第19話「帝都からの情報:後編」
統一暦一二〇四年十一月十一日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンベルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
ゾルダート帝国の皇帝、コルネリウス二世が倒れたという衝撃的な情報が入った。
「急いで来てもらったのは、このタイミングで皇帝が倒れたことで何が起きるのか、君の考えを聞きたいと思ったからだ。もちろん判断材料が少ないことは承知している。だが、上手くいけば、更に帝国に混乱を与えることができる。だから、この機を逃したくないと思ったのだよ」
長距離通信用の魔導具を帝都に設置したことで、すぐに対応できるようになった。だから言わんとすることは理解するが、ネッツァー氏が少し焦っており、危ういと感じている。
「まずは情報収集を行うべきでしょう。皇帝の病状が本当に軽微なのか、それとも重篤なのか、それとも既に死んでいるのか。この点がはっきりする前に下手な動きをすれば、帝都の
「今の帝都は食糧問題で失策を演じた皇帝に対して、それほど好意的ではない。今なら帝国を大きく混乱させ、リヒトロット皇国を立ち直らせることもできるのではないか?」
「それは不可能です」
私は即座に、そしてきっぱりと否定し、理由を説明していく。
「皇国に対する圧力が一時的に減ったとしても、コルネリウス二世が回復すれば、健在であることをアピールするため、今まで以上に激しい攻撃を命じるはずです。多少の時間稼ぎで結果が変わることはありません」
「確かにそうだが、代替わりが起きれば違うのではないかな」
私は
「次期皇帝が決まれば、最初に行うのは皇国への侵攻でしょう。新たな皇帝として華々しくデビューしたいと考えるでしょう。ですから、今以上に戦力を投入しますし、不退転の決意で攻撃を命じるはずです。その攻撃に今の皇国が耐えられるとは思えません」
現皇帝コルネリウス二世は皇国の大部分を占領した実績を誇るため、次代の皇帝はそれ超える成果を見せようと考えるはずだ。そうなると、リヒトロット皇国自体を滅ぼすことが必要となり、その足掛かりとして皇都リヒトロット攻略に手を付ける。
「しかし、内戦が起きるほどの混乱を帝国に与えればどうだろうか? ゴットフリート皇子とマクシミリアン皇子が戦えば、短期間で決着が付くことはない。戦力も大きく減らすはずだ」
「そのためにも情報を手に入れなければならないのですよ。あやふやな情報に基づいて、戦略を立てることは自殺行為ですから」
この言葉でネッツァー氏も落ち着きを取り戻した。
「確かにそうだね。常に冷静さを求められる魔導師としては失格だな」
そう言って頭を掻きながら笑う。
その分、感情を抑えきれず、今回のように舞い上がったらしい。
「まずは情報を集めるように指示を出してください。具体的には皇帝の病状がどの程度なのか。回復の見込みがあるのかないのか。帝都民がどの程度の情報を掴み、どう考えているか。枢密院の元老たちに動きがあるのか。軍務府や内務府はどの程度混乱しているのか……」
「ま、待ってくれ。一度に言われても覚えきれないよ」
「すみません。私も少し舞い上がっていたようです。調べてほしいことは、すぐにメモにしてお渡しします」
私はそう言って苦笑を浮かべるしかなかった。
皇帝が倒れたという情報で、私自身も知らず知らずのうちに興奮していたらしい。
「本当に病気なのかしら……」
イリスの独り言に私も頷く。
「その点は私も気になっているよ」
「どういうことかな?」
ネッツァー氏が首を傾げる。
その疑問にイリスが答えていく。
「謀略の可能性があるのではと思ったんです。例えば元老たちに偽情報を掴ませることで行動を起こさせて、それをもって処断するとか」
更に私がフォローする。
「大勢の前で倒れるほどの病気に罹っているという情報は、弱みを見せることになりますから知られたくないはずです。しかし、弱みを見せてでも対応せざるを得ない事情が皇帝にあるとしたら、その事情を知らない私たちにはその意味するところが見えてこないのです。ですので、正確な情報をできるだけ集めるべきだと思うのです」
「なるほど……我々を炙り出すという目的もあり得るということか……」
ネッツァー氏の言葉にイリスが頷く。
「可能性はありますね。マクシミリアン皇子に対する情報操作には気づいているでしょうから、誰がそれを行ったのか確認しようとしてもおかしくはないですから」
「確かにそうだ。君たちに指摘されなければ、
ネッツァー氏の言葉に頷く。
しかし、我々をターゲットに仕掛けてきたということは可能性としてはあるが、私自身はないと思っている。
理由は、皇帝の健康問題を謀略に使うことは諸刃の剣だからだ。
