第52話「闇夜の戦い」

 統一暦一二〇五年九月五日。

 ゾルダート帝国西部フェアラート、王国軍駐屯地。黒獣猟兵団エレン・ヴォルフ


 日が落ちた頃、ゾルダード帝国の大軍が十キロメートルほどの位置まで来ていると聞いた。


 我々シュヴァルツェベスティエン猟兵団イエーガートルッペはマティアス様とイリス様の護衛十名以外、司令部から少し離れた場所に待機していた。

 そこにイリス様がシャッテンのユーダ殿と一緒に来られた。


 俺たちは一斉に立ち上がり、敬礼する。


「楽にして」


 イリス様の言葉で休めの体勢を取りながら、我々に何か任務が与えられるのではないかと期待する。


「帝国軍が近くまで来ていることは聞いているわね」


「「「はっ!」」」


 全員が一斉に答える。


「帝国軍の偵察隊が今も我々を監視しています。明日の朝、我が軍は敵を欺くための行動を開始しますが、それを敵の本隊に知られるわけにはいきません」


 そこで俺たち全員が何をすべきか理解した。


「今回も敵の偵察隊を確実に葬り、我が軍の動きを敵に知られぬようにするのです」


 俺たちは全員が静かに頷いていた。


「あなたたちはフェアラート攻略前の斥候狩りで、充分な能力を示してくれました。このことは、マティはもちろん、グレーフェンベルク伯爵も高く評価しています。今回もその評価に値する成果を見せてくれると信じています」


 そこでユーダ殿に視線を向けられた。


「残念ながら私は夜目が利きません。特に昨日が新月でしたので、私は完全な足手まといになります。ですので、今回の指揮はユーダが執ります……ユーダ、作戦の説明を」


 イリス様はそうおっしゃり、ユーダ殿に場所を譲られた。ユーダ殿はイリス様に優雅に一礼すると、俺たちに向かって話し始めた。


「標的である偵察隊だが、今回は正規軍団の精鋭だ。前回のように簡単にいくとは思うな。一騎でも逃げられれば、作戦自体が失敗する可能性もある。夜明け前に周辺にいる偵察隊をすべて排除する……」


 前回同様、熊人族と猛牛族以外の四十名すべてが作戦に投入される。

 更にユーダ殿と部下のシャッテン二名がそれに加わる。


「半数は私が指揮を執る。残りの半数はエレン・ヴォルフが指揮を執れ。シャッテンが通信兵として同行するからイリス様か私の命令が随時届くが、現場での判断はお前に任せる」


 大任を与えられたことに気持ちが高揚するが、それを抑えて背筋を伸ばして答える。


「はっ! 黒獣猟兵団の半数を率い、敵偵察隊を殲滅します!」


 その後、敵の位置や規模について説明があった。


「帝国軍の偵察隊は現在確認できているだけで十隊、一隊は騎兵十騎が基本だ……」


 騎兵が百騎、我々の倍以上だが、分散しているから手際よく倒していけば難しくはないだろう。


「……第三軍団第一師団の偵察隊は帝国軍でも特に精鋭を集めていると聞く。彼らは優秀な兵士というだけでなく、情報を司令部に届けるという任務を第一に考えるそうだ。仮に包囲されたとしても一騎だけでも脱出できるように、その他の者が身を挺して突破口を開くと言われている。だが、我々はそれを許さず、一騎残らず殲滅する」


 その後、ユーダ殿が地図で敵の位置を説明した。十個の隊はフェアラートの町から半径二キロメートルほどの範囲にバラバラに配置されている。各隊は五百メートルほど離れており、よほど大きな音を立てられなければ、気づかれることはないはずだ。


 俺たちは早めに就寝し、翌朝の任務に備えた。


■■■


 統一暦一二〇五年九月六日。

 ゾルダート帝国西部フェアラート郊外。帝国軍第三軍団第一師団偵察隊兵士ヘニング・ロス


 俺たち偵察隊は一列になって、深夜の草原をゆっくりとした速度で移動している。

 ゆっくり歩いているのは、空にあるのは細い三日月であり、月明りがほとんどないためだ。


 先頭を歩く副隊長が遮光板で覆われた灯りの魔導具で足元だけを照らし、その後ろを歩いているから、どうしても歩みは遅くなる。


 夜明けまであと一時間ほどというところで、フェアラートの町が見える位置までやってきた。俺たちがいる場所からはフェアラートの南の城壁が見えている。城壁には篝火と灯りの魔導具が等間隔に並べられていた。


 小さな丘の陰に馬を隠し、丘の上に移動する。ここから城壁まではおよそ五百メートル。支給されている望遠鏡で見れば、城壁の上にいる兵士が何とか見える。一応立っているが、ここから見てもやる気がなさそうな雰囲気が伝わってくる。


