第41話「始動」

 統一暦一二〇七年七月十二日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ


 昨日、クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵がこの世を去った。

 治癒魔導師であるマルティン・ネッツァー上級魔導師の見立て通り、六月に入ってからは会話も満足にできない状態になった。


 七月に入ると更に衰弱が激しくなり、そして昨日、彼の心臓が動きを止めた。

 享年四十二歳。あまりに早過ぎる死だが、唯一の救いは苦痛が少なかったことだろう。

 彼の死に顔は安らかだった。


 そして今日、葬儀が行われた。

 葬儀は王国騎士団本部で行われ、貴族だけでなく、多くの兵士が装備を整えた上で黒い喪章を右腕に巻いて参列した。


 葬儀の際し、嫡男アルトゥールは気丈にも涙を見せず、グレーフェンベルク伯爵家を継ぎ、亡き父に恥じぬ生き方をすると宣言した。その言葉に参列者の多くが涙を流している。


 葬儀を終えて屋敷に戻ってきたところだが、避けられぬと覚悟していた割に喪失感が大きく、言葉が出ない。


「クリストフおじ様もこれでゆっくり休めるわね」


 葬儀の場で泣き崩れていたイリスがポツリと呟く。


「そうだね。残された私たちが頑張る番だ。幸い、帝国はまだ本格的な謀略を仕掛けてきていない。今のうちに一気に事を進める」


 伯爵が倒れたという話がゾルダート帝国にも伝わり、四月の末頃から私に対する悪評が流れ始めた。


 その内容は私が野心家であり、王国を簒奪しようとしているというもので、マルクトホーフェン侯爵もそれに乗って噂を広めている。

 それに対し、私は一切反論せず、グレーフェンベルク伯爵の見舞いを続けた。


 更に私が伯爵の病に心を痛めているという噂を流し、軍務省や騎士団本部に顔を出さないようにしたため、尊敬する上司のために身を捧げてきた高潔な人物という話になり、野心家という評判を上書きしている。


 騎士団本部や軍務省に直接行っていないが、その間もマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵やマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵とは連絡を取り合っており、コミュニケーションの面で問題になることはない。


「本格的にマルクトホーフェン侯爵と対決するということかしら?」


 その言葉は質問というより確認という感じだ。


「私から対決を迫るつもりはないよ。私はやるべきことをやるだけだ。それを邪魔するなら、侯爵にもそれ相応の対価を払ってもらう」


 伯爵の遺言を聞いてから三ヶ月経つが、未だに参謀本部の設立と私の家督相続の話は進んでいない。


 参謀本部の話はともかく、私の家督相続については先延ばしにされてもあえて放置していた。放置と言っても定期的に状況確認とクレームは入れていたが、積極的に動いていなかったのだ。


 葬儀の翌日、士官学校での仕事を終え、午後三時頃にレベンスブルク侯爵の下に向かった。仕事と言っても士官学校も夏休みに入っており、前期分の成績をまとめたり、後期に行う講義の準備を行ったりする程度で、早めに帰っても問題はない。


 王宮の一画にある軍務省に、イリスと護衛の黒獣猟兵団員を引き連れて入っていく。

 軍務省は宰相府の一画に間借りしており、多くの文官が汗を掻きながら歩いている中を突っ切っていく。


 私が軍務省に入ったことはすぐにマルクトホーフェン侯爵の耳に入るはずだ。もちろん、それを狙っている。


 軍務卿の執務室に入ると、マルクス・フォン・レベンスブルク侯爵と軍務次官であるカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵が待っていた。

 レベンスブルク侯爵は以前より穏やかな表情で私を出迎えてくれた。


「よく来てくれた。昨日はグレーフェンベルク伯爵の葬儀であったが、落ち着いたかね」


 義父であるエッフェンベルク伯爵から、私たちの様子を聞いていたのだろう。


「お気遣いありがとうございます。伯爵のためにも動かなければなりません。ですから問題ありません」


「私も大丈夫です。クリストフおじ様のために頑張る時ですから」


 イリスがそう答えると、侯爵は笑みを浮かべて頷いた。


「うむ。それで今日はどのような話があるのかな」


 私はグレーフェンベルク伯爵のことを頭の片隅に追いやり、無理やりいつも通りの笑みを浮かべる。


「私の家督相続を利用し、参謀本部の立ち上げを一気に進めたいと思います。そのために閣下のお力をお借りしたいと考えております」


「ようやく時が来たのか。それで私は何をすればよい?」


 侯爵も参謀本部設立について懸念を感じていたが、私が策を練っているのでもう少し時間が欲しいと待ってもらっていたのだ。


「私の家督相続ですが、申請から既に半年以上経っております。親族からの異議申し立てもなく、私自身の出生に疑義が生じていない状況で、これほど長期間認められなかったことは異常と言っていいでしょう」


