第8話「商人ライナルト・モーリス」

 統一暦一一九五年三月三日。

 グライフトゥルム王国東部ヴィントムント市、モーリス商会本店。ライナルト・モーリス


 私がマティアス・フォン・ラウシェンバッハという少年に出会ったのは一年半ほど前の秋、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの上級魔導師マルティン・ネッツァー氏に紹介されたからだ。


 その時の本来の目的は大賢者であるマグダ様に拝謁するためで、初めて叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの本拠地、グライフトゥルム市に足を踏み入れた。


 大賢者様への拝謁では二言三言話しただけだが、その存在感に圧倒され、すべてを見透かすような視線に慄いたこと以外、ほとんど覚えていない。


 私自身、物怖じしない性格だと思っていたが、やはり神に最も近い方と呼ばれるだけあって、普通の人は違うのだと思い知らされた。


 大賢者様との拝謁を終え部屋を出たところで、ネッツァー氏がある提案をしてきた。


「ある人物に会ってもらいたいんだが、どうかね? 但し、その人物のことは誰にも話さないという約束をしてもらう必要があるが」


 ネッツァー氏は上級魔導師であり、大導師、導師の下位であるため、この塔での地位はそれほど高くない。しかし、大賢者様のお気に入りと言われ、王都での責任者を任されるほどの人物だ。


 その彼が内密に会ってほしいと言ってきたことに興味を持つが、一方でこういったことは初めてであり、わずかに逡巡する。


「約束することはやぶさかではないのですが……」


「会って損のない人物だよ。まあ、最初は驚くと思うが、秘密さえ守れば危険はないしね」


 逆に言うと秘密を守らないと危険だということだ。つまり、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの持つ伝説的な暗殺者集団、闇の監視者シャッテンヴァッヘに抹殺される可能性があることに気づく。


 闇の監視者シャッテンヴァッヘは“ナハト”と呼ばれる暗殺者集団ほど有名ではないが、少しでも情報に通じる者なら同じくらい恐ろしい存在であると知っている。


 恐怖を感じたものの、それほど重要な機密に触れられる機会は二度とないと腹を括る。


「分かりました。秘密は厳守いたします」


「そんなに気負わなくてもいい。今から会う相手はマグダ様の弟子だというだけだから」


 大賢者様の弟子と聞き、その時は高位の魔導師に会うのだと考えていた。

 しかし、案内された部屋に入ると、そこには幼い子供が一人、窓際にある机に向かって何か書き物をしているだけだった。


 その子供はネッツァー氏に気づくと、視線を私たちの方に向けた。

 窓からの光では逆光になるが、日に焼けた感じはなく、儚げな少女のように見えた。ただ、着ている服は貴族の少年が着るものに似ており、どちらなのだろうと思っていた。


「今日の体調はどうかな?」


 ネッツァー氏がその子供にやさしく声を掛ける。

 その時、私はネッツァー氏が時間調整のために、この子供のところに顔を出したのだと思っていた。そのため、私が話をするようなことはないだろうと気を抜いていた。


「最近はだいぶ調子はいいですね。先ほども大賢者様に診ていただき、無理をしなければ外に出て身体を動かしても問題ないとおっしゃっておられました」


 そこでその少年は私の方に視線を向けた。


「マティアス・フォン・ラウシェンバッハと申します」


 聡明そうな声と知っている名が出たことから思わず見入ってしまったが、慌てて自己紹介を行う。


「モーリス商会に勤めております、ライナルト・モーリスと申します。ラウシェンバッハ子爵様のお身内の方でしょうか?」


「長男です。父をご存じなのですか?」


 少し首を傾げた感じがますます儚げに見える。


「もちろんですとも。ラウシェンバッハ子爵様は宰相閣下の下で財政を担当されておられる優秀な方です。我々商人は常に子爵様に注目しておりますよ」


 この言葉に嘘はない。

 ラウシェンバッハ子爵は宰相府の財務官僚であり、若いながらも無軌道な王国の財政を何とかしようと奮闘している人物だ。


 我々商人にとっては増税を防いでくれているありがたい人物であり、無駄な支出を垂れ流しながら増税を口にする大貴族たちより余程信用している。


「そうですか。父はあまり仕事の話をしませんので、私はどういった仕事をしているのかあまり知らないのです」


 十歳に満たない少年に王国の政治の話はしないだろうと思った。

 そのことが顔に出たのか、マティアス様はニコリと微笑む。


「当然ですね。八歳の子供に話す内容ではないですから」


 そう言った後、話題を変えてきた。


「モーリスさんはどういった商売をされているのですか? グライフトゥルム市ここに来られたということは魔導具ヴェルクツォイクを扱っておられるのでしょうか?」


 その問いに答える前に、貴族の子供としては非常に丁寧な言葉遣いであり、そのことが気になった。


「モーリスとお呼びください。私は平民に過ぎませんので」


 私の言葉にマティアス様は微笑みながら小さく首を横に振る。


「いえ、私は何もできない子供に過ぎませんから、年長者には敬意をもって接するように心がけているんです。ですから、このままでお願いします」


「ですが……」


 私が困惑しているとネッツァー氏が笑いながら話に加わってきた。


「マティアス君はこういう性格だから気にしないでいい。小間使いにすらこんな調子で話しているんだから」


 顔は笑っているが、目はあまり笑っていない気がした。そのため、ネッツァー氏に頷いてから話を始めた。


「私どもモーリス商会は世界各国の産物を扱っている商社となります。農産物から武具、書籍、工芸品、先ほど話が出ました魔導具ヴェルクツォイクも含め、お客様がお求めになるものであれば、何でも取り扱っております」


