第46話「モーリス兄弟」
統一暦一二〇七年八月十八日。
グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、領都ラウシェンバッハ。フレディ・モーリス
僕と弟のダニエルは四日前にマティアス様たちと一旦別れ、実家に残っていたが、今日の夜、領都のお屋敷に到着した。
本当はご一緒したかったのだけど、実家に残ったのはマティアス様が父さんに依頼されたことを手伝うためだ。
マティアス様のご依頼は、明日の午前中までにラウシェンバッハ子爵領守備隊の駐屯地に、大量のビールを運び込むということだった。
それもこの真夏に冷えたものを用意しなければならない。
事前に父さんには連絡があったため、ビールと冷蔵の魔導具の手配は終わっていたが、詳しい話を聞いておらず、マティアス様が直接意図を説明されている。
『一番の目的は守備隊の獣人族と領都の領民の交流のために祭りを行うことです。祭と言っても、獣人族の演習を見てもらい、その後に彼らと領民が一緒になって酒を飲むという感じです。人数は守備隊員と獣人族の自警団員の計五千人に、領民三千人を合わせた八千人くらいを予定しています』
『
父さんが聞くと、マティアス様は笑いながら否定された。
『今ところ特に問題はありませんよ。ただ、どちらも距離感が掴めないというか、遠慮し合っているところがあるので、それをなくそうと思っただけです。まあ、帝国や侯爵が仕掛けてくる前に一体感を醸成しておきたいという思惑はありますけど』
『なるほど……ならば、料理も必要ですね。その手配はいかがいたしましょうか? ヴィントムントから料理人を派遣することもできますが?』
『それについては領民に頼もうと思っています。但し、材料についてはビールと一緒にラウシェンバッハに送っていただけると助かります。フレディとダニエルもライナルトさんを手伝ってほしい。これも今後のために覚えておいた方がいいことだからね』
僕たちが手伝っても大して役に立たないと思っている。マティアス様は僕たちが家族と一緒にいる時間が少ないので理由を作ってくださったのだ。
こうして僕たちは父さんを手伝うことになった。
手伝うと言っても、ビールと冷蔵の魔導具の手配は終わっており、既にエンテ河の桟橋近くにある倉庫に保管してあるからやることが思いつかない。
ちなみにビールは二百リットルの樽が百個で温度が上がって劣化しないように地下室に入れてある。冷蔵の魔導具はその樽が五つ入る大きなコンテナのような物が三台、樽が一つ入る小型の物が十台用意されていた。更に氷を作ることができる魔導具もあった。
『用意する料理の素材は何がいいと思う? お前たちは黒獣猟兵団の方々と付き合いが長いから意見を聞きたいのだが』
父さんが僕たちに聞いてきた。
『皆さん肉が好きだと思う。王都でも毎日、肉料理が出ていたから』
ダニエルの言葉に僕も頷く。
『煮込み料理が多かったけど、ソーセージを焼いた物が人気だったと思うな。特に商業地区の西の肉屋の太い奴は皆さん喜んでいた気がする』
『なるほど。ソーセージは帝都向けの物があったはずだな。あとは燻製も行けるかもしれん……』
思いついたことがあったので、それも言っておく。
『あとは子供たちのためにジュースを作ったらいいと思う。真夏の外で水分を摂るのは大事なことだから』
『確かにそうだな。オレンジが残っていればいいが……』
二日掛けて、果物とつまみになる物を準備した。
大量の生鮮食品を短期間で集めることは、思った以上に大変だった。
『商都ヴィントムントだからできたことだ。これが王都や帝都なら最初から無理だと断っていたな。さすがはマティアス様だ。この辺りのこともご存じで、私ならやれると踏んで依頼されたのだろう』
父さんの言葉を聞き、こういったことを覚えてほしいと思っていらっしゃったんだと気づいた。
準備の合間に、父さんや母さんと今後について話している。
『結局二人とも商会を継ぐ気はないのか?』
父さんの言葉に僕は首を横に振った。
『僕が継ぎたいと思っている。ダニエルはマティアス様の秘書になるつもりだよ』
僕が継ぐと聞き、二人はホッとしたという感じになったが、ダニエルが秘書になるというと、驚いていた。
『秘書だと……お前にできるのか?』
父さんの言葉にダニエルははっきりと答えた。
『今の僕じゃ無理なことは分かっているよ。でも、カルラ様やユーダ様に教えていただいているから、五年後の学院高等部卒業までには必ずお役に立てるようになる』
僕たちはカルラ様とユーダ様に仕事を教えていただいている。お二人は
貴族家に仕える者としての心構えやマティアス様がなさっている仕事など、幅広く教えていただいている。
これは僕たちがマティアス様のお役に立ちたいから教えてほしいと頼んだからだ。
『君たちが今から努力すれば、必ずあの方のお役に立てる。しかし、普通に学院に通っているだけではダメだ。あの方のお考えを理解することは大賢者マグダ様ですら難しいとおっしゃるくらいだからだ』
