第17話「仕込み」

 統一暦一二〇五年四月二十三日。

 ゾルダート帝国西部シュヴァーン河中流域。イェフ・ハイドラー小隊長


 私がグライフトゥルム王国との国境シュヴァーン河を渡ったのは、五日前の四月十八日。目的はリッタートゥルム城への奇襲ルートの調査と、これまで作ってきた地図の精査だ。


 私たちの原隊、第二軍団第三師団第三連隊は、軍団長だったマクシミリアン殿下の命令を受け、昨年の夏からシュヴァーン河の中流域で渡河可能な場所の調査と、王国軍を引き付けるための活動を行っていた。


 冬頃まで調査を行ったが、結局リッタートゥルム城周辺しか渡河ができる場所は見つからなかった。そのため、奇襲作戦の検討が任務となり、城の南側の岩山の地図を作り始めた。


 その後、マクシミリアン殿下が帝都に召喚されたが、新たな命令はなく、王国への侵入を繰り返した。


 三月下旬に新たに軍団長に就任されたゴットフリート殿下からの帰還命令を受け、連隊は帝国中部のエーデルシュタイン方面に移動しているが、我々偵察中隊は連隊が残っているように見せかけつつ、敵を牽制するという任務が新たに与えられた。


 牽制と言っても我々偵察中隊は百名程度しかおらず、シュヴァーン河も敵の水軍が厳重に警戒していることから、王国側に潜入することで、リッタートゥルム城にいる王国軍に圧力をかけることくらいしかできない。


 そのため、小隊単位で城から離れた場所で渡河し、城に接近して痕跡を残すという方法を採っていた。また、それだけではもったいないということで、これまで作った地図を更新する作業も行っていた。


 我々第二小隊も何度か王国に潜入しており、五日前もいつも通りに潜入し、王国内で地図を作成しつつ、移動していた。


 王国の警戒部隊の行動範囲は分かっており、その圏外である大岩の陰で休息を摂っていた。もちろん油断することなく見張りを置き、警戒態勢は万全であったはずだ。

 しかし、私たちはいつの間にか包囲され、奇襲を受けた。


 それは突然のことだった。

 音もなく黒い影が視界の端に見えたかと思うと、周囲警戒していた三人の部下が悲鳴を上げ、血を噴き出して倒れた。


 それに驚く間もなく、漆黒の鎧を身にまとった様々な種族の獣人たちが私たちを取り囲まれる。

 何が起きたのか理解する前に若い男の声が響いた。


「帝国軍に告ぐ。死にたくなければ、武器を捨てて腹這いになり、両手を頭の上に乗せろ! 十秒だけ待ってやる」


 私を含め、小隊全員がその言葉が瞬時に理解できず、茫然と立ち尽くすことしかできない。

 その間に十秒が過ぎていたのだろう。獣人たちが風のように迫ってきた。


「指揮官は殺すな!」


 若い狼の獣人が冷たい口調で命令を発する。

 その冷静さに恐怖を感じたが、このままでは私以外が殺されると思った。そのため、即座に命乞いをする。


「ま、待て! 降伏する!」


 私が叫ぶ間に三人の部下が血しぶきを上げて倒れている。


「全員武器を捨てろ! このままでは無駄死にだ! 武器を捨てろ!」


 私は叫びながら率先して剣を投げ捨て、身を投げ出すようにして地面に倒れ込む。こうしなければ、部下が動けないと思ったのだ。


 その判断は正しかった。

 更に三人が斬られたが、多くの部下が私に続き、黒い獣人たちは動きを止めた。


 それから目隠しをされ、リッタートゥルム城に移動させられるが、私が情報を得ようと話しかけても獣人たちは誰一人言葉を発することなく、粛々と歩いた。


 城に入った後、地下牢に連れていかれるが、黒い獣人たちが恐ろしく、不安でいっぱいだった。しかし、地下牢に入ると、獣人たちはいつの間にか姿を消していた。


 これであの恐ろしい獣人から離れられると安堵した。しかし、尋問が始まると、別の恐怖が襲ってきた。


 地下牢では部下たちと引き離され、尋問室が近いのか、拷問に苦しむ部下の声が響き、それが耳に残る。


 私は「やめろ!」と力いっぱい叫んだが、それが聞き届けられることはなく、部下の悲鳴が途絶えることはなかった。


 この時は完全に拷問に掛けられていると思ったが、実際には脅されていただけだった。しかし、私にそれを知るすべはなく、自分の番がやってくることが恐ろしくて仕方なかった。


 尋問室に連れていかれると、そこにいたのはあまり騎士らしくない、にやけた男だった。

 その尋問官は苛立ちを感じさせる笑みを浮かべながら短剣を振り回し、時折恐怖を煽るようにそれを私の頬に軽く当てる。


 しかし、尋問が始まると恐怖が吹き飛んだ。

 王国軍は部下たちから引き出せるだけの情報を引き出しただけでなく、我が軍にいる裏切り者から得た情報が正しいのか、確認していったからだ。


 小隊長である私ですらほとんど聞いていない情報が次々と知らされる。その内容は頷ける部分が多く、兵士たちが独自の情報網で手に入れたと言われて大いに納得し、同時に絶望した。敵に情報が渡ったことで、私を生かしておく必要性がないと思ったからだ。


 しかし、私は諦めなかった。どんな手を使ってでも脱出し、この情報を持ち返るべきだと思ったからだ。そのため、裏切り者を見つけ出すために、王国がどこまで知っているのか聞き出すことにしたのだ。


