第47話「疫病:その一」

 統一暦一二一〇年十二月十日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 平穏な日々が続いていた。

 我がラウシェンバッハ子爵家では妻のイリスが再び懐妊したことが分かった。予定通りなら今月中に第三子が生まれるはずだ。


 平穏ではあるが、ここ数日不穏な情報が入っており、その対応に頭を悩ませている。

 その情報とは各地で疫病が発生し、多くの死者が出ているという情報だ。

 今日も騎士団本部で情報部が集めた情報を基に協議を行っている。


「……ヴィントムント市では既に死者が五百名を超え、経済活動に大きな支障が出ています。また、大陸公路ラントシュトラーセの宿場町でも疫病の発生が報告され、民衆がパニック状態に陥っているという情報も入っています。王都でも既に死者の報告があり、早急に手を打つ必要がありますが、宰相閣下は手を拱いており……」


 疫病だが、高熱を発し赤い発疹が現れることが特徴で、高熱と肺炎に似た症状で死に至ることから、麻疹はしかではないかと考えている。しかし、地球と同じとは限らないので全く別の伝染病の可能性もある。


 過去に似た症例がないか確認したが、ここ百年間、麻疹が大流行したことはなく、多くの者が抗体を持っていないと予想している。


 長命種である闇森人ドゥンケルエルフェのカルラに聞いたが、三百年前に似たような病が流行したことがあり、数十万の人々が命を落としたそうだが、その時は有効な治療法はなく、半年ほど流行した後に自然に収まったらしい。


「……民の間では赤死病という名で恐れられ、田舎の村では病を発症した者がいる家に火を掛けるなど、パニックになっております。治癒魔導師に確認したところ、熱を下げることと肺の炎症を抑える治療以外に有効な手段はないとのことです。情報部からの報告は以上です」


 情報部長のギュンター・フォン・ラウシェンバッハ・クラウゼン男爵が報告を終えた。


「王都でも流行の兆しがあるということか……マティアス、君なら何か策があるのではないか?」


 王国騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵が私に聞いてきた。

 麻疹についての知識はあまりなく、空気感染や接触感染で広がることや、潜伏期間が比較的長いことくらいしか知らない。


「すぐにできることは感染者の隔離、手洗いとうがいの徹底、健康な者も人との接触を極力少なくすることの慫慂、発症後の経口補水液での水分補給の周知でしょうか。兵舎などの多人数が暮らす場所は特に注意が必要です。また、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘに依頼し、治癒魔導師の派遣を要請した方がよいでしょう。肺炎になった場合に炎症を抑えれば、助かる可能性が上がるという報告がありましたので」


 そこで軍務卿のマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵が発言する。


「今のことを文書にしておいてくれんか。御前会議で宰相に提案する。それで何とかなればいいのだが……」


「難しいと思います。ですが、何もしないよりはマシです。先行しているヴィントムント市では発症した者が十日程度で回復したという報告もあります。対症療法しかありませんが、有効な方法を模索するように叡智の守護者ヴァイスヴァッヘには依頼しておきます」


 騎士団での会議を終え、屋敷に戻るが、うがいと手洗いだけでは不安が残る。特にうちにはまだ一歳になったばかりの二人の幼子がおり、更にイリスも妊娠中だ。妊婦が麻疹に罹ると死産や流産の可能性が高まると聞いたことがある。


「カルラさんにはイリスと子供たちの世話をお願いします。できるだけ人と接触しないようにしてください」


「承りました。奥方様とお子様方のことはお任せください」


 カルラに任せるのは彼女が抗体を持っている可能性が高く、二次感染が少しでも起きにくいと思ったからだ。


 翌日、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの上級魔導師マルティン・ネッツァー氏に今後の対応について依頼に行く。

 説明を終えるが、ネッツァー氏の表情は暗かった。


「依頼内容は理解したよ。ただ、治癒魔導師の派遣は今から連絡しても十日後にしか到着しない。それに君の話だと、我々が感染を広めることになるかもしれない。どうしたものかと思ってね」


 ネッツァー氏ら王都にいる魔導師は叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの中でも比較的若い。そのため、カルラたちのように前回の流行を経験しておらず、抗体を持っていない可能性が高い。


「そうですね。ですが、治療に当たっていただかないと更に死者が増えることになります。手洗いとうがい、アルコール消毒を徹底で何とか対応していただくしかないですね」


 その後、長距離通信の魔導具を用いて、各地の情報を収集した。

 帝都ヘルシャーホルストでは既に大流行しており、数え切れないほどの死者が出ているらしい。また、グランツフート共和国の首都ゲドゥルトでも同様で、交易が盛んな土地ほど悲惨な状況のようだ。


 我が領地であるラウシェンバッハ子爵領にも伝令を送り、注意事項を徹底させることにした。


 それから数日間は大きな動きはなかったが、それでも着実に病は浸透していた。

 平民街では子供や年寄りを中心に多くの死者が出ている。また、十二月中旬ということで寒波が襲い、更に体力のない者が命を落としていった。


 十二月の下旬になると、貴族街でも流行の兆しが出てきた。

 年末年始は領地持ちの貴族が王都に集まるためで、彼らが病を運んできたのだ。幸い、我がラウシェンバッハ家では関係者に移動をしないように通知しており、我が家を訪問してくる客は少なく、今のところ発症者はいない。


