第22話「不穏な空気」

 統一暦一二〇六年三月十四日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮内。マクシミリアン・クルーガー元帥


 第二軍団長に復帰し、半月が過ぎた。

 グライフトゥルム王国に対しては、マルクトホーフェン侯爵を通じて、グレーフェンベルク伯爵とラウシェンバッハに対し、謀略を仕掛けている。


 そろそろ何か動きがあるはずだが、あまり期待はしていない。

 なぜならマルクトホーフェン侯爵とその腹心では、ラウシェンバッハに対抗することは不可能だからだ。


 マルクトホーフェンは野心家であり無能でもない。だが、彼の父ルドルフがやってきたような強引な手法が謀略だと思い込んでいる節があった。若いだけあって柔軟さはあるが、野心の強さと能力が釣り合っているとは思えない。


 腹心のヴィージンガーも我が国の情報を事前に調べ、それを生かした交渉を行うなど、あの若さにしては有能だった。だが、想定していた状況には強いものの、想定外のことが起きると、途端に無能になり下がる。

 二人ともラウシェンバッハのような稀代の天才を相手にできる人材ではなかった。


 しかし、彼らにも使い道はある。

 王国内を分裂させるための駒の一つというだけでなく、彼らを動かし、それに対応せざるを得ない状況を作ることで、グレーフェンベルクやラウシェンバッハを疲弊させることができる。


 疲弊までいかなくとも、対応に奔走させることができれば、それだけでも彼らの能力を無駄に使わせることができるだろう。


 特にラウシェンバッハにはいろいろと秘密があるようだから、それをチクチクと突いて苛立たせる。私に対して十年以上にわたって嫌がらせをしてきた報いを受けてもらうつもりだ。


 いずれにせよ、王国への侵攻は十年以上先になるから、即効性のある策は必要ない。逆に遅効性だが着実に力を落とす内臓系の疾患のような策の方がいいと考えている。



 帝国内でもいろいろと動いている。

 兄ゴットフリートだが、皇都攻略作戦失敗と第三軍団の大敗北を理由に解任され、現在は無役の状態で屋敷に謹慎している。


 兄は解任が言い渡された際も言い訳一つしなかった。彼自身、王国の策略に敗れたことを悔いており、多くの兵士を失ったことに対して、責任を感じていたからだ。


 但し、兵士たちを始め、この処分に納得していない者は多い。兄の失敗ではなく、テーリヒェンを第三軍団長にした皇帝の責任だという声が強いからだ。


 その第三軍団のテーリヒェンも軍団長を解任されている。

 こちらは逆に解任で済ませるのはおかしいという声が強い。


 皇都攻略作戦の失敗の直接的な原因というだけでなく、四千名を超える戦死者を出し、更には多額の賠償金の支払いの直接的な原因を作った罪は重く、死罪にしても足りぬという声があるほどだ。


 しかし、テーリヒェンは元帥の地位にあり、大逆罪以外の罪で処刑されることはない。

 また、本来なら自害する状況だが、帝都に流れている噂により、思い止まっている。


 その噂だが、私が兄を亡き者にしようと画策しているというものだ。

 そして、それを防ぐには第二軍団と第三軍団の兵士たちが蜂起し、私を排除する必要があるという話も出始めている。


 その兵士たちを率いる者が必要であり、テーリヒェンは思い止まったらしい。

 彼は軍団長としては無能だが、前線指揮官としては優秀だ。そして、未だに兵士たちの人気は高く、彼が立ち上がれば、多くの兵士が行動を共にする可能性は高い。


 テーリヒェンは兄を信奉しており、更に今回の失敗で皇位継承の可能性がほとんどなくなったことを強く後悔している。そのため、兄のために最後の奉公をしようと、自害することなく雌伏を選んだ。


 これほど不穏な状況にあるのは、数年前からラウシェンバッハが流させたであろう噂が、じわじわと効いているためだ。それに加え、人気が高い兄が失脚したことで、兵士たちの不満は私と父コルネリウス二世に向けられている。


 父は歴史的な大敗北を被った原因を作ったことに加え、王国の要求を丸呑みしたことを強く非難されている。弱小国に過ぎないグライフトゥルム王国に外交でも敗れたことは、帝都の民のプライドを大きく傷つけたためだ。


 私に対しては、兄ゴットフリートを陥れるために、内務尚書のヴァルデマール・シュテヒェルトと組んで、罪のない枢密院議員を処断したということになっている。


 また、まだ戦える第二軍団を引き上げさせるように父に進言し、兄に手柄を挙げさせないようにしたという話も広まっていた。


 そして、兄の解任が発表されると、兄に同情的な帝都民は帝国政府に対して不満を口にするようになった。それだけではなく、兄を信奉する兵士たちも酒場で私や父を批判し始める。


