第43話「出産」

 統一暦一二〇九年十月十日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 リヒトロット皇国の皇都リヒトロットが陥落してから十ヶ月ほど経った。

 ゾルダート帝国はリヒトロット市を手に入れたものの、物資の補給の困難さとレジスタンスによる破壊活動に持て余し気味だ。


 皇帝マクシミリアンは兵站への負担を軽減させるため、一個師団一万を残し、残りの二万の兵を帝都に引き上げさせた。

 その分、エーデルシュタインにある中部総督府の権限を強化し、治安維持部隊を増員した。


 更に帝国は“レジスタンスが輸送部隊を攻撃するから物価が上がる”というプロパガンダを行い、分断を図ってきた。


 この手で来ることは分かっていたので、レジスタンスのリーダー、元騎士長ヴェルナー・レーヴェンガルトに策を授けている。


 策はこちらも積極的なプロパガンダを行うことで、“帝国軍が完全撤退し自治都市になれば、皇国から水上輸送で物資が届くようになるから、今より物価が下がるし、経済活動も活発になる”と主張させた。


 元々反帝国感情が強い土地柄ということもあり、レジスタンス側の主張が一方的に支持されている状況だ。


 皇帝マクシミリアンとペテルセン総参謀長は財政的に厳しいことから、国内に軸足を置き、対外戦争は当面封印するつもりのようで、積極的な軍拡は行っていない。


 もう一つの敵国、レヒト法国も大きな動きはない。

 昨年、東方教会の聖竜騎士団がグランツフート共和国に侵攻するという噂が流れたが、これは帝国の謀略だったようで、こちらも対外戦争は当面封印するようだ。


 但し、法王アンドレアス八世はじわじわと影響力を強め、トゥテラリィ教団の綱紀粛正を図っている。教団上層部に反発はあるものの、一般信徒の支持は圧倒的で、独裁体制を確立しそうな勢いだ。


 それに対応したいものの、情報分析室や情報部の隠れ蓑となるモーリス商会の聖都支店も縮小気味であるため、有効な手を打てずにいた。


 国内についても比較的静かだ。

 理由としては、皇都は陥落したものの、帝国がそれ以上の動きを見せず、軍のほとんどを引き上げさせたことで、早期に王国に侵攻してくることがなくなったためだ。


 マルクトホーフェン侯爵は危機を叫び、国王や民衆の不安を煽ったが、私が事実と共に打ち消す情報を流したため、信用度が大きく下がった。


 その結果、先代のルドルフと当代のミヒャエルの間がギクシャクし、派閥内の引き締めに力を入れ、外に対して積極的に動けないでいる。


 ラザファムについてだが、シュヴァーン河での後方撹乱作戦が評価され、勲章を授与されている。これで騎士団長への昇進にまた一歩近づいた。


 弟のヘルマン・フォン・クローゼル男爵だが、彼も勲章を授与された。今まで私の陰に隠れてあまり目立たなかったが、精鋭騎士団の若き団長ということで、貴族たちの注目を集めている。


 妻のイリスだが、臨月を迎えた。

 士官学校は六月いっぱいで辞めた。この国には出産休暇や育児休暇がないためだ。ちなみにゾルダート帝国軍には出産休暇があり、子供を持つ女性の指揮官が何人もいる。


 今日は朝からイリスが辛そうで、休みをもらって彼女に付き添っていた。

 既に出産準備は終えており、母ヘーデが手配した産婆が待機している。


 母は使用人たちにテキパキと指示を出しているが、私と父リヒャルトは特にやることがなく、ソワソワと落ち着きがない。

 母はそんな私と父を見て、呆れている。


「まだまだ時間は掛かるのですよ。少しは落ち着きなさい」


「あなたがそんな表情をするのを初めて見たわ。どんな難しい作戦の時でも余裕の表情を見せていたのに、おかしいわね」


 イリスにまでからかわれる。


「そうは言っても初めてのことだからね。それに私には何もできないから。それで焦っているのかもしれないね」


 そう言って頭を掻く。


 夕方までは特に何ごともなかったが、夕食後に突然事態が動き始める。


「陣痛が来たみたいね。みんなやることは分かっているわね……」


 母が使用人たちに指示を出していく。


「もう一度手をきれいに洗ったら、お湯の準備ときれいな布の確認をお願いするわ。双子だから長丁場になるかもしれない。だから、あまり根を詰めないように……」


 母は姉の出産にも立ち会っており、場数を踏んでいる。頼もしい限りだ。


「あなたたちは書斎で待っていなさい。男がウロウロしても邪魔なだけだから」


 私と父は書斎に追いやられた。

 酒を飲んでいるわけにもいかず、フレディとダニエルにお茶を用意してもらう。


「こればかりは何度経験しても慣れんものだな」


 父が呟くが、姉、私、ヘルマンの三人の出産を見ているが、慣れないものらしい。


 この世界の出産はリスクが高い。

 妊産婦の出産に伴う死亡率は一割程度あり、命懸けだ。農村よりマシだが、貴族でも出産時に死亡するケースは少なくなく、不安が募る。


 今回は産褥熱を考え、高濃度のアルコールを準備し、更に叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの上級魔導師マルティン・ネッツァー氏にも立ち会ってもらうことになっている。


「イリスは身体が丈夫だから大丈夫だろう」


 そう言って父が不安を解消するように笑みを浮かべている。


 午後十時を過ぎ、ネッツァー氏も屋敷に入った。


「わざわざありがとうございます」


 通常、出産で治癒魔導師が呼ばれることは少ない。出血が止まらないなどのトラブルがない限り、魔素プノイマを使って無理やり治療する治癒魔導は妊婦及び子供に悪影響を与えると考えられているためだ。


「私の出番があるとは思わないが、イリス君と子供たちに何かあると大変だからね」


 日付が変わる直前、イリスのいる部屋が慌ただしくなった。

 不安が募るが、できることはなく、廊下で待っているしかない。


 突然、赤ん坊が泣く声が屋敷の中に響く。

 ネッツァー氏が私の肩に手を置いた。


「どうやら生まれたようだね」


 それに答えようとした時、二人目の泣き声が聞こえてきた。


「元気そうで何よりだね。まずは私が見てくるよ」


 そう言うと部屋の中に入っていった。

 ネッツァー氏はすぐに入り口から顔を出す。


「イリス君も問題ない。もちろん、二人の子供もだ」


 その言葉に無駄に入っていた力が抜ける。


「ありがとうございます!」


 その後、母から中に入ってよいという許しを得た。

 イリスは疲れた表情をしているが、思った以上に元気だった。


「お義母様は安産だったとおっしゃるけど、子供を産むのって大変ね」


「お疲れさま。ゆっくり休んで」


 そう言ってから頬にキスをする。


「あなたたちの子よ。二人とも元気だし、ネッツァー先生に診ていただいたけど、特に異常は見当たらないそうよ。本当に頑張ったわね、イリスさん」


 母がイリスの横で寝ている二人の赤子を見ている。


 生まれたばかりでクシャクシャの顔であり、男か女かも分からない。


「先に生まれたのが女の子よ。もう一人は男の子。ラウシェンバッハ子爵家の跡取りが生まれたわ」


 母はそう言って喜んでいる。


 それからエッフェンベルク伯爵ら親族がやってきた。

 祝福の言葉を掛けられ、ようやく無事に生まれたという実感が湧いてくる。


 長女にはオクタヴィア、長男にはリーンハルトと名付けた。

 二人のためにも未来をより良いものにしないといけないと心に誓った。

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