第21話「侯爵の狙い」

 統一暦一二〇六年三月十四日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、マルクトホーフェン侯爵邸。エルンスト・フォン・ヴィージンガー


 マティアス・フォン・ラウシェンバッハに対する告発は不発に終わった。

 ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵閣下と共に王都の屋敷に戻ってきたところだ。


 馬車の中では、閣下は考えに没頭しており、ほとんど会話はなかった。

 屋敷に戻ったところで、閣下はふぅぅと大きく息を吐き出された。


「やはりラウシェンバッハは侮れんな。多少は焦らせることができると思ったが、最初から最後まで余裕の笑みを浮かべたままだった。見た目はダンスの教師が似合いそうな優男だが、中身は思った以上に剛の者のようだな」


 閣下のおっしゃる通り、ラウシェンバッハは国王陛下がおられ、かつ自身が罪を問われている状況でも、常に自然体だった。もし私が彼の立場だったら、緊張でまともにしゃべることすらできなかっただろう。


「ですが、彼の言ったことはすべて事実なのでしょうか? 帝国軍の兵士の戦意を失わせるという部分はともかく、ガウス商会なる商人がたかが新しい商売のノウハウのために一千万マルク(日本円で十億円)近い金を使うとは思えません」


 捕虜収容所のことで騎士団に探りを入れたが、ラウシェンバッハ子爵家が管理を行っていたというだけで、有益な情報は手に入らなかった。


 それでも、送り込まれた娼婦の数や毎日送られる物資の量を調べることで、一千万マルク程度の金が動いていることは分かっている。


「恐らく事実だろう。奴も私が裏を取ることは想定しているはずだ。虚偽の証言し、あとになって発覚すれば、厳しい状況に追い込まれることになる。そんな危ない橋を渡るとは思えぬからな」


「では、ガウス商会に手を回しますか? ヴィントムントの商人なら、侯爵閣下や宰相閣下のお名前を出せば、我々に有利な証言を行ってくれると思いますが」


 私の言葉に閣下は首を横に振る。


「一概には言えんな。ラウシェンバッハは商人組合ヘンドラーツンフトと関係が深い。特に組合ツンフトで大きな力を持つモーリス商会と近しい間柄だ。ガウス商会がどの程度の商会かは分からんが、日の出の勢いのモーリス商会を敵に回すことはなかろう」


「モーリス商会の商会長の息子が、ラウシェンバッハに師事していると記憶しております。閣下のおっしゃる通り、あの商会を押さえているのであれば、ヴィントムントの商人たちも慎重になるでしょう」


 侯爵閣下に言われるまで、そのことに気づかなかった自分が情けないと思いながら、自分が知っている事実を伝える。こうしておけば、私が役に立つと思ってもらえるためだ。


「それよりも今後のことだ」


 閣下はそうおっしゃると、ニヤリと笑われた。


「今回のことで、陛下はラウシェンバッハ個人が非常に大きな力を持っていると認識した。それも武力、知力、財力のいずれもだ。このことをどうお考えになるかだ」


 閣下の言葉を聞き、国王陛下がどう考えるか考えてみた。

 陛下はマルクトホーフェン侯爵家に対し、よい感情はお持ちではない。第一王妃マルグリット様を侯爵閣下の姉君、第二王妃のアラベラ様が害したためだ。


 しかし、陛下に侯爵閣下と対決するという気概はない。そのようなものがあれば、マルグリット様が害された後、侯爵家は潰されていたはずだからだ。


「不安に思われるでしょう。あのように若く、さまざまな力を持ち、今日の査問でも分かるように胆力もあります。彼と彼が従うグレーフェンベルクが閣下と対決するために、ご自身を利用するのではないかと、お考えになるのではないでしょうか」


「その通りだ。そして、これから我らはラウシェンバッハが力を持っているということを王都で広める。それに加えて、野心があるということも付け加えておく」


「なるほど。彼が獣人族の戦士を率いていることは既に知れ渡っています。それにモーリス商会とも懇意であることも有名ですし、今回の受勲で王国一と称される知略を有しているという話も出ています。そこに野心があるという話が加われば、それだけの力があるのだからと誰もが納得することでしょう」


