第9話「マクシミリアン・クルーガー」

 統一暦一二〇四年七月十九日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮内。マクシミリアン・クルーガー元帥


 私はようやく手に入れた自らの軍団、第二軍団について、集めた情報を確認していた。

 第三軍団や第一軍団ほど兄ゴットフリートを信奉する者は少ないが、私に心服している者も少ないためだ。


 昼食後に一時間ほど書類と戦った後、商人組合ヘンドラーツンフトの大商人、ライナルト・モーリスが到着したという知らせが入る。

 すぐに応接室に案内させ、私も軍服をチェックしてから向かった。


 一介の商人に対して、応接室を使い、身だしなみを気にすることに、若い副官が驚きの目を向けている。もっともそのことを口にするようなことはなく、黙っているだけの分別は持っていた。


 私に言わせれば、軍務尚書や内務尚書よりモーリスの方に気を遣うべきだ。若くして商都一の大商人と呼ばれるほどに成り上がった人物であり、味方にできればこれほど心強いことはないからだ。


 向こうも私がどのような者なのか興味を持っているだろう。そんな相手にぞんざいな対応するなど、愚かとしか言いようがない。


 ゾルダート帝国の皇位継承権所有者としての矜持を持てと言われそうだが、矜持よりも実利の方が重要だ。


 副官の一人が三十歳くらいでやや小太りの男を連れて入ってきた。

 年齢は知っていたが、大商人と呼ばれているにしては若いという印象を持つ。


「ライナルト・モーリス殿をお連れいたしました」


「マクシミリアン・クルーガーだ。忙しいところ、よく来てくれた」


 そう言って右手を差し出す。


「モーリス商会の商会長を務めさせていただいております、ライナルト・モーリスと申します。マクシミリアン殿下のご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」


 へりくだっていながらも緊張も気負いもなく、余裕すら感じさせる。

 我が国の者なら私が握手を求めれば、舞い上がるか、緊張するかのいずれかであるが、大商人になるだけあって胆力はなかなかのもののようだ。


「早速で悪いが本題に入らせてもらう。今日来てもらったのは食糧供給の再開の見込みと、帝国西部からエーデルシュタインへの食糧輸送について、商人である君の考えを聞かせてもらいたいと思ったためだ。まず、供給再開の見込みだが、いつ頃に回復すると君は見ているのかを教えてほしい」


 モーリスは小さく頷き、話し始めた。


「これは既に内務尚書閣下にもお伝えしておりますが、私にも全く見当がつきません。陸上の魔獣ウンティーアであれば、魔素溜まりプノイマプファールから遠く離れることは稀ですし、狩人イエーガーを大量に雇って数に任せての討伐が可能です。ですが、海の魔獣ウンティーアは討伐自体が難しいですし、その生態も分からぬことばかりですので、奴らがいつ落ち着くかも全く分からないのです」


「その通りだが、君たち商人も船を出せねば商売になるまい。魔獣ウンティーアが恐ろしくとも、ある一定の期間を過ぎたら出さざるを得ないのではないか?」


 私の問いにモーリスは頭を横に振る。


「大手の商会であれば、船を複数所有しておりますが、中小の商会は一隻しか持っていないことが多いのです。つまり中小の商会は交易の手段である商船を失えば潰れるか、吸収されるかですから、慎重にならざるを得ません。一方の大手は資金力がありますから、少々長引いても無理をする必要はなく我慢できます。それに船を運行させなくとも、利益率の高い商品を陸上輸送すれば、そこそこ儲けられますので、切羽詰まって船を出す者は少ないでしょう」


「では、君のところはどうだ? 内務尚書には、船は出せぬと言ったらしいが、この状況で船を出せば、一人勝ちだ。君のような優秀な商人なら、この機を逃すようなことはせぬと思うのだが」


 今回も食糧だけでなく、魔導具や高級家具などを運んできたと聞いている。魔導具はオストインゼル島にある魔導師の塔、真理の探究者ヴァールズーハーでも製造されているが、グライフトゥルム王国にある叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの物に大きく劣る。そのため、既に品薄状態となっており、言い値で売れるらしい。


「殿下のおっしゃる通りですが、船を失うことは船員を失うということです。我が商会では人材を重視しておりますので、儲けのために船員を失うようなことはいたしません」


「では、今回無理に出港したのはなぜなのだ?」


「貴国に一刻も早く、この状況をお伝えするためです。陸上ルートはシュヴァーン河を渡らねばなりませんから、王国が貴国に入ることを認めません。ですので、危険を顧みず、船を使わざるを得なかったのです」


