第2話「捕虜への対応」

 統一暦一二〇五年九月十四日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンベルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 ヴェヒターミュンデを出港してから三日、無事に商都ヴィントムントに到着した。

 ヴィントムントではグレーフェンベルク伯爵が積極的に勝利を喧伝し、私もモーリス商会を通じて商人組合ヘンドラーツンフトに情報を流している。


 ヴィントムントからの海路も順調で、王都には九月十四日の夕方に入ることができた。

 今回も陸路を走った黒獣猟兵団は私たちより先に到着し、桟橋で出迎えてくれている。


 王都に戻ると、グレーフェンベルク伯爵らと別れ、屋敷に戻った。

 まずは捕虜のことを父リヒャルトに説明しなければならないからだ。一応、通信の魔導具を使ってラウシェンバッハ子爵領に送ることは伝えているが、父には直接話していない。


 屋敷に戻ると、宰相府の財務官僚である父は既に帰宅していた。

 普段ならこのような早い時間に戻っていることはないのだが、ヴィントムントから到着予定を伝えてあったため、早退したようだ。


「ご心配をお掛けしましたが、無事に帰還しました」


「無事で何よりだ」


 父がそう言って出迎え、母ヘーデも安堵の表情を浮かべて頷いている。


「あなたは戦いの場に出ないのでしょうけど、イリスさんのことは心配していたわ。本当に無事でよかった」


 母はイリスの性格を理解しているようだ。


「特に危険はありませんでしたわ、お義母かあ様。剣を抜くことすらなかったですから。ねぇ、あなた」


 イリスは黒獣猟兵団と帝国領内に入っていたが、そのことはおくびにも出さず、私に視線を向ける。


「そうだね。危険はなかったね」


 そんな感じで挨拶を終えると、すぐに父の部屋に向かう。


叡智の守護者ヴァイスヴァッヘのネッツァー上級魔導師から聞いたが、帝国兵一万七千以上を我が領地に移送するそうだな。お前が考えたことだから問題はないのだろうが、その辺りのことを詳しく話してくれんか」


「勝手に提案して申し訳ございません」


 領主である父に断りもなく、グレーフェンベルク伯爵に提案したことをまず謝罪した。


「それは構わん。お前が提案したということは、それが我が国にとって必要なことなのだろう。そのことは理解しているが、明日の御前会議に出席することになっている。陛下や宰相閣下よりご下問があるはずだから、それにどう答えたらよいかを聞いておきたい」


 勝利の正式な報告は、先行して出港した船によって、昨日のうちに伝えられている。

 そのため、グレーフェンベルク伯爵が戻り次第、御前会議が開かれることになっていたらしい。


「まず獣人族セリアンスロープのことはこちらから言わずにおきましょう。彼らが強力であることがマルクトホーフェン侯爵に知られると、厄介なことになりかねませんから」


「言わんとすることは分かるが、そうなると我が領内に帝国兵を収容する理由がないのではないか? 守備隊は増強したとはいえ、五百人を超えた程度なのだ。捕虜の管理についてはどう説明したらよいのだろうか?」


 元々ラウシェンバッハ子爵領の守備隊は二百名程度で、人口の増加に対応するため、傭兵を雇って五百名規模にまで増員した。更に黒獣猟兵団結成を機に、百名の獣人族部隊が加わり、総数で言えば六百名程度でしかいない。


 子爵領としては妥当な数だが、一万七千人を超える捕虜を管理するには全く足りない。但し、獣人族三万が近くにいるから、実質的には問題ないのだが、そのことを出さずにどう説明していいのか父は悩んでいるらしい。


「王国騎士団に協力を依頼します。二個連隊二千名がラウシェンバッハ子爵領で演習することにしておけば、捕虜も下手な動きはできませんから」


「それはそうだが、それならば王都の近くに収容すればよいのではないか? わざわざ我が領地に留め置く理由が説明できん」


「理由はいくつかあります。まず、王都の近くでは捕虜が脱走した際に混乱が大きくなります。捕縛のために大規模な捜索隊を出せば、民衆に不安を与えますし、王都の辺りでは東西南北どちらの方向へも行けますから捜索が難しく長期化する恐れがあります」


「そうだな」


「ラウシェンバッハ子爵領であれば、大陸公路ラントシュトラーセ沿いに南北に行くしかありません。東に行けば大湿原か、誰も住んでいない荒野ですし、西には魔獣ウンティーアが跋扈する森しかありませんから。ですので街道沿いを探せば、容易に発見できます。それに戦略上重要な拠点もありませんから危険は少ないと言えます」


 父はこの説明にも頷く。


「また、子爵領はヴィントムントとエンテ河で結ばれていますから、大量の捕虜を街道を使わずに移送することが可能です。そのため、町や村でトラブルが起きる可能性も低いと言えます。それにヴィントムントからの物資の補給も簡単ですから、食料や消耗品を運ぶことが楽になるので合理的なのです」