 侯爵家や伯爵家のような上級貴族はともかく、下級貴族にすぎない子爵家の相続においては事務手続きを含めても、一ヶ月程度で相続が認められることがほとんどだ。


 稀に親族が相続人について疑義を申し立て、その審議に時間が掛かり、三ヶ月ほどになることはあるが、何ら問題がない状況で半年は誰が見ても異常だ。


「そうだな。それでその事実をどう使うのだ?」


「御前会議の場で宮廷書記官長の能力に疑問があると、陛下に訴えていただきたいのです。その証拠として、私の家督相続の件を使っていただきたいと思います」


 侯爵は私の意図を理解したのか微笑みながら頷く。


「なるほど。これほど時間が掛かっているのは、マルクトホーフェンが宮廷書記官長の任に耐えぬからと言えばよいのだな」


「はい。その上でマルクトホーフェン侯爵は反論してくるでしょうから、今回は一旦矛を収めていただきたいと考えております」


 私の言葉に侯爵の笑みが消える。


「矛を収める? 奴の言い分を認めるということか?」


「いえ、マルクトホーフェン侯爵の言っていることは認められないが、能力があるならもう一度チャンスを与えるという感じで引いていただきたいのです」


「うむ……やることは分かったが、どのような意味があるのだ?」


 侯爵は私の意図を掴みかね、困惑の表情を浮かべた。


「マルクトホーフェン侯爵は閣下が引けば、会議の場で勝利したと考え、私の家督相続の件を放置するでしょう。その間に貴族の間に噂を流します。マルクトホーフェン侯爵は王国の法を曲げ、適正な家督相続を認めないと。そして、侯爵の意に沿わない相続はどれほど適正であっても認められないだろうと」


 侯爵は更に困惑の表情を強める。

 そこで義父が侯爵に代わり、疑問を口にした。


「そのような噂が流れれば、マルクトホーフェンの力が強いと貴族たちが思うようになるのではないか?」


「義父上のおっしゃる通りです。ですが、マルクトホーフェン侯爵派であっても彼一人に強い権力が集中することを手放しで喜ぶ者は少ないはずです」


「派閥の領袖が強くなるのだから、喜ぶのではないか?」


 義父の疑問に小さく頷く。


「表面上はそうかもしれません。ですが、侯爵の気分一つで自分の家の跡継ぎが変わるとなればどうでしょうか? 家督相続は非常にデリケートな案件です。相手が誰であっても外から口を出されることを皆嫌うのではないかと思います」


 昨年起きたシェレンベルガーのことを例に出すまでもなく、貴族の家督相続は非常にデリケートな問題だ。


 嫡男が明確であっても、次男以下が貴族としての身分を失うので、常に逆転を狙っている。また、兄弟以外でも叔父などの親族が自らの影響力を強めるために、介入する機会を窺っていることが多いのだ。


「確かにそうだな。当主ならば、自分が指名した嫡子を否定されて相続争いのきっかけとなることは避けたいし、嫡男であれば、いつ自分の継承権が剥奪されるか分からず不安になる。そのようなことを望む貴族はおるまい」


 義父は相続争いをしたわけではないが、二人の兄が次々と亡くなってバタバタと家督を継いだことから、相続時の混乱を経験している。


「はい。その上で半月ほど後にもう一度、この件を蒸し返していただきます。マルクトホーフェン侯爵もその頃には噂を耳にしているでしょうし、そろそろ認めてやるかと思っている頃だと思います」


 そこでレベンスブルク侯爵が頷いたが、まだ疑問は消えておらず、眉間に皺が寄っている。


「君の家督相続がスムーズに進むということだな。それは分かったが、参謀本部の件はどうするのだ?」


「その場で参謀本部設立の件も切り出していただきます。私の家督相続の引き延ばしが誤りだったと主張し、参謀本部設立の件も同じではないかと迫るのです。一度譲歩すると、同じようなことで迫られた場合、譲歩せざるを得ないと思い込みます。それに陛下もマルクトホーフェン侯爵の判断に誤りがあったと知り、反対者が彼一人であれば、認めていただけるのではないかと思います」


 国王を含め、御前会議のメンバーはマルクトホーフェン侯爵を嫌っている。国王は侯爵に逆らえば命を狙われると思い込んでいるため盲目的に従っているが、このような状況なら侯爵を貶めるために認める可能性が高い。


「なるほど。確かにそうかもしれんな」


 そこでイリスが発言する。


「注意すべき点があります」


「それは何かな?」


「一度目の御前会議ではマルクトホーフェン侯爵を追い詰めすぎないこと、二度目は逆にしっかりと追い詰めることです。最初に追い詰めすぎると、思わぬ反撃を受ける可能性がありますので、勝ったと思わせて油断させ、二度目で徹底的に追い詰め、彼の家督相続を認めさせます。その時、マルクトホーフェン侯爵に妥協も止む無しと思わせることで、もう一つの案件もなし崩し的に妥協させるのです」


 レベンスブルク侯爵は彼女の説明に納得したのか、大きく頷いた。


「面白い! あの高慢なマルクトホーフェンを掌の上で転がしつつ、妥協させるのだな! 奴の顔が歪むのが目に浮かぶようだ!」


 侯爵が露骨に喜ぶため、釘を刺しておく。


「閣下には常に冷静に対応していただきたいと思います。マルクトホーフェン侯爵が大人しく罠に嵌まればよいですが、あの方も優秀ですから、思わぬ反撃をしてくる可能性は否定できません。その反撃に対応するため、冷静さを失ってはならないのです」


「分かっているよ。ここ数ヶ月でカルステン卿や君たちから学んだことだからな。私個人の思いは封印し、王国のために何が重要なのか常に考えるようにしているつもりだ」


 レベンスブルク侯爵は以前と比べ、マルクトホーフェン侯爵に対する怒りを抑えるようになっている。ラザファムに聞いたところでは、私の協力を願うなら個人的な思いは封印すべきと説得したらしい。


 それから御前会議での立ち回りやマルクトホーフェン侯爵の反論に対してどう対応するかなどを話し合った。

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