第89話「モーリス家の神童たち:中編」

 統一暦一二一三年三月一日。

 グライフトゥルム王国東部ヴィントムント市、モーリス商会本店。ダニエル・モーリス


 僕は久しぶりに帰ってきた兄フレディと今後の方針について話し合っている。

 兄から目的をはっきりさせてから話し合うべきだと言われ、赤面した。このことはマティアス様から何度も言われていたのに忘れてしまっていたからだ。


 どうも僕は一つのことに注意を向けると、大事なことを忘れてしまうらしい。

 そんなことを考えていると、兄が話し始めた。


「まず目的だが、最大の目的はマティアス様を守ることだ。そのための目標は最低三年間、帝国が王国に攻め込めないようにすること。マティアス様は順調に回復しておられるが、元の状態に戻るには、少なくとも三年は掛かるそうだ。その間、戦場に出るようなことがあれば、お命に係わるからな。この認識でいいな」


 兄の言いたいことはすぐに理解できた。


「それで問題ないよ。三年間帝国が軍事行動を起こせない、または起こさない方がよいと思わせる。そのために僕たちにできることが何かという点で考えるということだね」


「そうだ。軍を動かすには軍資金がいる。その軍資金に私は着目した」


「軍資金を奪うということ?」


 確かに商人である僕たちが一番やれることは帝国から金を奪うことだし、今でも帝国は資金不足だから効果があることは理解できる。しかし、その方法が瞬時に思いつかなかった。


「そういうことだ。そして、重要なことは今の帝国は皇帝マクシミリアンと総参謀長ペテルセン元帥が動かしているということだ。そのうちのペテルセン元帥を利用する」


 僕が悩んでいると思い、兄がヒントをくれた。


「ペテルセン元帥……ベトルンケン酔っ払い元帥を利用するということは酒を使うということだね。何となく分かってきたよ」


「もう分かったのか……まあいい。ペテルセン元帥が旧皇国領の酒造関係者が王国に引き抜かれて激怒したという噂を聞いた。そこでリヒトロット市周辺とグリューン河流域で大規模な酒造計画を立ち上げる。その計画は産業振興の一環として帝国政府が主体となり、大量の資金を投入させるんだ。既に実績のある地域だから成功は約束されている。長期的に見れば十分に利益がある計画だから、皇帝も承認しやすい」


 リヒトロット市とその周辺は白ワインとブドウの蒸留酒の名産地だった。マティアス様の策略で十年ちかく前から職人を引き抜いており、品質は年を追うごとに落ちている。


 それを回復して外貨獲得手段を得ると言えば、ペテルセンはもちろん、皇帝も認めるだろう。更に投資が成功しても、帝都に運んで帝国軍兵士を相手に商売をすれば、帝都と地方の格差は広がるし、帝国軍兵士の堕落化にも繋がる。


 旧皇国領の人々が帝国になびくことだけが懸念だが、愛国心を上手く刺激しつつ、帝国軍の悪評を流し続ければ、簡単にはなびかないだろう。

 なかなか上手い手を考えると思った。


 そこまで考えたところで、兄が僕に話した理由に気づく。


「そのためにはうちの商会じゃなく、帝国の商会が提案した方がいいということだね。うちだと自分のところの資金でできるけど、帝国の商会では資金を確保できないから」


「そういうことだ。お前が行くリーデル商会ならうってつけだ。ザフィーア河の水運業に手を出しているから、グリューン河に目を付けてもおかしくはない。それに帝都周辺の酒造場にも投資しているから、ノウハウも持っている。商会長にあったが、モーリス商会の傘下に入ったことに不満は持っていない。それどころか、ネーアーの指示で動いた方が儲けられると思っているから、お前の指示にも素直に従うだろう」


