第12話「皇帝の直感」

 統一暦一二〇三年十月二十日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。皇帝コルネリウス二世


 晩餐まであと一時間というところで、内務尚書であるヴァルデマール・シュテヒェルトが余の執務室に入ってきた。

 いつも陽気な雰囲気を醸し出しているヴァルデマールにしては珍しく、表情がやや硬い。


「諜報局からグライフトゥルム王国に関する情報が届きました」


 グライフトゥルム王国は今の帝国では優先度が低く、翌日の朝議の場で報告しても遅くはない。しかし、この時間にヴァルデマール自らがここに来たことが気になった。


「どのような情報だ?」


「レヒト法国軍三万に対し、半数の一万五千で戦いを挑み、法国軍の半数を打ち倒すという大勝利を挙げたようです」


「ほう。珍しいこともあるものだな。あの王国軍が勝つとは。それとも三万というのは誇張だろうが、にわかには信じられんな?」


 フェアラート会戦で無様な戦いしかできなかった王国軍が、倍するレヒト法国軍に勝利したことが信じられなかったのだ。


「陛下のおっしゃる通り、三万は誇張のようですが、四個騎士団ですので、二万二千から二万三千は派遣されたようです。一方の王国軍はヴェストエッケ守備兵団三千、義勇兵五千に加え、グレーフェンベルク子爵率いる王国第二騎士団五千とエッフェンベルク伯爵率いるエッフェンベルク騎士団三千の一万六千の兵力で防衛戦を展開したと報告にありました」


 ヴァルデマールの言葉に違和感を覚えた。


「第二騎士団とエッフェンベルク騎士団が同時にヴェストエッケに派遣されたのか? ヴェストエッケが陥落し、取り戻した。そういうことなのか?」


 王国第二騎士団は王都シュヴェーレンブルクを守護する騎士団だ。エッフェンベルク騎士団は貴族領騎士団として有名で、余でも名を知っている精鋭だが、その二つの騎士団が王都から八百キロメートルも離れた辺境に出向いたことに違和感を持ったのだ。


「そうではありません。第二騎士団とエッフェンベルク騎士団は法国軍の主力、鳳凰騎士団が到着する前にヴェストエッケに入ったようで、ヴェストエッケ城内に侵入されたものの、見事に撃退したという話が広まっております」


「ま、待て! 法国軍より先にヴェストエッケに入ったというのか! 八百キロもの距離があるのだぞ」


 グライフトゥルム王国には叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの持つ長距離用の通信の魔導具があると噂されている。しかし、軍が移動するには、準備期間を除いても一ヶ月半は掛かるはずだ。


「その点は小職も気になりましが、どうやって間に合ったのかは情報にありませんでした。すでに調査を命じておりますので、年明けには理由が分かると思われます」


 ヴァルデマールも余と同じ疑問を感じ、情報を得てすぐにここに来たようだ。


「他に情報はないのか?」


 気を落ち着けるために話題を変える。

 ヴァルデマールは「ございます」と言った後、話し始めた。


「法国軍三万のうち、半数を失ったと公表されています。話半分としても七、八千程度は失う大敗北だったようです。一方の王国軍は戦死者一千ほどと公表されておりますので、倍としても二千。個々の兵が強力な法国軍に対し、城での防衛という有利な条件であったとしても、王国軍が圧倒的に優勢であったことは明らかです。これは由々しき事態かと思われます」


 王国と法国の戦いでは、これまで王国は大きな損害を出すものの、長期戦に持ち込むことで、法国の物資切れに持ち込んで勝ちを拾っていた。そのため、法国軍に大きな損害が出たという話はあまり聞いたことがない。


「王国軍が強くなったと卿は言いたいのか?」


「私は軍人ではありませんので断定はいたしませんが、諜報局が掴んだ情報から判断する限り、以前の王国軍ではないということが分かります。特に第二騎士団とエッフェンベルク騎士団はグレーフェンベルクの軍制改革の対象でしたので、今までより強くなっている可能性は否定できません」


「我が国の真似をした改革か……確かに有効ではあるが、圧勝するほどの成果があるとは思えぬ。法国軍の将が無能だったのか、それともグレーフェンベルクが改革者としての才だけではなく、将としても優秀だったのか、その辺りが知りたいところだな」


 軍の改革と実戦での指揮では別の才能が必要だ。これまでグレーフェンベルクには軍の改革者としての才能があることは分かっていたが、実戦でもこれほどの成果を挙げていることを考えると、将才もあると考えた方がよいだろう。


