第3話「御前会議」

 統一暦一二〇五年九月十五日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンベルク、王宮内。リヒャルト・フォン・ラウシェンバッハ


 御前会議が始まろうとしていた。

 出席するのは、国王フォルクマーク十世陛下、宰相テーオバルト・フォン・クラース侯爵、第二騎士団長クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵、宮廷書記官長オットー・フォン・メンゲヴァイン侯爵、ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵、そして私リヒャルト・フォン・ラウシェンバッハ子爵だ。


 私がこの場にいるのは捕虜を受け入れる提案を行ったためで、本来ならここにいる資格はない。


「では、これより王国騎士団からの提案に対する審議を開催いたします。グレーフェンベルク殿、よろしく頼む」


 司会役である宮廷書記官長が開会を宣言すると、今回の主役であるグレーフェンベルク伯爵は一礼した後、話し始めた。


「既にご報告しておりますが、我ら王国騎士団はリヒトロット皇国支援のため、ゾルダート帝国の国境付近で牽制し、第三軍団を誘引、二個師団二万を無力化することに成功いたしました……」


 伯爵は勝ち誇った様子もなく、淡々と説明していくが、クラース侯爵は苦々しい表情を浮かべて聞いている。しかし、マルクトホーフェン侯爵は笑みを浮かべており、余裕すら感じられた。


「……帝国兵の戦死者約四千、捕虜の数は約一万七千四百、一方我が軍の戦死者は僅か三百ほど。その損害も一部の愚かな貴族がいなければ、更に減らすことができたでしょう……」


 そこで伯爵はマルクトホーフェン侯爵に視線を送る。

 侯爵は表情を変えることなく視線を受け止めているが、笑みが固まっていた。


「この大勝利は小職の功ではなく、すべて国王陛下のご威光の賜物であります。本日はリヒトロット皇国救済のため、今後のゾルダート帝国への対応について、陛下のご裁可を賜りたく、まかり越しましてございます」


 伯爵が一礼すると、陛下は大きく頷かれた。


「グレーフェンベルク伯爵及び王国騎士団の働き、見事である。これほどの大勝利は記憶にない。余はこの勝利に最大限報いると約束しよう!」


 普段の陛下なら、やる気のない表情と声で書記官たちが作った原稿を読むだけなのだが、今日は常勝の軍事大国、ゾルダート帝国に大勝利したということで、いつもとは異なり高揚している感じが見受けられる。


「ゾルダート帝国への対応と言ったが、具体的にはどうするのだ?」


 宰相が不機嫌そうに確認する。

 この出兵に反対したこともあるが、マルクトホーフェン侯爵派にとってグレーフェンベルク伯爵の活躍は歓迎すべきことではないからだ。


 しかし、我がグライフトゥルム王国にとって、ゾルダート帝国軍に勝利を収めたことは喜ばしいことであるので、不機嫌そうな表情は慎むべきだろう。


 まだ若いマルクトホーフェン侯爵ですら派閥の若手貴族たちの失態を揶揄されたにもかかわらず、内心を隠して笑みを浮かべている。それなのに六十代半ばの宰相がその程度のことすらできない。我が直属の上司であることが情けない。


「捕虜に対する身代金、すなわち賠償金を要求し、帝国を動揺させます。具体的には捕虜一人当たり、五万マルク、総額八億七千万マルクを我が国に支払わねば、捕虜は返還しないと通告するのです」


「それだけの金を帝国が払うとは思えぬ。それにそれだけの数の捕虜を長期間王国内に留めておくことは危険ではないか? 第一、皇国救済とは全く関係ない。このような提案を行うことに、小職は呆れておる」


 宰相の言葉に伯爵が反論する。


「聡明なる陛下ならご理解いただけると思っておりますが、ご理解いただけぬ方がいらっしゃるようですので、詳細に説明いたしましょう……」


 そう言って伯爵は説明を始めた。


「もし皇帝が賠償金の支払いを拒否すれば、帝国の民は強く反発するでしょう。帝国では国民皆兵制を採っており、兵士の多くが徴兵された民なのですから。そして今回は能力的に疑問があった軍団長が敗北を喫しました。すなわち、その者を認めた皇帝の失態とも言えるのです。そうであるにもかかわらず、兵士を見捨てるような行動を採れば、民が反発することは火を見るよりも明らか……」


「平民が反発したところで問題ないのではないか?」


 宰相が口を挟んだ。

 伯爵は特に気にする様子もなく、その問いに答えていく。


「帝国には貴族はおりません。つまり皇族以外はすべて平民なのです。元老と言われる枢密院議員も、宿将と呼ばれる元帥も、元を辿れば平民。その平民を敵に回すことは皇帝であってもできません。そのような皇帝は枢密院によって排除されるからです」


 その答えに宰相は睨み付けるだけで何も言えなかった。


「では続けさせていただきます。皇帝は捕虜返還の交渉をせざるを得ません。ですので、賠償金の支払いを頭から拒否できないのです。ですが、八億七千万マルクと言えば、帝国の年間軍事予算のおよそ半分。それも帝国マルクではなく、組合ツンフトマルクで請求しますから、そもそも国庫にそれだけの金はないでしょう……」


 組合ツンフトマルクは商都ヴィントムントで発行されている通貨で、金の価値を基準とした信用度が高いものだ。特に商人組合ヘンドラーツンフトに属する商人と取引をする場合には間違いなく必要となる通貨だ。


