず、皇宮内に入ることができた。そのまま軍団の本部がある建物に向かう。


 中隊長の徽章を付けた騎士が敬礼する。


「クルーガー元帥閣下、ご無事で何よりであります!」


 俺の元部下だった騎士で、本気で心配してくれていたようだ。

 俺が声を掛ける前にルーティアが声を掛ける。


「済まないが、マウラー殿に伝えてくれないか。ゲルリッツが戻ってきたと」


 騎士は敬礼した後、軍団長室に向かった。


「マウラーが命じたことなのか?」


「はい。念のためにと」


 その表情には迷いのようなものが見えた。

 そのことを聞こうと思ったが、先ほどの騎士が戻ってきた。


「両閣下にお越しいただきたいと、マウラー閣下がおっしゃっておられます」


 ルーティアだけでなく、俺も一緒だ。忙しいはずのマウラーが俺を呼ぶ理由が思い浮かばない。


 軍団長室に入ると、マウラーが一人で待っていた。

 副官や参謀がいないことに違和感を持つが、マウラーの表情が険しいことに気づき、そのことを指摘しなかった。


「わざわざご足労いただき、ありがとうございます」


 俺に向かってそういうと、ルーティアに視線を向ける。


「ルーティア殿、先帝陛下の最後のご命令に従う時が来たようだ」


 ルーティアは大きく頷く。


「では、陛下のところに向かいますか?」


「そうだな。一緒に来てもらいたい」


 二人の会話が見えない。


「どういうことだ? 父上の最後の命令とは何のことを言っているのだ?」


「マクシミリアン陛下の前でお話しいたします。殿下にもご同行いただければと」


 この緊迫した状況にしては落ち着いているというか、達観したような表情を浮かべている。普段から泰然としている男だが、どこか違う気がした。


「同行するのは構わんが……」


 問い質そうかと一瞬思ったが、この二人が積極的に話さないということは、マクシミリアンと一緒でなければ教えてくれることはないだろうと諦める。


 皇宮である白狼宮の中は思ったより静かだった。

 先帝である父に仕えていた者の多くが、喪に服すと言って出仕していないためだ。


 マクシミリアンも無理やり出仕させるわけにもいかず、最低限必要な人員だけを確保し、その他の者については自由にさせたと聞いている。


 皇帝の執務室に入る。

 以前なら父が笑顔で出迎えてくれたが、今はその姿はなく、シュテヒェルトと共に考え込む弟の姿が見えるだけだ。


「暴動に対する相談か?」


 その問いにマウラーは答えず、弟の前で片膝を突き、頭を下げた。その横にルーティアも並び、同じように頭を下げている。


「陛下に申し上げます。先帝コルネリウス二世陛下の遺言をお持ちいたしました」


 マウラーはそう言ってから、一通の封書を捧げた。

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