第20話「王国軍情報部設立」
統一暦一二〇四年十一月十一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンベルク、王国騎士団本部。第二騎士団長クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵
今日は第四騎士団の大規模演習があり、その視察を終えて騎士団本部に戻ってきたところだ。
我が第二騎士団を含め、ホイジンガー伯爵の第三騎士団、アウデンリート子爵の第四騎士団も厳しい演習によって、帝国軍と戦える体制が整いつつある。
演習の成果に満足しながら一息ついているところに、新任の副官がやってきた。
「マティアス・フォン・ラウシェンバッハ殿と奥方が面会を希望しておりますが、いかがいたしましょうか。要件は弟が第二騎士団に入る予定であるため、挨拶に参ったと申しております」
マティアス君がただの挨拶のためだけに、ここに来ることはあり得ない。緊急の要件があり、それを口実にしたのだろう。
「応接室に通してくれ。それから参謀長も呼んでおいてほしい」
「はっ!」
敬礼して出ていこうとしたので、それを呼び止める。
「ラウシェンバッハ殿が面会を希望したら最優先で通してくれ。彼は私の参謀長補佐でもあったのだからな」
「了解しました」
この副官はヴェヒターミュンデ騎士団からの出向者であるため、これまでマティアス君との接点がなく一瞬不思議そうな表情を浮かべたが、彼の噂を思い出したのか、すぐに納得した表情に変わった。
応接室に行くと、マティアス君とイリスが待っていた。
「久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
マティアス君とは定期的に会っているが、二ヶ月に一度ほどと頻度はそれほど多くない。
私としてはもう少し頻繁に彼の意見を聞きたいのだが、帝国の諜報員のことを考えると、この程度が限界だった。
「ご無沙汰しております」
「クリストフおじ様もお元気そうですね」
二人が挨拶を返していると、参謀長のベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵が合流する。
マティアス君はいつも通りの笑顔だが、緊急の要件だと想定し、お茶が出されたところで、副官たちを部屋の外に出した。
「君がここに直接来るのは珍しい。何かあったのかな?」
「私の弟、ヘルマンが第二騎士団にお世話になりそうですので、その挨拶に参りました」
にこやかにそう言うが、それだけでないことは分かっているので頷いて先を促す。
「先ほど帝都から連絡が入りました。皇帝コルネリウス二世が急病で倒れたそうです」
彼の言葉に衝撃を受け、持っていたカップを落としそうになった。
「皇帝が倒れただと! それは本当のことなのか!?」
そこでマティアス君は皇帝が閲兵中に倒れたこと、皇帝が軽いめまいを起こして倒れたことを帝国政府が公式に発表したこと、
「……倒れたこと自体は事実ですが、皇帝が本当に病気なのかは不明です。この件については続報があり次第、共有いたしますが、この情報がここ王都に届くのは早くて年末。それまでは他言しないようにお願いします」
私とシャイデマンは
騎士団長であるホイジンガー伯爵やアウデンリート子爵にも秘密にしているし、我々もどこに設置され、どうやって運用されているかなどの具体的ことは一切聞かされていない。それほど厳重な情報管理を行っているのだ。
衝撃的な事実に頭が回らない。
私が沈黙していると、シャイデマンがマティアス君に質問する。
「マティアス殿はこの事態をどう見ておられるのですかな」
「皇帝が倒れたことは事実ですが、病が事実かは疑わしいと思っています。帝都で情報操作が行われたことを皇帝は疑っていますから、我々や敵対する元老たちに対して、探りを入れてきた可能性は否定できません」
確かにその可能性はある。
「ですので、今は情報収集に軸足を置き、軽々しく動かないようにと考えています」
相変わらず慎重だなと思ったが、エーデルシュタインで情報操作を行うと言ったことを思い出す。
「エーデルシュタインは違うのかな? あそこの方が
「伯爵閣下のご認識の通りです。ですが、現在エーデルシュタインには、ゴットフリート皇子とマクシミリアン皇子がいます。ここで情報操作が上手くいけば、二人の関係を修復不可能なまでに決裂させる絶好の機会ですし、より危険なマクシミリアン皇子を嵌めることができます。もちろん、
「なるほど……今回は我々に対する情報提供だけなのか? 君のことだから他にも目的がありそうだが?」
この情報を我々に届けるだけなら、
「ご明察の通りです」
そう言ってマティアス君は微笑んだ。
「今回の件で帝国が混乱することは間違いありません。特に治安維持の責任者、内務尚書のシュテヒェルト氏は多忙を極めるはずです。内務尚書は諜報局も管轄していますので、この機会に帝国の諜報員への対応を含め、王国の防諜体制を強化してはどうかと提案しに来ました」
「情報を相手に与えないことは戦いの基本だ。内務尚書が対応できなくなるほど忙しくなるから、この機会にという考えも分かる。だが、防諜体制の強化と言っても何をしてよいのかが分からん。
「それもありますが、もっと根本的なところから考えております。具体的には諜報と防諜を担う部署として、王国軍に情報部を設置してはどうかと考えています」
「情報部? 帝国の諜報局のようなものかな?」
私の疑問にマティアス君は小さく
「帝国の諜報局は内政を司る内務府に属します。つまり、皇帝の命令を受けて、帝国の治安を維持するために活動する組織であり、軍とは直接関係ありません。一方、私の提案では王国軍に情報部を置きますから、その点が大きく異なります」
