第44話「平穏な日々」
統一暦一二一〇年五月五日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ヴェヒターミュンデ伯爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
グライフトゥルム王国は平和な日々が続いていた。
年明けに総参謀長であったユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵が予定通り退任し、私がその後任となった。
相変わらず参謀不足は深刻だが、大きな戦いもなく、帝国も法国も大人しいため、今のうちに人材を育てようと頑張っているところだ。
オーレンドルフ伯爵は総参謀長を辞任後、財務次官に復帰した。
元々宰相であるメンゲヴァイン侯爵が余計なことに口を出し、それに辟易した伯爵が辞表を出した。
しかし、後任のグリースバッハ伯爵が無能であり、メンゲヴァイン侯爵と共に国政を混乱させた。マルクトホーフェン侯爵と調整し、財務官僚であるクレンペラー子爵らの上申がそのまま通るようにして国政の混乱は一応収まった。
この状況がよいものでないことはクレンペラー子爵らも理解しており、総参謀長を予定通り辞任するということで、オーレンドルフ伯爵に復帰を要請したのだ。
伯爵は当初固辞していたが、帝国が皇国を呑み込むことが確実になった今、このままでは王国が危うい危険だと考え直した。
マルクトホーフェン侯爵と再び調整し、オーレンドルフ伯爵の復帰が決まったのだ。
そのマルクトホーフェン侯爵だが、未だに大人しい。
調べてみたところ、現当主のミヒャエルと先代のルドルフの関係が悪化し、更に第二王妃アラベラもそこに加わって、家の中が大いに揉めていることが原因のようだ。
原因ははっきりしないが、第二王子のグレゴリウスが関係しているらしい。
グレゴリウスはもうすぐ十三歳になるが、文武に優れ、魔導の素質もあると聞いている。大賢者マグダが一度マルクトホーフェンを訪れ、自らが直接指導したいと申し出たほどだ。
グレゴリウスも“
『あのままでは暴君になる。ルドルフとアラベラの悪いところばかりを継いでいる感じじゃ。今ならまだ矯正できるのじゃがな……』
しかし、アラベラが強硬に反対し、その話は流れた。
その際、ルドルフがグレゴリウスの将来を考え、大賢者を後ろ盾にした方がよいと説得したが、それが原因で関係が拗れた。
それにミヒャエルが乗った。
ミヒャエルは未だに口を出してくる父親の存在を煙たく思っており、アラベラと共謀してルドルフを排除しようと画策しているらしい。
今のところ、大きな混乱が起きたという情報はないが、潰し合ってくれるなら、こちらにとって好都合なので静観している。
昨年十月に生まれた双子、オクタヴィアとリーンハルトだが、すくすくと元気に育っている。これまで屋敷には小さな子供がいなかったので、子供たちの泣き声や笑い声でにぎやかだ。
ラウシェンバッハ子爵家は下級貴族だが、私が重要な役職に就いているため、対外的な付き合いが多い。イリスは自分で育てたかったようだが、さすがに子爵家の令夫人が育児に専念するわけにはいかず、乳母を雇っている。
そして今日はハルトムートの結婚式が行われる。
といっても、私やラザファムとは異なり、貴族家の嫡子の結婚ではないため、内輪だけのものだ。
内輪と言っても武の名門ヴェヒターミュンデ伯爵家ということで、王国騎士団関係者の多くが出席する。
軍務卿のマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵や王国騎士団長であるマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵らが出席するということで、騎士爵の結婚式とは思えないほどの豪華な顔ぶれになっている。
式の前、控室を訪ねると、純白の騎士服に身を包んだハルトムートが不安そうにしていた。
「俺の結婚式なんだよな……」
「ハルトは東の要衝ヴェヒターミュンデ城の要になるんだ。軍関係者が注目するのは当然だよ」
私の言葉にイリスが頷く。
「あなたとユリウスは東西の守りの要なの。騎士爵であってもいずれ将軍になると思っている人は多いわ。自信を持ちなさい」
その言葉にラザファムも頷く。
「いつもの調子でやれとは言わんが、もう少し堂々としたらどうだ。ウルスラ殿の方がよほど堂々としていたぞ」
ヴェヒターミュンデ伯爵の長女ウルスラは赤毛が特徴的な長身の美女だ。イリスと共に挨拶に行ったが、十九歳になり以前より大人びており、純白のドレスを纏った姿はまさに貴婦人だった。
「私の結婚式と違ってマルクトホーフェン侯爵派はいないんだ。それだけでも気が楽なはずだぞ」
ラザファムがそう言ってハルトムートの肩を軽く叩く。彼は侯爵家と伯爵家の結婚ということで国王も出席したため、マルクトホーフェン侯爵を始め、政敵まで出席しており、気が抜けなかったのだ。
「あなたも不安でしょうけど、ご両親のことも気にしてあげなさい。今にも倒れそうな顔をしていたわよ」
ハルトムートの父ブレージと母ペトラはノイムル村という宿場町の村長に過ぎない。一応、平民階級の中でも郷士と呼ばれる名士ではあるが、侯爵や伯爵という雲の上の存在を前に緊張していた。
