第24話「情報戦:後編」
統一暦一二〇五年一月六日。
ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。マクシミリアン・クルーガー元帥
昨日の夕方、私は帝都に入った。
私の帰還は公になっていないため、元帥として与えられた公邸ではなく、子供の頃に過ごしていた白狼宮内の居室にいる。
軟禁状態というほど厳しい管理はされていないが、宮殿の特定区画から出ないように言われ監視も付いている。
到着後、すぐに軍務尚書であるシルヴィオ・バルツァーから何らかのアクションがあると思ったが、一日経った今もその気配がない。
その代わり、内務尚書であるヴァルデマール・シュテヒェルトが私の居室にやってきた。
「ご不自由をお掛けしています」
いつも通りの笑みを浮かべ、口調も柔らかい。
しかし、この笑みに騙されてはいけない。この男は父の懐刀であり、諜報局という組織を使っていろいろと後ろ暗いこともやっているのだ。
「今回のことは軍務尚書が主導したのかと思ったが、卿が黒幕か」
私が不愉快そうな声でそう告げても、シュテヒェルトのにこやかな笑みは崩れない。
「黒幕という言葉は当たらないと思いますが、殿下を帝都に戻すべく、積極的に陛下に進言したことは事実でございます」
元帥という役職ではなく、殿下と言ってきた。つまり、この会談は非公式のものということだ。
「聡明な殿下であれば、既にお気づきかと思いますが、今回のことは我が国に対する謀略を阻止するためのもの。殿下を貶める意図はございませんので、その点はご承知おきください」
「我が国に対するか……では、陛下の病も虚言であるということだな……なるほど……」
帝都に護送されてくる間に考える時間がたっぷりとあり、今回のことを考え続けてきた。
私の悪評を広める噂は以前からあったが、今回は酷かった。特に父が倒れてからは信じる者が爆発的に増え、帝都まで護送した第一軍団の兵士たちからは憎悪に近い視線を何度も浴びせられている。
シュテヒェルトは“我が国に対する”と言った。つまり、私を貶めようとしているのは、兄ゴットフリートを推す元老だけでなく、国外の勢力も含まれるということだ。そうなると候補は絞られてくる。
「私を嵌めようと動いているのは、元老たちとグライフトゥルム王国と考えてよいのだな」
シュテヒェルトは恭しく頷く。
「証拠はございませんが、その可能性が最も高いと小職は考えております。このタイミングで、王国で活動していた我が国の諜報員のほとんどが捕縛されてしまいました」
「グレーフェンベルクか? あの者は生粋の武人という噂だったが、このようなこともできるのか?」
シュテヒェルトは小さく首を左右に振った。
「それについてはまだ分かっておりません。ですが、陛下はグレーフェンベルク伯爵ではない別の人物がいるのではないかとお考えです」
その言葉で父が回復していることを確信した。
「やはり陛下は回復されているのだな。というより、病は偽りだったのか?」
シュテヒェルトは小さく首を横に振る。
「病でお倒れになったことは事実です。ですが、すぐに回復され、倒れたという事実を使って敵を炙り出せとお命じになられました。全くもって剛毅なお方です」
最後は苦笑気味だ。
私も自然と笑みが浮かぶ。我が父ながら、その豪胆さと周到さに対し、畏敬の念を抱く。
「私を帝都に戻したのもその一環か……いや、こちらは元老たちを踊らせる策だな。兄上を至高の座に就けようとする連中を、無実の私を貶めたとしてこの機に潰す。それに合わせて枢密院の力を削ぐ。そういうことか……」
「ご明察にございます。もちろん、王国の者たちを炙り出すことも考えておりますが、相当な切れ者であることは間違いありませんから、元老たちと違って表立って行動するようなことはないでしょう」
シュテヒェルトが警戒しているということは、父も同じだということだ。
「その王国の切れ者について、どう対応するのだ? このまま放置するとは思わんが、王国内の組織が潰されたのでは動きようがないと思うが」
「その点についてですが、マクシミリアン殿下に対応策を考えていただくよう、陛下より命じられております。殿下ならその策士と渡り合えるだろうと」
父の無茶振りに苦笑が漏れる。
「相手も分からぬ。王国内に動かせる者もいない。それでどうやって、その策士と渡り合えと言うのだ?」
そう言いながらも、面白そうだと思っている自分がいる。
軍団長を罷免される可能性が高く、最悪処刑されるかもしれない状況で、父とシュテヒェルトが持て余すような敵と知略をもって勝負する。