 グライフトゥルム王国にあるヴィントムント市から我が国に入るには、北公路ノルトシュトラーセを使うことになる。しかし、国境にあるシュヴァーン河を渡るには、ヴェヒターミュンデ城を通る必要があるが、北公路は封鎖されている。


「確かにそうだが、危険を冒してまで情報を持ってきたというのは理解できんな。知らせなくとも、君に不利益はないからな」


 本当に魔獣ウンティーアが危険なら、命懸けで船を出す必要はない。何か別の思惑があるはずだ。

 モーリスは真面目な表情で即答する。


「お客様がお困りになると考えたからです」


「確かに困るが、それだけで命を賭ける理由にはなるまい」


 私が追及してもモーリスは真摯な表情を崩さない。


「我が商会のモットーはお客様を含め、関係者すべてが満足できる商売を行うことです。物を作る生産者、買われるお客様、売る私ども、そのすべてが満足するように常に考えております。今回、私がここに来なければ、帝都では大規模な食糧不足に陥り、大混乱に陥ったはずです。ですが、商船が到着しないという情報があれば、貴国が適切に手を打ち、深刻な食糧不足は回避されるでしょう」


 きれいごとだと思った。生き馬の目を抜く商人組合ヘンドラーツンフトで台頭した商人とは思えない。

 しかし、モーリスは私の目を真っ直ぐに見つめており、偽りを言っているとも思えなかった。


「我が国にとっては助かるが、君の利益に繋がらない。商人が利益を度外視して客に奉仕するなどあり得ぬと思うが」


 私の言葉にモーリスはニコリと微笑んだ。


「利益はございます」


「それは何だ?」


「このようにマクシミリアン殿下とお話しする機会をいただいております。他にも内務尚書閣下とも会う機会をいただきました。組合ツンフトの商人で、貴国の上層部の方と直接話をした者はおりません。このような繋がりは得ようとしても得られるものではありませんから、充分な利益と言えるでしょう」


「なるほど。確かに今回のことがなければ、他国の商人と話をしようとは思わなかった」


「今回のことで貴国に食い込むことができそうです。このことを組合ツンフトの者たちが知ったら悔しがることは間違いありません。先ほども申しましたが、我が商会は人を重視しております。それは従業員だけでなく、お客様も含まれております。お客様が満足されれば、それは巡り巡って私どもの利益になります。そのような考えで私は商売をしております」


 決して饒舌ではないが、それだけに真実だと思える。


「君の考えは理解した。情報を持ってきたのは我々のことを考えてだが、それは単なる善意でないこともな。その上で聞きたい。帝国西部からエーデルシュタインへの食糧輸送の見込みはどうだ? 帝都までは難しくともエーデルシュタインまでならそれほど距離はない」


「輸送は可能ですが、問題点がございます」


「それは輸送コストが大きなことか? グリューン河が使えぬから荷馬車での輸送になることは理解している。だが、この状況なら多少のコスト増は認めるしかないから、君たち商人に不利益はないと思うが」


「それもございますが、北公路ノルトシュトラーセの治安が不安です。貴国に併合されてまだ日が浅く、我々商人が軍のために食糧を輸送していると分かれば、嫌がらせを受けることは間違いありません。宿の手配などでの嫌がらせ程度ならよいのですが、皇国軍に情報を流されては安全が確保できませんので」


 その可能性はあると思った。

 グリューン河の水運は未だにリヒトロット皇国が握っている。皇国も大軍を送り込むことはしないだろうが、商人のキャラバンを蹴散らす程度の兵を送り込むことは充分にあり得る。


「ですので、我々が輸送を行うより、帝国軍が直接輸送を担われた方がよいでしょう。一個大隊でも護衛につければ、皇国も手を出さないでしょうから」


「そうだな」


 そう言うものの、モーリスが我が軍の編成にも明るいことに驚きを隠せない。


「よい提案だな。では、その方向で検討してみよう。ところでもう一つ頼みがある」


「どのようなことでしょうか? 私どもにできることであれば、協力させていただきます」


「君を我が第二軍団の参謀として迎え入れたい。ゆくゆくは私が至高の座についた時に、新たに作るつもりの商務府の尚書にと考えている。どうだ? 我が帝国の尚書であれば、大商人よりやりがいはあると思うが」


 私の提案にモーリスの笑みが一瞬固まった。

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