第62話「イザークの思惑」

 統一暦一二一一年六月十五日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、平民街。暗殺者ルディガー・ロルフェス


 俺たち“毒蜘蛛ギフティヒシュピネ”はラウシェンバッハ子爵の暗殺を請け負った。

 部下の中には不安視する者が多かった。


『ラウシェンバッハと言えば、“千里眼のマティアス”のことでしょう。奴の周りには凄腕の獣人の護衛が掃いて捨てるほどいるって話ですぜ。そんな奴の暗殺なんて無理に決まってますよ』


『命あっての物種ですぜ。いくら金になるといっても、商人や男爵程度の貴族とは格が違いすぎますよ』


 こいつらの意見に、俺も全面的に賛同する。

 しかし、この仕事には裏があった。


 この仕事を俺のところに持ち込んだのは、盗賊ギルドロイバーツンフトの幹部の一人、“シュランゲ”のヨーン・シュミットだ。


 こいつは若いながらも残忍さと用意周到さを合わせ持ち、更に貴族に関する情報も豊富に持っていたことからギルドの中で一気に出世した男だ。蛇のように執念深く、敵も味方も貪欲に呑み込み、ギルドの中で駆け上がってきた危険な奴でもある。


『ラウシェンバッハの暗殺だが、前金で二百万マルク(日本円で約二億円)、成功時には更に三百万マルクだ。期限は無ぇ。割のいい仕事だと思うぜ』


 奴の言葉に俺は鼻で笑った。


『ラウシェンバッハが闇の監視者シャッテンヴァッヘと繋がっていることはこの世界じゃ有名な話だ。国王を暗殺するより成功率が低いから、“ナハト”ですら手を出さんと言われている相手だぞ。俺のところで受けられるような仕事じゃねぇよ』


 ラウシェンバッハ子爵家の情報収集能力と対応の速さから、“闇の監視者シャッテンヴァッヘが支援していることは、裏社会では常識だ。


 一方、俺の組織“毒蜘蛛ギフティヒシュピネ”は、中規模の商人から商売敵を痛めつけてほしいとか、男爵や騎士爵から家督を狙う親族を消してほしいとかという割と小さな依頼を受けてきた零細ギルドだ。そんな組織が太刀打ちできるわけがない。


『そんなことは俺にも分かっているさ。だが、奴は身体を壊しているんだ。狙っている振りをしている間に死ぬかもしれん』


 奴の言いたいことが分からず、言葉を濁す。


『確かにその可能性はあるが……』


『第一、期限がないんだぞ。奴が身体を壊すたびに、お前たちが毒を盛ったという噂を流せば、依頼主クライアントも文句は言わん。一年ほど経ってから追加の金を請求すれば、更に儲けられるはずだ』


 その言葉にこの男の狡猾さを感じたが、言わんとすることは理解できた。

 俺の組織はその名の通り、毒をよく使う。長期間服用させて殺す方法もあるから、時間が掛かると言っても嘘と決めつけられることはない。


 恐らくそうやって時間を稼ぎ、依頼主から更に金を巻き上げるつもりなのだろう。

 危ない橋のような気がするが、こいつ以外にも盗賊ギルドロイバーツンフトには伝手がある。裏切られる前にこいつを潰せばいいと割り切った。


『いいだろう。俺のところで受けてやる』


 こうして俺はこの仕事を受けた。


 王都に来てからラウシェンバッハの周囲を探るが、俺たちが手を出せるような連中じゃないことが嫌というほど分かった。


 屋敷の周りにいるだけでも獣人の護衛が手下に視線を向けてくる。出入りの商人を利用しようとしたが、手下が入り込むとすぐに解雇されてしまう。どうやって見破っているのかと呆れるほどだ。


 それでも遠巻きにラウシェンバッハを見張っていた。シュミットの話では依頼主は“真実の番人ヴァールヴェヒター”の間者を使っているらしく、こちらが手を抜くとすぐにバレると脅されたからだ。