 リーデル商会は帝都では有数の総合商社だった。しかし、帝国政府の要請に従って穀物輸送を請け負ったものの、価格の変動に翻弄されて大損を出し、潰れそうになった。


 その際、帝都支店長ヨルグ・ネーアーが債務の肩代わりをする代わりに、うちの商会の傘下に密かに入るよう交渉し、同意している。


 この価格変動だが、うちの商会が引き起こしたものだ。こちらで火を着けておいて消火してやり、恩を着せる。悪辣な方法だが、非合法なことは一切していない。


「そうなると、まずは旧皇国領を見ておかないといけない。その前にラウシェンバッハ子爵領の蒸留所と醸造所の経営の資料も見ておいた方がいいな。それから現地に行って、改善点を炙り出し、帝国政府の投資計画を作る。そんな感じかな」


「子爵領の計画書は父さんに言ってもらっておけ。そのままペテルセン元帥に見せた方が信憑性は増すからな。但し、計画は子爵領の十倍規模だ。帝国の資金を奪うことが目的だから、数千万組合ツンフトマルク(日本円で数十億円)程度では意味がない。最低でも年間一億マルク(日本円で約百億円)、できれば五億マルク程度の投資をさせる必要がある」


 ゾルダート帝国の国家予算は皇国吸収前で年間七十億帝国マルク程度だった。組合ツンフトマルクに換算すると約四十二億マルクになる。そのうちの二パーセントから十二パーセントを使わせないということだが、それで効果があるのか疑問があった。


「五億マルクだとすると国家予算の十二パーセントくらいだ。それだけの投資を認めるのかということと、認めたとしても軍事作戦への障害になるのかという点が気になる」


「まず認めるのかという点だが、認めさせるんだ」


 そこで僕が考え違いをしていたことに気づく。


「認めさせる……そういうことか……」


 皇帝が簡単に認めるような計画は成功が約束され、確実に儲かるものだろう。当然、帝国の国力を挙げてしまうことになる。

 一方、認めさせるということは儲かると思わせる必要があるということだ。


「酒造りだから五年程度は赤字だけど、それ以降は大きく儲かると思わせればいいということだね。長期的に黒字になるから積極的に投資をすべきだと皇帝に思わせることが重要だと分かったよ」


「それだけじゃないぞ」


 兄がニヤリと笑った。


「どういうこと?」


「皇帝が今頭を悩ませていることは何だ? そのことを絡めて提案するんだ。副次的な効果が魅力的で、ペテルセン元帥が進めたい酒絡みの案件であれば、大規模な投資も決裁してくれるだろう」


 その言葉でもう一度考えてみた。

 そして、一つの結論に達した。


「分かったよ。旧皇国領の民心を掴むために必要な投資だと思わせればいいんだね。元々主要産業の一つだったものが、戦乱のどさくさで失われた。それを復活させれば、民たちは喜ぶだろうし、帝国が自分たちのことを考えてくれていると安心する。そんな感じで言えば、リヒトロット市で手を焼いていることもあるから、大々的に公表して進めてはどうかと提案すれば、認める可能性が高いということだね」


 兄は満足げに頷いた。


「その通りだ。マティアス様に教えていただいただろ。作戦を立てる時はこちらの都合だけじゃなく、相手がそうしたくなるように誘導することが効果的だと。帝国が今一番困っていて具体的に打つ手がないことに対して案を出す。それが長期的に回収できることが確実で、喫緊の課題にも有効だと思わせれば、必ず食いつくということだ」


 こういう時、兄に及ばないと思う。

 兄はマティアス様の教えを確実にものにしている。


「分かったよ。その上で僕はどうしたらいいと思う。ライナルト・モーリスの息子であることを隠すのか、逆に大々的に次男であることを表明するのか、兄さんはどう考えている?」


 この話を聞く前は息子であることはできるだけ隠す方針だった。しかし、ここまで大々的な話を持っていくなら、リーデル商会のことは調べるだろうから、この事実が知られて問題になる可能性が高い。


 僕としては堂々と名乗っておいて信用を勝ち取る方が安全だし有効だと思っているが、一方で帝国の経済支配のことを考えると、リーデル商会がモーリス商会の傘下にあることを示していることになるので影響が出る。


 だから、ここまで考えている兄の意見を聞きたいと思ったのだ。

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