第10話「帝国と法国、それぞれの判断」
統一暦一二〇三年三月五日。
ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。コルネリウス二世
余が執務室で政務を執り行っていると、内務尚書のヴァルデマール・シュテヒェルトが入ってきた。
ヴァルデマールは余より一歳若い四十三歳。余の腹心にして内務尚書という重職にある割にはかなり若いが、見た目だけなら更に若く見え、三十代前半と言っても信じてしまうだろう。
常に笑みを絶やさない男だが、今も舞踏会で美女を誘うような爽やかな笑みを浮かべている。しかし、その口から発せられた言葉はその表情と口調からは想像できないような内容だった。
「グライフトゥルム王国で大事件が起きたようです。第一王妃マルグリットが王宮内で暗殺されました」
「王宮内で王妃が暗殺? それは真のことなのか?」
グライフトゥルム王国は小国だが、
「第二王妃アラベラが行ったようです。もっとも狙いはマルグリット王妃ではなく、第一王子と第三王子のようでしたが」
アラベラには王子が一人おり、ライバルを物理的に消そうとしたと言いたいようだ。
「正確な情報なのか? アラベラが思慮に欠ける女であるという噂は聞いているが、自らの手を汚すほど愚かではあるまい。王家が公式に発表したものなのか?」
「公式の発表ではマルグリット王妃は急病により死去とされております。ですが、王都を始め、王国内ではアラベラ王妃がマルグリット王妃を手に掛けたという噂が広まっておりますし、我が手の者が調べた結果も事実であることが確認できました」
ヴァルデマールは内務府に情報の収集と操作のための特別な部署、諜報局を設置した男だ。その彼が確実な情報として上げてきたということは事実なのだろう。
「王国内の状況はどうだ? 混乱が起きているのではないか?」
王家の公式発表とは別に噂が広まっている。そして、それが事実であるということは、王家及びアラベラの実家であるマルクトホーフェン侯爵家に不信感を持つ者が多くなるということだ。
「まだ第一報を受けたところですが、王都では内戦の可能性が高まったと考えられているようです」
「その根拠は?」
「王国騎士団の第二騎士団の団長、クリストフ・フォン・グレーフェンベルク子爵が今回の国王の決定に異議を申し立てているようです。他にも王国騎士団の兵たちもそれに同調し、国王が決定を覆すのではないかという噂が流れております。決定が覆されれば、マルクトホーフェン侯爵が兵を挙げる可能性が高く、一部の商人たちは王都から退避を始めたそうです」
「なるほど……それにしてもフォルクマークは噂以上に愚かな王だな。最初に毅然とした態度で挑めぬのなら、公式発表など行わなければよいのだ。発表さえしなければ、状況を見て都合のいいものを選ぶことができるからな。遅くなった理由も調査に時間を掛けているか、侯爵家に脅されたとすれば、説明は容易い」
「陛下のおっしゃる通りかと。恐らく、マルクトホーフェン侯爵派の宰相クラース侯爵が説得したのでしょうが、これが認められる辺り、王国の文官に見るべき人物はいないようです」
最後は含み笑いのような感じで口角を上げる。
ヴァルデマールの言は正しい。国ではなく、自らのことしか考えぬマルクトホーフェン侯爵やクラース侯爵が権力を握っている時点で、有能な政治家がおらぬことは間違いない。
「まずは続報を待つつもりだが、やっておくべきことはないか?」
王国が混乱しているとはいえ、リヒトロット皇国への侵攻作戦を中断してまで介入する必要はない。但し、皇国との戦いに有利になるのであれば、その限りではないが。
「諜報局の方で混乱を助長するつもりですが、恐らく内乱にまで発展することはありますまい。優柔不断な国王が侯爵家に軍を差し向けるとは思えませんし、侯爵側も内乱となれば大きく傷を負いますから何らかの手を打つでしょう。ならば、混乱の助長以外に、拙速に動く必要はないかと」
「そうだな。では、この件についてはとりあえず、卿に任せる。続報は適宜報告せよ」
ヴァルデマールにそう命じた後、入れ替わるように我が息子ゴットフリートが執務室に入ってきた。
「父上に、いえ、陛下にお話ししたき儀がございます」
