第42話「総参謀長決定」

 統一暦一二〇七年七月二十八日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。マンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵


 本日、参謀本部設立が御前会議で承認された。

 参謀本部設立の提案者は王国騎士団長である私だが、御前会議でこのことを切り出したのは軍務卿であるマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵だ。


 最初はマティアスの子爵位相続手続きに関する疑義が議題だった。

 その際、レベンスブルク侯爵は宮廷書記官長であるミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵に対し、遅延の理由を問い質した。


『二週間ほど前にも確認したが、マティアス・フォン・ラウシェンバッハの家督相続が遅れている理由がはっきりせぬ。宮廷書記官長はラウシェンバッハと確執があると言われているが、それが理由であるなら大問題だ。王国の重鎮たる宮廷書記官長が自ら法を曲げるなどあってはならんことだからな』


 それに対し、マルクトホーフェン侯爵が反論する。


『ラウシェンバッハには、王国貴族たる資質に疑問がある。ゾルダート帝国の皇帝から招聘の文書が届くような人物を、安易に認めるわけにはいかぬのだ』


 その理由は以前から言われているもので、更にレベンスブルク侯爵が強い口調で迫った。


『その理由はおかしいのではないか! 帝国が謀略を仕掛けたことは明らかになっているのだ! それが理由にならぬことは自明ではないか! それともマルクトホーフェン殿はラウシェンバッハが帝国と繋がっているという明確な証拠を持っているのか? ならば、それを提示し、彼を処分すべきだろう!』


『証拠はないが、疑われる時点で問題だと言っているのだ』


 マルクトホーフェン侯爵は苦し紛れの言い訳に終始する。


『それがおかしいと言っている。噂が流れるだけで家督が相続できぬというのであれば、王都はそのような噂で溢れかえることになる。陛下はこのような戯言をお認めになられるのでしょうか?』


 国王陛下はその問いに首を横に振られた。


『卿の言が正しいと思う。宮廷書記官長よ、余が納得できる理由を示さねば、卿が宮廷書記官長の任に耐えぬと判断せざるを得ぬぞ』


 それでマルクトホーフェン侯爵も渋々折れた。


『では、マティアス・フォン・ラウシェンバッハの家督相続については、早急に手続きを進めることといたします』


 そこでレベンスブルク侯爵は計画通り、攻勢に出た。


『参謀本部設立についても宮廷書記官長は反対しているが、明確な根拠がない。これもラウシェンバッハ子爵家の家督相続の件と同じではないのか? 陛下、この件についても考えをお伺いしたいと思いますが?』


『うむ。確かに同じと言えるかもしれん。宮廷書記官長、これについても余が納得できる根拠を示してくれぬか?』


 マルクトホーフェンは一応反論してきた。


『この件については、若いラウシェンバッハが総参謀長という要職に就任するという噂があります』


 そこで事前の打ち合わせ通り、私が否定的な発言をする。


『それについては噂に過ぎません。参謀本部の設立が確定次第、その長たる総参謀長には、爵位や経験などを加味した適正な基準で候補を選定し、お諮りいたします』


 この件はマティアス本人も気にしており、別の人物を総参謀長にして、彼を次長として実務に当たらせるという方針になっていた。


『そうであるなら、小職から言うべきことはございません』


 マティアスが事前に言っていた通り、マルクトホーフェンはあっさりと折れた。その言葉でレベンスブルク侯爵が間髪入れずに動く。


『では、参謀本部設立について再決議をお願いしたい』


 全員が賛成し、陛下が承認されたことで、来年一月一日をもって参謀本部が設立されることが決まった。

 マティアスの想定通りであるので驚きはなく、これで懸案が一つ片付くと安堵する。


 御前会議の後、レベンスブルク侯爵に呼ばれ、軍務省の軍務卿の執務室に入る。

 そこには侯爵と軍務次官であるカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵だけが待っていた。


「お見事でしたな」


 私がそう言うと、レベンスブルク侯爵は小さく頷くが、喜んでいる様子はない。


「設立は決まったが、問題は山積みだ。それを何とかせねば、意味がないからな」


 侯爵の言葉にカルステン殿が頷く。


「おっしゃる通りです。考えねばならぬことが多すぎます」


 二人の懸念は理解できる。

 参謀の確保や軍務省との住み分けなど問題は多いが、その中でも最大の問題は総参謀長人事だ。


「一番の問題は誰を総参謀長にするかですな。各騎士団長や将軍と同格になるのであれば、三十代以上の子爵以上で、誰もが実績を認める人物でなければ揉めることになるでしょう」


 私がそう言うと、侯爵とカルステン殿も同じ認識であり同時に頷いた。


「我が弟のコンラートが適任なのだが、第三騎士団長が代わった翌年に第四騎士団長まで交代するとマルクトホーフェンに付け込まれる恐れがある。よい候補がいればよいのだが……」


 侯爵の案は私も考えたことがあった。

 候補としては、レベンスブルク侯爵の実弟、第四騎士団長のコンラート・フォン・アウデンリート子爵だが、彼を第四騎士団長から外すことは難しい。


 残る候補者は目の前にいるカルステン殿くらいしか思いつかないが、彼も軍務次官として軍務省を取り仕切らねばならず難しい。

 頭を悩ませていると、カルステン殿が発言した。


「ここ数日考え続けていたのですが、候補になり得る人物を思いつきました」


 私と侯爵は同時に彼を見つめた。

 そして侯爵が疑問を口にする。


「騎士団には適任者がいないと思っていたのだが……ノルトハウゼン伯爵にでも依頼するのかな? 断られると思うのだが……」


 侯爵が挙げたカスパル・フォン・ノルトハウゼン伯爵は、フェアラート会戦で善戦した名将で、クリストフの辞任の際に王国騎士団長への就任を考えたほどの人物だ。


 しかし、北方の要であり、マルクトホーフェン侯爵を抑え込むために、王国騎士団長への就任を諦めている。

 そのため、王国騎士団長の部下である総参謀長に就任を要請することは考え難い。


「いいえ。私の高等部時代の先輩で、マンフレート殿と同期になるユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵です」


