第46話「法国の一手」

 統一暦一二一〇年七月十五日。

 グライフトゥルム王国中部マルクトホーフェン侯爵領、領都マルクトホーフェン。神官クレメンス・ペテレイト


 私はフィーア教の神官と偽っているが、トゥテラリィ教の北方教会の司祭だ。

 白狼騎士団のニコラウス・マルシャルク副団長の命令を受け、グライフトゥルム王国に潜入した。


 私の協力者にヨーン・シュミットなる男がいる。この男は元王国の貴族らしく、マルクトホーフェン侯爵家についても多くの情報と伝手を持っており、比較的簡単に入り込むことができた。


 私が身分を偽って王国に入ったのは王国を内部から崩壊させるためだ。マルシャルク殿は正面から戦ってもヴェストエッケ城を突破することは難しく、王国を攻め落とすには内乱を誘発し、その隙を突くことが最も効果的だと考えている。


 内乱を起こすためには王家の後継者問題を利用することが一番だ。そのため、第二王妃アラベラに接近することにした。


 マルクトホーフェン侯爵家には“真実の番人ヴァールヴェヒター”の間者が多くいるが、彼らはラウシェンバッハの使う“闇の監視者シャッテンヴァッヘ”の間者は警戒するものの、私のような武術の才がない者にはほとんど興味を示さない。


 もちろん私も疑われないよう、本国に連絡はしていないし、シュミットとも極力接触しないようにしている。


 また、侯爵の腹心であるエルンスト・フォン・ヴィージンガーに密かに接触し、侯爵の後ろ盾が欲しいと言って油断を誘っている。


 ヴィージンガーは私のことを野心家の神官としか思っておらず、単なる駒だと考えている。一応私のことは調べたようだが、シュミットがヴィージンガーの部下に手を回したため、フィーア教の神官であることは疑っていない。


 そのヴィージンガーから命令が来た。

 使者は若い貴族で、私に対して尊大な態度で命令を伝える。


「アラベラ様に暗殺者を用意できると仄めかせ」


「暗殺者を用意ですか? 私のような神官が言っても信じてもらえないと思いますが」


 私は人畜無害の神官を演じており、アラベラに暗殺者を用意できると言っても違和感しかない。その程度のことも考えられないのかと心の中で嘲笑する。


「お館様の後ろ盾がほしいなら無い知恵を絞って考えろ。私が伝えることは以上だ」


 侯爵の腹心の部下にしては低能だが、腹心自体も記憶力以外に見るべき能力を持たないので仕方ないだろう。


「分かりました。すぐに結果は出せないと思いますので、その点はご容赦ください」


「それは分かっている。ヴィージンガー殿も性急な動きで失敗することを懸念しておられる。慎重にいけ」


 その若い貴族は横柄にそう言うと、そのまま立ち去った。


 アラベラのところには毎日顔を出しているが、彼女を精神的に、そして肉体的に慰めるのが私の仕事だ。アラベラの侍女たちも肉体関係に気づいているが、何も言わない。言ったところで罰を受けるだけだから諦めているのだ。


 今日もアラベラに誘われ、寝室に向かう。

 事を済ませた後のピロートークで、それとなく話を持っていく。


「最近お悩みのようですが、殿下のことで何か心配事がおありですか?」


「ええ……父が私とグレゴリウスを引き離そうとしているの。私にはあの子しかいないというのに……」


「それは酷いですね。アラベラ様とグレゴリウス殿下ほど仲のよい母子はいらっしゃらないというのに……私にできることがあればよいのですが……」


 耳元でそう囁くと、アラベラは微笑む。


「そんなことを言ってくれるのはあなただけよ。あの男がいなくなれば、私からグレゴリウスを取り上げようとする者はいなくなるわ。何とかできないかしら……」


 そう言って妖しい目で私を見る。

 この女は美女ではあるが、毒婦という言葉がよく似合う。


「お力になれるように考えてみます。ただ、それには先立つものが必要で……」


「そうね。多少なら私が出せるのだけど……」


「ミヒャエル様にお願いしてはいかがですか? グレゴリウス殿下の教育のために新たに人を雇いたいとお願いすれば、支度金くらいは出してくださるのではありませんか」


「そうね。そうしてみるわ。あなたもよろしくお願いするわ」


 その後、何度かやり取りをし、暗殺者の手配を行うこととなった。


■■■


 統一暦一二一〇年八月十五日。

 グライフトゥルム王国中部マルクトホーフェン侯爵領、領都マルクトホーフェン。ヨーン・シュミット


 学生時代、俺は貴族としての身分を失った。その後、王都シュヴェーレンブルクでならず者のトーレス一家ファミーリエでのし上がり、マルクトホーフェン侯爵家と俺を見下していた姉アラベラを破滅させるために、昔の伝手を使って姉を暴走させた。


