第九章:「暗闘編」

第1話「王都へ」

 統一暦一二〇五年九月八日。

 グライフトゥルム王国東部ヴェヒターミュンデ城、シュヴァーン河桟橋。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 ゾルダート帝国軍との戦いに勝利した。

 しかし、本来の目的であるリヒトロット皇国救援はまだ達成していない。


 今回の勝利をそれに繋げるため、今から船を使って商都ヴィントムントを経て王都シュヴェーレンブルクに向かう。


 これからやることだが、まずヴィントムントでは商人たちに王国軍の大勝利を伝え、その情報が帝都ヘルシャーホルストや皇国に伝わるようにする。


 帝国第三軍団の歴史的な敗北が伝われば、帝国内で動揺が起きるだろう。そうなれば、皇帝やゴットフリート皇子の責任問題に発展するはずだ。そこで皇帝の権力を削ぎたい枢密院や復権を狙うマクシミリアン皇子派に対して情報操作を行い、帝国内に楔を打ち込む。


 また、王都では宰相であるクラース侯爵や政敵であるマルクトホーフェン侯爵らに、グレーフェンベルク伯爵の功績を見せつけた上で、マルクトホーフェン侯爵派の隊長たちの醜態を公表して王国内での主導権を握る。


 その上でマルクトホーフェン侯爵を全権特使として帝都に送り込めば、どう転んでも我々の有利な状況に持ち込める。


 帝国に対しては賠償金を請求することで、帝国民の皇帝に対する不満を呷り、厭戦気分を醸成することでゴットフリート皇子の第二軍団を撤退させる。



 船に乗るため、シュヴァーン河にある桟橋に来ている。

 振り返るとそびえ立つヴェヒターミュンデ城の城壁が目に入る。ここに来てからまだ二週間程度だが、思った以上に濃密な日々だったと感慨深くなった。


 そのことを妻であるイリスに言うと、彼女も同じことを思っていたのか、大きく頷く。


「斥候狩りをしたり偽情報を流したり、到着してすぐから忙しかったわね。それにフェアラートでは罠を仕掛けたし、裏方の仕事が多かった気がするわ」


「そうだね。でも、そのお陰で王国軍の損害は思った以上に少なかったんだ。それに新たな戦術も構築できた。やりがいはあったと思うよ」


 今回の戦いでは情報操作や遮断が非常に有効だった。帝国軍では情報の重要性を重視しているが、情報を遮断されたり、偽情報を掴まされたりすることまで想定しておらず、思った以上に効果があった。


 通信の魔導具も今回の戦いでは大活躍だった。

 戦場における情報伝達に限れば、中世から近世の戦いに近代戦の技術を持ち込んだことになるから、勝利してもおかしくはないだろう。


 まだ帝国軍は通信の魔導具に気づいていないから、今後もこれが大きなアドバンテージになってくれると信じている。


 一緒に王都に向かうのは、第二騎士団長のクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵と私、イリス、護衛のシャッテンのカルラとユーダだ。


 この他に伯爵の副官と護衛五名、私とイリスの護衛であるシュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペ五名の計十六名だけだ。


 これはこの世界の海では、人が五十人以上乗った船はクラーケンなどの大型の魔獣ウンティーアに襲われ、沈められてしまうからだ。

 そのため、本隊である第二騎士団とは行きと同じように別行動となる。


 第二騎士団は往路と同じく、参謀長であるエルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵が率いる。しかし、真っ直ぐに王都に向かうわけではない。


 大量に得てしまった捕虜をラウシェンバッハ子爵領に送る予定であり、その下準備として受け入れ態勢を整えるために、子爵領に向かうことになっていた。


 黒獣猟兵団の残りの者たちは来た時と同じように陸路を走って王都に向かう。彼らの場合、文字通り走っていくため、五百キロメートル先の王都でも一週間後には到着しているだろう。


 出港前、昨夜一緒に祝杯を挙げたラザファムやハルトムートたちが見送りに来てくれた。


「これで当分の間は平和ということだな」


 ラザファムがそういうと、ハルトムートも頷いている。


「もう少し暴れたかったな。帝国も法国も大人しくなるだろうから、その間に部下たちを鍛え上げなくちゃならんが」


「そうだね。とりあえず、直接戦うことは当面ないと思うよ。ただ、平和になるかというと

微妙だね」


 私の言葉にイリスが頷く。


「法国はともかく、帝国が大人しく引き下がるとは思えないわ。皇帝もゴットフリート皇子もメンツを潰されたのだし、マクシミリアン皇子もこの機に復権するはず。帝国から我が国に対して何も手を打ってこないなんてことはあり得ないわね」