 これはマクシミリアン皇子から聞いたやり方だ。

 事実の中に誰もが納得しそうな作り話を混ぜると、それが真実であるかのように伝わっていく。この方法を使えば、情報を操作が容易になるらしい。


「王都の中で広まれば、誰かが陛下の耳にそのことを入れるだろう。若き野心家ラウシェンバッハがグレーフェンベルクを操っているという噂も流せば、陛下はグレーフェンベルクも忌避されるはずだ。あとは日和見の貴族たちをこちらに引き込めばよい」


「グレーフェンベルクの功績が大きすぎると危惧する貴族は多いと聞きます。それに王国騎士団では爵位よりも騎士団の中での地位の方が重視され、平民に命令されることになるという話に忌避感を持つ者が多くいます。この辺りも合わせて広めれば、グレーフェンベルクも同時に貶められるのではないでしょうか」


 私の提案に閣下は大きく頷かれた。


「確かにその通りだ。王国騎士団に入った我が配下の者たちが、平民どもに貶められている。長い歴史を持つ王国貴族が否定されたのだ。これを看過できぬ者は、私に反感を持つ者の中にもいる。その話を広めることは、我が目的とも合う。よく気づいた、エルンスト」


 閣下に褒めていただき安堵する。これまであまり役に立っていなかったためだ。


「ありがとうございます。この件につきましては、新たに設立された士官学校での教育と合わせて広めるべきと考えます。士官学校では上官の命令が絶対であり、爵位は一切考慮されません。これを考えたのがラウシェンバッハで、認めたのがグレーフェンベルクです。貴族であれば、許せぬことだと考えるのではないかと」


「うむ。グレーフェンベルクとラウシェンバッハは王国のあり方を根本から変えようとしている。これを許せば、帝国と同じように貴族が排除されるだろう。そういう形で噂を広めるのだな」


 閣下の言葉に大きく頷く。


「はい。ラウシェンバッハの士官学校の提案書を見ましたが、帝国や共和国の士官学校を参考としております。いずれも貴族制度を否定している国ですから、説得力はあるのではないかと思います」


 私の説明に閣下は納得されたようで無言で頷かれる。


 閣下が納得されたことで安堵するが、私には危惧があった。

 それはマクシミリアン皇子の考えに乗ることは、我が国の安全を脅かすことではないかということだ。


 そのことを閣下に聞く勇気はない。だから、私は提案を行うことにした。


「ラウシェンバッハが作った士官学校ですが、この学校自体は必要だと考えます」


 私の言葉に閣下が右の眉を上げるが、顎をしゃくることで先を促された。


「戦術や組織運営、そして、これまでの王国軍では軽視されていた情報の活用など有益な教育が多いからです。それに加え、中隊長や小隊長などの前線指揮官の指揮能力を上げることは、今回の戦いの結果を見るまでもなく、非常に有効だと考えます。もちろん、身分制度を脅かすことは看過できません」


「続けろ」


「私の提案ですが、士官学校のクラスを上級士官と下級士官の二つに分け、上級士官クラスの入学資格に爵位を有する家に属することを付け加えることです。また、王国騎士団の大隊長以上には上級士官クラス卒業者にしかなれないこととすれば、平民が我々貴族をないがしろにするような秩序の乱れはなくなるでしょう」


 閣下は沈黙したまま、考え込まれた。

 私は少し早まったかと思ったが、閣下は満足げな笑みを浮かべられた。


「エルンストの言う通りだ。レヒト法国、ゾルダート帝国という強力な敵に勝利した事実は大きい。闇雲に今の改革を否定すれば、王国騎士団の力が落ちると不安に思う者も出てくるだろう。だから、秩序を守りつつ、王国の戦力を増強すると言えば、納得する者も出てくるはずだ」


「閣下のおっしゃる通りです」


「よし。その方向ですぐに動け。噂をばら撒くのはアイスナーの力を借りろ。奴はこういったことを得意とする」


「承りました」


 そう答えるものの、アイスナー男爵は苦手で、内心では不安を感じている。

 しかし、閣下の言う通り、彼の力を借りなければ、私にはどうやったらいいのか見当もつかない。


 今回のラウシェンバッハを捕らえた策も、閣下がアイスナーに命じている。帝国の密使と密書を用意し、宰相府の法務担当者に話を付け、更に第一騎士団にラウシェンバッハを捕らえるよう指示したのはアイスナーなのだ。


 その手際の良さは見習うべきだが、私にやれと言われても無理だろう。


「アイスナーのやり方をできるだけ早く覚えろ。お前には期待しているのだからな」


「努力してみます」


 閣下のご期待に応えたいが、そう答えることで精いっぱいだった。

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