敵に対して謀略を行うつもりが、逆に皇帝の敵同士が好機と考えて手を結ぶなど、更なる混乱をもたらし、結果として敵が利することになる。
追い込まれている状況なら別だが、皇帝が弱みを見せてまで謀略を仕掛けてくるほど危機的状況ではなく、可能性は低い。だから、皇帝の病気は事実である可能性が高いが、コルネリウス二世は大胆な策を好む人物であるため、警戒しておく方が無難だろう。
「了解した。帝都には更に情報を収集するように命じておく。エーデルシュタインも同じでいいかな」
「エーデルシュタインではマクシミリアン皇子がゴットフリート皇子だけでなく、皇帝暗殺を考えているという噂をじわじわと流してください。国内で流れている噂に焦っており、元老たちが皇帝を暗殺したことにして、一気に権力を手に入れようとしているという感じで、お願いします」
私の言葉にネッツァー氏が一瞬顔を歪める。
「それはえげつないね。元老たちが自分たちの権力を奪おうとしている皇帝を煙たがっていることは周知の事実だ。二人の皇子がいない状況で暗殺して、第三の候補を皇帝にすれば院政を敷くことができるし、実際彼らもそうしたいと考えているだろう。その事実を使って、マクシミリアン皇子を嵌める。誰もが納得するだろうけど、やられた方は堪ったものじゃないね」
私自身、汚い方法だと認識しているが、それはおくびにも出さない。
「噂を流す時に誰もが信じられる事実を混ぜておくことは有効な方法です。特に対象者の人物像が知れ渡っている場合は、それに沿った形で噂を流せば誰もが腑に落ちます。そうなったら、証拠がなくとも自然と信じられるものなんです」
「そうは言うが、マクシミリアン皇子の悪評は我々が流したものだ。相変わらず、君の先を読む力は恐ろしいほどだね」
「買い被りですよ。このタイミングで皇帝が倒れるなんて考えていませんでしたから」
これは事実だ。但し、マクシミリアン皇子が皇帝を暗殺しようと考えているという噂はいずれ流すつもりでいた。今回のような急病は想定していなかったが、あと数年で皇帝も五十代になる。その歳になれば、身体に不調が出ることはあり得ないことではない。
病気の時にはネガティブな考えに陥りやすい。その際に暗殺の噂を知っていれば、疑念を持つきっかけにもなるからだ。
このことを言うと、ネッツァー氏は苦笑する。
「私も治癒師の端くれだから分かるが、確かに病人は悪い方に考えやすい。本当に君の人の心理に対する理解力には驚くばかりだよ」
彼の言葉にイリスも頷いている。
「確かにそう思いますね。それにエーデルシュタインで皇帝暗殺の噂を流すこともよく考えていますし」
彼女の言葉にネッツァー氏が首を傾げる。
「どういうことかな?」
「帝都からエーデルシュタインまでは直線でも八百キロメートル以上あります。早馬を使ったとしても、情報が届くのに十日以上は掛かるでしょう。先ほど彼はじわじわと流してほしいと言っていましたが、情報が届くタイミングで噂が広がっていることを考えているのでしょう。噂の信憑性が増すように」
妻だけあって私のことをよく理解している。
「なるほど。こちらは長距離通信用の魔導具があるから時間差なしに情報を得られるが、帝国は早馬に頼らねばならない。その時間差を利用するという考えか……参考になる。通信の魔導具は国内で使っているが、緊急連絡のためのものという先入観がある。こういった使い方まで頭が回らないよ」
長距離通信用の魔導具はグライフトゥルム王国内では以前から、王都シュヴェーレンブルク、西の要衝ヴェストエッケ、東の要衝ヴェヒターミュンデ、塔があるグライフトゥルム市の四ヶ所で運用されていた。
今回、国外では帝都ヘルシャーホルストと帝国軍の最前線エーデルシュタインに設置され、同盟国であるグランツフート共和国の首都ゲドゥルトに設置することも決まっている。
また、国内でもリッタートゥルム城にも設置する予定だが、使い方としては緊急連絡網の構築としていた。
そのため、ネッツァー氏を含め、
「長距離通信用の魔導具の有用性は改めて分かった。もう少し配備できないか、塔に相談してみよう」
ネッツァー氏はそう言ってくれたが、この魔導具は城塞都市を破壊できる天災級と呼ばれる
「いずれにしても、当面は情報収集をメインで、先ほどの謀略を無理しない範囲で進めてください」
「了解したよ。王国への連絡はどうしたらいいかな? 私より君からの方がよいと思うのだが」
「そうですね。私の方からグレーフェンベルク閣下に話しておきます。弟が第二騎士団を希望しているので、その挨拶を兼ねて訪ねてみますよ。他にもお願いしたいことがありますし」
ネッツァー氏の屋敷から出る際も帝国の諜報員はおらず、そのまま王国騎士団本部に向かった。
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