「そうなると、謀略を仕掛けてくるということか」


 ラザファムの問いにイリスが答える。


「その可能性が高いわ。特にグレーフェンベルク閣下とマティに対して。そうでしょ?」


 そう言って私に視線を向ける。


「その可能性は高いと思っているよ。その前に何とか手を打ちたいところだね」


 そう言うものの、相手がどんな手を使ってくるか想像もできないので、先手を打つことは難しい。


「いずれにしても、数年間は時間を稼げたはずだ。この時間を利用して、ラズたちは騎士団の強化を図ってほしい。特に通信の魔導具を使った戦術の構築は君たちじゃないと難しいと思うから」


「了解だ。行軍中は暇になるから、ちょうどいい」


 ラザファムはそう言って笑った。

 そんな話をした後、私たちは船に乗り込んだ。


■■■


 統一暦一二〇五年九月八日。

 ゾルダート帝国国境シュヴァーン河河畔。第三軍団長ザムエル・テーリヒェン元帥


 第一師団と第三師団が敗北してから一夜が明けた。

 まだその事実を受け入れることができない。


(どうしてこうなったのだ……私はゴットフリート殿下のために最善を尽くしたはずだ。戦力も上回っていたし、敵の隙も突いたはずだった……グレーフェンベルクに嵌められたとエルレバッハは言っていたが、本当なのだろうか……)


 唯一残った第二師団のホラント・エルレバッハは、粛々と撤退準備を行っているが、軍団の大半を失った私にはやることがない。


 正確に言えば、軍団長としての責任があるから、やるべきことはあるのだろうが、参謀たちも腑抜けた私より、冷静に判断を下すエルレバッハに相談した方がよいと思っているのか、ほとんど顔を見せることはなかった。


 誰からも相手にされなくなったが、捕虜になった者たちを何とか救い出す手がないか考え続けていた。


(捕虜になった者たちを取り戻すことはできぬのか? ここには一個師団一万の精鋭がいる……駄目だ。川を渡る手段がない……)


 そこで今回の失敗の原因がようやく理解できた。


(そうか。グレーフェンベルクは我々にあえて川を渡る手段を与え、そして奪ったのだ。そうすれば、帝国軍の精鋭といえども、戦うすべを失うことになるからだ……なぜそのことに気づかなかったのか……いや、ケプラーは何となく不安を感じていた。エルレバッハも同じだ。二人はヴェヒターミュンデ城など放置して、戻るべきだと進言してきた。リップマンだけが、城攻めを主張した。それもケプラーを貶める形で……つまり、原因は私ということだ……)


 もし、ゴットフリート殿下が指揮を執っていれば、ケプラーやエルレバッハの進言を受け入れただろう。また、殿下が軍団長であれば、リップマンも不満を抱きつつも、今回のような姑息なことはしてこなかったはずだ。


(エルレバッハの進言は正しかったな。ここで私が命を断てば、責任は総司令官たるゴットフリート殿下だけが負うことになる。今後はどうすれば殿下への影響を減らすことができるかを考えねばならん。だが、私には何も思いつかぬ……)


 そんなことを考え悶々としていた。


 夕方、エルレバッハがやってきた。


「クルーガー元帥からの伝令が到着しました。まだ詳しくは聞いておりませんが、伝令はなぜゴットフリート殿下の命令を無視したのかと訝しんでおりました」


「命令を無視した? 我々は殿下の命令に従い、王国軍に対処しにきたのだぞ」


 私の言葉にエルレバッハも頷いている。


 伝令である騎兵小隊の小隊長が天幕に入ってきた。急いできたためか、疲れ切った表情を浮かべている。


「ゴットフリート・クルーガー元帥閣下からの命令書です。第三軍団は直ちにナブリュックに戻り、皇都攻略作戦に復帰せよとのことです」


「了解した。だが、その変更命令は遅すぎた。あと一日早ければ……」


「命令変更ですか? クルーガー閣下のご命令は一貫して皇都攻略作戦に専念せよというものです。もしや、それ以外の命令が届いていたのですか?」


 伝令の言葉を聞き、以前に届いた命令書を取り出した。


「これを見てみよ。クルーガー元帥からの命令書だ」


 伝令はその命令書を恭しく受け取ると、中身を確認する。


「ま、まさか! 我が師団ではこのような話が出たことなどありません!」


 そこで自分たちがグレーフェンベルクに嵌められたことに気づいた。

 エルレバッハも同じ思いのようで、彼にしては珍しく呆けた表情を浮かべて呟く。


「まさか偽の命令書まで作ることができるとは……」


 私も同感だった。


「すぐにこの事実をゴットフリート殿下にお伝えせねばならん」


 伝令は偽の命令書を受け取ると、翌朝早くに第二軍団に向けて出発すると言って下がった。


「グレーフェンベルク伯爵が我が国にとって最大の障害であることは、間違いないですな」


「同感だ。だが、ここでできることはない。フェアラートと西部域の治安維持部隊の再編を終えた後、直ちにナブリュックに帰投する。卿の言葉ではないが、これで私は自ら命を絶つことすらできなくなった。この事実の生き証人として、私は生き恥を晒さねばならんからな」


 翌日、私は二個連隊にフェアラートの守備を命じた後、残りの兵を率いて東に向かった。

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