番外編

番外編第一話「父リヒャルト」

 統一暦一二一三年三月三日。

 グライフトゥルム王国南部ラウシェンバッハ子爵領、領主館。リヒャルト・フォン・ラウシェンバッハ前子爵


 息子マティアスに家督を譲った後、私は妻と共に領地で暮らしている。

 しかし、楽隠居というわけではない。息子は軍の仕事で出征することも多かったし、その後の流行り病と暗殺未遂で動けなくなったためだ。


 今は騎士団長である次男のヘルマンと代官であるエーデルハルト・フリッシュムートをサポートするため、領主館で彼らに助言を与えている。

 もっとも騎士団については文官であった私の専門外であり、予算や補給などに限定されるが。


 そして、今日はマティアスの二十九回目の誕生日であり、私は領主館の執務室で昔のことを思い出していた。


 私が我が家を相続したのは二十四年前、先代である父が流行り病で母と共に急死したためだ。当時はまだ三十歳にもなっておらず、宰相府の仕事と領主としての責任に押し潰されそうになっていた。


 そんな時、心の支えになったのが、妻のヘーデとマティアスら子供たちだった。当時長女のエリザベートは六歳、マティアスは四歳、次男のヘルマンはまだ三歳にもなっていなかった。


 三人の子供のうち、父と母を奪った流行り病にマティアスが罹り、生死の境を彷徨った。

 この子を守らなければという思いが強く、宰相府の伝手を最大限使って“叡智の守護者ヴァイスヴァッヘ”の優秀な治癒魔導師を招聘し、その結果、息子は九死に一生を得た。


 しかし、幼いマティアスの身体は疫病の影響を受け、年の大半を寝台で過ごすほど病弱になった。我が家に生まれたため、今まで生きてこられたが、もし平民の家に生まれていたら、八歳になる前に命を落としていただろう。


 そのマティアスが八歳になる直前、再び高熱で倒れた。

 私はなりふり構わず叡智の守護者ヴァイスヴァッヘに駆け込み、王都支部長のマルティン・ネッツァー氏に泣きついた。

 ネッツァー氏のお陰で、息子は再び回復した。


 死の淵を脱した息子は、以前とは別人と思えるほど変わった。

 以前は優しいが気の弱さが目立つだけの少年だったが、ネッツァー氏の治療を受けた後は自ら本が読みたいと言い出し、私の書斎にあった高度な本まで読み始めた。


 また、使用人や数日おきに診察に来てくれるネッツァー氏にいろいろと質問し、八歳とは思えないほど大人びた雰囲気を持っていた。


 私と妻は病によって何か悪い物が取り付いたのではないかと危惧した。しかし、そのことを相談する相手もおらず、悪いことが起きなければとだけ考えていた。


 そして高熱から回復して二ヶ月後に、大賢者マグダ様の診察を受けることになった。

 病状は安定しており、神にも等しい力をお持ちの大賢者様に診察していただく理由がなく、ネッツァー氏も私たちと同じ危惧を抱いたのではないかと直感した。


 しかし、大賢者様は先触れもなく我が家を訪れたため、断ることができなかった。仕方なく、息子の寝室に案内した。


 不安を感じながら妻と二人で待っていると、大賢者様が満足げな笑みを浮かべながら私たちの下にやってきた。


「子爵よ。あの坊は稀に見る優秀な子じゃ。病で失うには惜しいと儂は思うておる」


 突然の言葉に妻と二人で言葉を失った。大賢者様は私たちに構わず、話を続けられた。


「そこでじゃ。我が叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの塔で治療を受けさせたいと思うておる。儂はたまにしか見てやれぬが、大導師であるシドニウスは常に塔におるし、他の導師たちも優秀な者が多い。王都におるより坊のためになると思うが、そなたらに異存はないの」


 突然のことで「は、はい」としか答えられない。もっとも冷静であっても大賢者様から確認を求められて、否と言えるはずもないが。


「これは儂からの頼みじゃが、儂が坊に塔で治療を受けさせるという話はできる限り内密にしてほしいのじゃ。このことが知れ渡れば、多くの者が塔を訪れることになるからの。そのことも異存はないの」


