第50話「疫病:その四」

 統一暦一二一一年一月十日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内宮廷書記官長室。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵


 赤死病の猛威は我がマルクトホーフェン侯爵領でも吹き荒れている。

 領都では死者が五千人を超え、この勢いでいけば一万人に迫るのではないかという状況だ。


 一万人は人口の二割に当たる。多くの民が恐怖に震えているという報告が入っているが、当然だろう。


 私は今後悔している。

 十二月の上旬に御前会議が行われ、疫病についての報告があったが、その時は軽く考えていた。そのため、ラウシェンバッハが提案した対策を徹底させなかった。


 あの時点で対策を徹底していれば、これほど悲惨な状況にはならなかっただろう。

 実際、ラウシェンバッハ子爵領では死者の数は驚くほど少ない。この事実が知れ渡れば、私の失策であることが明るみに出てしまう。


 そのため、今回のことで評価を上げたラウシェンバッハを叩くため、獣人族が原因だというデマを流した。


 王都でも獣人族に死者はおらず、身内を失った民がのうのうと生きている獣人族を逆恨みし、この噂は一気に広がった。


 しかし、ラウシェンバッハは即座に手を打ってきた。

 姉アラベラが起こした醜聞を利用してだ。


 姉は疫病が蔓延している領都を見限り、一人息子であるグレゴリウス殿下と共に叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの塔があるグライフトゥルム市に逃げた。


 グライフトゥルム市はラウシェンバッハの対策を徹底させているだけでなく、優秀な治癒魔導師が多いことから、死者の数は王国で最も少ない。つまり世界で一番安全な場所だということだ。


 この事実はほとんど知られておらず、王族が民衆を捨てて逃げ込んだという噂が流れれば、グレゴリウス殿下の名に傷が付く。


 この程度のことも分からない姉に呆れるが、この話が漏れれば、グレゴリウス殿下だけでなく、我がマルクトホーフェン侯爵家にも大きな影響が出る。


 特に領都では領民たちが後手に回る我が家に不満を持っており、自分の身内だけを安全な場所に逃がしたと知れば、暴動が起きることは容易に想像できる。


 そのため、ラウシェンバッハと手打ちをするしかなかった。

 彼も王家を貶めるつもりはなかったようで、それ以上追及してこなかったが、大きな借りを作ったことになった。

 疫病が収まるまでは何かと譲歩する必要があるだろう。


 今回の疫病でよかったことが一つだけあった。

 それは父ルドルフが死んだことだ。


 父は自然に死んだわけではない。エルンスト・フォン・ヴィージンガーが手を回し、姉アラベラの情夫クレメンス・ペテレイトが密かに命を奪ったのだ。


 父が死んだという報告をしたが、誰もが疫病で死んだと思っている。実際、身体が弱った上で疫病に罹っており、疑われる要素はないのだが、この病が流行らなければ、私が疑われた可能性が高い。


 本来の計画では、父の暗殺を理由に姉を排除するつもりだったが、暗殺自体が疑われなかったため、寝た子を起こすことを恐れ、姉の排除は見送っている。

 いずれにしても短絡的な姉を嵌めることは難しくないので落胆はしていない。


 翌日、王国騎士団から第四騎士団長の人事について提案があった。

 病死したコンラート・フォン・アウデンリート子爵に代わり、ラザファム・フォン・エッフェンベルクを騎士団長に推挙してきたのだ。


「ラザファム卿は家督を継いでいない。慣例では爵位を持たぬ者を騎士団長にできぬはず。認められぬな」


 それに対し、王国騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵が反論する。


「カルステン卿から家督相続の申請が出されているはず。それを受理すればよいだけではないか」


 昨年末にカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵からラザファムに家督を譲るという申請が出されている。カルステンは疫病ではないが、年末から体調を崩しており、軍務省にも出仕しておらず、受理の方向で動いていた。


「審査が終わっておらん。エッフェンベルク伯爵家ほどの家であれば、三ヶ月ほどは掛けねばならんのだ。死去でもないのに変な前例を作るわけにはいかぬ」


 そこで同行していた総参謀長のラウシェンバッハが話に加わってきた。


「家督相続は内定しているという形で認めていただくことはできませんか? 第四騎士団は各地に派遣され、遺体の処理などに当たっております。団長がいない状況は避けるべきだと思いますが」


 微笑みながらそう言ってきた。


「そうは言ってもだな……」


「そう言えば、グレゴリウス殿下はどうされておられますか? 陛下も心配されておられるでしょう」


 陛下には姉とグレゴリウス殿下がグライフトゥルム市に逃げたことは報告していない。ラウシェンバッハはそのことを露骨に示唆し、圧力を掛けてきた。


「家督相続については時間を掛けざるを得んが、騎士団長の不在が今の状況によくないことは理解できた。宰相と陛下にその旨を言上し、騎士団長就任を認めていただくようにする」