 そのため、独自に通貨を発行している帝国であっても、ある程度はツンフトマルクを確保しているだろうが、帝国の財政状況からそれほど多くないというのが、息子マティアスの見立てだった。


「ですが、交渉が長引けば、平民たちが騒ぎ出します。そうなる前に賠償金以外の条件で解決を図ろうとするでしょう。その条件がリヒトロット皇国からの撤退となることは間違いありません」


 そこでマルクトホーフェン侯爵が軽く手を上げた。


「発言を許可いただきたい」


 宮廷書記官長が鷹揚に頷く。


「マルクトホーフェン侯爵の発言を許可する」


 侯爵は宮廷書記官長に視線を向けず、国王陛下に軽く頭を下げてから発言を始めた。


「グレーフェンベルク伯爵に聞きたい。仮に帝国が皇国からの撤退を条件にしてきた場合、それを飲むのか? 言い方は悪いが、我が国は皇国から一切の見返りなく、独力であの精強な帝国軍を打ち倒した。それでは我が国はただ働きではないか」


 侯爵は先ほどの嫌みに対して反撃を行うつもりのようだ。

 彼は今回の勝利に全く寄与していないにも関わらず、自らの功績のように語り、それを無にするつもりかと主張する。それに対し、伯爵は余裕の笑みを浮かべたまま答えていく。


「侯爵のおっしゃることはもっともなこと。撤退のみを条件に捕虜を返還することは受け入れるべきではないでしょう」


「ではどうするのだ? 帝都と王都ここでは、片道でもひと月は掛かる。そのようなダラダラとした交渉を行うつもりなのか?」


 その言葉で伯爵の笑みが更に強くなる。事情を知る私には侯爵が罠に掛かったと喜んでいるように見えた。


「そのような考えはございません。ですので、その件に関しても提案しようと考えておりました」


「ほう、それはどのようなことなのだ?」


「我が国から全権特使を派遣し、皇帝と直接交渉するのです。全権特使は国王陛下の代理です。そのような重要な役職には、有能かつ責任ある身分の方が当たるべきと愚考します。小官としましては宰相閣下、宮廷書記官長殿、マルクトホーフェン侯爵殿のいずれかにお願いすべきであると、提案しようと考えておりました」


 そこで伯爵は挑発的な視線を、一瞬だけマルクトホーフェン侯爵に向けた。

 侯爵はその視線を受け止めるが、彼が答える前に宰相が発言する。


「小職は無理だ。宰相がみだりに王都を離れるわけにはいかぬからな」


「その通りですな。そう言った意味では宮廷書記官長殿も、王宮を取り仕切るという極めて重要な職務がありますので難しいでしょう。そうなると、マルクトホーフェン侯爵殿しか候補はおられぬということになりますな」


 息子からこういった話になると聞かされていたので驚きはないが、国王陛下と宰相、更にはマルクトホーフェン侯爵ですら驚きの表情を浮かべている。しかし、宮廷書記官長は事前に聞かされていたようで満足げだ。


「私が全権特使を……」


 侯爵の言葉に伯爵が優雅に答えていく。


「ええ。国王陛下の代理となり得る侯爵という高い身分を有し、あの皇帝と渡り合えるほど優秀な人物で、王都を離れることができる方は貴殿しか思いつきません。マルクトホーフェン侯爵殿であれば、皇帝から帝国軍撤退の言質を取りつつ、我が国に利益をもたらしてくれると確信しております」


 侯爵は絶句したまま、伯爵を見ている。

 伯爵はその視線を外し、宰相に視線を向けた。


「宰相閣下もそう思いませんか? マルクトホーフェン侯爵殿でなければ、この難しい交渉を成し遂げられる者はいないと。それともマルクトホーフェン侯爵殿では不足とお考えか?」


「い、いや……そのようなことはないが……」


 宰相は目が泳いでいる。反対すれば、侯爵を貶めることになるが、賛成に回っていいものか判断が付かないようだ。

 伯爵は更に宮廷書記官長に視線を向けた。


「宮廷書記官長、あなたはいかがですかな?」


「伯爵の言うことはもっともなこと。先代のルドルフ卿以上の傑物であるミヒャエル卿ならば問題はない。小職は全面的に賛成する」


 そこで伯爵は陛下に視線を向けた。


「宰相閣下、宮廷書記官長殿も賛同いただけました。マルクトホーフェン侯爵殿に帝国との交渉を任せるということでよろしいでしょうか」


 陛下は視線を泳がせながら、宰相たちを見ていくが、誰一人明確に反対する者はいなかった。


「うむ。余もそれでよいと思う」


 これでマルクトホーフェン侯爵が全権特使となることが決定した。


 その後、捕虜をラウシェンバッハ子爵領で受け入れる話になったが、マルクトホーフェン侯爵が全権特使のことで頭がいっぱいになっていたこと、伯爵がうまく話を持っていってくれたことから、息子から言われていた通りに答えるだけで、こちらは何事もなく決まった。


 すべて息子の描いたシナリオ通りになった。

 息子の凄さは理解していたつもりだが、陛下や宰相はともかく、あのマルクトホーフェン侯爵ですら手玉に取ったことに恐ろしさを感じている。

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