 そう言ってやや誇張した説明をする。

 実際、扱っている商品は言った通りなのだが、モーリス商会はギリギリ中堅どころと言われる程度の規模であり、大手なら儲けが少ないといって手を出さないような商品まで扱わざるを得ないのだ。


「手広くされていらっしゃるのですね。どこでどんな物を扱っていらっしゃるのですか?」


「東はオストインゼル公国から西はレヒト法国まで様々です。特にオストインゼルでは……」


 これまで扱った商品について、いろいろと話していった。

 マティアス様は聞き上手というか、非常に話しやすい方で、当初の目的である秘密を厳守すべき相手ということを忘れ、会話を楽しんだ。


 三十分ほど話し込んだところで、マティアス様が意外なことをおっしゃった。


「金属素材も扱っておられるんですね。でしたら、早めに仕入れた方がいいかもしれません。年が明ける前に高騰するでしょうから。特に武器に使う鉄などは」


 突然のことで頭が付いていかず、疑問を口にした。


「それはどういうことでしょうか? 最近は帝国が大人しいですから、鉄の値段は数年前に比べてずいぶん下がっていますが?」


「その帝国が動くかもしれませんよ。それもエーデルシュタイン辺りに向けて」


 マティアス様はそう言いながら、フフッという感じで笑った。その笑みには何か意味がありそうで、思わず言葉に詰まる。


「どういうことでしょうか? そんな情報があるとは聞いていないのですが……」


 ゾルダート帝国の帝都ヘルシャーホルストは商人組合の本部がある商都ヴィントムントですら千五百キロメートルほど離れているから帝国の情報は頻繁に入ってこない。それでも注目すべき国であり積極的に情報収集は行われている。


 世俗と隔絶した魔導師の塔が帝国に興味を持つとは思えず、この町の人たちより私の方が情報を持っていると思っていたのだ。


「確かに今現在そんな情報はありませんね。ですが、情報が出回ってからでは儲けられないのではありませんか?」


 マティアス様は微笑みながらそうおっしゃった。


「その通りですが……」


 そう答えるものの、マティアス様の微笑みが気になった。


「情報が広まるタイミングで誰かが買い占めていて品薄と分かれば、大手も含めて皆パニックに陥るでしょう。そうしたら余計に値は跳ね上がるはずです。恐らく数倍、上手くいけば十倍くらいになるかもしれませんね。まあ、三月になればパニックも収まるでしょうから、それまでに売り捌いた方がいいとは思いますが」


 マティアス様は意味深な笑みを浮かべながら具体的な数字まで上げる。そして、マティアス様の言葉にネッツァー氏も賛同した。


「私もマティアス君の言うことは聞くべきだと思うね。まあ、自己責任だけどね」


 言葉は軽いが、ネッツァー氏は笑っていなかった。

 その後、もう少し話をしたが、今の話が気になって内容はあまり覚えていない。


 マティアス様の部屋を辞去した際、ネッツァー氏が念を押してきた。


「ここでの話は一切他言無用だよ。特にマティアス君の存在については絶対に漏らしてはいけない。分かっているね」


 いつになく真剣な表情に「は、はい」と答えることしかできなかった。

 しかし、その言葉でマティアス様が大賢者様の弟子であることが確定した。


 大賢者様が指導された方はたくさんいるはずだが、“弟子”という称号を得た方は記憶にない。

 つまり、マティアス様は幼いが、それほどの人物ということだと悟った。


 その後、ヴィントムントに帰り、情報を収集するが、帝国が侵攻するという話は一切なかった。それどころか、新皇帝は国内の掌握に手間取っており、リヒトロット皇国への侵攻作戦は早くても再来年以降ではないかという噂まで流れていた。


 それでも私は賭けに出た。

 商会長である父の反対を強引に押し切り、鉄や銅などを買い漁った。更に剣や槍、鎧などの武具も手当たり次第に買ったため、一時は資金繰りが厳しくなり、年明け早々にでも商会が立ち行かなくなるのではないかと噂が立つほどだった。


 しかし、年が明ける前の十二月半ば、帝国が電撃的に侵攻し、リヒトロット皇国南部の鉱山地帯を占領したという情報がもたらされる。


 その情報を受け、グライフトゥルム王国を始め、グランツフート共和国やレヒト法国では金属素材の値段が一気に上昇した。更に我が商会が既に買い占めていたことが知られると、マティアス様がおっしゃった通り、大手を含め商人たちがパニックに陥り、二十倍、三十倍と高騰していった。