「確かに合理的だし、陛下や宰相閣下も納得されるだろう。そこまでは分かった。だが、無償でやるわけではないのだろう? 我が領は潤っているとはいえ、一万七千もの兵を数ヶ月間食わせていくことは大きな負担だ」


「その点も考えてあります。まず、食料や消耗品は実費を請求します」


「それは分かるが、我々のメリットは何になるのだ? 面倒なことを自ら招き入れるだけのようにしか見えんが。捕虜に開墾でもさせるのか。それとも帝国が返還を拒否した場合に、我が家の奴隷として一部を貰い受けるというのなら分からんでもないが」


 捕らえた敵兵に開墾などの土木作業をやらせることはよくあることだ。また、捕虜を奴隷とすることも一般的で、基本的に奴隷制度を認めていない我が国でも戦争奴隷と犯罪奴隷は認められており、鉱山などの危険な場所での作業に当てられることが多い。


「捕虜を開墾などに使うつもりですが、無償で仕事をさせる気はありません。きちんと対価を支払うつもりです」


「対価を支払う? それはなぜだ?」


 父は首を傾げている。


「金を持たせたいからです」


「金? 話が見えんな。捕虜が金を持ったとしても収容所から出られぬのだから、使いようがないと思うが?」


「収容所の中で使わせるのですよ。それも酒とギャンブル、そして娼婦に。この三つのうち、いずれかにのめり込めば、帝国の精兵もただの無頼漢になりますから」


 私の説明に父は絶句している。


 私が狙っているのは捕虜の無力化だ。

 手っ取り早く殺してしまうという手もあるが、それでは賠償金が得られないし、捕虜を殺したということで帝国民が我が国に憎悪抱くことになる。


 だからと言って、そのまま解放すれば、再び我が国に剣を向けることは明らかだ。

 解放することが決まっているのであれば、兵士たちを堕落させて、質を低下させればいい。


 捕虜のうち、どれだけが軍に復帰するかは分からないが、少なくない数の兵士が軍に残るはずだ。


 その捕虜たちが規律正しい軍隊に酒とギャンブルを蔓延させる。

 こうすれば、帝国軍の質は確実に下がる。そして、捕虜だった兵士が帰国後に軍から放逐するなら、無力化という目的が達成できる。


「このことは御前会議で言う必要はありません。既にグレーフェンベルク閣下にはお伝えしてありますので。ですので、我が家のメリットと聞かれた場合には、街道の整備や開墾が行えることに加え、一万七千もの捕虜に野菜などの生鮮食品を供給できるだけでなく、世話をするために多くの雇用が生まれる点を説明したらよいでしょう」


「確かに我が領だけでなく近隣からも野菜などを買わねばならんから、農民にとってはよい収入となるな。それに調理だけでも百人単位の雇用が生まれる。まあ、我が領は人が足りないくらいだから、雇用が必要とは考えておらんのだが」


 ラウシェンバッハ子爵領は綿花の栽培に加え、綿糸や綿布の生産が飛躍的に延びており、慢性的な人手不足だ。そのため、近隣から多くの人が流入しているほどで、更なる雇用先が必要な状況ではない。


「それにしても酒とギャンブルと女に溺れさせるという策は、なかなかに悪辣だな」


 父が苦笑気味にそう言うと、イリスが大きく頷いた。


「私も最初に聞いた時には呆れました。ですが、効果的な策であることも間違いありません。軍規を守れない兵士は軍にとって無用の長物であるだけでなく、健全な兵を堕落させる厄介な存在でもありますから」


 彼女の言う通り、腐ったミカンでもないが、不良兵士が一人でも隊にいれば、隊全体に悪影響を及ぼす。


「よく分かった。あと聞きたいのは獣人たちのことだな。彼らにどの程度関与させるつもりだ? その規模如何によっては新たに正式に守備隊に入れる必要があるが」


「守備隊に編入する必要はないと思っています。彼らは自警団を組織していますので、自警団員を王国騎士団の演習に参加させ、何かあった場合に対応させればいいでしょう」


 ラウシェンバッハ子爵領の三万を超える獣人族は自警団を作っている。これは西の森からやってくる魔獣ウンティーアに対応するためだと言っているが、実際には義勇軍にすぐに移行するための準備だ。


 私としては義勇軍を作りたいわけではないが、彼らの思いを無下にすることも憚られる。

 しかし、自警団と言っても氏族ごとに集まっている戦士の集団に過ぎず、教育ができていない。特に指揮官がいないことは致命的で、そのまま軍隊に移行することはできない。


 そのため、この機を利用して王国騎士団のやり方を見てもらい、主だった者たちに指揮官としての心構えなどを学んでもらうつもりだ。


 また、王国騎士団側も優秀な戦士である獣人族と演習を行うことで、個々の兵の力量を上げられる。そう言った相乗効果も狙っていた。


 その後、領地の地図を見ながら、捕虜収容所の候補地を決めていった。

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