ユーダ様の言葉に愕然としたが、もっと努力すれば何とかなるということだと気づき、お願いしたのだ。その際、僕には商会を継ぐこと、ダニエルにはマティアス様の個人的な秘書になることを目標にしなさいと言われた。
商会を継ぐということはマティアス様の近くに居られないということで、少しだけ不満だった。それに気づかれたのか、カルラ様が説明してくれた。
『ライナルト殿とモーリス商会はマティアス様になくてはならない存在なの。ライナルト殿の跡を継ぎ、マティアス様のお考えを実行することは、騎士団長になるより役に立つわ……』
騎士団長になるつもりはないけど、商会長の方が役に立つと言われて確かにそうかもと思った。
『フレディは人当たりがよいから商人に向いていると思う。ダニエルはマティアス様のお考えを汲み取ることが上手いわ。それにフレディより武術の才能もあるから、マティアス様の最後の盾となれる。あなたたちの特長を生かすためには、これが一番いいと思っているわ』
僕はカルラ様の言葉でモーリス商会を継ぐことを決めた。
『二人とも学院を首席で卒業しなさい。これは初等部だけでなく、高等部も同じよ』
正直言ってトップになることは難しくないと思っている。マティアス様やイリス様、それにカルラ様たちから教えていただいているから、授業を聞く必要がないくらいだからだ。
しかし、マティアス様から試験では少し手を抜いて、五番くらいになるようにしなさいと言われていた。
そのことを言うと、カルラ様が理由を教えてくれた。
『マティアス様はあなたたちの幸せを一番に考えてくださり、貴族からいじめられないように助言してくださったの。でも、あなたたちはいじめられようが、あの方の役に立ちたいと思っている。平民が首席で卒業すれば風当たりは強くなるけど、侮られることはなくなるわ。あの方の役に立ちたいなら、力を示しなさい』
それから僕たちは目標に向かって努力している。
勉強だけではなく、エレンさんたちに剣や槍、格闘術なども教えていただき、並みの兵士くらいの実力はあるらしい。ただ、屋敷にいる方は皆凄いので、実感はないけど。
八月十七日の早朝、エンテ河を遡上する船に荷物を積み込み、出発した。
ヴィントムントからラウシェンバッハまでは約百キロメートル。この時期なら二日あれば到着できる。
予定通り今日の午後三時過ぎに到着したため、そのまま駐屯地まで運ぶことになった。
既に商会の支店で荷馬車の手配は済んでおり、すぐに輸送を開始した。
さすがにこれだけの量を一度で運べるだけの荷馬車は準備できなかったので、二往復する必要があった。そのため、すべての作業が終わったのは午後六時過ぎで、マティアス様に報告できたのは七時半頃になっていた。
「ご苦労でしたね。明日の朝でもよかったのですが」
マティアス様は父さんに労いの言葉を掛けられた。
「できる限り冷やしておきたいですから」
冷蔵の魔導具ではすべてのビールの樽を冷やせない。夜を徹してすべてのビールを一度冷やし、布を掛けてできるだけ温くならないようにしておく。そのために支店から従業員を派遣していた。
また、守備隊の演習を見ている間も同じように順番に冷やしておけば、イベントが始まって飲み始めてから再び冷やしても、すぐに適温にできるはずだ。
そのことを説明すると、マティアス様は感心しておられた。
「そこまでしていただけるとは思っていませんでしたよ。ここまで大規模なイベントは毎年するつもりはありませんが、このノウハウは残しておいていただけると助かります」
「そのことですが、フレディとダニエルが手順書を作っています。二人ともマティアス様ならそうおっしゃると断言していましたから」
マティアス様は仕事の手順を文字にすることが大事だと常々おっしゃっていた。そうすることで他の人が迷うことなく実行できるし、文字にすることで足りない部分や注意点などに気づくこともあるからだ。
「よくやってくれたね。その手順書はエーベルハルトに渡しておいてくれるかな」
マティアス様に褒められて頬が熱くなる。エーベルハルト・フリッシュムート様は代官であるムスタファ様の長男で、ラウシェンバッハ子爵領の文官の取りまとめ役だ。
「明日のイベントでも二人にいろいろ見てもらったら? 私たちも注意しているつもりだけど、いろんな人から話し掛けられるから、それだけに掛かりきりになるわけにいかないから」
イリス様の言葉にマティアス様が首を横に振られた。
「それじゃ二人が楽しめないよ。せっかくの祭りなのにかわいそうだろ」
イリス様がそれに頷かれたが、その前に僕たちが同時に「「やらせてください」」と言った。
「無理する必要はないわよ。フリッシュムートに命じておけばいいだけだから」
イリス様がそう言ってくださるが、僕は首を横に振った。
「祭りも楽しそうですけど、この仕事の方がもっと楽しい気がします。そうだろ、ダニエル」
「僕もそう思います!」
二人でそう答えたので、僕たちは祭りの間、今後のためにノウハウをまとめることになった。
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