第47話「交流イベント:その一」

 統一暦一二〇七年八月十九日。

 グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ子爵領、守備隊駐屯地。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 今日は守備隊の駐屯地で領民たちと兵士たちの交流イベントが行われる。

 イメージとしては自衛隊の基地で行われるイベントだが、私自身は日本にいた時に行ったことがない。


 どうすればよいか分からないため、とりあえず兵士たちの演習の様子を見てもらい、その後に領民と兵士が混じっての大規模な飲み会を行うことにした。今回のやり方で問題があれば、修正していくつもりでいる。


 目的だが、獣人族セリアンスロープの兵士と普人族メンシュの領民の交流だ。

 これまで獣人族入植地はレヒト法国やゾルダート帝国に内情を探られないよう、特別に認められた者以外の入植地への移動を制限していた。


 そのため、領民も獣人族の戦士を見たことはあっても、武士もののふ然とした彼らに声を掛けることはほとんどなかった。


 また、領都に入る獣人族は厳しい訓練を終えて族長らに認められた者であり、生真面目な者が多く、外では気を張っているため、彼らから話し掛けることはほとんどない。

 つまり、双方とも嫌って話をしないのではなく、単にきっかけがなかったのだ。


 その切っ掛けを作り、領民と兵士の一体感を醸成することが一番の目的だが、今後の酒に関するイベントのノウハウを得ることも考えている。



 イベントは午前十時から開始予定だが、まだ九時にもなっていないのに多くの領民が集まっている。その中には午後から行われる交流会の準備を行っている者もいるが、ほとんどがよい場所を得ようと考えている一般客だ。


「大盛況になりそうね」


 白銀の鎧を身に纏ったイリスが笑顔で話し掛けてきた。彼女は黒獣猟兵団の団長として、演習の最初に登場するため、完全装備になっているのだ。

 ちなみに私は領主らしく、家紋が入ったチュニック姿だ。


「人数制限をしなかったからね。それに今日は休日だから、たくさん集まりそうだよ」


 今日は週に一度の休日であり、紡績工場も休みだ。そのため、三千人程度になると予想している。この数字は領都と周辺の村の人口約二万八千人の十分の一程度だ。これは秋の収穫祭の実績から想定した。


 そう考えていたが、時間が経つにつれ、更に人が多くなり、不安になってきた。

 イリスも同じ思いなのか、そのことを口にする。


「想定よりも多くなりそうよ。大丈夫かしら?」


「ここには一万七千人の捕虜がいたから、一万人になっても入りきらないということはないよ。ただ、飲み物なんかが足りるか微妙になってきたけどね」


 領民が一万人集まるとすると、守備隊と自警団の獣人族戦士五千人と合わせて一万五千人になる。飲み物は大人用にビールが二万リットル、子供用に柑橘が入った樽が五十ほどあるが、足りなくなる可能性が高い。


 ちなみに子供用の飲み物は全く考えておらず、フレディたちが気づいてくれて用意できたものだ。この他にも子供が喜びそうな甘い物も用意していると聞いている。


「それについては私にお任せください」


 後ろからライナルト・モーリスが声を掛けてきた。フレディとダニエルも一緒だ。


「どういうことでしょうか?」


「昨夜、息子たちと話し合ったのですが、三千人を大きく超えて、一万人すら超えるのではないかという結論になりました……」


 詳しく聞くと、一昨日の私の演説のことを知り、領都の民の半数近くと、近隣の村からもそれなりの数が集まると考え、領都の商会や居酒屋に声を掛けたらしい。


「……さすがにこの時期ですから、ビールを大量に仕入れることはできませんでしたが、ワインはある程度確保できました。子供用のジュースも果汁を砂糖水で割り、氷を多く入れれば足りると思います。料理の方も居酒屋が全面的に協力してくれるそうで、昼前には準備が完了するはずです」


 私はあまり知らなかったが、ビールは秋から春に掛けて作られ、真夏には残っている物が出されるだけらしい。そのため、大量の在庫はないそうだ。


 一応、食料品や酒類の流通についての情報も見ていたのだが、王都や帝都のような都会では真夏であっても需要が大きいため、一定量が必ず流通しており、田舎でも問題ないと思い込んでいた。


 そう言えば、例のWEB小説の中に、真夏に酒のイベントをやるのは酒がかわいそうだと、主人公が憤っていたシーンがあったことを思い出した。


「助かります。こういったイベントは初めてですから、見積もりが甘かったようですね」


「仕方がないと思います。私も最初は気づきませんでしたから。息子たちが支店の者に話を聞き、思った以上に来場するのではないかと考えただけですので」


 フレディとダニエルにはこのイベントの問題点を見つけるように頼んでいた。そのため、昨夜のうちから動いてくれたらしい。


「フレディ、ダニエル。君たちのお陰で何とかなりそうだ。よくやってくれた」


「ありがとうございます。ですが、まだ成功したと決まったわけではありません。僕たちで気づいたことは父さんたちに伝えますが、まだいろいろと問題が出そうな気がしています」