 私は吐き捨てるようにそう言うしかなかった。


■■■


 統一暦一二一一年一月十一日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。王国騎士団長マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵


 宮廷書記官長であるマルクトホーフェン侯爵との面談を終え、騎士団本部に戻ってきた。


「意外にあっさり認めてきたな。それに最後のグレゴリウス殿下のことはどういう意味があるのだ?」


 不思議に思っていたことをマティアスに聞いた。


「グレゴリウス殿下のことで後ろ暗いことがあるようです。もっとも他にもいろいろとあるようですが」


 そう言って彼は微笑むが、肝心なことは言わない。


「グレゴリウス殿下に何があるのだ? 王家の方々に関わることであれば、私も知っておくべきだと思うが」


「お伝えすることは構いませんが、誰にも言わないことと、知った事実に対して何も反応しないとお約束いただきたいと思います。いかがですか?」


 きな臭い話のようで一瞬ためらうが、内容が気になるので頷く。


「アラベラ殿下とグレゴリウス殿下はマルクトホーフェンからグライフトゥルム市に移られました。叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの塔に保護を求め、大導師シドニウス様は渋々ながらお認めになったとのことです。現状ではマルクトホーフェン侯爵とごく一部の家臣、そして私と情報部以外は知らない事実です」


 その情報に呆れた。


「安全な魔導師の塔に自分たちだけが逃げ込んだというのか! アラベラ殿下は謹慎中のはず。陛下の許可なくマルクトホーフェンを離れただけでも許し難いのだが……グレゴリウス殿下もそれを認められたということか?」


 グレゴリウス殿下は十三歳だが、王族としての矜持があれば、このような破廉恥なことは認めないはずだ。


「そのようですね。侯爵家の屋敷の中のことは分かりませんが、グレゴリウス殿下は大人しく従ったようです」


 即刻公表すべきだと思った。


「このような破廉恥なことを公表しないというのはどういうことなのだ? 陛下もこのことをお知りになれば、アラベラ殿下とグレゴリウス殿下に罰を与えられると思うのだが」


「このことが世間に知られれば、王家の威信は地に落ちます。この国難にあって、王家を信用できなくなれば、我々が行っていることも支持されなくなる可能性があります。そうなれば混乱は今より遥かに大きくなるでしょう」


「だからといって隠すのはどうかと思うぞ! 特にアラベラ殿下には罰を与えるべきであろう!」


 私が興奮気味にそういうと、マティアスは冷ややかな目で反論してきた。


「この事実を陛下がお知りになったとして、アラベラ殿下を処罰されると本当にお考えですか? マルグリット殿下のお命を奪ったのに謹慎で済まされたのですよ」


「そ、それは……」


 彼の言う通り、陛下がアラベラ殿下を罰する可能性は低い。


「今は非常時です。王家及び王国政府に民が不信感を持てば、家族を失い強い悲しみを抱いている者たちが暴動を起こしかねません。それに騎士団の兵たちも同様です。王家と王国への忠誠心があるからこそ、危険な遺体の処理に従事できているのです。その王家が信用に値しないとなれば、兵たちの士気は大きく下がるでしょう。そうなれば、この疫病を抑え込むことはできません」


「言わんとすることは分かるが……」


「それにもし、このことをレベンスブルク侯爵閣下がお知りになったらどうなると思われますか? 信頼するご実弟アウデンリート子爵は王国のために危険な任務に当たり、疫病に罹って命を落とされたのです。最愛の妹君マルグリット殿下を殺されたことと合わせて、兵を挙げかねません。以前とは異なり、エッフェンベルク伯爵家と縁戚関係にあるのです。カルステン卿が床にある中、ラザファムを動かそうと閣下が動く可能性は十分にあるのです」


「確かにその通りだ……君がこのことを隠していた理由は理解した。だが、このまま何もしないというのは納得できん」


 そこでマティアスはゾクリとするような笑みを浮かべる。


「それは私も同じですよ。命懸けで疫病と戦っている者がいる中、自分たちだけが助かろうとする。そのような方々が王家に相応しいとは思いません。今回のことを必ず悔いてもらいます」


 彼も私と同じように思っていることで安心した。


「君がそう考えているのなら、私も誰にも言わないし、何ら行動に移さない。確かに今はこの国難を乗り切ることが重要だ。コンラートの死が無駄であったとならないように」


 コンラート・フォン・アウデンリート子爵はクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵と共に、私にとっては盟友と言っていい存在だった。


「アウデンリート子爵が亡くなられ、カルステン卿が動けない今、閣下とレベンスブルク侯爵閣下が王国の命運を握っていると言っても過言ではありません。悔しいと思われることは重々理解しておりますが、王国のために自重していただきたいと思っております」


「王国の命運を握るという意味では君が最も重要だ。君も倒れないように充分に注意してくれ」


 マティアスはいつもの笑みを浮かべて頷いた。

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