 相手は自分に酔っているらしく、私が知らないことまでペラペラと話していく。

 マクシミリアン殿下に近い部下に裏切り者がいることは確実で、更にゴットフリート殿下の配下からも情報が漏れているのではないかと思い始めた。


 尋問は一時間近く続いたが、十分な情報は引き出せた。

 更に尋問官は私たちから十分に情報が引き出せたということで、釈放する可能性まで示唆する。


 何度か女騎士からメモを受け取っていたので、我が国と本格的に揉めることを危惧した上層部の腰が引け、尋問官を抑えたようだ。


 その後、私たちは地下牢に閉じ込められたが、再び目隠しをされて歩かされる。

 城の外に出たところで騎士がこう言った。


「帝国軍は君たちを引き取る気がないようだ。期限までに引き取りに来いと言ったが、未だに回答がない。本来なら処刑すべきところだが、我が国は無用な血を流すことを厭う。よって、君たちはシュヴァーン河を渡ったところで解放する」


 中隊長は交渉を拒否したようだが、その判断は正しい。

 中隊長の権限で捕虜返還の交渉はできないし、下手に交渉の座に就けば、自分たちまで捕らえられる恐れがあると考え、交渉自体を拒否することは当然だろう。


 部下たちは騎士の言葉に中隊長に対する不満を感じたようだが、私はすぐに了承した。


「承知した」


 それからシュヴァーン河を渡り、言葉通りに対岸で拘束を解かれる。その瞬間まで、ここで殺される可能性を考えていたが、本当に釈放してくれた。


「解放してくれることに感謝する」


 私がそういうと、騎士は目礼をしただけで、船に乗って対岸に戻っていく。


「野営地に帰還する! 周囲への警戒は怠るな!」


 王国軍を警戒するというより、武器を持っていないため、魔獣ウンティーアを恐れたのだ。


 幸い、魔獣ウンティーアの襲撃を受けることなく、野営地に戻ることができた。

 すぐに中隊長に報告するため、テントに向かう。そこには中隊長だけでなく、他の小隊の隊長たちも集まっていた。


「よく生きて帰ることができたな」


 中隊長は非好意的な目で私を見る。敵がここに来たことから、私が命を惜しみ情報を売ったと思われているようだ。


「我が軍の上層部に裏切り者がいます。このことを早急に連隊司令部に伝えるべきです」


「言うに事欠いて、我が軍に裏切り者がいるだと。それは貴様のことではないのか」


 中隊長は顔を歪めて嘲笑する。

 私がそう言っても我が身可愛さに味方を貶めていると思われたようだ。


「今から理由を説明します。それでも納得できなければ、私が我が国を裏切ったとして処刑されても文句は言いません。まず……」


 私は必死に得た情報をできるだけ詳細に伝えていく。最初は半信半疑だった中隊長たちも我々レベルが知りえない情報まで私が知っていることに表情が強ばっていった。


「……以上が、私が王国軍から探り出した情報です」


 中隊長はしばらく口を開かず考え込む。


「了解した。君の話を聞けば、我が軍に情報を売った者がいる可能性が高いことは間違いない。裏切り者、臆病者と言われかねぬのに、王国軍から情報を手に入れ、帰還してくれたことに感謝する。この情報が軍団長閣下まで上がるよう、連隊長に具申しておく。今日はゆっくり休んでくれ」


「ありがとうございます。祖国のために少しでも役に立てたのなら幸いです」


 そう言ってからテントから出ていくが、他の小隊長たちも私を見る目が大きく変わっていた。それまでは蔑みの色が見えたが、今は伏し目がちで先ほどのまでの態度を恥じているようだ。


 その後、我々はこの地を去った。

 軍団長の命令を無視する形になるが、この場所を知られ、更に我々の任務についても敵に認識されており、ここにいる理由がないためだ。


 五月中旬、我ら偵察中隊はエーデルシュタインに帰還した。

 そして、詳細を報告するため、中隊長と共にゴットフリート殿下の執務室に入る。そこには第三軍団長のザムエル・テーリヒェン元帥も同席していた。


 殿下は気さくな方だが、直接話したことはなく、緊張で手に汗が浮かんでいた。


 中隊長が概略を説明し、私が詳細を報告する。殿下は私たちの説明を聞きながら、何度も首を横に振り、困惑の表情を浮かべておられた。


「つまり敵はこちらの策を完全に看破していたということか。それに我が軍から情報が洩れていると……」


 テーリヒェン閣下が怒りに打ち震える。


「知っているのは軍団長のみ。小官でも三ヶ月前に初めて知ったことを、敵は四月の時点で知っていた。敵に情報を渡し得た者はマクシミリアン殿下とその部下のみ! つまり第二軍団に裏切り者がいるということだ! これは由々しき事態ですぞ!」


 しかし、ゴットフリート殿下は冷静だった。


「落ち着け。情報の出どころを探ることは必要だが、第二軍団に裏切り者がいるとは限らん。いたずらに騒ぐことは敵を利することになる」


「ですが、この状況で皇都攻略作戦を行うことは危険ですぞ! 特にグリューン河の……」


 殿下は興奮するテーリヒェン閣下を静かに嗜める。


「テーリヒェン卿。私は落ち着けと言ったはずだ」


 その言葉でテーリヒェン閣下が我々の存在に気づいた。

 ゴットフリート殿下は私たちの方に視線を向けた。


「ご苦労だった。特にハイドラーはよく敵の情報を手に入れてくれた。このことは覚えておく」


「ありがたき幸せ」


 私は生きて帰ってきてよかったとようやく思えた。


「そう言えば、黒い獣人部隊のことが気になる。詳細な報告書を作成してくれ」


「御意。既にあらかた作っておりますので、後ほど提出いたします」


 私はそう言って、軍団長の執務室を出た。

 今回捕虜となったことは痛恨の極みだったが、これで運が向いてくるのではないかと密かに思っていた。

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