 フレディがやる気に満ちた表情でそう言ってきた。


「では、君たちに任せることにするよ。もちろん、私にできることがあれば遠慮なく言ってほしい。何としてでもこのイベントを成功させたいからね」


 二人は元気に「「はい!」」と答え、会場に向かった。


「三年前とは見違えるようです。マティアス様のお陰ですね」


 ライナルトがしみじみと言ってきた。


「彼らの頑張りですよ。私は忙しくてあまり相手ができず、申し訳ないと思っているくらいですから」


 王都にいる間は夜に一時間くらい勉強を見てやったり、国内外の情勢について話したりしているが、帝国との戦いがあったり、グレーフェンベルク伯爵が倒れたりと、時間が取れないことの方が多かった。


 そのため、屋敷にいる家臣や父たちを守るシャッテンにも、彼らのことを気に掛けてほしいと頼んであった。特にシャッテンは数百年間生きている者が多く、いろいろな経験をしているので勉強になったはずだ。


 それだけではなく、彼ら自身が積極的に学ぶ姿勢を見せており、初等部では断トツの知識量を誇っている。あまりに優秀なのでテストでは手を抜くように言っているほどだ。



 そんな二人の後姿を見ていたが、開会の時間が近づき、執事姿のシャッテンユーダ・カーンが後ろから声を掛けてきた。


「黒獣猟兵団と守備隊、自警団は既に整列しております。マティアス様は演台へ、イリス様は黒獣猟兵団の先頭にお並びください」


 駐屯地にある演習場に設置された高さ二メートルほどの演台に上がると、兵士たちの姿が目に入る。


 先頭にはラウシェンバッハ家の紋章が入った漆黒のマントを纏い、漆黒の装備に身を固めた黒獣猟兵団五百名。その後ろには黒獣猟兵団と同じマントに、紋章が入った鋼の胸当てが特徴的な守備隊千名。


 更にその後ろには装備はバラバラながらも、紋章が入った漆黒のマントを纏った自警団員三千五百名がいる。


 そのすべてが前後左右の間隔が全く同じで、マントが風を受けてはためくと、幾何学的な紋様を作っているように見えた。


 ユーダから拡声の魔導具のマイクを受け取る。


「今日は諸君らの日頃の鍛錬の成果を、私だけでなく領民たちにも見てもらう。諸君らが世界一の精鋭であることを皆に知らしめてくれ」


 私がそう言うと、先頭に立つイリスが一歩前に出る。


「ラウシェンバッハの兵士たちよ! 領主ラウシェンバッハ子爵閣下に敬意を表し、武器を掲げよ!」


 そう言うと、自らの長剣を抜き放ち、高く掲げた。


 一瞬の間を置いて、すべての兵士が全く同じタイミングで動く。

 マントを跳ねのける“バッ”という音が響き、五千の武器が掲げられると、武器の林が生まれた。その先端は夏の陽光を受けて煌めき、会場から“オオ!”というどよめきが起きる。


「我が領民たちよ! 彼らが精鋭であることは既に分かったと思う。だが、彼らの本当の実力はこんなものではない。我が兵士たちの素晴らしさを見てやってほしい!」


 そこで私は演台から降りる。


「凄いものだな」


 父リヒャルトが私に話しかけてきた。


「彼らを私が率いることになるのですか……自信がないな……」


 父と一緒に立つ弟のヘルマンが呆然としながら呟いていた。


「ヘルマンなら大丈夫だよ」


 そう言って笑うが、弟の表情は冴えない。


「騎士団だけでも大変そうなのに、自警団でもあのレベルなんですよ。そうなると、少なくとも一万人以上いる精鋭を私が預かることになるんですよね。中隊長に過ぎない私に、彼らを使いこなせるとはとても思えませんよ」


 中隊長は百人程度の部下しか持たないので、不安になったようだ。


「当分の間、ラウシェンバッハ騎士団が出動するようなことはないよ。帝国が皇国を完全に呑み込むのは早くても五年後くらいだろうから、ゆっくり覚えればいいさ。それに自警団は今のところラウシェンバッハ子爵領の防衛以外に使うつもりはない。万が一、対帝国戦に出てもらうとしても、私とイリスが率いることになるはずだ」


 自警団は氏族ごとの編成になるため、扱いが難しい。特に族長が指揮官となるため、私、イリス、ヘルマン以外の命令を素直に聞くか微妙だ。ヘルマンには騎士団を預かってもらうから、必然的に私とイリスが分担して指揮することになる。


「法国はどうなんですか? 法王が教団を把握したと聞きましたし、大軍で攻めてくる可能性もあると思うんですが」


 ヘルマンが不安そうに聞いてきた。騎士団では帝国より法国の方が喫緊の課題になると考えているからだ。


「法王は内政を重視している。王国が大きな隙を見せない限り、対外戦争は仕掛けないはずだ。万が一、ヴェストエッケに攻めてきても、増援はケッセルシュラガー侯爵家と王国騎士団だけだ。王国東部のラウシェンバッハ騎士団を送り込むのは合理的じゃないから」


 私の説明にヘルマンがようやく納得した。


「分かりました。兄上がそうおっしゃるなら、三年を目途に彼らを指揮できるようになってみせます」


「期待しているよ」


 そう言うと、会場で動きがあった。


「そろそろ始まるようだな。皆で見に行こう」


 父の言葉で最前列に向かった。

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