第49話「疫病:その三」
統一暦一二一一年一月十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
全世界で流行している疫病は留まるところを知らない。
王国では疫病対策本部が設置されたが、王都シュヴェーレンブルクでは死者が三千人を超え、政治・経済は完全に麻痺している。
正確な集計はできていないが、王国全体の死者は五万人を超え、総人口の一パーセントに達していた。
特に酷いのは医療体制が貧弱な北部や西部の農村部で、いくつもの村で全滅に近い状況に陥っているという報告が入っている。
当初は地球の
それでも
レヒト法国では聖都レヒトシュテットを始めとする都会ですら対応が間に合わず、十万人以上が死亡したのではないかと言われている。
ゾルダート帝国も帝都ヘルシャーホルストでは三万人以上が死亡した。また、多くの市民が田舎に疎開し、被害を拡大している。
中部のエーデルシュタインでも被害が出始め、帝国軍の機能も完全に麻痺していた。
皇帝マクシミリアンは有効な方策を模索したが、文官のトップである内務尚書のヴァルデマール・シュテヒェルトと軍務尚書のシルヴィオ・バルツァーが共に病に倒れて死去し、後手に回っていた。
帝国軍を使って強制的に隔離を行い、封じ込めを狙っているが、民衆の反発が大きく、暴動が起きたという情報も入っている。
最終的にどの程度の死者が出ることになるのか不明な状況だ。
グランツフート共和国とシュッツェハーゲン王国も似たような状況で、全世界で百万人近い死者が出るのではないかと恐怖を感じている。
そんな中、ラウシェンバッハ家は比較的落ち着いていた。王都の屋敷では発症者は未だ出ておらず、領地でも住民の感染者数は他の都市の百分の一以下で、パニックには陥っていない。
徹底した予防と隔離、適切な治療が功を奏していると思っているが、有効な手段が未だに分かっていないので油断はしていない。
そして本日、不穏な噂を聞いた。
「この疫病は
執事姿の
「獣人族が原因ですか? 何を根拠にそのような話が流れているのでしょうか?」
「獣人族に犠牲者がいないことが根拠だということです。ラウシェンバッハ子爵領はもちろん、北部の獣人族の村も被害が出たという話はありません。獣人族が自分たちには効かない呪いを世間に蔓延させたのだと言っております」
獣人族は種族的に麻疹に罹らないのか、黒獣猟兵団からは誰も罹患者は出ていないし、ラウシェンバッハ子爵領の獣人族入植地でも発症者は確認されていない。
「そのようなことはありえないです!」
後ろで聞いている黒獣猟兵団のファルコが憤慨している。
「その通りだね。第一、そのような呪いなど聞いたことがない。誰かが意図的に流したものだろう。早急に手を打つ必要があるね」
私はそう言うと、ユーダに拡声の魔導具を用意するように命じ、平民街の西地区に向かった。
平民街は閑散としているが、西地区にある騎士団本部には配給を求めてくる貧しい民が多い。
騎士団本部の前で馬車を止め、屋根の上に立つ。
「皆さん、私はマティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵です! 疫病の防止方法を提案し、被害を少しでも食い止めようと努力しております。私の提案した方法は完璧ではありませんが、他の都市より王都の被害は抑えられています。また、皆さんに食料と医療がいきわたるように、王国政府に提案しております……」
私の言葉に民衆はありがたいことだと言って頷いている。
「しかし、心無い者がデマを流しています。そのデマは
私の言葉に耳を傾けているが、王都に
「このような呪いがあるという記録は一切ありません。また、万が一可能であったとしても、今回の疫病は帝国やオストインゼル公国など東の国々から始まっています。王国にいる獣人族がわざわざそんなところまで行って呪いをばら撒くでしょうか?」
そこで聞いている者たちもおかしいと言い始める。
「自分たちが苦しんでいる中、病に罹らない者がいればやっかむ者がいてもおかしくはありません。ですが、根も葉もない噂を信じ、隣人を貶めることは許されることではありません。このような噂を流したのが誰なのかは分かりませんが、私の信頼する家臣たちを貶める者がいれば、私は必ず思い知らせてやります。皆さんもデマを拡散する者がいれば、窘めてください。よろしくお願いします」
私の演説に拍手が沸く。
ラウシェンバッハ子爵家は疫病対策を公表しただけでなく、多くの物資を寄付しており、貧しい民に人気が高いためだ。
私はその足で王宮に向かった。
王宮もひと気はなく、宮廷書記官長の執務室も同様だった。
入口で秘書の一人に訪問の目的を告げる。
「宮廷書記官長殿にお話があります。グレゴリウス殿下の将来に関わることです」
秘書は胡散臭げに私を見た後、中に入っていった。
すぐに招き入れられるが、そこにはミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵の他に腹心のエルンスト・フォン・ヴィージンガーが待っていた。
「グレゴリウス殿下の将来に関わることだと聞いたが、どのようなことだ?」
「その前に獣人族が疫病の原因だという噂が流されていますが、閣下はご存知ですか?」
この噂を流したのはマルクトホーフェン侯爵だと考え、単刀直入に聞いた。
「知らぬな。私が流したとでも言いたいのか?」
「ご存じないなら問題ありません。少なくとも王都ではこの噂を否定するべく、先ほど民衆の前で演説を行いましたので」
そう言った後、ニコリと微笑む。
「ところでグレゴリウス殿下ですが、今どちらにいらっしゃるのでしょうか?」
その言葉に侯爵の目が細くなる。
「我がマルクトホーフェン侯爵領にいるに決まっておろう」
「おかしいですね。
アラベラは疫病が蔓延するマルクトホーフェンにいることを嫌い、最も安全な
本来なら認められないのだが、
「知らぬな」
そう言って惚けるが、彼が知らないわけがない。
「なるほど。では、このような噂が流れても問題ありませんね。グレゴリウス殿下は自らが助かるために魔導師の塔に逃げ込んだと。アラベラ殿下が主導したことでしょうが、このような国難に第二王子殿下が民を捨てて逃げ出したという噂が流れれば大変なことになりますが、事実でないなら問題はないでしょう」
そう言って立ち上がる。
「ま、待て! そなたは王族であるグレゴリウス殿下を貶めるというのか!」
「私が流すとは言っていませんよ。もちろん、そのような噂が流れても私は関知いたしませんが」
パニックに近い民衆がこの噂を聞けば、十分な醜聞になる。そのことに侯爵は気づき、私を睨みつけている。
「国難にあって無駄な争いは避けたいと思っています。ですが、そのことをご理解いただけない方がいるようです」
「その物言いは無礼であろう!」
ヴィージンガーが割り込んできた。
「侯爵閣下のことを言っているわけではありませんよ。もちろん、貴殿のことでもない。デマが流れれば、暴動が起きかねません。このような状況でそのようなリスクのあることをやるのであれば、受けて立つと宣言しただけですよ」
侯爵は大きく溜息を吐いた。
「よかろう。私の方でも獣人族の話は打ち消すようにする。卿もグレゴリウス殿下のことでとやかく言う者がいれば窘めてくれ」
「承知いたしました。では失礼します」
私は軽く頭を下げると、侯爵の部屋から出ていった。
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