第11話「マルクトホーフェン侯爵の不満」
統一暦一二〇三年十月十日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、マルクトホーフェン侯爵邸。
コルネール・フォン・アイスナー男爵は宰相府から戻ったところで強い疲労感に襲われ、私室の柔らかいソファに深く沈み込んでいる。
先代のマルクトホーフェン侯爵であるルドルフの懐刀と言われている彼が、宰相府を訪問したのはある噂を耳にしたからだ。
それはレヒト法国との戦いで得た軍馬四千頭のうち、その半数がマルクトホーフェン侯爵に割り当てられるという噂だった。
その話を聞いた時、アイスナーは宰相であるテーオバルト・フォン・クラース侯爵がマルクトホーフェン侯爵家のために“無償”で軍馬を融通してくれると考え、宰相に対する評価を上方修正した。
しかし、情報が集まってくると、それは無償ではなく、総額一億マルク(日本円で百億円相当)にも及ぶと知った。
そのため、慌てて宰相府を訪問し、クラース侯爵を問い質したのだ。
『マルクトホーフェン侯爵家のために、多数の軍馬を融通してくださるよう手配されたと聞きましたが、真のことでしょうか?』
慎重な言い回しで侯爵は得意げに、彼にこう言い放った。
『その通りだ。エッフェンベルクやノルトハウゼンが軍馬を売れと言ってきたが、すべて断っておる。これで侯爵家にあだなす者たちの手に渡ることはないぞ』
アイスナーはその言葉を聞き、やはり宰相は無能だと評価を下げる。
『しかし、一度に多数の軍馬を購入することは負担となりますが』
暗に購入は厳しいとほのめかしたが、クラース侯爵は得意げだった。
『もちろんその点は考えておる。相場の半額で譲るよう命じてあるぞ。官僚どもは反発したが、儂の力で詔勅という形に持ち込んでやったわ。グハハハ!』
『左様ですか……』
既に詔勅という形で決済されたと知り愕然とするが、宰相を非難することなく、引き下がった。
その場で非難することは容易いが、それを行ったところで何の解決にもならない。それだけでなく、まだ利用価値のある宰相との間に溝ができることを懸念し、怒鳴りそうになる気持ちを無理やり抑え込んだのだ。
アイスナーはソファに身を預けながら、今後のことを考えていた。
(グレーフェンベルクとエッフェンベルクにしてやられたようだ。まさかこのような手を打ってくるとは思わなかった。彼らに対する認識を改めるべきだろうな……)
アイスナーはクリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵に対し、生粋の武人であって政治には疎いという認識を持っていた。また、カルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵に対しても、元文官ではあるが、政治家としての才はなく、障害になる人物という認識は持っていなかった。
反マルクトホーフェン侯爵派の重鎮、オットー・フォン・メンゲヴァイン侯爵がいるが、アイスナーはメンゲヴァインが今回のような策を講じられるほどの能力はないと断じ、グレーフェンベルクらが主導したと考えたのだ。
(ご当主様に早急にお伝えせねばならんが、どうしたものか。一億マルクと言えば、王国一の大貴族であるマルクトホーフェン家でも大きすぎる負担だ。何とか回避する手を考え、実行せねばならんのだが……)
既に詔勅という形で公表されているため、購入できないと申し立てることはマルクトホーフェン侯爵家が王家に真正面から逆らうことになる。
(時期が悪いな。グレーフェンベルクらが歴史的な大勝利を飾った後だ。今更裏から手を回せば、侯爵家に災いをもたらすことにもなりかねん。あの国王であっても強気に出るかもしれぬからな……)
アラベラのマルグリット王妃殺害により、マルクトホーフェン侯爵家の王国内での立場が微妙になっている。また、グレーフェンベルク伯爵が宿敵レヒト法国に歴史的な大勝利を収めており、以前のように内戦に怯える者が少ないことが更に危機感を強めていた。
(それにしても嫌らしい手だ。侯爵家が断れぬ状況にしておいて、財力にダメージを与えてくる。それだけではなく、軍馬を手に入れたことで軍事力が上がったと警戒もされるだろう。この状況で下手な動きをすれば、侯爵家が謀反を考えていると思われても反論しづらい。アラベラ様の無思慮な行動がここまで仇になるとは……)
憂鬱になっていくが、冷徹な彼は頭を切り替える。
(うだうだ考えても仕方がない。完全に跳ね返すことが難しいのであれば、被害を最小限に食い止めることを考えるべきだ。そのためには宰相と交渉する必要があるが、先代様ならともかく、ご当主様は嫌がられるだろうな……)
