第10話「勧誘」
統一暦一二〇四年七月十九日。
ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮内。ライナルト・モーリス
マクシミリアン皇子の呼び出しを受け、第二軍団本部にやってきた。
皇子からは食料供給再開の見込みなどを聞かれ、更に私がなぜ危険を冒して帝国にやってきたのかと問い詰められる。
一応ここまでは想定内であったため、理由を言って納得してもらったが、マティアス様の依頼で謀略を行いに来たと悟られないか、内心ではドキドキしっぱなしだった。
そして、最後に私の度肝を抜く言葉を投げてきた。
「君を我が第二軍団の参謀として迎え入れたい。ゆくゆくは私が至高の座についた時に、新たに作るつもりの商務府の尚書にと考えている。どうだ? 我が帝国の尚書であれば、大商人よりやりがいはあると思うが」
それまでの余裕が消え、思わず顔が固まった。私だけでなく、王子の後ろに立つ副官も驚いている。
「参謀でございますか? 他国の商人を軍の中枢に入れるのは、いかがなものかと思いますが」
そう言うのが精一杯だった。
「元帥は人事権を有している。その元帥である私が認めれば、陛下であっても反対はできん。それに我が国は外部から積極的に人を入れているのだ。君ほど有名なら、優秀であることを疑う者はいない。ならば、反対するような愚か者はおらぬということだ」
正直なところ、どう答えていいのか困惑する。
マクシミリアン皇子が本気で言っているのか、それとも私を動揺させようとしているのか、判断できないためだ。
私が口を噤んでいる間に更に切り込んできた。
「参謀と言っても補給を担当するだけだ。必要な物資を、必要な場所に、適切なタイミングで送る。これならば、君がやっている商売と大して変わらぬ。それに商務尚書の話も当分先だろう。何と言っても父上はまだ若いし健康だ。二十年後であれば、君も完全に帝国に馴染んでいるだろう。尚書となっても誰も問題視はせぬはずだ」
満更嘘ではないようだが、どこまで本気なのか分からない。
「私のことを評価してくださってのお話であり、大変光栄ですが、私は今の仕事を愛しておりますので」
「つまり断るということだな……まあ、この場で首肯するとは思っていなかったが、一考の余地もないとは思わなかったよ。それとも私が至高の座に就けぬと考えているのかな」
そう言って私の目をしっかりと見つめている。
一瞬、マティアス様の策がばれたのかと思ってしまうほど、厳しい視線だ。
その視線に負けないように笑みを作る。
「そのような不遜なことは考えておりません。殿下は史上最年少で元帥に昇進されておられます。それほどのお方が自らの望まれたことを叶えぬとは思いません」
「ならば、未来の皇帝の誘いを断る危険は理解した上ということだな。私を敵に回しても構わぬと考えているなら、その思い上がりを後悔することになるぞ」
そう言って脅してきた。
言っていることは理解するが、この皇子が安っぽい脅しをかけてくるとは思えない。だから、私は笑みを浮かべたまま、その言葉に反論する。
「殿下を敵に回すことがいかに危険なことかは理解しているつもりです。ですが、私にも商人としての矜持がございます。それに、自らの裁量ですべてを行える今の状況を捨てたいとは思いません」
「私の誘いを断ったのだ。ここから無事に帰ることができると思っているなら、甘いと言わざるを得んな」
その言葉にも笑顔で対応する。
「殿下が私を害することはあり得ませんから、そのような脅しは無用に願います」
ここで私を殺すなり拘束するなりすれば、マクシミリアン皇子の評判は地に落ちる。食糧不足を解決できる可能性を捨てることになるからだ。
特に内務尚書は強く非難するだろう。その声が皇帝に届けば、次期皇帝になる可能性が潰えることになる。このことは当然理解しているだろうから、単なる脅しだと理解した。
「フハハハハハ! その胆力と本質を見抜く力、気に入った! 本気で勧誘したくなったぞ!」
そう言って豪快に笑う。マクシミリアン皇子のことは調べているが、沈着冷静で滅多に笑顔を見せないという話だったので驚きを隠せない。
しかし、皇子の副官にそれほど驚いた様子がないため、こういったことはよくあるのではないかと思った。それで少しだけ冷静さを取り戻す。
「参謀の話は取り下げる。だが、私の友人として時々会いに来てくれないか。君にはそれだけの価値がある」
「友人でございますか?」
せっかく冷静さを取り戻したのに、再び相手のペースに乗せられ、思わず聞き返してしまった。
すぐに主導権を握られたままのこの状況は危険だと思い直し、無理やり笑みを作る。
「そうだ。利害関係を無視することはできぬが、会って話をすることくらいはできるだろう。どうだ?」
