第45話「侯爵家の内紛」

 統一暦一二一〇年七月二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、マルクトホーフェン侯爵邸。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵


 最近父ルドルフが以前にも増して煩くなってきた。

 原因は第二王子グレゴリウス殿下だ。


 殿下はもうすぐ十三歳になるが、東方系武術を学び始め、我が配下の騎士でも後れを取るほど腕を上げている。


 また、学問では優秀な教師を何人も呼んで学ばせているが、一を聞いて十を知るという言葉が似合うほど優秀らしい。

 更に大賢者マグダが殿下を直接指導したいと申し出たことも、父を暴走させた一因だ。


 大賢者は王家の優秀な王子や王女に対し、過去にも指導を行っており、そのほとんどが歴史に名を遺す人物になった。そのため、父は大賢者に殿下を差し出そうとしたが、姉が止めた。


『グレゴリウスと離れ離れになるのは嫌よ! どうしてもいうなら、私も一緒に行くわ!』


 それに対し、大賢者は一蹴したらしい。


『そなたが一緒では指導にならぬ。真にグレゴリウス殿下のことを思うのであれば、儂に任せよ』


 姉はそれを拒否した。


『無理なものは無理よ! あの子は渡さないわ!』


 大賢者が気にしているのはグレゴリウス殿下の性格だろう。

 先日も若い従士と剣術の訓練を行ったが、身体強化を使って木剣で殴り殺している。


 しかし、殿下は眉一つ動かさずに死体を片付けさせ、訓練を続けた。その無慈悲さは姉譲りであり、為政者として不適格になる前に矯正したいと大賢者は考えたのだろう。


 父はそのことに気づかず、大賢者が殿下を評価していると考え、早期に王宮に戻し、立太子に持ち込むべきだと主張し始めた。


『大賢者様がお認めになったのだ! すぐにでも陛下に立太子を言上せよ!』


 私としても甥である殿下が次期国王になることは望ましいが、未だに王宮では姉である第二王妃アラベラを忌避する空気は強く、特に国王フォルクマーク十世陛下は姉の名が耳に入るだけで嫌悪感を示すほどだ。


 また、貴族の中にも姉と父の話題を露骨に避ける者も多い。恐らく私のいないところでは私を含めてマルクトホーフェン侯爵家の者を罵倒しているはずだ。


 貴族だけでなく、王都の民は気さくで庶民的な第一王妃マルグリットのことを未だに忘れておらず、姉が王都に入れば暴動が起きかねない。


 このような状況で姉を王宮に戻すことは困難というより不可能だ。強引に事を進めれば、我がマルクトホーフェン侯爵家は私が地道に呼び戻した貴族たちの支持を失ってしまう。


 しかし、父は頑なだった。

 先日、領都マルクトホーフェンに戻った際、そのことを強く思い知った。


『グレゴリウス殿下は千年以上の歴史を誇るグライフトゥルム王家の中でも傑出した方であることは間違いない。可能な限り早く、貴族たちに殿下のことを知らしめ、第一王子が立太子されることを防がねばならん!』


『今戻れば逆効果です。暗殺という手段を自ら行った姉上に対する忌避感は未だに強い。更にその姉上の罪をなかったことにした父上に対しても、我が家の傘下の者ですら、名を口にすることすら憚らねばならんのです』


 私の言葉に父は逆上する。


『そのような者どもをのさばらせておくな! 我が家の力でねじ伏せればよかろう!』


 現実を全く分かっていないと頭が痛くなる。

 父の時代には帝国に対する危機感はなく、法国に対しても遠く離れたヴェストエッケで守りを固めていれば十分という認識で、国が危ういという考えはなかった。


 しかし、今はゾルダート帝国という強大な敵が、大国であったリヒトロット皇国を呑み込もうとしている。遠くない将来、我が国にも侵攻してくるだろう。


 そのことはラウシェンバッハら王国騎士団関係者が強く主張しており、貴族たちも危機感を持ち始めている。


 また、王国騎士団には騎士階級だけでなく、平民階級の者も指揮官として登用され始めている。その結果、騎士団では自ら王国を守ろうとしない貴族に対して風当たりが強くなり、貴族であっても平民に配慮しなければならない状況になりつつあった。


 このような状況で昔と同じような強引な方法で国内政治に当たれば、平民だけでなく、貴族の支持も得られない。


 最近父は侯爵家の当主である私を無視して、傘下の貴族に直接使者を出し、根回しを始めている。また、姉も勝手に手紙を出し始め、王都に戻ろうと画策していた。

 そのことに怒りを覚えている。


(いつまで当主のつもりでいるのだ! あの女も何も分かっておらん! 自分がどれほど大きな罪を犯したのか、少しでも想像力があれば分かるだろうに! 我が侯爵家を守るため、そろそろ父を排除する時期かもしれん。あの女も父がいなければ大したことはできん。幸い、切れ者のアイスナーは父の逆鱗に触れて完全に隠居させられた。今は碌な家臣がおらぬから成功率は高いはずだ……)


 王都に長くいたアイスナーは私と同じ危機感を持っており、父に諌言を行った。その結果、領都から追放され、領地で謹慎している。父に対して忠誠を誓っていたが、裏切られたことで父に対して愛想を尽かしていると噂されている。