 私は賭けに勝った。

 マティアス様の助言通り、翌年の二月末までにすべての在庫を売り払い、その結果、モーリス商会はその資産を数十倍に増やした。弱小商会と蔑まれていた我が商会は一気に大手と肩を並べるまでに成長したのだ。


 この成功により父は私に商会長の座を譲り、私は二十歳そこそこで商人組合ヘンドラーツンフトでも一二を争う大手のトップとなった。


 そんなこともあり、組合の会合などで今回の勝因についていろいろと聞かれただけでなく、父や従業員にまで探りの手が伸びた。


 しかし、私以外に真実を知る者はいないし、私も命が惜しいから独自に情報を分析したとしか言わなかった。


 そのため、私ライナルト・モーリスは類稀なる情報収集能力と分析力、更には不確かな情報でも大胆な投資が行える豪胆さを持つ、若手随一のやり手という認識を持たれるようになってしまった。


 当初はその虚名に戸惑ったが、私は開き直った。その虚名を最大限に生かし、更に商会を大きくしていったのだ。


 もちろん、私自身にそれほどの能力があるわけでもないため、ネッツァー氏を通じて密かにマティアス様のお知恵を借りている。


 その際にもマティアス様から大手のやっかみを受けるから大手にも適度に情報を流して協力関係を築くこと、商人組合ヘンドラーツンフトの上層部に味方を作ることなどの助言をいただいた。


 そのおかげで嫌がらせは許容できる範囲で収まり、今では海千山千の大手商会の商会長たちとも上手くやれている。このことも私がやり手という印象を強め、虚名が更に大きくなった。


 私としてはこれだけの恩に報いるため、儲けの何割かを譲りたいのだが、彼は個人として現金はもちろん、高価な品も一切受け取ってくれない。そのため、何かして欲しいことはないかと尋ねたら、ある提案をされた。


「可能でしたら叡智の守護者ヴァイスヴァッヘに寄付をお願いしたいと思っています。治療や護衛に対して、私からは何もお返しできていませんので」


 義理堅い方だなと思いながら即座に了承し、ネッツァー氏にその話を持っていった。

 数日後、上層部に確認した結果が伝えられる。


「大導師様まで確認したが、受け取らないという結論になった」


「なぜでしょうか? 不利益はないと思うのですが」


 私の疑問にネッツァー氏が答えてくれた。


「理由は聞いていないな。もらっておけばいいと私は思うのだがね」


 理由は判然としなかったが、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘは魔導具の販売で大きな利益を上げているため、私が渡す程度の金は不要ということなのかもしれないと思うことにした。


 マティアス様に再び確認を取ってもらうと、噂話などの情報が欲しいということと、情報分析室の調査にできる範囲でいいので協力してほしいという依頼があった。


 私は組合で流れている噂や独自に仕入れた情報をまとめ、定期的に情報を送ることにした。送り先はマティアス様から指定された、叡智の守護者ヴァイスヴァッヘの情報分析室だ。


 情報分析室は大賢者様が直々にお作りになられた部署だそうで、情報のまとめ方など細かい指示を受けている。ネッツァー氏からは何も聞いていないが、私はマティアス様が絡んでいると確信していた。


 また、情報分析室に所属する闇の監視者シャッテンヴァッヘの調査員から協力依頼が来た際には積極的に力を貸している。力を貸すと言っても、誰々を紹介してほしいとか、商隊の護衛として雇ってほしいとか、私にとっては簡単なもので役に立っているのか自信がない。


 私としてはこんなことで礼になっているのかと常に思っている。それはマティアス様からいただく情報や助言が私自身に多大な恩恵をもたらしているからだ。


 そのため、ラウシェンバッハ子爵領に支店を出し、農業や商業に投資を行っている。いずれマティアス様は爵位を相続されるから、今から領地を豊かにしておけば恩返しになると思ったからだ。


 もっとも無理な投資ではなく、きちんと利益は得ている。また、私がラウシェンバッハ領に投資を始めたことで、他の商会も支店を出し始めた。帝国の一件があり、何か思惑があると勘繰られた結果なのだが、ラウシェンバッハ領は徐々に豊かになっている。


 ネッツァー氏がどういう意図でマティアス様に引き合わせてくれたのかは分からないが、私にとって人生が変わるほどの出会いであったと言えるだろう。


 ただ、いつも思うのは、マティアス様とは一体どのような方なのだろうかということだ。

 大賢者様の愛弟子であり、それに相応しい叡智をお持ちであることは分かるが、普人メンシュ族の十歳になったばかり子供に過ぎないのだ。


 しかし、その中で一つだけ分かっていることがある。

 それは彼が微笑む時、その知性が最大限に発揮されている時なのだということだ。


 ネッツァー氏にそのことを言うと、彼も同じことを感じていると教えてくれた。そして、あの偉大な大賢者様ですら、私と同じことを考えていると後に知った。

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