第14話「カムラウ河会戦:後編」
統一暦一二〇三年七月二十三日。
レヒト法国北部、カムラウ河南岸。白鳳騎士団長ギーナ・ロズゴニー
私はこの混乱した状況に怒りにも似た感情に支配されていた。
今日の朝、野営地を出発するまでは大きな問題もなく、午後三時頃には目的地であるクロイツホーフ城に到着できると思っていた。
午後に入るまでは順調に行軍していくだけだったが、あと一時間ほどで到着できるというところで部下の一人が声を上げた。
「クロイツホーフ城方面で煙が上がっております!」
目を凝らしてみると、確かに報告の通り灰色の煙が立ち上っているのが見えた。
「火事かもしれん。騎馬隊で先行する!」
白鳳騎士団の騎兵二千を引き連れ、城に急行する。
近づいていくと煙は弱まり、火災は消火できたようだと安堵するが、すぐに黒狼騎士団の伝令らしき兵士が私の下にやってきた。
「グライフトゥルム王国軍の攻撃を受けております! 敵の数は八千! 我が方は一千であり陥落の恐れがあります! 大至急救援を!」
兵士は焦った口調でそう言ってくるが、城に兵が一千名しかいないことに疑問が湧く。
「なぜ千しかおらんのだ。リートミュラー団長は何をしておる」
「団長閣下は後方を撹乱する敵部隊の討伐のため、森に入っております」
よく分からないが、陽動作戦に引っかかったらしい。
「愚かな……」
そう呟くが、すぐに頭を切り替え、部下たちに命令を出す。
「クロイツホーフ城を救うぞ! 急げ!」
一斉に馬に鞭を当て、馬蹄を響かせながら街道を北上する。
クロイツホーフ城に近づくと、敵兵がカムラウ河を渡り、弓で攻撃を加えていた。しかし、我々の姿を見たのか、算を乱して北に逃げていく。
川の南岸に到着すると、対岸には数千の歩兵がいた。
こちらの姿を認めたようで、大慌てで陣形を整えようとしている。どうやら、我々が到着することを知らなかったようだ。
「敵は混乱している! 隊列を整えた後、敵に突撃する! 準備急げ!」
兵が隊列を整える間にクロイツホーフ城に視線を向ける。
矢を射かけられたようだが、敵に取り付かれる前であったため、大きな損害はなさそうだと安堵する。
(リートミュラーは何をしておるのだ。城を落とされたら物資を失い、作戦が遂行できなくなるのが分からぬのか!)
リートミュラーの不手際に苛立つが、それを無理やり抑え込み、逃げていく敵を見ながら更に指示を出す。
敵兵は百メートルほどの幅に広がって逃げており、深いところでも膝の上までしか水位がないことが分かった。水深が分からないことが不安だったが、これで渡河が可能だとほくそ笑む。
「渡河地点は敵兵が渡っているところだ! 弓兵はいるが、敵は雑兵に過ぎん! 一気に蹴散らすのだ!」
装備もまちまちで動きにも精彩がない。
数は我々の三、四倍だが、川を渡ってしまえば障害物もなく、二千の騎兵で突撃すれば蹂躙は容易い。
五分ほどで隊列が整った。
敵兵の一部はまだ川の中におり、バシャバシャと水飛沫を立てて走っており、混乱は収まっていない。
「突撃せよ!」
私の短い命令で突撃の合図であるドラムが鳴り響き、兵たちが一斉に馬を走らせる。
馬蹄を響かせて河川敷に降りていく。
川幅は五十メートルほどで、敵は川岸から五十メートルほど北に漫然と展開していた。
敵兵たちの動きを見ながら、その多くが義勇兵なのだとほくそ笑む。
(弓兵は二千ほどか……だが、未だに隊列を組み切れていない。槍の長さもまちまちのようだし、あれならば槍衾を作ることもできん。簡単に突破できるな……)
弓兵が多いことが気になったが、渡河直後であり、満足に隊列を組めていない。散発的な攻撃なら被害も小さいと楽観していた。
最後尾で指揮を執ろうと、馬を進める。
河川敷は砂利とやや大きめの丸い石が交じり合い、思ったより馬の操作に気を遣う。そのため、視線を足元に向け、前方の監視が疎かになっていた。
「閣下! 敵の一斉射撃です!」
副官の声で視線を上げると、敵の弓兵が一斉に矢を放っていた。
馬の嘶きと兵たちの悲鳴が響く。ざっと見たところ最前列を走っていた百騎ほどが倒されていたが、我が軍を押し留めるほどではない。
「突撃を続行せよ! 敵陣に入ればこちらのものだ!」
まだ私は楽観していた。
二千の騎兵に対して、百ほどが倒されたが、先行部隊が渡河を終えようとしていたためだ。
川から上がってしまえば、僅か五十メートル。数秒で敵陣に躍り込める。
しかし、その考えは直後に否定された。
敵兵のほとんどが槍や盾を捨て、どこから取り出したのか、弩弓を構えていたのだ。
八千という数を信じるなら、六千近い数の弩弓で、それが我が軍を半包囲するように展開している。
このまま突撃を継続するか、一瞬だけ迷った。
我が白鳳騎士団の騎兵は重装騎兵であり、兵士はもちろん馬にも簡易な鎧を装備させている。しかし、兵も馬も全身を覆うほどの鎧をまとっているわけではなく、特に馬は鎖帷子であるため矢が貫通し、馬が痛みに暴れることは容易に想像できた。
そしてこの状況であれば、渡河を終えるまでに装填に時間が掛かる弩弓であっても、二連射は撃ち込まれる。長弓の矢に加え、弩弓の太矢が一万二千以上だ。全滅することは間違いないと転進を命じた。