 王都で活動を始めて十日以上が過ぎたが、警戒していたラウシェンバッハ側からの反応がない。こちらのことは分かっているはずだが、手を出してこないのだ。


 俺なら狙われ続けられれば鬱陶しくなって排除に走る。それが守るだけで何もしてこないのだ。


 腑に落ちない状況だが、今のところ続けるしかないと割り切っている。


■■■


 統一暦一二一一年六月二十日。

 グライフトゥルム王国中部マルクトホーフェン侯爵領、領都マルクトホーフェン。盗賊ギルド幹部ヨーン・シュミットことイザーク・マルクトホーフェン


 マルクトホーフェン侯爵家からラウシェンバッハの暗殺の依頼が盗賊ギルドロイバーツンフトにあった。

 ギルドでは相手が悪すぎると呆れていたが、俺がその仕事を引き取った。


 命じたのは姉であるアラベラで、兄のミヒャエルに黙って依頼してきたらしい。

 あの女がなぜラウシェンバッハを殺す必要があるのか、最初は分からなかった。あの女のことだから、ラウシェンバッハの名すら認識していないからだ。


 そこでラウシェンバッハを殺すことで、誰が利益を得るかを考えてみた。

 利益を得るのは兄ミヒャエル、レヒト法国、そしてゾルダート帝国だ。


 兄は政敵を排除できるというメリットがあるが、現状では病気を理由に総参謀長の辞任を要求しており、急いで殺さなければならない理由がない。暗殺すれば一番に疑われるし、王国騎士団の反発が大きくなれば内乱を引き起こしかねず、そのリスクを兄が負うとは思えなかった。


 レヒト法国も痛手を与えたラウシェンバッハを排除できれば、今後の計画に有利に働くため、動機はあるが、俺のところに話が来ない時点で可能性は低い。本気で暗殺する気なら、俺を動かすはずだからだ。


 そう考えると、帝国である可能性が最も高い。

 姉を唆して資金を出させ、宿敵であるラウシェンバッハを排除できるならメリットしかないからだ。


 しかし、帝国も本気でラウシェンバッハを殺すつもりはないようだ。姉が金を出すとしても“ナハト”を雇うほどの金は出せない。成功率は著しく低く、期待すらしていないだろう。


 そうなると、目的が何かということになる。

 考えてみたが、嫌がらせくらいしか思いつかなかった。

 しかし、この依頼は俺にとって都合がいいことに気づいた。


 俺が報復したいのはマルクトホーフェン侯爵家だ。

 既に父ルドルフは殺した。あとは姉アラベラと兄ミヒャエルだ。


 この暗殺依頼でマルクトホーフェン侯爵家の資金を奪うことができる。あの姉のことだ、一ヶ月経っても成果が出なければ、苛立って更に資金を投入してくるだろう。


 そのことで姉と兄の間が揉め、潰し合うことになれば重畳だ。

 その場合、兄が姉を潰すだろうが、揉めれば揉めるほど兄の政敵が有利になって、マルクトホーフェン侯爵家も没落していく。


 そんなことを考え、俺がこの仕事を仕切ることにした。

 依頼したのは“毒蜘蛛ギフティヒシュピネ”という三流どころの暗殺者ギルドだ。


 こいつらは元魔獣狩人イエーガーで武闘派の暗殺者と言われているが、ラウシェンバッハの配下の獣人たちに勝てるほどの腕はない。

 だから適当に見張るだけでいいと言って唆した。


 ラウシェンバッハが弱っているのは事実だし、単に風邪を引いただけでも寝込んでしまうだろう。毒使いの暗殺者が動いているとなれば、姉もある程度納得するし、今がチャンスだと思って更に金を投入してくるかもしれない。


 ラウシェンバッハとは学院時代に揉めたことがあったが、特に恨みはない。まあ、俺より若いのに騎士団長並の総参謀長にまで出世しているという点は気に入らないが、マルクトホーフェン侯爵家を敵視している点は評価している。


 姉と兄をイラつかせるために役に立ってくれるなら、殺す必要はない。もっとも俺程度の力ではあいつを殺すことはできないが。


 一度でも病で倒れてくれれば、姉を唆して“ナハト”にラウシェンバッハの暗殺を依頼させる。そのために俺の手の者を王都に潜入させた。もちろん、毒蜘蛛ギフティヒシュピネの連中とは別の場所だ。


 姉は先日王都に向けて出発した。そろそろ王宮に戻る頃だから、今後は王家の金を使うだろう。


 そのことが発覚すれば、国王は激怒するだろうし、兄は姉を見捨てるはずだ。甥であるグレゴリウスの王位継承権が剥奪されかねないからだ。

 これで俺を見下し続けてきた姉アラベラに復讐できる。


 ナハトが暗殺に成功するかは分からないが、もし成功するならグライフトゥルム王国は確実に弱体化する。そのことをもってレヒト法国の北方教会領に戻れば、一定以上の地位に就けるだろう。


 そこまで上手くいかなくとも、姉と兄の二人が右往左往する様を見ることができる。

 更に言えば、ラウシェンバッハが本気で怒り、姉や兄と対決してくれれば、こっちのものだ。


 まあ、ラウシェンバッハの能力なら盗賊ギルドロイバーツンフトごと俺も潰されるかもしれないが、姉とマルクトホーフェン侯爵家に報復できるなら本望だ。


 俺は更に手を打つため、王都の手下に伝令を送った。

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