第13話「カムラウ河会戦:前編」
統一暦一二〇三年七月二十三日。
レヒト法国北部、カムラウ河北岸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
午後二時過ぎ、太陽は中天を過ぎて西に傾きつつあった。しかし、真夏の日射が私を容赦なく焼いていく。
私は護衛である
ヴェストエッケで最も大人しい馬を借りたため、一人でもなんとか操れるのだが、突然走り出されたり、放り出されたりしたら困るからだ。
私の横には第二騎士団の団長であるクリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵や参謀長であるベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵らが見事な軍馬に跨ってカムラウ河を挟んだ南にあるクロイツホーフ城を見つめている。
歴戦の雰囲気を醸し出しており、周囲の完全装備の兵士たちと相まって映画の一場面のようだが、決して軍馬に見えない貧相な馬に乗るローブ姿の私がいるため、ちぐはぐな感じは否めない。
「鳳凰騎士団はまだ確認できていないようですが、そろそろ攻撃を加えた方がよいでしょう」
今回の作戦では本気でクロイツホーフ城を攻略するつもりはなく、駆けつけてくる鳳凰騎士団の騎兵部隊を罠にはめることが目的だ。しかし、敵に不信感を持たれないように、ある程度攻撃する必要がある。
「よろしい。では、盾兵部隊はゆっくり前進。弓兵部隊は盾兵部隊に続いて城に接近し、射撃を開始せよ」
グレーフェンベルク子爵の命令が伝令によって各部隊に伝達される。
本来であれば、旗とラッパや太鼓などで即座に伝えることができるのだが、守備兵団に偽装しているため、もたついているように演じているのだ。
前進するのは八千の兵のうち、盾を持った一千と長弓を持った二千の計三千人。つまり守備兵団三千のすべてが先行し、義勇兵五千が待機しているように見せているのだ。
実際には盾兵は守備兵団の兵だが、長弓兵はエッフェンベルク騎士団と第二騎士団の弓兵であり、よく見れば装備や紋章が違うことが分かる。
「敵に看破される恐れは?」
子爵が私に聞いてきた。
「大丈夫でしょう。敵は守備兵団と義勇兵しかいないと思い込んでいますし、突然の攻撃でパニックに陥っていますから気づく者がいるとは思えません。仮に装備に違和感を覚えても、数があっているのでそれ以上考えないはずです」
五千の兵は装備がまちまちに見えるようにボロ布を巻いたり、粗末な槍を持ったりしている。遠目に見ただけでは義勇兵にしか見えない。
「心理的な余裕がないと視野が狭くなるという奴だな。なるほど、勉強になる」
子爵は私が作った教本に書いてある一節を口にした後に笑っている。
「それにしてもラウシェンバッハ殿は落ち着いておられる。初陣とは思えぬほどだ」
シャイデマン男爵がそう言って感心している。
「緊張はしていますよ。いつ馬に振り落とされるのではないかと」
私の言葉に周囲から笑いが起きる。
子爵たちに余裕はあるが、急遽実施されることになった作戦ということで隊長や兵たちが緊張していた。それを解すためにあえておどけて見せたのだ。
実際のところ、本気で緊張していない。初陣ではあるが、危険はほとんどなく、失敗しても敵に損害を与えられないだけで、本来の目的である鳳凰騎士団と黒狼騎士団の間に楔を打ち込むという目的は既に達成できているためだ。
そんな話をしている間に兵士たちが川に入っていた。
クロイツホーフ城にある鐘楼の鐘がカーンカーンカーンと激しく打ち鳴らされている。
この時期のカムラウ河の川幅は五十メートルほどしかない。水深も大したことはなく、深いところでも五十センチほどで、徒歩での渡河は充分に可能だ。
流れもそれほど強いようには見えないが、ぬめりのある石に足を取られるのか、隊列が乱れている。
「ここで攻撃を受けたら大打撃を受けるな。この程度の川でも自然の障害というのは大きな意味がある。教本にある通りだな……」
子爵が呟いているが、王国軍はヴェストエッケ城の城壁に守られての戦いがほとんどで、野戦の経験は圧倒的に少ない。
「今回は渡河地点が分かっていますから、迷いなく進めますが、一メートルほどの深さになるだけでも渡河の難易度は一気に上がります。もっとも同じことが鳳凰騎士団にも言えることですが」
「なるほど。鳳凰騎士団の騎兵は地形を知らない。だから、追撃するには我々が通ったところを通らざるを得ないから、攻撃ポイントを設定しやすい……戦術編に書いてあった、“敵の行動を自分たちの予測の範囲内に縛る”という奴だな」
子爵は再び私が作った教本の内容を思い出したようだ。
「それにしても勉強になる。このために情報を持っている黒狼騎士団と主力である鳳凰騎士団を分断したということですな」
シャイデマン男爵がそう言って感心しているが、今回の作戦は付け焼刃なので違う。
「今回は違いますよ。たまたまですから」
そんな話をしている間にも兵士たちはゆっくりと前進していく。
カムラウ河の南岸からクロイツホーフ城の城壁までは、最短距離でも二百メートルほどで、身体強化が使える弓兵なら射程内であるが、散発的に矢が飛んでくるだけで損害はほとんどなかった。
十分ほどで三千の兵が渡河を終え、隊列を整えた。
前線指揮官はカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵で、大きな身振りで弓兵隊に命令を出しているが、ここから二百メートルほどの距離があるので声は聞こえない。