 そこにラウシェンバッハが流した、兄を奪還しなければ命が危ういという話が加わり、帝都の空気は不穏なものに支配されていた。


 この状況を何とかしようと、私とシュテヒェルトは諜報局を使って、我々に批判的な話をする者を検挙していった。

 しかし、これが失敗だった。


 捕らえた者のほとんどが不満を持つだけのただの酔っ払いに過ぎず、少しでも政府を批判すると、捕らえられて処刑されるという噂が広がってしまった。


 このことにより、帝都の民は諜報局を白眼視し始めた。

 そのため、諜報活動が著しく制限され、情報操作では何ともならない状況に追い込まれている。


 そして本日、私とシュテヒェルトは父にそのことを伝えることにした。

 父はもう一人の腹心、軍務尚書であるシルヴィオ・バルツァーを呼び、協議の場を設けた。


「失敗しました。ラウシェンバッハが我々の行動を先読みし、手を打っていたようです」


「お前たちが指揮を執ってしくじるとは……本気でラウシェンバッハを潰しにいかねばならんな」


 父は深刻そうな顔でそう言うと、私に命じた。


「そなたに全権を委ねる。犠牲が出てもよい。大胆に動け」


 私とシュテヒェルトはその言葉に驚いた。


「よろしいのですか? 一つ間違えば、内乱を誘発することにもなりかねませんが」


 私が問うと、父は笑みを浮かべる。


「ラウシェンバッハの予想を覆す行動を起こさねば術中に嵌るだけだ。この状況で多少強引な手を打つとは思っても、内乱の危険を冒すところまでは踏み込まんと考えるはずだ。それにお前とヴァルデマールなら、内乱に発展させることなく収めると信じている」


 父の言葉に私とシュテヒェルトは大きく頭を下げる。


「ご信頼に沿えるように全力を尽くします」


 シュテヒェルトはそう言った後、いつもの笑みを浮かべた。


「私もやられっぱなしでは済ませたくありません。それにマクシミリアン殿下と一緒であれば、軍と内務府の両方で対応できますから、成功率は大きく上がるでしょう」


 私も同意見だった。

 軍を私が掌握し、シュテヒェルトが内務府を使って民を制御する。混乱が起きたとしても、制御不能に陥ることはないだろう。


 これでも何とかなるとは思ったが、更に手を打つことにした。


「陛下にお願いがあります」


「なんだ、マクシミリアン?」


「第一軍団のマウラー元帥を我が指揮下に入れていただきたい。万が一、兄上が蜂起に加わったとしても、マウラーがいれば兵たちの多くは二の足を踏むはずです。我が軍の兵士にマウラーと戦いたいと思う者はほとんどいないでしょうから」


 第一軍団長のローデリヒ・マウラーは父と共に戦場を駆けた名将だ。

 リヒトロット皇国軍だけでなく、フェアラート会戦においてグライフトゥルム王国とグランツフート共和国の連合軍を完膚なきまでに叩いた将として、伝説的な存在となっている。


 戦争の天才ゴットフリートが指揮すると言っても、常勝不敗の名将を相手にしたいと思う兵士は少ないはずだ。


 それにマウラーは父の命令には絶対に従う。

 つまり、ラウシェンバッハがどのような策を使ってきたとしても、マウラーだけは信じられるということだ。これは大きい。


「よかろう。帝都の治安維持のため、マクシミリアン・クルーガー元帥に全権を委ねる。その中には第一軍団に対する命令権も付与しよう」


「お待ちください」


 そこでそれまで沈黙していたバルツァーが発言を求めた。


「何か言いたいことがあるのか、シルヴィオ?」


「マクシミリアン殿下の前ですが、第一軍団の指揮権まで渡すことは、陛下の生殺与奪の権利を殿下にお与えになることと同義です。私にはマクシミリアン殿下をそこまで信用してよいのか、疑念を持たざるを得ません」


 本人の前でよく言うと、怒りを覚えるより呆れていた。

 ただ、バルツァーの父に対する忠誠心は理解しているので何も言わない。


「マクシミリアンが余を弑し、簒奪を企てるとでも言いたいのか? なかなか面白い話だが、それならそれでも構わん。余がそれだけの男だったということだからだ」


 豪放な父らしい言葉だ。


「軍務尚書の懸念は分かるが、この状況で私が陛下を弑する意味がない。兄ゴットフリートが皇位継承争いから脱落した状況で、私が動く蓋然性があるとは思えんが」


「殿下はすぐにでも皇位に就きたいとお考えではありませんか? そうすれば、ご自身の思い通りに、ラウシェンバッハやグレーフェンベルクに対応することができますから」


 さすがは切れ者のバルツァーだ。痛いところを突いてきた。


「考えたことがないとは言わん。だが、いずれ我が手に入るのに、危ない橋を渡るほど焦ってはいない」


 これは本心だ。

 確かにラウシェンバッハに対して何らかの行動を起こすためには、一軍団長という地位では不都合がある。しかし、賭けに出るほど強い想いではない。


「ですが、内乱が起きればどうでしょうか? 皇宮内に暴徒が侵入し、陛下を害したとすれば、安全にかつ早期に至高の座を手に入れられます。その誘惑に負けぬと断言できますか」


 ここに至って、ようやくバルツァーが何のために私に喧嘩を売るようなことをしてきたのか理解できた。


「なるほど。ここで釘を刺しておけば、陛下の安全を脅かすような策は採れぬということだな。この話をマウラーが聞けば必ず反対するだろうから」


「そう言うことか。さすがはシルヴィオだ。ハハハハハ!」


 父はそう言って笑った後、真面目な表情で話し始める。


「だが、マクシミリアンは愚かではない。分の悪い賭けに出るより、確実に皇帝の座を手に入れることを選ぶはずだ。だから問題はない。それで納得せよ、シルヴィオ」


「御意」


 この会話を聞き、父が羨ましくなった。

 父はバルツァーとシュテヒェルトという有能かつ信頼できる腹心を得ている。しかし、私には彼らのような存在はいない。


「では、陛下のお考えに従い、ラウシェンバッハの策を封じてみせましょう」


 それだけ言うと、私は作戦を検討するため、マウラーの下に向かった。

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