ゴットフリートは現在二十七歳。三年前の一二〇〇年三月に僅か二十四歳で第一軍団の第二師団長に昇進している。余より二年早く師団長に昇進しているが、弟であるマクシミリアンが同じ年の八月に僅か二十歳で第三師団長になっていることから危機感を持っていた。
「何かな、クルーガー将軍」
陛下と呼んだので、公式の会見として姓と役職名で呼ぶ。
「グライフトゥルム王国の混乱の話は既にお聞きと思います。この機を捉え、王国の要衝、ヴェヒターミュンデ城を攻略してはいかがでしょうか」
その提案に片方の眉を上げて答える。
「それは第一軍団からの正式の提案ということか。それとも将軍の私案を個人的に持ち込んだのか」
余の問いに僅かに間が空いた。
「……小職の私案です」
「ならば聞く価値を認めぬな。問われた場合を除き、師団長には皇帝に対して直接献策する権限はないのだから」
ゴットフリートも余が何を言いたいのか理解したようで、顔色が悪くなる。
「しかし……」
「正式な手続きを踏んで提案せよ。第一皇子であっても、今は一師団長に過ぎぬのだからな」
余の言葉にゴットフリートは「はっ!」と答え、執務室を出ていった。
我が帝国では皇子といえども、政治や軍事に口出しする権限は持たない。身内を優遇すれば国の根幹が危うくなるからだ。
ゴットフリートもそのことは理解しているはずだが、マクシミリアンの存在が焦りを呼び、直訴という形で提案してきたのだろう。
ゴットフリートの提案は第一軍団の中で議論されたが、第三師団長のマクシミリアンに反対され、結局提案されることはなかったと聞いている。
その時のマクシミリアンの反対理由は情報が不完全で時期尚早、皇国への攻撃に専念すべきという真っ当なもので、第一師団長もそれに同調しており、余もその判断を全面的に支持している。
ゴットフリートは強い危機感を抱いているようだが、余は二人のうち、どちらを後継者に選ぶべきか迷っている。
政治的な能力まで見れば、マクシミリアンに軍配が上がる。しかし、軍事に限って言えば、ゴットフリートの才能はマクシミリアンだけでなく、余をも大きく凌駕している。
特に兵士たちのゴットフリートに対する信頼は信仰の域にまで達しており、彼が前線に立てば士気が大きく上がる。
また、大軍を動かすという点でも天性の才を持っている。余でも十万以上の軍を運用することにためらいがあるが、ゴットフリートは十万であっても自らの手足のように動かすことができるだろう。
一方のマクシミリアンは余に近い。
教本通りに軍団長や師団長を適切に配置し、それをもって大軍を運用するはずだ。しかし、その戦い方にゴットフリートのような華はなく、不利な条件で逆転することはできないと思っている。
その一方で比較的小規模な部隊の指揮権しか持っていない時でも、着実に戦果を挙げ、更に部隊の規模が大きくなっても着実に出世してきた。
ゴットフリートほど派手ではないが、海千山千の枢密院の元老や尚書たちを巧みに利用し、戦果を実際よりも大きく見せるなど、余でも驚くような老獪さを持っている。
この優秀な息子たちがもし別の時代に生まれていたならば、いずれも帝国を強大にした名君と呼ばれたことだろう。そう考えると贅沢な悩みなのかもしれないが、歳が近すぎることに懸念を覚えている。
いずれにしても、余はまだ四十を過ぎたばかりだ。まだまだ現役でいられるから、じっくりと見極めていけばよいだろう。
■■■
統一暦一二〇三年四月十五日。
レヒト法国聖都レヒトシュテット、法王庁。アンドレアス八世
ある情報が私の下にもたらされた。
グライフトゥルム王国において、第一王妃マルグリットが第二王妃アラベラに王宮内で暗殺され、内戦が起きる可能性があるというものだった。
その情報を見て私は天を仰ぐ。
(これで聖堂騎士団が騒ぎ出すだろう。いや、北方教会と東方教会も王国への侵攻を主張するはずだ。厄介なことになった……)
三年前の一二〇一年八月、私はレヒト法国とトゥテラリィ教の最高位、法王になった。
しかし、私が法王に選ばれた理由は前法王聖下が聖堂騎士団の一つ、赤竜騎士団に弑された後、各教会の最高責任者である四人の総主教と、私を含む五人の枢機卿の妥協の結果に過ぎない。
私自身はこのタイミングで火中の栗を拾うようなことはしたくなかった。しかし、最も支持基盤が弱く、誰もが消極的にでも賛成できる候補者は私しかいなかった。
その結果、何をするにも妥協が必要で、法王になってから思い通りできたことは一つとしてない。