「内輪だけの式だと言ってしまったからな。親父もお袋には悪いことをしたと思っているよ。まあ、俺もこんなことになるとは思っていなかったんだがなぁ」
そんな感じだったが、式が始まると、ハルトムートは持ち前の度胸の良さで不安そうな感じは全く見せなかった。
隣に立つウルスラとは身長差があるが、それを感じさせない堂々とした新郎だった。
政敵が誰もいないため、パーティは和気あいあいとした雰囲気で行われた。
新郎新婦以上にご機嫌な表情なのは新婦の父ルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ伯爵だ。
赤毛の偉丈夫である伯爵は出席者に対して、戦場で鍛えた大音声でハルトムートを褒めていた。
「こいつがうちの騎士団に来てくれたから東に不安はない! 指揮官としても優秀だが、参謀としても才能がある。俺にはもったいない婿だ……」
ヴェヒターミュンデ伯爵家は当主ルートヴィヒだけでなく、嫡男グスタフも脳筋だ。
グスタフは指揮官としては父親譲りの剛毅さを見せ、そこそこ優秀だったが、戦術を理解しておらず、士官学校ではずいぶん苦労していた。
一昨年に何とか卒業した後、ヴェヒターミュンデ騎士団に入団し、中隊を預かっている。
現在はハルトムートの歩兵部隊に配属されており、彼から戦術を学んでいるそうだ。
ハルトムートは懐かれたようで、事あるごとに指導を頼まれ、今では本当の兄弟のように接しているらしい。
パーティが終わった。
ハルトムートたちは既に下がっており、私たちも帰ろうとしたところで、ラザファムから誘われる。
「もう少し飲まないか?」
「私は子供たちがいるから戻るわ。久しぶりに二人だけで話をしたらいいわ」
イリスは授乳期ということで酒を飲んでおらず、そのまま屋敷に戻る。
エッフェンベルク伯爵邸に立ち寄り、彼の部屋に入る。
ラザファムは騎士団に入ってから宿舎住まいだったが、結婚を機に屋敷に戻っていた。
部屋の中には彼の妻のシルヴィアはおらず、二人だけだ。
「相談がある」
先ほどまでの陽気な雰囲気は消えていた。
「父上が家督を譲りたいとおっしゃっている」
「義父上が……」
義父カルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵は現在四十四歳の働き盛りだ。しかし、クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵のこともある。
そのことが顔に出たのか、ラザファムが小さく首を横に振った。
「最近ネッツァー上級魔導師に診てもらったそうだが、異常はないとのことだ。恐らくだが、私が騎士団長になるための布石だろう」
王国軍の騎士団長になるには、爵位を有している必要がある。
また、王国の貴族は四十代半ばで隠居することが多く、エッフェンベルク伯爵が相続を口にするのは異常なことではない。
彼が何を悩んでいるのか疑問に思った。
「君自身はどう考えているんだい? 君ももうすぐ二十六歳になるんだ。私も爵位を継いでいるし、おかしなことではないと思うんだが」
「正直な話、迷っている。騎士団のことで手一杯で、十三万の領民の生活のことまで頭が回らない」
真面目な彼らしく責任の重さに迷っているらしい。
「義父上がいらっしゃるのだから、領地の運営についてはゆっくり勉強していけばいいんじゃないか」
「しかし、領主になれば彼らに対する責任が生じる。それが不安なんだ」
「エッフェンベルク伯爵家は家臣団がしっかりしているから、領主として何か大きな決断をすることは少ないと思う。仮にそう言った事態になっても義父上がいらっしゃるから、心配することはないさ」
エッフェンベルク伯爵家は王国有数の大貴族だ。うちのような急速に大きくなったところと違い、家臣団がしっかりしており、問題は起きづらい。
「急ぐ必要はないけど、引き継ぐ準備はしておくべきだね。爵位を持っていれば、それだけで攻撃しづらくなる。私がマルクトホーフェン侯爵なら君に謀略を仕掛けるだろうね」
伯爵の爵位を持っていれば、大逆罪でもない限り、処刑されることはない。大きなミスをした場合でも、領地は失うかもしれないが、降爵することすら滅多にない。
一方、嫡男では何かあれば廃嫡されて貴族としての身分を失うこともあり得る。
「君はともかく、私に何か仕掛けてくる可能性は低いと思うのだが」
「君はレベンスブルク侯爵とも縁戚関係にあるんだ。君が伯爵家を継いだら、エッフェンベルク伯爵家の武力とレベンスブルク侯爵家の権威を利用し、王宮で強い発言力を持つことができる。つまり、マルクトホーフェン侯爵にとっては最も警戒すべき人物ということだね」
「そういう考え方もあるのか……私自身は政治に身を置くつもりはないのだが」
「君が望む望まないは関係ないよ。人は自分の見たいものを見るんだ。事実かどうかは関係ない」
ラザファムは決断したようで小さく頷く。
「君の言いたいことは分かった。家族のためにもここで隙を見せるわけにはいかない。父上には承諾すると伝えるよ」
晴れやかな顔でそう言った。
その後、久しぶりに二人で飲み明かした。
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