 これで上手くいったと思ったが、国王は何もせず、侯爵家を破滅させることができなかった。それだけでなく、父ルドルフは俺をならず者たちと共に殺そうとした。

 俺は刺客から逃れるため、イザークという名を捨てた。


 父の手を逃れ、王国を脱出した後、グランツフート共和国を経て、レヒト法国に入った。

 目的があったわけじゃない。侯爵家の刺客もレヒト法国まで追ってこないだろうと思っただけだ。


 半年ほど逃げ続け、北方教会領の都クライスボルンに辿り着いた。その頃、南方教会が送り込んだ鳳凰騎士団が壊滅的な敗北を期し、更に協力して攻め込んだ黒狼騎士団も大きな損害を被って帰還した。


 騎士団ではその事実に立て直しを図るべきという声があり、若手の優秀な隊長、ニコラウス・マルシャルクが抜擢されると聞いた。俺はそのマルシャルクに取り入った。


 正体は明かさなかったが、王都とマルクトホーフェン侯爵領に伝手があり、更に盗賊ギルドロイバーツンフトにも顔が利くことで、マルシャルクは俺を利用することに決めた。


 そして、四年前の一二〇六年の年末頃に王国に戻った。ちょうどその頃、王都ではラウシェンバッハの私兵である黒獣猟兵団がロシェ一家ファミーリエを壊滅させた直後であり、その縄張りに組織を作った。


 しかし、王都はラウシェンバッハの監視が厳しく、動きが取れない。そのため、盗賊ギルドロイバーツンフトの伝手を使って、故郷であるマルクトホーフェンに舞い戻った。


 マルクトホーフェンでもいくつもマフィアが壊滅しており、その空白地を埋めるように力を付けていった。ここには弱みを握っている貴族が何人もいるし、法国からの援助もあったから、容易いことだった。


 三年の時を掛け、盗賊ギルドロイバーツンフトの中で地位を高めることに成功し、最高幹部の一人と呼ばれるまでになった。


 そして昨年の三月、マルシャルクがクレメンス・ペテレイトという司祭を送り込んできた。でっち上げたフィーア教の神官の経歴をペテレイトに与え、侯爵家に潜入させる。


 ペテレイトは二十五歳になる誠実そうな見た目の優男だが、マルシャルクが送り込んでくるだけあって有能な奴だった。虚栄心の強い姉アラベラに対して、巧みに懐に入ると、たちまちのうちに情夫となった。


 また、何人かの侍女を篭絡し、自らの居場所を作り上げていく。

 更に兄ミヒャエルの腹心であるヴィージンガーにも取り入っていた。


 そのヴィージンガーがペテレイトに父ルドルフの暗殺を姉に唆すように命じた。

 ルドルフを殺せば、ミヒャエルの権力が強くなり、王国を混乱させるという点では有効だ。


 しかし、ペテレイトと姉という重要な駒を失うことは避けたい。

 俺は盗賊ギルドロイバーツンフトの伝手を使い、ある方法で父を殺すことにした。

 それは父が好きそうな美女を送り込み、心臓が弱る毒を盛って、腹上死したように見せかけるのだ。


 父の女好きは有名だし、既に五十五歳になっているから、疑う者はいないだろう。

 この方法は他でも使っているから成功率は高い。


 問題があるとすれば、こらえ性のない姉が性急に結果を求めることだが、これについてはペテレイトに抑え込んでもらうつもりだ。


 父は何の警戒もせず、俺が送り込んだ美女を屋敷に住まわせることに決めた。もちろん、身元からバレることがないよう、ある男爵家の係累ということにしてあり、アイスナーのような切れ者でもいない限り、発覚することはない。


 ここまでは上手くいったが、結果が出るのは恐らく来年になってからだろう。

 父が苦しむさまを見ることはできないが、俺を切り捨てた罪を償ってもらうつもりだ。

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