「オーレンドルフ? 彼は兵学部出身ではないが?」


 その名に記憶はあるが、想像もしていなかった人物であったため、思わず疑問形になる。


「ええ。私と同じ政学部です。そして、先月まで宰相府で財務次官をしていた生粋の文官です」


 カルステン殿は今でこそ名門エッフェンベルク騎士団を率いる武人として有名だが、元々は文官だ。


「オーレンドルフか……確かメンゲヴァインと揉めて辞めたと聞いたな……優秀な文官ではあったが、総参謀長の任に耐えられるとは思えん」


 レベンスブルク侯爵の言葉に私も頷く。

 総参謀長は全体戦略を立案する王国軍の頭脳だ。実戦経験どころか、騎士団に関与したこともない財務官僚に務まる役職ではない。


 カルステン殿は私たちの反応を予想していたのか、笑顔で説明する。


「オーレンドルフ殿が戦略を考えるわけではないのです。マティアスが考えた策を承認するだけなら、文官であっても問題ないでしょう」


「なるほど」


 私は思わずそう声に出した。

 その考えはありだと思ったためだが、侯爵も同じことを考えたようだ。


「うむ。確かに問題はないな。それにまだ四十二歳で宰相府を去らねばならなかったのだ。それも無能な宰相、メンゲヴァインのせいでな。ならば、新たな役職を提示すれば、乗ってくる可能性が高いということか」


 侯爵の言葉にカルステン殿が頷く。


「ユルゲン先輩の説得は私が行います。軍務卿と王国騎士団長の双方が認めたと言えば、説得しやすいのですが、交渉を進めてもよろしいでしょうか?」


「私に異論はない。いや、オーレンドルフが我らに与してくれるなら、中立派を切り崩したことにもなる。政治的な面でもいい人選だ」


 侯爵の言葉に私も頷く。


「私も賛成ですな。問題があるとすれば、マティアスの傀儡になるということですな。オーレンドルフ殿がそれを認めるかどうか」


 つい最近まで財務次官という要職にあった者が、僅か二十三歳の若造の傀儡になることを素直に認めるか疑問があった。


「その点は私にお任せいただきたい」


 カルステン殿は自信があるのか、余裕の笑みを見せていた。


 そして、それから三日後の七月三十一日。

 再び軍務卿の執務室に呼び出された。


 三人になったところで、カルステン殿が満面の笑みを浮かべて報告する。


「オーレンドルフ伯爵が総参謀長に就任することを了承しました」


「それはよかった。しかし、どうやって説得したのだ?」


 私がそう聞くと、カルステン殿はニヤリと人の悪い笑みに変える。


「マティアスに説得させたのですよ。彼の交渉力なら何とかできるだろうと思っていましたが、見事に説得しました」


 確かにマティアスなら説得できるだろうが、素直に頷いたとは到底思えない。そのことを聞くと、カルステン殿は大きく頷いた。


「マンフレート殿のおっしゃる通り、最初は無理だと断ってきました。総参謀長に就任するということは戦場に出ることにもなるのですから、文官である自分には絶対に務まらないと言って」


 当然の答えだと思った。


「そうだろうな。それでマティアスはどう説得したのだ?」


「戦場には自分が行くので、総参謀長は大元帥でもある陛下の傍にいれば、戦場に出なくとも誰も文句は言わないからと。それでもまだ渋っていたので、帝国も法国も五年以内に大規模な攻撃を仕掛けてくることはないから三年間だけ総参謀長に就任し、そこで後進に譲ってはどうかと説得しました。三年後ならユルゲン殿も四十五歳。隠居には少し早いですが、領地の経営に専念してもおかしくはありませんので」


「期限付きで納得したのか」


 私の問いにカルステン殿は頷く。


「ええ。但し、二年間だけと短くしてきました。彼も二年間なら帝国も法国も攻めてこないと考えたのでしょう」


「マティアスの傀儡になることについてはどうなったのだ?」


 レベンスブルク侯爵が質問する。


「その点も了承済みです。ユルゲン殿は財務次官時代も部下の仕事を承認し、宰相に報告するだけだったから、何ら変わらないとサバサバとした感じで答えていましたね。それにユルゲン殿の部下にはマティアスの父、リヒャルト殿がいましたから、彼の息子なら無茶なことは言ってこないだろうと考えたそうです」


 リヒャルト・フォン・ラウシェンバッハ子爵は有能な財務官僚だ。誠実な人物であり、宰相府の中でも彼を慕う者は多いと聞いている。


「では、何も問題はないのだな?」


「はい。明日の御前会議で人事について承認いただければ、来年一月の発足に十分間に合います」


 こうして総参謀長の人事が決まった。

 私とマティアスとの間に常識的な人物が入ってくれることは、歓迎すべきことだと考えている。


 天才の言葉をそのまま聞くのではなく、彼が聞くことで私にも分かりやすく説明してくれるようになるのではないかと期待しているのだ。


 翌日、この人事は国王陛下によって承認された。

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