第88話「モーリス家の神童たち:前編」
統一暦一二一三年三月一日。
グライフトゥルム王国東部ヴィントムント市、モーリス商会本店。フレディ・モーリス
久しぶりに故郷ヴィントムントに戻ってきた。
シュヴェーレンブルク王立学院高等部を卒業して一年と三ヶ月、この間私は父ライナルトと共に世界中を巡っていた。
最初にグランツフート共和国の首都ゲドゥルト、次に海路を使ってレヒト法国の聖都レヒトシュテットに入り、法国の西部と南部を回って、南部教会領のハーセナイから再び海路でシュッツェハーゲン王国の王都シュッツェハーゲンに行った。
シュッツェハーゲンからオストインゼル公国の首都オストパラストに行き、帝都に入った。帝都からはザフィーア河を使ってエーデルシュタインに行き、グリューン河を使ってリヒトロット、フックスベルガーと回り、ヴィントムントに戻ってきたのだ。
移動距離は一万キロメートルに達し、まさに世界一周と言っていいだろう。
実家に入ると、そこには母の他に昨年末に学院を卒業した弟ダニエルがいた。また、姉のパウラと妹のティルアもおり、家族全員が揃うのはずいぶん久しぶりだ。
ダニエルはこの後、私たちと入れ替わるように帝都に向かう。その準備をするために実家に戻っていたのだが、私たちが帰ってくるという話を聞き、出発を見合わせてくれていたのだ。
「お帰りなさい、兄さん。大変だったでしょう」
弟が労ってくれる。
「さすがに疲れた……父さんは大丈夫なのですか?」
「無論だ。この程度で音を上げていたら、商人は務まらぬ」
そう言っているものの、父も四十歳を過ぎ、疲労の色が見えた。
その夜は家族の再会を祝い、家で食事と会話を楽しんだ。
食事を終えた後、ダニエルが私の部屋にやってきた。
「話を聞きたいんだけど、大丈夫?」
「大丈夫だ。私もお前と話がしたかったからちょうどいい」
そう言って笑顔で出迎える。
「聞きたいのは実際に世界中を見てきて、兄さんがどう感じたかなんだ。父さんとはじっくり話す時間も少ないし、商会の者たちだと正直な感想が聞けない気がしているんだ。僕の安全を考えて誇張したり、濁したりしているんじゃないかと思っている」
弟は昔から勘が鋭い。
「私も同じことを感じていたよ。でも、今回一年以上にわたって父さんと一緒に旅をしたから、何となく分かってきた。だから私が感じたことを話そう」
そう言ってから法国やオストインゼル公国などで感じたことを話していった。
「法国はマティアス様がおっしゃる通り、聖職者の腐敗が酷い。あれでも現法王になってマシになったそうだが、露骨に賄賂を要求してくる者を初めて見たよ。総支配人だったトルンクはあんな連中を相手によくやれたと感心したほどだ」
法国での総支配人だったロニー・トルンクは教会の上層部と繋がりが強く、法王が始めた腐敗撲滅運動で検挙される恐れがあったため、王国に戻っている。
「それじゃ、法王の改革は思ったより上手くいっていないということ?」
弟の問いに首を横に振る。
「そうでもない。西方教会領と南方教会領は赤死病の混乱を上手く使って、腐敗した聖職者たちを排除していたんだ。赤死病が広がったのは教会を管理する聖職者の信仰心が足りないからだと言ってね。実際、腐敗した司祭や主教の教会ほど酷かったようだ。だから数年以内にその二つの教会領は完全に立ち直るはずだ」
法国の四つある教会領のうち、西方と南方は商業活動が活発で、食糧不足に喘ぐ帝国に穀物を輸出するなどして儲けている。腐敗した聖職者を追放した上でその資金を活用して開発も進めており、民衆の支持も強い。
「オストインゼルは面白かったよ。話には聞いていたけど、文化があれほど違うとは思っていなかったからね」
オストインゼル公国は島国であり、独特の文化が花開いていた。首都オストパラストは大きな木造建築が立ち並び、東方系武術を学ぶ武芸者で溢れていた。
また、貝を使った細工や金を散りばめた漆器など、大陸にはない独特の工芸品に溢れ、商売のネタが転がっていると思った。
オストインゼルの話をした後、真剣な表情に変える。
「帝国だが、思った以上に経済は疲弊していたな」
「帝都は回復しつつあると聞いているけど?」
「確かに帝都は活気があった。しかし、それ以外の町は失業者が溢れ、帝都に一旗揚げに行くという者が多くいた。マティアス様のお考えになった帝都と地方の経済格差を作って、民衆の不満を高めるという策は上手くいきつつある」
マティアス様は帝都の民のみが裕福になり、地方の民が貧困になるという策をお考えになった。最初に聞いた時にはそれで何が起きるのか全く理解できなかったが、実際に見てみると、地方の民衆は将来を悲観し、不満を口にする者が多かった。
「帝都民の所得を倍増させて物価を押し上げ、うちの商会が儲けを国外に持ち出す。そうなると帝国の国富が外に流れて国自体が貧しくなる……今なら何となく分かるけど、マティアス様に初めて教えてもらった時はちんぷんかんぷんだったね」