先代のルドルフ・フォン・マルクトホーフェンはアイスナーに対し、王都における自身の代理人として、王家と直接交渉することを許すなど、大きな権限を与えていた。
しかし、若くして当主となったミヒャエルは、自分を傀儡と考えるルドルフに対し思うところがあり、その腹心であるアイスナーに対し警戒心を抱いている。
これはマティアスが行った情報操作の成果であった。
(一週間ほど時を失うが、独断で進めるわけにはいかぬな。後手に回らねばよいのだが……)
アイスナーは宰相に対する策を書簡にまとめ、マルクトホーフェン侯爵に送った。
■■■
統一暦一二〇三年十月十三日。
グライフトゥルム王国中部マルクトホーフェン侯爵領、マルクトホーフェン城。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵
大きく日が傾いた頃、王都を任せているアイスナーから至急の書簡が届いた。
読み進むうちに怒りが込み上げてくる。
「何をしているのだ、アイスナーは! なぜ一億マルクも払って軍馬を買わねばならんのだ!」
マルクトホーフェン騎士団は五千名だが、騎兵は五百騎ほどでしかなく、軍馬は予備を含めても八百頭ほどだ。その倍以上の軍馬を買えと言ってきたのだ。
私が怒りを爆発させてもおかしな話ではない。
声を上げることで少し落ち着きを取り戻した。
(父上に話をせねばならんだろうな。アイスナーが宰相を動かしたいと書いてきたが、私が王都に行くべきだろう。父上が許してくれるかは微妙だが……)
アイスナーの書簡を持ち、父の居室に向かう。
父は領内の有力な商人と会っていた。フェアラート会戦の敗戦の責任を取って当主の座を私に譲ってから既に七年近く経つが、まだ当主のつもりでいるのだ。
私は不愉快な思いをしながら、強引に割り込み、その商人を追い出した。
父も私の行動に不満を感じたようだが、これほど強引に割り込んだことに危機感を持ったのか、そのことについては何も言わなかった。
「急ぎのようだが、どうしたのだ?」
私はアイスナーからの書簡を渡しながら、簡単に説明していく。
「アイスナーから驚くべき情報が来ました。二千頭の軍馬を買えという詔勅が出たそうです……」
父は書面を見ながら話を聞いていくが、私と同じように怒りを爆発させる。
「何をしているのだ、クラースめは! 我が家を破産に追い込むつもりか!」
怒りの矛先は宰相と私とは違うが、認識は変わらない。
「アイスナーが宰相に工作を行いたいと言ってきております。ですが、これは一男爵に任せられるような案件ではありません。私自身が王都に出向き、直接対応したいと考えております」
父は私をじろりと見た後、首を横に振った。
「お前よりアイスナーの方が適任だろう」
「ですが……」
私が反論しようとしたが、父は私の言葉を遮る。
「アイスナーが失敗したら、お前が出ればよい。アイスナーが何を約束しようと、家臣に過ぎぬ者の言葉に過ぎぬから、覆しようはいくらでもある。だが、当主であるお前が約束すれば、覆すことはできん。そのことをよく考えるのだ」
父の言っていることは間違っていないが、それでは私は傀儡のままだ。
「私が失敗しなければよいだけのこと。当代のマルクトホーフェン侯爵として王都に出向き、この状況を上手く収めてきましょう」
父は頑なだった。
「ならん! アイスナーに任せよ。あやつなら必ず上手くやる」
その言葉に頭に血が上る。
「私では上手くやれぬとおっしゃりたいのですか! いつまで子ども扱いするつもりなのですか!」
これまで面と向かって逆らったことがない私が大声を上げたため、父は驚きの表情を浮かべている。
「そなたはまだ二十二。経験が圧倒的に足らぬ。まずは経験を積むのだ。それに明後日のパーティはどうするのだ? そなたの誕生日を祝うために多くの者が集まるのだ。このような案件でパーティを流すつもりか」
明後日の十月十五日は私の二十三回目の誕生日だ。そのため、領内だけでなく、様々なところから招待客がやってくる。
そしてこのパーティを利用し、派閥の引き締めと招待した中立派の取り込みを行うことになっており、キャンセルすることは確かに痛い。
「分かりました。では、この案件はアイスナーに一任しましょう。では、失礼します」
そう言って父の返事を待たずに部屋を出ていく。
(いつか自分ですべてを決めてやる。私にもできることを父に見せつけてやるのだ……)
廊下を歩きながら、私はそう心に誓った。
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