本来伯爵が指揮する予定ではなかったが、エッフェンベルク騎士団の弓兵が主力ということで自ら手を挙げたのだ。
「残りの兵を前進させて左右に展開しましょう。今なら目の前の敵に集中しているので、こちらに弩弓があることが見抜かれる恐れは小さいですし、包囲するために移動しているように見えるはずですから」
子爵は頷くと、副官に命令を伝える。
「第一、第三、第四連隊は右翼へ。第二連隊とエッフェンベルク騎士団は左翼へ移動せよ。但し、キビキビ動くな。新兵の頃を思い出して右往左往しながら移動しろ。軍曹たちにも大声で怒鳴るように指示を出してくれ」
命令を出した後、子爵は笑いながら私に苦情を言ってきた。
「精鋭に育てたのだが、実質的な初陣で新兵のように動けと命じることになるとは思わなかったよ」
「私も想像すらしていませんでした。城に戻ったら、また変なことをラウシェンバッハにやらされたと、第二騎士団の兵から文句を言われそうです」
そう言って肩を竦める。
「確かに君が兵学部の学生の時には、いろいろと変わったことをさせていたからな。本気で逃げているように見せる訓練や敵を侮辱する訓練など初めて見たよ」
戦術の幅を広げるためにいろいろと試したことがあり、そのことを言っているのだ。
投石の訓練や塹壕掘りなどもやらせており、他の騎士団の兵士から馬鹿にされたこともあったらしい。
「まあ、今では役に立つことだと分かっているから、冗談で済むのだがな」
馬鹿にしてきた第四騎士団に当たる貴族軍と模擬戦をやったことがあり、落とし穴や投石で徹底的に痛めつけて勝利した。その日の第二騎士団の打ち上げでは笑いが絶えなかったと聞いている。
「マティアス様、ヴェストエッケの城壁で青旗が振られております。鳳凰騎士団が所定の場所を通過したようです」
カルラが小声で報告してきた。
三キロメートルほど離れているため、望遠鏡を使って何とか見えるくらいだが、凄腕の間者は肉眼で見えるらしい。
通信の魔導具だが、後方撹乱作戦で全て使用しており、この作戦では使えない。そのため、旗を使った連絡にせざるを得なかったのだが、これも付け焼刃だと思う理由だ。本来ならこちらにも通信手段を残しておくべきだったと反省している。
「鳳凰騎士団が到着したようです。おびき寄せるための煙も予定通り上がっております」
子爵に報告しながら前方を指差した。うっすらと煙が空に伸びているのが見える。
これはハルトムートの隊がクロイツホーフ城の南側で煙を起こし、鳳凰騎士団にクロイツホーフ城で異変が起きていると思わせるための策だ。
「予定通りだな。では、エッフェンベルク伯爵にそろそろ撤退の準備をするよう、伝令を送ってくれ」
子爵が副官にそう命じると、参謀長が不安を口にする。
「予定通りなら、あと三十分ほどですな。伯爵が上手くやってくださればよいのですが、思ったより川の中の移動が難しいようですので心配です」
「問題ないでしょう。敵の将は白鳳騎士団のギーナ・ロズゴニー団長です。彼の性格上、隊列を整えてからしか攻撃は仕掛けてきません。それに敵は三十キロ近い行軍の最後に、十キロ以上も馬を駆けさせているのです。通常の騎兵突撃ほどの威力はないはずです」
ロズゴニー団長は規律を重んじる性格で、勢いに任せるタイプではない。
「なるほど。では、あまり完璧に撤退すると、敵は食いつかぬということか」
参謀長が言うことも分かるが、逃げる敵に一撃も与えず見守ることはないと思っている。
「ロズゴニー団長は黒狼騎士団に対して優位に立ちたいと思っていますから、クロイツホーフ城の兵士に見せつける意味でも、指を咥えて見ているようなことはしないでしょう。まして、こちらが算を乱して逃げている雑兵にしか見えないのですから」
「酷い言いようだな。未来の義父に聞かれたらまずいのではないか?」
子爵がそう言って茶化してくる。
「確かにその点は気づきませんでした。今の発言は第二騎士団の機密として他の騎士団には内密にお願いします」
私の言葉で第二騎士団の司令部の面々は笑い出す。
私と子爵は示し合わせたわけではないが、各部隊の緊張を解きほぐそうと考えていた。我々に余裕があれば、伝令たちが各部隊に伝えてくれることを期待したのだ。
十分ほど経った頃、煙が消えていることに気づいた。
イリスがいいタイミングでハルトムートの隊の撤退を指示したようだ。
「閣下、今まで通りの芝居を続けるよう、今一度各隊に伝令を」
鳳凰騎士団が来ると分かっているため、各隊が徐々に緊張し始め、いつも通りの動きになっていることに気づいたのだ。
「そうだな。各部隊に連絡せよ。総攻撃のラッパがなるまでは、我々は農民兵だ。そのことを忘れるなと」
その言葉を受け、伝令が走り出す。その顔には余裕の笑みがあり、先ほどのやり取りを思い出しているのだろう。
こういった演技も必要になると分かっていたが、実際に自分でやると結構胃にくるものがある。敵が近づいてきたことで、知らず知らずのうちに兵士たちと同じように緊張してきたのだ。
もし失敗すれば、私自身が戦死する可能性があり、理性では大丈夫だと分かっていても本能がそれを拒否して恐怖を与えてくる。
それでも必死に笑みを作り続け、周囲の緊張を解そうと努力する。無理にでもそうやっておけば、私自身が恐怖に囚われることがないためだ。
少し余裕が出てきたところで、こういったことはやはり経験しないと分からないものだと考えていた。
そんなことを考えていると、エッフェンベルク伯爵が撤退の合図を出していた。ここからは見えないが、鳳凰騎士団の騎兵が到着したのだろう。
ここからが本番だと気合を入れ直す。
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