第11話「婚約」

 統一暦一二〇三年六月五日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 第一王妃マルグリット暗殺から約四ヶ月。

 犯人である第二王妃アラベラが実家であるマルクトホーフェン侯爵領に移ったことにより、内戦の可能性が下がったということで、王国は落ち着きを取り戻している。


 ゾルダート帝国も様子見するようで、国境付近に軍を進めるという情報はなく、王都の民衆はマルグリット暗殺事件を忘れつつあった。


 しかし、王宮では火種がくすぶり続けている。

 四月の下旬にミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵が王宮を訪れ、国王フォルクマーク十世と会談した。


 その際、大賢者マグダも同席し、彼女から侯爵家としてアラベラに対する処分を行ってはどうかという話をしたが、ミヒャエルはそれを軽く流したと聞いている。


『国王陛下が命じられるならともかく、大賢者様のお言葉とはいえ、私がそれに従う必要は感じませぬな』


『儂に対してそのような口がよう聞けたものじゃの。王よ。この増長者をこのままにしておくのかの』


 大賢者は怒りの矛先を国王に向けたが、国王は下を向いたまま何も言わなかったらしい。


 侯爵はその後、一ヶ月ほど王都で過ごし、自身の配下の貴族の引き締めを図った。

 グレーフェンベルク子爵など、騎士団関係者が抗議を行ったが、国王の決定を盾にそれを一蹴している。


 まだ二十二歳と若いが、胆力があり、更に父ルドルフ譲りの強引さと果断さも持ち合わせているらしく、実姉が大罪を犯したのに悪びれる様子はなかった。


 結局、宰相であるクラース侯爵らを始めとしたマルクトホーフェン侯爵派から、脱落者は出なかった。


 一応嫌がらせとして、大賢者に面と向かって逆らったという情報を流し、侯爵派は叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの魔導師から治療を受けられなくなるという噂を流して揺さぶりは掛けている。


 これが意外に効いた。

 特に高齢の貴族は健康不安を抱えていることから、密かにマルティン・ネッツァー氏ら叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの関係者に面会し、侯爵に無理やり付き合わされていると言っているらしい。


 ネッツァー氏は侯爵派の情報を流してくれれば、治療に関しては配慮すると言って情報源を確保することに成功している。



 第一騎士団を辞めたイリスだが、アラベラが王都を去った四月の下旬からシュヴェーレンブルク王立学院で私の助手として働いている。助手といっても学院の教員ではなく、私が個人的に雇った形だ。


 こうしておけば私と一緒にいる時間が増えることから、私の護衛であるカルラ・シュヴァイツァーら闇の監視者シャッテンヴァッヘ陰供シャッテンに守られることになり、安全が確保できると考えたためだ。


 もっともアラベラが王都を離れてから、マルクトホーフェン侯爵側も大人しくなっており、身の危険を感じたことはない。


 また、優秀な彼女が手伝ってくれることで、講義に使う資料作りや騎士団用の教本作りが捗り、とても助かっている。


 彼女自身も私と一緒にいられる時間を楽しんでいるようで、王妃が暗殺されてから暗かった表情も以前と同じような明るさに戻っている。


 一ヶ月半ほど一緒に過ごし、更に彼女に対する愛おしさが強くなった。

 私とイリスの関係だが、婚約こそしていないものの、両家の親たちは交際を認めている。正式に婚約していないのは、彼女が騎士団に入って仕事に打ち込みたいという希望があったためだ。


 私はイリスに正式に婚約を申し出ようと考えている。

 そして、明日六月六日は彼女の十九回目の誕生日だ。そこで婚約の話を切り出そうと思っていた。


 今日はそのことを父リヒャルトと母ヘーデに話し、了承を得た。


 両親は私の決断を殊の外喜んでくれた。

 私は身体が弱かったから成人するまで生きられるのか心配だったらしく、結婚までできることに涙を浮かべて喜んでくれた。


「すべては大賢者様のお陰だ。本当によかった」


「そうね。十歳まで生きられるかどうかと言われていたのに……本当に感謝しかないですわ」


 姉のエリザベートと弟のヘルマンも喜んでくれる。


 二歳年上の姉はシュヴェーレンブルク王立学院高等部の文学部を卒業後、母の下で花嫁修業に励んでいた。学院にいる時に父の同僚である子爵の嫡男と婚約しているが、貴族の家ではいろいろとややこしいことがあるため、こまごまとしたことを実地で学んでいる。


 弟は現在、学院高等部の政学部で学んでいる。初等部から私と比較されて苦労していたようだが、成績もよく、また真っ直ぐな性格であるため、私との仲も悪くない。


「イリスさんとならお似合いよ。もっともあなたたちは普通の貴族の家にようにはならない気がするけど」


 姉の言葉にヘルマンも頷いているが、少し複雑そうな表情が見える。


「ついに兄さんとイリスさんが結婚か……おめでとう……」


 弟は屋敷によく来るイリスに憧れに似た感情を抱いていた時期があり、その想いがまだ残っているのだろう。


 うちの両親が承認してくれたため、イリスに正式に申し込むことにした。

 翌日は兵学部の学生たちが実技演習に出ていることから講義はなく、ロマーヌス・マインホフ教授に休みをもらい、平民街にあるレストランにランチを食べに行く。


 王都シュヴェーレンベルクは歴史のある町であり、古い佇まいの瀟洒な店が多く、落ち着いた雰囲気の店を予約していた。


 フランス料理に近いコース料理を楽しんだ後、店にお願いしておいた花束と共に指輪を渡す。

 花束を受け取ったイリスははにかんだような笑みを浮かべた。


「ありがとう」


 まだ彼女は誕生日プレゼントだと思っている。


「私と結婚してほしい」


 イリスは予想していなかったのか、目を大きく見開いた。


「私と結婚してほしい。どうかな?」


 もう一度言うと彼女もプロポーズだと確信し、満面の笑みを浮かべる。


「よ、喜んで!」


 そう言ったところで店の人たちが拍手をし、私たちに気づいた他の客も同じように祝福してくれた。

 そこまでは頼んでいなかったので驚くが、二人で立ち上がって頭を下げる。


 それからエッフェンベルク伯爵邸に向かい、カルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵とインゲボルク夫人に申し込みに行く。