弟が遠い目をして笑っている。
「全くだ。そのために帝都で雇用を作り出すんだが、帝国軍の兵士を利用するなんて全く理解できなかったな。雇用が生まれれば、人が流入し、その人々に対する需要が生まれる。その需要を満たすために供給を増やせば、帝都の人々の所得は上がる。所得が上がって可処分所得が増えれば、贅沢品が売れるようになる。そこに我が商会が食い込めば、帝国から金を吸い上げることができる。よくそんなことが思いつくと思ったものだ」
「そうだね。そんなことを教えてくれた割には、“自分は経済の専門家じゃないから、このくらいしか思いつかないんだよ”とマティアス様はおっしゃったんだ。あの時はイリス様が大笑いされるくらい、僕たちは大きく口を開けて呆けていたね」
その言葉に苦笑する。
マティアス様は天才なのだが、何をされるにしても“自分は専門家じゃないから、この程度のことしかできない”とおっしゃられる。
唯一、情報分析だけは自信を持っておられるが、そのことに失礼だが呆れたことが何度もあった。
戦略や戦術でも同じことをおっしゃるので、イリス様もよく呆れておられた。
「話を戻すが、帝国は酷い状況だが、帝国政府はまだはっきりとそのことを認識していない。ただ、父さんはもしかしたら皇帝は気づいているかもしれないと言っている。だが、内務府と財務府は気づいていないらしい」
今回の帝都訪問では、父は皇帝に謁見しているが、私は同行しなかった。
まだ二十歳にもなっていない若造ということもあるが、皇帝も私がマティアス様に師事したことを知っているので、会わない方がいいという父の判断だった。
「それに父さんが言うにはシュテヒェルト内務尚書が死んでから、帝国の内政は皇帝の命令に従うだけで独自に動くことはないらしい。それに諜報局もペテルセン総参謀長が指揮しているから、積極的に情報を集めるようなことはしていない。そこを上手く利用すれば、面白いことができるんじゃないかと思っている」
私の言葉に弟が食いつく。
「面白いこと? 実際に見てきた兄さんの意見を聞きたい!」
「その前に私たちの目的と目標をはっきりさせないといけない」
私の言葉に弟は顔を赤らめて頭を少し下げる。
「ごめん。マティアス様からこれが一番大事なことだと何度も言われていたのに、つい忘れてしまった」
マティアス様は何をするにも目的を明確にすることが大事だと常々おっしゃられていた。目的が不明確だと目標が定められず、目標があやふやだと成功・失敗の基準も曖昧になり、どのような手段を採るべきかという判断ができないからだ。
今ならそのことの重要さは理解できているが、初等部の頃はいつも弟と頭を悩ませていた。
学院の高等部に進学する時も、マティアス様から質問され悩んだことがある。
『二人とも高等部の政学部にいきたいと聞いたけど、目的は何かな?』
『目的はマティアス様のお役に立てる人間になりたいからです』
私はすぐにそう答えたが、マティアス様は納得されなかった。
『私の役に立つ人になりたいか……私の役に立つ人になりたいだけなら、政学部に行く必要はないと思うよ。もう少し考えてごらん』
優しい笑みを浮かべてそうおっしゃられた。
そこで私と弟は顔を見合わせてしまう。
マティアス様に恩返しするために政学部で学ぶ。それでいいと思っていたからだ。
『最終目的が私の役に立つということはいいと思うよ。まあ、私としては自由に生きてほしいのだけどね。でも、政学部に入る目的はもう少し明確にした方がいい。そうしないと目標が立てられないし、目標を目指す方法が考えにくいから』
そこでもう一度考えた。そして、自分なりの意見を言った。
『平民である僕が役に立つためには様々な人脈が必要だと思います。その人脈を作るために政学部に行きたいと思いました』
私の答えにマティアス様は微笑みながら頷かれた。
『これで目的がはっきりしたね。あとは目標を立てる必要があるけど、それはゆっくりと考えてみて』
そう言われて弟と一緒に考えてみたが、目標がなかなか決まらなかった。人脈を作るということなら、有力貴族の子息と友人関係になるという目標しか思いつかなかったからだ。
イリス様に相談すると、即座に目標を定めてくださった。
『首席で卒業しなさい。それも誰にも文句を言われないくらいダントツで。そうすれば、モーリス商会の商会長の息子という強みだけでなく、中身も優秀だという認識が広がるわ。あとは人柄が悪くないと思われれば、放っておいても人脈は作れるから』
なるほどと思った。
目的をしっかり決めれば、目標を定めやすいし、やることも決まってくる。
ただ、イリス様がおっしゃられた目標は非常に高い水準で、弟と二人で途方に暮れた思い出がある。
そんなことを思い出しながら、弟と今後について話し合っていく。
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