今回もグランツフート共和国との小競り合いで敗北した東方教会と、グライフトゥルム王国への侵攻作戦に失敗し続けている北方教会は王国への侵攻を強く訴えてくるはずだ。
私の懸念はすぐに現実のものとなった。
情報がもたらされた五日後には、東方教会と北方教会の総主教が法王庁を訪れた。そして、グライフトゥルム王国への大規模な侵攻作戦を実施すべきと迫ってきたのだ。
私はのらりくらりとはぐらかしていたが、更に五日後の四月二十五日に、南方教会と西方教会の総主教まで聖都レヒトシュテットに入り、法国の最高意思決定機関である枢機卿会の招集を要求されてしまう。
法王は国家元首だが独裁権はなく、合議制で国家を運営している。枢機卿会は四つの教会の総主教と聖都にいる五人の枢機卿、そして法王の計十人で構成される。
会議が始まると、強硬派の北方教会総主教ニヒェルマンが口火を切った。
「グライフトゥルム王国が混乱していると聞く。今こそ軍を興すべきだ」
それに対し、西方教会の総主教ヴェンデルが反対する。
「そうは言っても予算がない。ニヒェルマン総主教も国庫がどのような状況かご存じだと思うが」
ヴェンデルはこの中で唯一まともな聖職者だ。清廉で教えに忠実、民のことを第一に考えている。
彼の言う通り、我が国の財政は火の車だ。
グライフトゥルム王国とグランツフート共和国に数年おきに侵攻し、湯水のように税金を使っているためだ。
その結果、民衆に対する税率は収入の六割にも達し、どの国にでも進出する
唯一奴隷商だけが儲けている。税を払うために止む無く借金をし、それが返せなくなった結果、身売りする者が続出しているためだ。
「グライフトゥルムを征服すれば、そのような些事はすぐに解決する。王国は小国だが、富は豊かであるからな」
ニヒェルマンの言っていることもある意味正しい。
グライフトゥルム王国には
「その理屈で何百年戦争を続けているのだ? ヴェストエッケを突破することが叶わねば、王国内に入ることすらできぬのだが」
「だからこそだ。今王国は大きく揺れている。内戦にならずともマルクトホーフェン侯爵が兵を挙げることを恐れ、王都の兵力をヴェストエッケに送り込むことができぬのだ。ヴェストエッケの常備兵力は僅か三千。増援がなければ、我が神狼騎士団で容易に落とすことができる」
ニヒェルマンの言葉にヴェンデルも反論が止まる。
「それはそうだが……」
ニヒェルマンの見立ては間違っていない。
ヴェストエッケの常備兵力は三千しかなく、近隣の領主軍を集めても五千ほどにしかならない。これに義勇兵が数千名加わるが、雑兵など数のうちではない。
神狼騎士団は総数二万一千、数だけでも倍以上、実戦力なら五倍以上の戦力で攻撃できるのだ。
「ニヒェルマン総主教の主張は正しいが、北方教会に全軍を動かす金がないのではないか?」
南方教会総主教シェーラーが議論に加わる。
「各教区からの支援があれば問題はない」
「これまでも多くの支援を行ってきたが、一度たりとも返済された記憶がないが」
シェーラーが冷たく言い放つ。
「では、シェーラー総主教はこの機を逃せと言いたいのか!」
ニヒェルマンがテーブルをバンと叩き、強い口調で反論した。
「我が南方教会から兵を出そう。他の教区から金を出さずともよいし、既にそのための準備を始めておるからな」
その言葉にニヒェルマンが反論しようとしたが、その前に東方教会総主教エイルホフがシェーラーに賛成した。
「東方教会はシェーラー総主教の提案に賛成する」
ニヒェルマンとエイルホフは犬猿の仲であるが、聖竜騎士団を参戦させろと言わず、素直に譲ったことに違和感を持った。
恐らくだが、鳳凰騎士団がグライフトゥルム王国に侵攻すれば、グランツフート共和国が援軍を送るから、その隙を突けばよいと説得されたのだろう。
ニヒェルマンは更に反論し、何とか共同作戦の形にしたが、最終的にシェーラーの案が通った。
こうして鳳凰騎士団から約一万七千、神狼騎士団から約五千の計二万二千もの大軍がグライフトゥルム王国との国境、クロイツホーフ城に派遣されることが決まった。
私はまた民に負担を掛けると心が重くなるが、決定を覆すだけの力がなく、その決定を承認するしかなかった。
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