マクシミリアン皇子とのパイプを作るようにと、マティアス様から言われていたことを思い出す。
しかし、実際に会ってみて分かったが、この皇子は危険だ。今も演技をしているのだろうが、マティアス様に油断しないようにと言われていなければ、噂とは異なり豪放磊落な若者として好意的に見た可能性は否定できない。
「私のような平民の商人が将来の皇帝陛下に対し、友人であるとは不敬すぎて口が裂けても言えません。ですが、帝都にいる時に声を掛けていただければ、いつでも参上いたします」
私の言葉を聞き、マクシミリアン皇子は満足そうに頷いた。
「身分など我が国ではあまり気にする必要はないのだが……まあ、今日初めて会った私に対して警戒していることは理解しているよ。今後は君の警戒心を解くように努力しよう」
元々白皙の肌に蒼い瞳が特徴的な美青年だが、皇帝の座を狙うだけあってカリスマ性もかなりのものだ。もし、マティアス様や大賢者様にお会いしていなければ、差し出された手を取っていたかもしれない。
その後、商売のことなどを少し話した後、白狼宮を後にした。
支店に戻ったところで精神的な疲れが襲ってきた。思った以上に緊張していたようだ。
夕方になり、マティアス様に報告を行う。
概要を説明した後、感じたことを正直に伝えた。
「……マクシミリアン皇子は非常に危険な人物だと、私にも理解できました。優秀な軍人であり政治家という前に、生まれながらの皇帝、強いカリスマを持った天性の支配者だと感じました」
マティアス様は私の言葉を聞き、僅かに沈黙された。
『……生まれながらの皇帝ですか……本気で潰しにかかった方がよいようですね……』
いつも通りの口調だが、私はマクシミリアン皇子とは違う意味で恐ろしさを感じた。
『今後はできるだけマクシミリアン皇子と会わないようにしてください。できれば、早急に帝都を離れ、エーデルシュタインに移動してほしいと思います』
マティアス様が本気になるということは、マクシミリアン皇子が何らかの罪に問われる可能性があるということだ。それに連座しないように早く帝都を離れろという示唆だと理解した。
しかし、そのことは聞かずにおいた。必要なことならマティアス様は話してくださるだろうし、話されないということは知らない方がいいと考えておられるからだ。
「分かりました。内務尚書からの依頼のためにヴィントムントに急いで向かうという形で、帝都を離れるようにします」
三日後、私はヨルク親方たちと一緒に帝国中部のエーデルシュタインに向けて出発した。
■■■
統一暦一二〇四年七月十九日。
ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮内。マクシミリアン・クルーガー元帥
ライナルト・モーリスとの会談を終え、執務室に戻った。
副官は何か言いたげな表情をしているが、この若者と語り合う気はない。無能ではないが、腹心とするには能力が足りず、細々とした事務的なことにしか使えないためだ。
椅子に座ったところで書類に目を通し始めるが、先ほどの会談のことが頭に浮かんでくる。
(正直なところ、あれほどの人物だとは思わなかった。財力はもちろんだが、胆力と洞察力だけでも本気で腹心に欲しいと思ったほどだ……)
現在の私の最大の悩みは、優秀な腹心がいないことだ。
これまでは私一人で何とかできていたが、兄ゴットフリートが本気で皇帝の座を狙い始めており、私との差は小さくなりつつある。
(兄にも政治に強い腹心はいないが、軍部に強い支持がある。それを切り崩すには私の影となって動く優秀な者が必要なのだが……いずれにしても、モーリスをその手の仕事に使うつもりがないが、あれほどの人材を野に置いておくのは惜しい……)
それからモーリスに対する勧誘を本格化させようとしたが、内務尚書の依頼で帝都を離れると連絡があった。
(さすがに動きが速いな……まあいい。これからも顔を合わせることは何度もあるだろう。少しずつ警戒心を解きほぐしていくしかあるまい……)
モーリスについてはとりあえず放置することに決め、帝都の食糧事情改善のため、第二軍団をエーデルシュタインに移動させる提案をした。
そして、それはあっさりと認められた。
父や内務尚書も同じことを考えていたからだ。
私は移動準備を命じると、独自にグライフトゥルム王国との国境付近の調査を命じた。
それも密かにではなく、堂々と。
これは兄を焦らせるための策のためだ。
私が王国に対して戦いを挑み、勝利を得れば、再び差が広がることになる。そのことを危惧し、無謀な行動に出ることを期待したのだ。
私はそれらの工作を行った後、第二軍団と共にエーデルシュタインに向かった。
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