第43話「参謀本部発足へ」

 統一暦一二〇七年八月二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、騎士団本部。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 昨日の御前会議で総参謀長人事が承認された。

 総参謀長には前財務次官のユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵が就任する。


 オーレンドルフ家は王都の東百キロメートルほどの位置にある中堅都市オーレンドルフを領地に持つ。


 オーレンドルフは大陸公路ラントシュトラーセの宿場町でもあり、かつ商都ヴィントムントと王都の間にあるため、交易都市として栄えており、伯爵は王国有数の裕福な貴族だ。


 また、王都に比較的近いことから王国騎士団が定期的に派遣されるため、オーレンドルフ家は固有の騎士団を持つ必要がなかった。


 そのため、伯爵家は武よりも文に重きを置き、財務を得意とする文官を多く輩出していた。ユルゲンもその伝統に従って、財務官僚の頂点、財務次官にまで上り詰めている。


 父リヒャルトも財務官僚であったため、オーレンドルフ伯爵について聞いてみたが、比較的付き合いやすい人物のようだ。


『伯爵は下の者の意見をよく聞いてくださる方だな。その上で宰相を上手く操り、我が国の財政を上手く回しておられた。まあ、前宰相のクラース侯爵は細かい数字を見る方ではなかったということもあるのだがね……』


 しかし、今年の一月にメンゲヴァイン侯爵が宰相になってから、宰相府はおかしくなった。


 メンゲヴァインは何にでも首を突っ込みたがる割には、実務を全く理解しておらず、官僚たちの仕事を滞らせていた。


 財務のプロであるオーレンドルフ伯爵は、そんなメンゲヴァインに何度も苦言を呈したが、プライドが高く狭量なメンゲヴァインは、その都度激怒していたらしい。


 そして決定的な事件が起きた。

 メンゲヴァインは既に決まっている予算の執行にまで口を挟むことが多かったが、人件費に対して前年度より大きく増加したことが気に入らず、役人への給与の支払いを停止させた。


 それにより、給与の遅配が起き、宰相府では一時大混乱に陥ったらしい。

 人件費の増大は軍務省設立による人員の増加が原因であり、そのことをオーレンドルフ伯爵は説明したが、メンゲヴァインは聞く耳を持たなかった。


 伯爵は埒が明かないと考え、メンゲヴァインを無視して国庫からの払い出しを認め、それにより混乱は五日程度で収まった。しかし、メンゲヴァインはオーレンドルフ伯爵に対し、越権行為だと怒鳴り散らした。


 温厚な伯爵も根拠のない誹謗中傷に対して、遂に堪忍袋の緒が切れ、辞表を提出した。

 ちなみに伯爵の行為は越権行為でも何でもない。既に承認された予算の執行であり、宰相の決裁は必要ないからだ。


『伯爵が辞められて、グリースバッハ伯爵が新たな次官になったが、やりづらい。宰相と次官の双方があれでは……』


 テオーデリヒ・フォン・グリースバッハ伯爵はマルクトホーフェン侯爵派だ。これまで財務の仕事に全く関与していなかったが、マルクトホーフェン侯爵がメンゲヴァイン宰相を挑発してねじ込んだ。


 太鼓腹の肥満体型で上に阿り下を虐げる典型的な小人物だが、時勢に対する嗅覚が優れていたのか、先代のルドルフが隠居した直後に若いミヒャエルへの支持を表明した。当時ミヒャエルには味方が少なく、恩を感じたらしい。


 そのグリースバッハと宰相は顔を合わせるたびに角突き合わせており、仕事が進まないと父はぼやいていた。


『まさかマルクトホーフェン侯爵に、次官に命令してくれと直談判しに行くとは思わなかったよ……』


 あまりに仕事が滞るため、グリースバッハの主君に当たるマルクトホーフェン侯爵に何とかしてくれと頼みに行ったらしい。


 無能な家臣をこういった使い方で役に立てるとは思わなかったため、呆れながらも妙に感心した記憶がある。


 財務次官については王国の弱体化を招くため、早急に手を打つべきだと思っているが、グレーフェンベルク伯爵の死去のゴタゴタからまだ手を打てていない。


 宰相府では混乱が起きているが、騎士団にとっては仕えやすいトップになるので朗報だ。実際、参謀本部立ち上げに向けて、オーレンドルフ伯爵に会い、総参謀長就任を依頼したが、思った以上に話しやすい人物だった。


 伯爵は現在四十二歳で、銀色の髪と痩身の紳士だ。二十歳も若く、爵位が低い私に対しても口調や態度はぞんざいではなく、父が理想の上司と手放しで褒めた理由が即座に分かったほどだ。


 ちなみに私は七月二十九日に子爵家相続が正式に承認され、ラウシェンバッハ子爵と名乗っている。


『念を押すが、私には戦争など全く分からぬが、それでもよいのだね?』


『はい。閣下にお願いしたいことは、参謀本部で検討した戦略をホイジンガー閣下や他の団長たちにご説明いただくことです。その際には私も同席いたしますので、質問への対応も不要です』