 平民街では更に状況は悪化し、死者が二千人を超えたという情報も入っている。

 遺体の埋葬が間に合わないほどで、騎士団が出動し、郊外に墓地を作って埋葬を行っていた。


 十二月二十四日の夜にイリスが産気づいた。

 今回は母ヘーデがおらず、実家であるエッフェンベルク伯爵家にもリスクを抑えるために、こちらだけで対応すると連絡している。


 理由は義父であるカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵が体調を崩しているためだ。まだ、麻疹が発症したわけではないが、微熱が続いており、念のための処置だ。


「不安だと思うけど、少しでもリスクを下げるためだから」


 妻にそう声を掛けるが、彼女は気丈にも笑みを浮かべていた。


「大丈夫よ。今回は双子じゃないんだから。それにカルラがいれば問題ないわ。カルラ、よろしく頼むわね」


「お任せください」


 カルラが優しい笑みを浮かべて頷いている。

 今回はネッツァー氏にも来てもらっていない。彼は王都内での治療に忙しく、また、カルラとユーダもシャッテンとして治癒魔導が使えるので問題はないためだ。


 日付が変わり、午前二時頃に産声が聞こえてきた。

 カルラが笑みを浮かべて私に報告する。


「元気な女の子です。奥方様も特に問題はございません」


 二人に会いたいと思ったが、外に出る機会が多い私が接触することはリスクが高いと思い、やめている。


 生まれた子には“ティアナ”という名を付けた。

 一歳二ヶ月の双子と新生児ということで大変だが、人を増やすわけにもいかず、当面はイリスとカルラが世話をすることになった。


 ティアナが生まれた日、騎士団本部から連絡が入った。


「アウデンリート子爵閣下が病に倒れられました」


 第四騎士団長のコンラート・フォン・アウデンリート子爵が罹患したという情報だった。


「子爵のご様子は?」


「現在は高熱を発し、意識が朦朧とされているそうです。治癒魔導師の見立てでは、五分五分ではないかとのことです」


 アウデンリート子爵は現在四十三歳とまだ若い。

 回復してくれればよいがと願っていたが、五日後の十二月三十日に死去したという連絡が入る。

 王都での致死率は一割ほどだが、肺炎が重篤化して死に至ったらしい。


 ほぼ同時期に騎士団長になったホイジンガー伯爵はその死にショックを受けていた。


「コンラートが逝くとは……レベンスブルク侯爵家の復権が見え始めてきたところなのに無念だろうな……」


 アウデンリート子爵はマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵の実弟だ。


 子爵の葬儀は三十一日に行われた。

 レベンスブルク侯爵は力なく肩を落としており、娘であるシルヴィアが支えている。

 ラザファムも親族として参列しているが、私はシルヴィアが身重であることで危惧を抱き、そのことを彼に告げた。


「妊婦は特に注意すべきだと言っておいたはずだ。私はイリスにほとんど会っていないんだぞ。それくらい注意すべきだということなんだぞ。最後の別れをしたい気持ちは分からないでもないけど、今は自身と子供のことを一番に考えるべきだ」


「私もそう言ったのだが……」


 ラザファムはそう言って苦しげな表情を浮かべる。説得しきれなかったことを後悔しているようだ。


「来てしまったものは仕方がない。別れを済ませたらすぐに手洗いとうがい、アルコールでの消毒をして服も着替えさせるんだ。あとは抵抗力を付けるためにきちんと食事を摂って休ませろ。分かったな」


「ああ。そのつもりだ。しかし、何とかならないのか、この疫病は」


 彼の連隊も毎日埋葬に狩り出されており、惨状を目の当たりにしている。


「王都はまだマシな方だ。ヴィントムントでは死者は一万人に迫る勢いだし、マルクトホーフェンも五千人以上が死んでいる。医療体制が整っていない農村では半数以上が死んだところもあるそうだ」


「そうなのか……」


 そこで小声で付け加える。


「それよりも第四騎士団を引き継ぐ可能性がある。心積もりだけはしておいてくれ」


「父上は疫病ではなかったが、それでも私なのか?」


 義父カルステンは十日ほど前に体調を崩したが、麻疹は発症しておらず、ただの風邪と見られている。それでもこの状況を鑑みてラザファムへの家督相続を検討している。

 まだ相続は正式に申請はされておらず、彼も騎士団長になると思っていないようだ。


「連隊長クラスで該当者がいないんだ。この状況で騎士団長が不在というのは不味い。それに義父上も家督を譲るとおっしゃっている。順番が入れ替わるだけで問題はないはずだ」


「了解したよ。この状況で騎士団長になるのは気が重いが仕方ないな」


 ラザファムは不安げな表情で頷いた。

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