 領地にいることが多い伯爵だが、マルクトホーフェン侯爵の動向が気になり、王都に滞在していたのだ。


「君が義理の息子になってくれるのは心強い。イリスのことを頼むよ」


「マティアスさんなら安心だわ。この子の手綱を握れるのはあなたしかいないから。イリス、よかったわね」


 二人からも正式な許可と祝福を受ける。既に六年以上の付き合いがあるため、あっさりとしたものだった。


「結婚はいつにするつもりかね」


「一年後を目途に考えています。今は情勢が悪いですから」


 ゾルダート帝国やレヒト法国が今回の騒動に介入してこないとも限らない。

 もし戦争になれば、精鋭である王国騎士団の第二騎士団とエッフェンベルク騎士団が出陣する可能性は極めて高く、私も臨時の参謀として戦地に赴くことになる可能性が高い。


 私の言葉に伯爵と夫人の表情が曇る。


「やはり帝国かね。皇帝が今回のことを聞き付けたという話があったが」


 伯爵の言葉に私は小さく首を横に振る。


「恐らく帝国は軍を向けないでしょう。危険なのはレヒト法国です。法王が代わってから政情が安定していないですから、外に目を向けようと戦争を仕掛けてくる可能性がありますから」


「そうなるとヴェストエッケか……第二騎士団を送り込めるのかね。マルクトホーフェンのことがあるが」


 伯爵が懸念しているのは王都から精鋭の第二騎士団が出陣すれば、マルクトホーフェン侯爵が兵を挙げるのではないかということだ。


「侯爵については問題ないでしょう。念のため、第二騎士団とエッフェンベルク騎士団をヴェストエッケに向かわせ、ノルトハウゼン騎士団を王都に入れてはどうかと進言するつもりです。ノルトハウゼン伯爵が睨みを利かせれば、侯爵も容易には動けないでしょうから」


 ノルトハウゼン伯爵領はマルクトホーフェン侯爵領の更に北、王都から約四百キロメートルの位置にあるため、いざ王都で何か起きた場合に初動が遅れる。そのため、第二騎士団が出陣するタイミングに合わせて王都に入れる予定だ。


 王都に向かえば、自動的にマルクトホーフェン侯爵領を通ることになるため威嚇にもなり、侯爵も容易には軍を動かせなくなるだろう。


 エッフェンベルク伯爵領は王都から約百キロメートルと近く、法国軍が侵攻してきたという情報を得てからヴェストエッケに向かっても王国騎士団からさほど遅れずに到着できる。


「なるほど。カスパル殿なら適任だ。それにヴェストエッケでの戦いなら我が騎士団の方が役に立つ」


 カスパル・フォン・ノルトハウゼン伯爵率いるノルトハウゼン騎士団も精鋭と言われている。また名将と名高い伯爵の指揮能力は高く、力量に不安はない。


 一方、エッフェンベルク騎士団は全体の四割が長弓兵という編成で、城塞に籠っての防衛戦を得意とする。

 それだけではなく、最初に近代化された騎士団として力を試したいという気持ちも強いのだろう。


「まだ情報が入ってきたわけではありませんが、早ければ七月、遅くとも九月には攻めてくるはずです。これまでの戦いを見る限り、法国軍は物資が無くなるまでの半年程度攻撃を続けます。そうなると来年の春くらいまでは戦いが続くことになります」


 ヴェストエッケは西に海、東にヴァイスホルン山脈があり、法国から王国に攻め込むには必ず攻略しなければならない城塞都市だ。また、城壁は高さ二十メートルという強固なもので、攻城兵器を使っても突破することは難しい。


 そのため、法国軍は毎回攻めあぐね、兵糧が尽きるまで対陣した後、撤退することが通例だ。


「マルクトホーフェン侯爵がその隙に兵を挙げないようにするのが、第三騎士団とノルトハウゼン騎士団ということか……しかし、この機に帝国が攻めてきたら目も当てられぬな」


「おっしゃる通りですが、そうならないようにいろいろと手は打つつもりです」


 そこでイリスが話に加わる。


「マティが手を打つなら大丈夫ね。それに法国が攻めてきてもあなたもヴェストエッケに行くのでしょ? なら半年もかからずに勝つことができるわ」


 全幅の信頼に笑みが零れる。


「私はただの研究者だよ。それに実戦経験もないのだし、そんな簡単なことじゃないよ」


「いや、娘の言う通りだ。君が直接行ってくれるならクリストフ殿も安心だろう。それにラザファムのこともある。君が策を立ててくれた方が安心できる」


 伯爵も騎士団改革に私が関わっていることを知っているため、期待感が凄い。

 個人的には否定したいが、あまり否定すると不安を感じさせるため、微笑んで頷くだけに留めた。


「では結婚式は一年後くらいと考えたらよいのかしら」


 夫人の言葉に私は頷く。


「状況が大きく変化しなければという条件は付きますが、今のところその認識で構いません」


「分かりましたわ。では、いろいろと準備を進めていかなくては」


 それから今後のことを話した後、我が家に行き、正式に婚約が成立した。

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