『リヒャルト殿自慢の息子である君が、そう言うのであれば引き受けよう』


 父とは二十年以上一緒に仕事をしているため信頼しており、意外にあっさり引き受けてくれた。


 そして本日、参謀本部立ち上げに向けて、これまで密かに声を掛けてきた参謀候補と顔合わせをする。


 参謀本部の肝となる作戦部の部長だが、ヴィンフリート・フォン・グライナー男爵が就任する予定だ。


 彼は第二騎士団発足時から作戦参謀の取りまとめ役として、前参謀長のベルトホルト・フォン・シャイデマン男爵や現参謀長のエルヴィン・フォン・メルテザッカー男爵を補佐していた優秀な参謀だ。


 現在三十一歳で、見た目は金色の長髪をなびかせる優男だが、同僚や隊長たちとの関係もよく、調整役としては非常に有能だった。


 また、責任感が強く、裏切った作戦参謀シェレンベルガーの件で責任を感じ、騎士団を辞めると言っていたほどだ。それを無理やり説得して作戦部長に就任させている。


『シェレンベルガー殿のことは男爵の責任ではありませんよ。ですが、どうしても第二騎士団を辞めたいとおっしゃるなら、別のところを紹介しますよ。これまで学んだことが無駄になるのはもったいないですから』


『それはそうなんですが……一体どこなんですか? エッフェンベルク騎士団かノルトハウゼン騎士団くらいしか思いつかないのですが?』


 彼は私より八歳も歳上で更に三年前から爵位を継いでいたが、参謀長代理として上司であったため、私が爵位を継いでいない時から敬語で接している。


『新たに立ち上げる参謀本部です。実戦部隊ではありませんが、作戦部で戦略を練っていただきたいと思っています』


『面白そうですが、それでは責任を取ったことにならないですよ』


『グレーフェンベルク閣下の悲願なのです。ヴィンフリート殿のお力を是非ともお借りしたい』


 そう言って頭を下げた。


『そう言われると断れませんよ。私も閣下の部下であることが誇りなのですから』


 グライナーだけでなく、グレーフェンベルク伯爵を慕う者は多い。

 昨年末時点ではまだ作戦部長とは言っていなかったが、参謀本部設立が承認された後にそのことを言うと、彼は驚いていた。


『私が作戦部長ですか! 王国軍の戦略を作り、戦場では戦術を提案する部署の長ということですよね……マティアス殿に見せる作戦を作り上げる自信はありませんよ……』


『そんなことはないと思いますよ。それに私も立案には参加します。恐らく私が参謀本部の実質的なトップになりますから』


 それで何とか納得してくれた。



 参謀本部の執務室は、王国騎士団長室の横にあった会議室になった。ここに入るのは総参謀長と私、更に作戦部となる。

 元からあった情報部は作戦部長以下、三十名ほどだが、既に騎士団本部内に執務室があるためだ。


 その執務室に、総参謀長であるオーレンドルフ伯爵と作戦部長のグライナー男爵、情報部長のギュンター・フォン・クラウゼン男爵、更に若手の参謀十名が集まった。


 参謀本部は作戦部、情報部、兵站部、計画部の四つの部で構成されるが、今回兵站部と計画部の設置は見送っている。


 補給を管理する兵站部と長期戦略を練る計画部も非常に重要なのだが、人員が不足しすぎて、当面の間、補給に関しては軍務省の調達部門に任せ、長期戦略は作戦部で考えることにしたのだ。


 スタートしたが、参謀本部というには小規模だし、何より若い。

 トップである総参謀長のオーレンドルフ伯爵が唯一の四十代で、三十代は三十四歳のクラウゼン男爵と三十一歳のグライナー男爵の二人だけだ。

 参謀は全員が二十代半ばで、最年少の私を入れれば、平均年齢は二十七歳くらいになる。


 私が司会役となって最初の会合を行った。


「王国軍参謀本部は正式には来年一月一日に発足します。ですので、今は準備室という名になりますが、正式に発足したつもりで任務に当たっていただきたいと思っています。では、総参謀長であるオーレンドルフ伯爵閣下よりお言葉をいただきます」


 オーレンドルフ伯爵は小さく頷くと、柔らかな笑みを浮かべて話し始める。


「私が総参謀長になる予定だが、皆も知っての通り、これまで騎士団とは無縁だった。私も理解するように努めるつもりだが、ここではマティアス君、いや、ラウシェンバッハ次長が実質的に取り仕切ることになる」


 あまりにぶっちゃけた言い方に、グライナーらが目を泳がせている。


「なあに、責任は私が取るから気にするな。君たちはラウシェンバッハ次長の指示に従って最善を尽くしてくれればよい。もっとも彼の指示で問題が起きるとは思えんから、責任を取る必要が出るとは思っておらんがね」


 そう言って最後にはニコリと微笑んだ。

 その言葉で私以外の全員が肩の力を抜く。王国では無能な上司が多く、それが原因で苦労が絶えないからだ。


 その後、全員が自己紹介を行った。

 自己紹介が終わった後、オーレンドルフ伯爵が再び発言する。


「これより王国騎士団長殿に挨拶に行く。それが終わったら我が屋敷でささやかな宴を執り行う。だから、挨拶はさっさと済ますぞ」


 そう言うと右目をぱちりと閉じた。思った以上にお茶目な上司だと笑みが零れた。

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