 鋭い視線で言われ、もう一度「は、はい」と答えることしかできなかった。


「では決まりじゃ。マルティンよ。塔への連絡は任せたぞ」


 そう言って後ろに控えていたネッツァー氏に指示を出された。


「そなたらにとっては可愛い息子を一時的とはいえ手放すことになる。寂しいとは思うが、坊のためにこれが最善なのじゃ。堪えてくれ」


 私たちが頷くと、大賢者様はネッツァー氏を引き連れて出ていかれた。

 大賢者様の姿が見えなくなった後、数分間呆然としていたが、何とか頭が働き始めたが、現実のこととは思えなかった。


「マティを大賢者様と叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの大導師様が治療してくださるということでしょうか? 大賢者様はあの子のどこを気に入られたのでしょう?」


 妻が呆然としながら呟いている。


「分からぬ。だが、あの子にとってはこれ以上ないほどよいことだ。国王陛下ですら、大賢者様の治療は滅多に受けられぬと聞く。まして塔で治療を行うなど聞いたこともない」


「そうですわね」


「周囲には領地の静かな場所で静養していると言おう。それが一番自然に見えるだろう」


 マティアスはその半月ほど後に塔があるグライフトゥルム市に向かった。

 それから四年半ほど経った統一暦一一九六年の十月の末、フェアラート会戦の大敗北という衝撃で王都が沈んでいる中、マティアスは我が家に帰ってきた。


 最初に見た時はずいぶん大人びたと思った。八歳から十二歳になったのだから当然なのだが、落ち着き加減が老成した学者のようで、本当に我が子なのかと一瞬思ったほどだ。


 話を聞くと、塔で導師や上級魔導師たちに学んだそうで、数百年生きている魔導師たちの指導を受けたからだと納得した。


 病は完全に癒え、あとは体力を付けるだけと聞き、これで平穏な生活が始まると思ったが、その後は驚きの連続だった。


 まず帰宅して一ヶ月後のシュヴェーレンブルク王立学院初等部の入学試験で驚かされた。

 息子は五教科すべてで満点を取り、首席で合格したのだ。


 私も学院には通っていたので、あの試験の難しさは理解している。今でも満点が採れるかと言われれば自信がないほどの難易度で、いくら魔導師の塔で学んだとはいえ、本当に息子が成したことなのかと疑ったほどだ。


 実を言うと、これに関してはネッツァー氏から事前に話を聞いていた。


「マグダ様がマティアス君に発破を掛けましてね。学院の関係者の度肝を抜くように、全力で試験に当たるように命じられたのです。首席で合格は間違いなく、恐らくですが、満点を取るでしょう。ですので、そんな結果が出ても驚かないようにしてください」


 首席という話は塔で四年半も学んだのだから頷けたが、満点というところは大げさに言っているのだと思った。しかし、実際にその結果を聞き、私と妻は驚きのあまり言葉を失っている。


 それからも驚くことはあったが、よいことの方が多かった。

 一番よかったと思ったことは、息子がエッフェンベルク伯爵家のイリス君とラザファム君に出会ったことだろう。


 それまで子供らしいことがなかったが、彼らと一緒にいる時は子供部屋で楽しく勉強をしており、更にエッフェンベルク邸では一緒に身体を動かしていると聞いた。


 息子のことで一番不安に思っていたことは友人が作れるかということだった。

 大人びた雰囲気で普通の子供なら近寄りがたいと思ってもおかしくなく、学院で孤立するのではないかと不安を感じていたからだ。


 それから高等部に入る時も驚かされた。

 私と同じ政学部に入ると思ったのだが、兵学部に入りたいと言ってきたからだ。息子の体力で兵学部に入れるのかという心配があったが、自らやりたいと言ってきたので挑戦を許した。


 兵学部に入った後も驚きの連続だった。一番驚いたのは王国騎士団の俊英と名高い、グレーフェンベルク子爵と懇意になっていたことだ。

 息子にそれとなく聞くと、塔で学んだことを論文としてまとめ、子爵に読んでもらったら気に入られたと言っていた。


 その後のことを考えると、その頃から叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報網を使っていろいろとやっていたと思うが、その時は信じられないという思いが強かった。


 卒業後も戦場で活躍し、王国軍の総参謀長にまで出世した。

 私は未だに信じられないが、息子がいなければ法国か帝国に王国は呑み込まれていたと言われており、“千里眼のマティアス”なる名が広まっていた。


 そう言われると命を狙われてもおかしくないと思うが、私としては息子には平穏に暮らしてほしかった。


 しかし、それが許されないことも理解している。今の状況が続けば、王国自体がなくなってしまうのだから。

 私は息子のためにできることをやろうと心に誓い、机の上にある書類に目を通し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る