第48話「疫病:その二」

 統一暦一二一〇年十二月二十日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。皇帝マクシミリアン


 爆発的に広がる疫病は収束の兆しを見せることなく、我が帝国を焼き尽くしていく。

 これほど無力感を覚えたことはこれまでなかった。


 発端は一隻の商船だった。

 十一月初旬、オストインゼル公国から来た商船の乗組員に熱病に冒された者がおり、その商船を隔離した。


 商船で疫病が発生することは稀にだが発生するため、いつも通りの処置を行い、それで事足りると港湾局の役人たちは考えた。通常なら全く問題なかったのだろうが、今回の熱病にはそれでは足りなかった。


 熱病を発症していなかった商人は三日ほど港湾地区で留まった後、特に症状が現れなかったため、商業地区に入った。商業地区で三日ほど滞在した後、その商人は去ったが、その十日ほど後から今回の疫病である“赤死病”が爆発的に広まった。


 しかし、当初は余のところに情報が上がってくることはなく、危機感を持っている者は皆無だった。急速に人口が増加している帝都では正規の移住者以外の不法滞在者が多く、疫病の発生により追い出されることを嫌い、情報を隠したためだ。


 内務尚書のヴァルデマール・シュテヒェルトが情報を上げてきたのは十二月に入ってからだった。

 シュテヒェルトはいつもの笑みを消し、真っ青な顔で報告した。


『商業地区で疫病が発生しました。非常に高い死亡率の病で、既に少なくとも千人を超える民が犠牲になっているとの報告を受けております。報告が遅れ、申し訳ございません』


 そう言って大きく頭を下げた。


『千人もの死者が出ただと……それは真か?』


『実数は確認できておりませんが、遺体の数から少なくとも千人を超えると判断しております。実数が不明なのは不法滞在者が多く、どの程度犠牲になったのか確認できないためです。拡大を防ぐべく商業地区を封鎖しましたが、既に他の地区にも蔓延しており、手の施しようがありません。内務府としましては、これ以上の拡大を防ぐため、遺体の処理を行うべきと考えており、軍の派遣が必要と考えております』


『分かった。すぐに第二軍団を派遣する。それより他に打つ手はないのか? 真理の探究者ヴァールズーハーの治癒魔導師に意見は求めていないのか?』


『確認しましたが、全身に赤い発疹が出るこの病は聞いたことがないとのことです。現在、“塔”に問い合わせて過去の知見がないか確認させております。後手に回り、申し訳ございません』


 そう言ってもう一度頭を下げる。


『卿が後手に回ったのであれば、他の誰であっても同じだろう』


 この時、余はまだ軽く見ていた。千人は決して少ない数ではないが、過去にも流行り病で数千人の犠牲者を出したことがあるし、王国では二十年ほど前に万を超える死者を出したこともある。


 子供や年寄りが死ぬかもしれないが、適切に対処すれば大ごとにはならないと思っていたのだ。


 しかし、赤死病は余の想像を遥かに超えて、広がっていった。

 十二月の半ばには死者は一万人を超えた。遺体の処理に当たっていた第二軍団でも犠牲者が出始めると、軍の中でも爆発的に広がっていく。


 治癒魔導師による治療が行われたが、罹患者の死亡率は五割を超え、治癒魔導師にも犠牲者が出始める。魔導師たちは治療を拒み、皇宮の前の広場は治療を求める民たちで埋め尽くされた。


 十二月十五日には対応の指揮を執っていたシュテヒェルトまで病に冒されてしまう。

 指揮を執れるような状況ではなく、軍務尚書のシルヴィオ・バルツァーに代行を命じたが、彼もその翌日、同じように病を発症した。


 この時、帝都には総参謀長であるヨーゼフ・ペテルセンは演習の視察のため不在だったが、帝都の状況を聞いて急いで戻ってきた。


『内務尚書と軍務尚書が倒れたと聞きましたが』


 いつもなら酒を手放さない彼が素面で話しかけてきた。


『危険な状態だと聞いている。内務府では多くの役人が倒れ、機能不全に陥っている。もっとも機能していても手の打ちようがなかったのだがな』


 自嘲気味にそういうと、ペテルセンはすぐに案を出してきた。


『陛下には皇宮を出ていただき、病の発生していない場所で指揮を執っていただきたい。今陛下が倒れられたら、この国は崩壊しかねません』


『余に逃げよと申すか……だが、それはできぬ。ここで死ぬなら余はそれまでの男ということ。この流行り病が収まった後のことを考えれば、ここで指揮を執り続けるべきだろう』


 ペテルセンは少し考えた後、余の決意が固いと見て賛同に回った。


『確かにその通りですな。疫病を恐れて逃げたとあれば、民の支持は得られません。では、健康な民を郊外に避難させてはいかがでしょうか。病人と接触せねば病は自然と収まるはずです』


 その案を余は承認した。


 それから五日後の本日、シュテヒェルトとバルツァーが相次いで命を落としたという報告が入る。

 余は天を仰いだ。


「二人ともだと……天は余の大陸統一を拒むというのか!」


 優秀な政治家である二人を失い、この状況の帝国をどうすればよいのかと絶望する。


 更に悪いことは重なった。

 郊外に避難させた民が発症し、更に被害が拡大したのだ。


「手の打ちようがありませんな。運を天に任せるしかないでしょう」


 ペテルセンはそう言いながら、リヒトロット産の最高級白ワインを飲んでいる。

 秘蔵の物らしいが、発症して飲めなくなるくらいならと、とっておきの物から飲み始めているらしい。


「卿は責任を放棄するというのか?」


「敵が分からない以上、手の打ちようがありません。闇雲に動くよりも被害の状況を分析し、有効な方法がないか探る方が建設的です。シュテヒェルト殿が亡くなられたことは痛いですが、諜報局を総動員して情報を集めさせましょう」