「小職も同じ考えです。但し、ヴェストエッケにはジーゲルがいますので、彼が指揮を執った可能性は否定できませんが」


 ヴェストエッケの守護者、老将ハインツ・ハラルド・ジーゲルは大陸の東の端までその名を轟かせている名将だ。


「その可能性はあるが、事前に動いていたことと、大勝利という事実を重ね合わせると、グレーフェンベルクが鍵を握っていることはまず間違いない。その辺りを調べてくれ」


「御意」


 それで話が終わるかと思ったが、まだ情報があるようだ。


「ここからの話はさほど重要ではありませんが、陛下が興味を持たれるのではないかと思います」


「ん? どのようなことだ? 話してみよ」


 ヴァルデマールの顔に余裕が戻っており、余も軽い気持ちで聞くことにした。


「今回の遠征では十代の若者が大きな話題となっています。昨年の王立学院兵学部の卒業生で、上位五名が活躍し、王都市民が挙って褒め称えていると」


「去年の兵学部の卒業生か……どこかで話を聞いた気がするが、どのような者たちであったかな」


「首席と次席は先ほど話に出ましたエッフェンベルク伯爵の嫡男と長女でございます。第三席にはエッフェンベルク兄妹と友人関係にある平民、第四席には初等部より神童と言われていたラウシェンバッハ子爵の嫡男、第五席には弓の名手で、この年の卒業生は他にも優秀な者が多く、“世紀末エンデフンダート組”と呼ばれていたそうです」


 そこで半年前に聞いたことを思い出した。


「エッフェンベルク兄妹とラウシェンバッハは王都の三神童と呼ばれていた者たちであったな。ラウシェンバッハは卒業と同時に学院の教員となったと聞いた記憶がある。間違いないか?」


 ヴァルデマールは小さく頷いた。


「陛下のご記憶の通りでございます。そのうち、首席のラザファム・フォン・エッフェンベルク、第三席のハルトムート・イスターツ、第五席のユリウス・フェルゲンハウアーが第二騎士団に入団し、今回の戦いでは勲章を受勲するほどの活躍を見せたそうです」


 そこで頷くが、同時に疑問も湧いた。


「その三人は第二騎士団の所属であるから活躍というのは理解できるが、ラウシェンバッハとエッフェンベルクの妹は騎士団に属しておらぬのだろう。なぜ活躍したという話になっておるのだ?」


「その二人については事実と噂が入り交じっており、事実関係が整理できておりません。現状で確認できている事実は、二人が学院の研究者として従軍したということだけです」


 帝国の士官学校の教員も従軍することはあるから、同じような組織である王立学院の兵学部の教員が従軍しても違和感はない。


「研究者として従軍か……で、噂とはどのようなことなのだ?」


「第二騎士団の兵士たちがいく酒場で収集した情報ですが、作戦の立案で大きな功績を上げたようなのです。具体的に何をしたのかまでは判明しておりませんが、兵士たちはラウシェンバッハのことを“千里眼のマティアス”と呼んでいるらしいと報告にありました」


「千里眼だと……」


 思わず唸ってしまった。

 先ほどの法国軍に先んじてヴェストエッケに入ったことを考えると、無視していい言葉ではないからだ。


「小職も陛下と同じことを考えました。その“千里眼のマティアス”なる者が法国軍の動きを察知し、それで王国軍が勝利したのではないかと」


「そのラウシェンバッハは魔導師マギーアではないのか? それならば、真理の探究者ヴァールズーハーを利用して王国を攻撃することができるが」


 魔導師は戦争に関与することができない。可能なのは治癒魔導師として従軍することだけだ。これは三つの魔導師の塔が結んでいる“三塔盟約”に明記されているとされ、破った場合は、他の二つの塔から制裁を受ける。


「それはないようです。本人が公言していることですが、ラウシェンバッハは先天的に魔導器ローアを持たず、魔導マギはおろか身体強化も使えないそうですので」


「それが事実であるならだが……いや、王国もそのような危ない橋は渡らぬだろう。一歩間違えば、二つの塔だけでなく、四聖獣から制裁を受け、国自体が亡ぶのだから」


 レヒト法国の前身は“魔象界の恩寵ゼーレグネーデ”という魔導師の塔であったが、魔導マギを無制限に使用したため、聖竜ドラッヘ鷲獅子グライフ不死鳥フェニックス神狼フェンリルによって、数十万人の民ごと消されている。


 このことは各国の為政者たちに深く刻み込まれており、魔導師を戦争に用いる禁忌を冒すような愚か者は存在しない。

 それでも余は何か引っかかるものを感じた。


魔導師マギーアでないとしても、そのラウシェンバッハが関与しているかもしれぬな。優先順位は低いが、余裕があれば諜報局にその者の情報を集めさせておけ」


 ヴァルデマールは「御意」と答え、執務室を出ていった。

 残された余は今命じたことを思い出し、心の中で自らを笑っていた。


(我ながらおかしなことを命じたものだ。魔導師でもなく権力も持たぬ、ただの普人族メンシュの若造に、国の命運を変えるようなことができるはずもない……)


 そう思うものの、ヴァルデマールに取りやめるよう命じることは考えなかった。どこかでもしかしたらという思いがあったからだ。

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