 父親を殺すことは外聞が悪いが、この状況が続けば我がマルクトホーフェン侯爵家は大きく力を失う。そうなる前に手を打つべきだと考えていた。


(殺すにしても私が罪に問われたら意味がない。ラウシェンバッハが父を排除してくれれば一番だが、奴ならあの老害は生かしておいた方が役に立つと考えるから現実的ではない。罪を誰かに擦り付ける必要があるが、父を殺してメリットがあるのは私だけだ。下手にラウシェンバッハに勘づかれれば、攻撃材料を与えることになる……)


 ここ数年で学んだことは、ラウシェンバッハに下手に謀略を仕掛けると、逆襲されてより酷い目にあうということだ。

 そこであることを思いついた。


(父の近くに何も考えない阿呆がいるではないか! あの女を唆して父を殺させ、その罪で一緒に排除する。あの二人を排除できれば、私がグレゴリウス殿下の後ろ盾となれる。陛下もあの女を断罪すれば、殿下に対してのわだかまりは消えるだろう。上手くいけば殿下が玉座に収まり、この私が王国を牛耳ることができる……)


 私は邪魔な父と姉を排除することを決めた。

 と言っても拙速に事を進めるつもりはない。

 ラウシェンバッハのやり方を見れば分かるが、謀略を行うには入念な準備が必要だ。


 これまでいろいろと失敗してきたのは準備を疎かにし、結果だけを求めたからだ。その反省を踏まえ、一年以上の時を掛けて二人を排除する。


 まずは腹心であるエルンスト・フォン・ヴィージンガーを呼び出した。

 最近では少し頼もしくなってきており、今回のことを話しても以前のように動揺することはないと思ったためだ。


 私の考えを説明すると、エルンストは小さく頷いた。


「私もそれがよろしいかと思います。このまま手を拱いていれば、第一王子のフリードリッヒ殿下の後ろ盾にレベンスブルク侯爵がなり、エッフェンベルク伯爵家も協力するでしょう。そうなった場合、ラウシェンバッハも敵に回すことになりますから、彼らが明確にフリードリッヒ殿下を推す前に、グレゴリウス殿下を王宮に入れ、陛下にお認め頂くことが重要です……」


 エルンストは自信をもって説明していく。


「しかしながら、先代様、そしてアラベラ様はラウシェンバッハらの危険性を軽く見ておられます。そのような方々が近くにいれば、ラウシェンバッハは必ずそこを突いてくるでしょう。そのような隙は作るべきではありません。お二方を共倒れにするという策は理に適っております」


「具体的にどうすべきだと思うか。姉を操るにしても、以前のように暗殺者と繋がりはない。それにあの姉なら力を持てば、私すら殺しに掛かるはずだ。匙加減を間違えると大変なことになる」


 エルンストは私の言葉に微笑みを返してきた。


「おっしゃる通りです。しかし、アラベラ様とお話しさせていただきましたが、閣下の姉上にしては非常に単純な方だと思いました。少し煽てて閣下が味方であると誤認させれば、問題はないはずです。既にアラベラ様の身辺にはこちらの手の者を忍び込ませております。その者を使えば、難しくないかと」


「既に手を打っていたのか……報告を受けた記憶がないが、また独断で事を起こそうとしているのではないだろうな」


 以前、獣人族を貶める策で、エルンストは独自に動き、失敗している。


「報告はしております。グレゴリウス殿下の下にフィーア教の神官が出入している話はご記憶にあるかと思います。その者がこちらの手の者となります」


 一年ほど前、四聖獣フィーア教の若い神官が領都の屋敷に出入りするようになった。確かにそのことは報告を受けていた。


 フィーア教は我が国の国教だが、トゥテラリィ教のように政治に関わってくることはなく、無害な存在と認識されている。

 王族は祭祀を取り仕切ることから、グレゴリウス殿下の教育のために呼んだのだと思っていた。


「そのことは記憶があるが……」


「アラベラ様がその神官、クレメンス・ペテレイトを気に入り、寝室に呼んでいるそうです」


 その言葉に思わずこめかみに手をやる。


「姉上は何を考えているのだ。これ以上の醜聞はグレゴリウス殿下の命取りともなりかねん。その程度のことも理解できんとは……」


「ペテレイトは野心家です。グレゴリウス殿下を玉座に押し上げ、その権威を利用して大神官に伸し上がろうと考えております。そのため、私からの誘いにすぐに応じました」


「なるほど。だが、そのペテレイトなる神官の素性は確認しているのだろうな。ラウシェンバッハが送り込んだ者であれば、足元を掬われることになるが」


 エルンストは自信をもって頷いた。


「もちろん確認しております。大神殿に問い合わせ、更に独自に調査を行いましたが、怪しい点は見つかっておりません」


「ならばよい。その神官に姉上を唆すように命じるのだな」


「明確な指示は出しませんが、暗殺者を紹介することができると仄めかし、渡りをつけさせます。あとはアラベラ様が暴走するのを待てばよろしいかと」


「姉上ならすぐに動くだろうが、父上の身辺は厳重に守られているのではないか? 失敗は許されんぞ」


 私の強い視線を受けてもエルンストは余裕を失わない。


「問題ございません。領都の屋敷の警護はアイスナー殿が隠居された後、私の裁量で動かせるようになっておりますので」


「よろしい」


 私は父と姉を排除するようエルンストに命じた。

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