 余は手を打ち続けたかったが、彼の言う通り闇雲に動いても被害を拡大させるだけだと思い直した。


 年が明けたが、赤死病の猛威は一向に衰えない。

 既に商業活動が停止して一ヶ月ほど経っており、必要な物資が乏しくなりつつあった。


 備蓄してあった食料を放出することで、民心の安定を図るが、強い不安を感じている民たちは配給された食料を巡って争うようになる。

 そのことが更に不安を強くさせ、食料を要求する民たちが皇宮に押し寄せてきた。


「何でもいいから食い物をくれ! もう何もないんだ!」


「子供の分だけでもお願いします!」


 数ヶ月前まではリヒトロット皇国を下し自信に満ちていた帝都民たちが、物乞いのように食料を求めている。

 余は皇宮の前に立ち、民たちに語り掛けた。


「充分な食料は備蓄されている! 奪い合うことなく、割り当てられた食料で凌ぐのだ! もう一度言う! 食料は十分にある! 帝国の民としての誇りを思い出してほしい!」


 余の言葉で民たちは落ち着きを取り戻し、大きな暴動に発展することはなかった。


「有効と言えるかどうか分かりませんが、多少なりとも打つ手が見つかりました」


 ペテルセンが報告してきた。


「どのようなことだ? どこで見つけたのだ?」


「モーリス商会の従業員に犠牲者が少ないという話を聞きました。確認したところ、確かに死者はほとんどおらず、周囲の住民に商品を配って助けているそうです」


「どのような方法で被害を食い止めているのだ?」


「支店長であるヨルグ・ネーアーに確認したところ、人との接触を極力控え、口を布で覆っておりました。また、人と接触した場合は手を石鹸で洗い、うがいをしっかりと行っているそうです」


 余はそんなことで防げるのかと疑問を持った。


「そのような方法で防げるのか?」


「そのようです。何でもモーリス商会の手引きには、船で熱病が発生した場合の対処方法があり、それを応用したそうです。但し、確実な方法ではないそうで、モーリス商会でも三名の犠牲者が出ているとネーアーは言っておりました」


「従業員と家族を含めれば五十人以上はいるはずだ。その中で僅か三人ということは効果があるということだ。すぐにその方法を周知せよ」


 その方法は直ちに周知されたが、効果はなかなか出なかった。


「ネーアーが言っておりましたが、布で口を覆うことや手洗いなどは気休め程度だそうです。だから、積極的に勧めなかったそうです」


「それならばなぜモーリス商会ではそれほど少ないのだ?」


「人との接触を極力控えているからだと言っていました。近隣の住民に食料を渡す時も、直接手渡さず、置いたものを持っていくように徹底しているようです。そこまでしなければならないということでしょう」


 それでもこのことを大々的に周知し、更に軍を使って強引に隔離を強化した。

 民の反発はあったが、今は少しでも効果があることはやるべきだと強行したのだ。


 余は生まれて初めて神に祈りを捧げた。

 この状況が早く収まることをヘルシャー代行者プロコンスルである四聖獣に心から祈ったのだ。


■■■


 内務尚書ヴァルデマール・シュテヒェルトと軍務尚書シルヴィオ・バルツァーの死はゾルダート帝国にとって非常に大きな意味を持った。


 シュテヒェルトはコルネリウス二世から内政全般を任されるほど政治的センスを持った人物であった。彼が内政を取り仕切るようになってから、外征を繰り返したにもかかわらず、帝国の財政が破綻することはなかった。


 また、諜報局を設立するなど、情報の重要性を理解し、コルネリウス二世とマクシミリアンが情報不足で判断を誤ることを未然に防いでいる。


 同じ時代にグライフトゥルム王国の天才、マティアス・フォン・ラウシェンバッハがいなければ、諜報活動の祖として、その名は歴史に大きく刻まれたことだろう。


 彼の同僚であるバルツァーはシュテヒェルトほど目立つ功績はなかった。

 しかし、彼が軍政を担う軍務府の長となった後、帝国軍の兵站が危機的な状況に陥ったことは一度もなかった。


 ラウシェンバッハの後方撹乱作戦においても、必要な量を後方基地に確保しており、前線の指揮官が輜重隊の安全を確保すれば、物資が滞ることはなかったのだ。


 当時の帝国は人口五百万人ほどであり大国とは言い難い。その規模の国家で十万人近い数の軍を飢えさせなかった手腕は賞賛に値する。


 この二人を失った皇帝マクシミリアンは天を仰いで“天は余の大陸統一を拒むというのか!”と叫んだという。

 それほどまでにこの二人は傑出した人物だったのだ。


 統一暦一二一〇年の年末に発生した“赤死病”なる伝染病は帝国だけでなく、多くの国に影響を与えた。

 もしこの伝染病が発生しなかったら、歴史は大きく変わっていただろう。特にグライフトゥルム王国では……(後略)


 歴史家アウグストゥス・マイヤーホフ著「パンデミックと帝国 ~帝国拡張期における疫病の影響とその考察~」より抜粋。

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