「それは分かるが、なぜ王国軍に置くのだ? 宰相府でも構わぬと思うのだが」
私の疑問にマティアス君はニコリと微笑んだ。
「王国軍は帝国や法国などの敵国と戦う組織です。ですので、情報部が監視する対象はそれらの国であり、国内の勢力には基本的に関与しません。それに宰相府に設置すれば、宰相閣下の指揮下に入りますから、軍の目的以外に使われる恐れが大いにあります」
確かにマルクトホーフェン侯爵派である宰相が情報を握れば、今以上に危険だ。それを回避するためと、国内の貴族には使わないと思わせることで、設置を認めさせやすくしようという作戦だと気づく。
「なるほど。理解したよ。その上で聞くが、その情報部の長は誰を考えているんだね。君のことだから既に候補は考えてあると思うのだが」
「第一騎士団の近衛騎士隊長、ギュンター・フォン・クラウゼン男爵閣下です」
やはり候補まで考えてあった。用意周到さは相変わらずだと、私とシャイデマンに笑みが浮かぶ。
クラウゼン男爵は王家に忠実な人物として名を知っている程度だ。また、マルクトホーフェン侯爵派でもなく、我々の同志でもない中立的な立場であり、宰相たちが認めやすい人物でもある。しかし、近衛騎士の一部隊長に過ぎず、能力的に優れているとは聞いたことがなかった。
「中立派で王家に忠実な人物だから選んだということは分かる。だが、能力的に問題はないのか? 正直なところ、君との付き合いが長い私でも、情報部の長をやる自信はない。シャイデマン、君はどうだ?」
シャイデマンも同じことを考えていたのか、すぐに頷く。
「私にも到底務まりませんな。諜報員やら工作員やらという何をしてくるか分からぬ者を相手に、柔軟に対応せねばなりません。そのようなことができるのはマティアス殿か、イリス殿だけでしょう」
私も同感だ。
しかし、マティアス君は笑みを浮かべながら首を横に振った。
「シャイデマン閣下のお言葉ですが、情報部長にそのような才能は不要だと考えています」
「どういうことですかな?」
シャイデマンが困惑の表情を浮かべる。私も同様だ。
新設の組織の長に、能力が不要という意味が分からない。情報部は対帝国戦で重要な役割を果たすはずだ。
「私が考えているのは、
その笑みに久しぶりに背筋に冷たいものが流れた。
私の指示と言っているが、実質的には彼が動かすことになる。つまり、自分が使うための組織を作り、部長を傀儡にすると宣言したに等しい。そのことに、私はたじろいだのだ。
「相変わらず怖いことをさらりと言うなぁ」
私が茶化すようにそう言っても、彼の笑みは全く変わらない。
「君の考えは理解した。それに帝国の混乱が収まれば、我が国に攻めてこないとも限らない。実際、シュヴァーン河周辺でいろいろと調べ回っているのだからな。それを防ぐという意味でも陛下や宰相に対し、王国軍としての組織として提案することは自然だ」
翌日から情報部設立のための活動を開始した。
宰相であるクラース侯爵に談判に行ったが、予算の面で断られてしまう。
「騎士団の予算だけでも厳しいのだ。更にヴェヒターミュンデ城とリッタートゥルム城の増員の件もある。それに加えて、
粘ってみたが、その日は全く取り合ってもらえず、その翌日以降もいろいろな伝手を使って説得を試みたが成功しなかった。
四日目の十一月十五日、マティアス君からある情報が届いた。
それはラウシェンバッハ子爵領で帝国の諜報員が開拓村の獣人たちを扇動して、暴動を起こさせようとしたため、捕らえたというものだ。
詳細な情報は報告書として添付されていた。
十人の諜報員が行商人を殺害した上で、彼らに成りすまして村に入ろうとした。
そして、情報収集だけでなく、今後は商品に多額の税が課されることになり、次回から大幅な値上げをしなくてはならないという偽情報を伝えた。また、領都では獣人たちが行商人を殺したという噂を流し、領都の民の不安を煽ろうとした。
幸い、偽情報を聞いたところで、獣人たちが偽の商人だと気づいて捕縛し、領都の役所に通報したため事なきを得たが、一歩間違えば数百人の屈強な獣人が暴動を起こす可能性があったと記載されている。
その報告書を持ち、宰相の下にいく。
「これを見ていただきたい。帝国は我が国に混乱をもたらそうと、直接的な手を打ってきましたぞ。幸いラウシェンバッハ子爵領では役人と民との関係がよかったから大ごとにはなりませんでしたが、一歩間違えれば獣人たちが暴動を起こしたかもしれんのですぞ」
「一子爵領の話ではないか。それで多額の予算が必要というのは……」
宰相は私の勢いに押されているが、反論を試みてきた。
しかし、私はそれを遮り、高圧的に追い込んでいく。
「子爵領の話とおっしゃるが、ラウシェンバッハ子爵領は
私の恫喝に宰相は動揺しているが、それでも素直に認めなかった。
「王都の近くで民の暴動……そのようなことが起きるとは思えん。今までなかったのだから……」
「今までなかったのであれば、王妃殿下が王宮内で殺害されるようなことも、千年もの長き王国の歴史の中で一度もなかったこと! それにラウシェンバッハ子爵領では実際に起きているのですぞ! もし何かが起きた場合は閣下の責任となるが、それでよろしいのですな!」
私の恫喝に宰相は屈した。
「よかろう。但し、マルクトホーフェン侯爵ら重臣たちの誰もが認める人物以外、長となることは認めぬ。クラウゼン男爵が辞任した後も同様だ」
「我ら騎士団は敵国に対してしか権限を持ちません。陛下のご命令以外で国内の勢力に手を出すことはあり得ませんし、今後も王家に忠実な者から責任者を選ぶと断言いたしましょう」
これで王国軍情報部の設立が決定した。
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