「転進! 全軍転進せよ!」
しかし、私の命令に反応できる者は少なかった。
突撃のための密集隊形であったこと、動きづらい川の中であったことから、簡単に馬首を巡らせることができないのだ。
その間に長弓の矢が降り注ぎ続ぎ、鎧の隙間や鎖帷子を貫通した矢が馬たちを傷つけ、混乱が更に大きくなる。
そして、敵が一斉に弩弓を放った。
私の目の前では水飛沫が何度も上がり、馬たちが悲し気な嘶きを上げて次々と倒れていく。騎兵たちも矢で射抜かれて落馬するだけでなく、矢を受けた馬から振り落とされ、川に落ちていった。
「転進せよ!」
私はその命令を繰り返すことしかできないが、兵たちは混乱したまま、次々と長弓兵の餌食になっていく。
更に再装填した弩弓の攻撃を受け、二千の騎兵のうち、南岸に戻ってこられたのは三分の一にも満たなかった。
川には多くの馬が倒れ、透明だった水は血に染まっている。
「何が起きたのだ! 敵がこのような手を使うとは聞いておらぬぞ!」
私は怒りに打ち震えながら対岸を見た。
王国軍は追撃することなく、引き上げていく。と言っても、整然とした行進ではなく、十人くらいが一塊になって歓声を上げながら漫然と歩いていた。
騎兵が半分も残っていれば、容易に蹴散らせると思えるほどいい加減な隊列で、鳳凰騎士団の精鋭である我が白鳳騎士団がこのような雑兵にしてやられたことが未だに信じられない。
怒りを抑え、負傷者の救出を命じた。
最終的に戦死者は一千名を超え、負傷者も五百名近かった。戦死者の多くは落水した際に溺れたもので、重装備が仇になった。
負傷者の救助を終えたのは攻撃から一時間ほど経った午後四時過ぎだった。
敵にしてやられた自分に対し、苛立ちが募るが、それ以上にこのような状況を作った黒狼騎士団のリートミュラーに怒りを覚える。
そんな状況でリートミュラーが私の前に現れた。
「随分と派手にやられたようですな」
表情こそ硬いが、嘲笑ともとれる言葉に怒りが爆発する。
「貴様らが拠点を守っておらぬから、このようなことになったのではないか!」
「確かに敵に攻められたことは小職の失態だが、無理に渡河する必要はなかったのではないか。その判断ミスを我らのせいにされても困る」
その言葉に更に怒りが爆発する。
「弩弓兵が五千以上いるなど聞いておらん!」
「それはおかしい。ヴェストエッケは長弓兵と弩弓兵が主力だ。弩弓が五千以上あることは知っていても当然だろう。そのようなことも知らずに、我ら神狼騎士団に代わろうとしたのか? 呆れるばかりだな」
リートミュラーが更に嘲笑してくる。
「貴様らが何十年も落とせぬからではないか! 第一、貴様も少数の敵に翻弄されておったのではないのか?」
私の言葉が痛いところ突いたのか、リートミュラーは顔を真っ赤にする。
「翻弄などされておらん! あと一歩で殲滅できたのだ! 第一、我らは敵の主将、ジーゲルを討ち取っている! ジーゲル無き王国軍に後れを取るような無様な真似はせぬわ!」
あまりの言葉に思わず剣に手が掛かる。
私が剣を抜く前に後ろから声が割り込んできた。
「味方同士で何をしているのです。敵の思う壺ではありませんか」
振り返ると、黒いマントと鎧を身に纏った黒鳳騎士団のフィデリオ・リーツが立っていた。
「既に全軍が到着しています。総大将であるロズゴニー殿には早急に指示を出していただきたい」
静かな声でそう言われ、頭に上った血が下がり、冷静さを取り戻す。
「そうだな。では、白鳳騎士団の負傷者を優先的に城に収容した後、各騎士団の兵は各宿舎に割り振ってくれたまえ。今夜の警備はこの地をよく知る黒狼騎士団に任せたい。リートミュラー団長、頼んだぞ」
リートミュラーは不服そうな顔をするが、長距離の移動後の兵を休ませるということに対して、特に文句を言うことなく頷き、その場を去っていく。
「それにしても敵は侮れませんな」
「何が言いたい」
リーツの言葉に思わず反発する。
「直接見たわけではありませんが、一斉射撃といい、撤退といい、最も効果的なタイミングで命令を出しています。特に攻撃の命令は完璧ですな。あれほど広い範囲であるにもかかわらず、我が軍の騎兵のほとんどが川を渡っておりません」
リーツはそう言ってカムラウ河を指差す。
彼の言う通り、対岸に我が軍の兵の遺体はほとんどなかった。
「卿は敵が最初から狙っていたと言いたいのか?」
私の言葉にリーツは肩を竦める。
「分かりません。敵が出撃したのは昼過ぎだそうです。その時点では、我々が到着する時間まで分からないでしょうから、偶然かもしれないですな。それとも黒狼騎士団を罠に嵌めるつもりだったのかもしれませんが」
昼過ぎに出撃してきたということは朝から準備していたはずだ。そうなると、昨夜のうちに我々が今日の午後に到着することを知っていないと辻褄が合わない。
「なるほど。黒狼騎士団を罠に掛けようとした可能性が高いということか……」
「その可能性があるというだけです。いずれにせよ、敵を侮ると痛い目に合う可能性が高いということですな」
リーツの言葉に頷くと、私はクロイツホーフ城に向かった。
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