 夜明けが近づき、東の空が僅かに白み始めた。

 といってもまだ真っ暗で、隣にいるはずの隊長の姿すらぼんやりとしか見えない。


「ヘニング、お前にあれが見えるか」


 隊長がそう言って声を掛けてきた。


「どれですか?」


 何のことを言っているのか分からず聞き返す。


「城門を見ろ。少し開いた気がするが……」


 そう言われて望遠鏡を城門に向けた。


「確かに少し開いている気がしますね……背中に籠を背負った男が出ていきます。川に魚でも獲りに行くんですかね」


「さすがは我が隊で一番若いだけあって目がいいな。俺にはそこまでは見えんよ」


 一番若いと言っても、俺も軍に志願してから七年、今年で二十三になる。それでも師団長直属の偵察中隊は精鋭揃いで、兵は二十代後半が多く、隊長は叩き上げの三十代後半だ。

 隊長は最近目が悪くなったとしきりに言っていたので、俺以外でも同じことを言ったはずだ。


「それにしても王国軍の奴らは何を考えているんでしょうね。城壁の上の兵士のほとんどがぼおっと立ったままなんですが。俺たち帝国軍が来るなんて思っていないのかもしれませんね」


「おい。それは本当か? 俺には何人かが動いているように見えていたんだが」


「本当ですよ。あの城壁の上でうろうろ動いているのは二人だけです。他はほとんど動いていないですね」


 そこまで言ったところで、俺にも異常だと分かった。


「もう少し近づいてみるか……ヘニング、お前はここで監視を続けろ。下に行ったら交代要員を呼ぶ」


 隊長はそれだけ言うと、丘を降りていった。

 一人になると、虫の声が耳につく。しかし、それを無視して城壁の上を監視していた。


 隊長が離れてから一分ほど経った頃、虫の音が小さくなり、丘の下から僅かだがざわめきを感じた。

 馬が蹄で地面を掻き、時々くぐもったような声が聞こえる気がした。


 何かあったのかもしれないと思ったが、この場を離れるわけにはいかない。

 しかし、下が気になるため、そっちの方向に目を凝らす。


「うっ……」


 小さな悲鳴のような声が聞こえた気がした。

 この辺りには魔獣ウンティーアはいないはずだが、闇夜に隠れて襲ってくる魔獣がいるのかもしれないと恐怖を感じる。


「て、敵襲!」


 隊長の声が響いた。その直後、キーンという剣同士がぶつかる金属音と、微かな火花を目に入ってきた。


「敵だと……」


 俺はすぐに立ち上がると、剣を抜いた。

 そして、丘を駆け下りようとしたところで、真っ黒な影のようなものが目の前に立ち塞がる。


「逃げられたら困るのよね」


 その声は若い女のもので、苦笑している感じがあった。

 その言葉に反応することなく、黒い影に向けて剣を振るう。

 剣は空を切り、俺の攻撃はあっさりと躱された。


「悪い腕ではないけど、私の敵ではないわね」


 それだけ言うと、その女の影が消えた。

 次の瞬間、首に小さな痛みを感じた。そして、温かい液体が首を濡らしていくのが分かった。


「残念だったわね。そこでゆっくり休みなさい」


 俺は何が起きたのか理解できないまま、倒れていく。

 そして、その視線の先に女の影が映った。そこには狼のような太い尾が翻っているのが見えた気がした。


「獣人……なのか……」


 そこで俺の意識は途絶えた。


■■■


 統一暦一二〇五年九月六日。

 ゾルダート帝国西部フェアラート近郊。黒獣猟兵団エレン・ヴォルフ


 空が白み始めた頃、俺たちは敵の偵察隊をすべて排除した。

 我々猟兵団はほぼ無傷で、兎人ハーゼ族の女性戦士が掠り傷を負っただけで、完勝だった。


 といってもあまり自慢にならない。

 帝国軍の偵察隊は夜目が利かない普人族メンシュばかりで、暗闇の中では俺たち獣人族セリアンスロープが圧倒的に有利だからだ。


 帝国軍の偵察隊が乗ってきた馬はすべて回収する。間違って本隊に向かわれると面倒なことになるためだ。


 フェアラートに戻る途中、俺は同じ狼人族の女戦士、レーネに注意を与えた。


「最後の戦いは気を抜き過ぎだ。話をする必要などなかっただろう」


 レーネはしまったという顔をしてペロッと舌を出す。


「バレちゃった? 手応えがなさすぎるから、反撃させてみたのだけど、見られていたのね」


 こいつは昔から少し悪ふざけをする癖があった。


「逃がさない確信があったのだろうが、俺たちの任務は……」


 そこまで言ったところで、レーネが頭を下げる。


「悪かったわ。次からこんなことはしないから許して」


 殊勝なことを言っているが、こいつはまたやるだろう。だが、まだ帰還途中であり、これ以上無駄話をしても仕方がないと諦める。


 フェアラートの町に入ると、イリス様が出迎えてくれた。既に通信の魔導具で成功は伝えており、満面の笑みを浮かべておられた。


「よくやったわ! ゆっくり休みなさいと言いたいところだけど、すぐに敵の第三軍団が攻めてくるわ。これから私と一緒にヴェヒターミュンデ城に戻ってもらいます。すぐに戻らないとマティがうるさいから」


「「「はっ!」」」


 そのお言葉に全員が敬礼で応える。

 戦場で戦いたい気持ちはあるが、俺たちだけにしかできない任務がある。それをきちんとやった方がマティアス様のためになるから、不満はない。


 その後、ヴェヒターミュンデ城に戻ったが、後方では戦いが始まっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る