ここ数年私に対して謀略を仕掛けてきている敵だ。今までは全く正体が見えなかったが、それがおぼろげながら見えてきた。
「殿下ならば、この状況でも有効な手をお打ちになれるのではありませんか?」
シュテヒェルトも私が面白がっていると気づいているようだ。
「宮殿に軟禁されている状況では動きようがないし、手を打つにしても情報がなければ何ができるか検討もできん。まずは君が持っている情報をすべて私に見せてくれ」
「承りました。そうおっしゃられると思い、既に隣室に報告書の写しを用意してございます。バルツァー殿のお話では軍務府が取り調べをしていることになっているとのことですので、当面はここに居ていただくことになるそうです。時間は充分にございますので、存分にお調べください」
シュテヒェルトが去った後、隣にある使用人部屋に大量の書類が山積みされていた。
相変わらず用意周到な男だと呆れながら、私はその書類と格闘し始めた。
十日後の一月十六日に、報告書を読み終えたが、敵の優秀さに感嘆するばかりだった。
まず、噂の出所を探った報告書を見たが、見事に出所はバラバラだった。役人であったり、商人であったり、兵士であったりと、追える範囲では繋がりは全くなく、意図的に流されたと知っていなければ、事実が自然に広まったと錯覚しそうになるほどだ。
流されている情報の精度も見事で、庶民レベルではゴシップ的な大雑把なものだが、役人の間では実在の人物の名まで入っており精度が高い。このような情報が元老たちの耳に入れば、信じるなという方が難しいだろう。
そして、情報を流す手法は芸術的と言えるほどだ。
一例だが、私が元帥になる直前の昨年の五月に、私が無慈悲に貧しい村を焼いているという噂が流されている。
実際、南部鉱山地帯に近い村を焼いたが、あそこは皇国の非正規部隊の拠点だった。村人と言っても、ほとんどが
その者たちは投降することなく激しく抵抗したため、皆殺しにせざるを得なかったが、エーデルシュタインや帝都では非戦闘員である若い女性や幼い子供まで虐殺したという話になっていた。
その情報の出所は私の部下だった。
但し、その者は私を貶めるつもりはなく、女や子供までもが死に物狂いで襲ってきたので大変だったと愚痴を零したに過ぎない。それに尾ひれが付き、私が無抵抗の村人を皆殺しにするよう命じたことにされていた。
事実に誇張というエッセンスを僅かに加えたもので、噂にありがちな出鱈目さがなかった。実際に従軍した兵士も無抵抗という部分は否定したものの、皆殺しという部分は否定できなかった。そのため、すべてが事実のような印象を与え、爆発的に広がったらしい。
この噂によって、元老たちは私の元帥への昇進に難色を示したと聞く。幸い、父が押し切ってくれたため、そこまで大ごとにならなかったが、父がいなければ、私はそこで排除されていたはずだ。
これほど情報の使い方が上手い者がいるのだと感心し、私の部下に欲しいと真剣に思ったほどだ。
王国に関する報告を読み、それらしい人物を見つけた。
それは“千里眼のマティアス”と呼ばれている若き天才、マティアス・フォン・ラウシェンバッハだ。
勘が鋭い父がこの人物に注目していると聞き、ラウシェンバッハについての情報を整理していった。
そこで面白い事実に気づいた。
王国で最初に改革が行われた騎士団は、エッフェンベルク騎士団だ。
エッフェンベルク騎士団は対レヒト法国戦で勇名を馳せた精鋭騎士団であったが、現当主のカルステンになってから古参の騎士や兵士と意見が合わず、大きく力を落とした。
しかし、ある時から急速に精鋭としての力を取り戻している。それはカルステンの子供たちがラウシェンバッハと出会った頃だ。
当時ラウシェンバッハは僅か十二歳。そのことでシュテヒェルトはあり得ないと思ったようだが、王立学院の入学試験では研究科の編入試験と同程度の難易度の問題を全問解いている。
つまり、その頃から研究者の卵と同じ程度の知識を持っていたのだ。そうであるならば、ラウシェンバッハが関与していたとしてもそれほど異常ではない。
他にも気になる情報がいくつもあった。
一つはグレーフェンベルクが王立学院の高等部に入る前のラウシェンバッハを、自らの手元に置きたいと言っていたという噂だ。
ラウシェンバッハは女性的な容姿の美少年であったため、グレーフェンベルクが気に入ったという話になっているが、ヴェストエッケ防衛戦では臨時の参謀として手元に置いており、その当時から能力を買っていた可能性が高い。
また、グランツフート共和国軍の名将、ケンプフェルト将軍がラウシェンバッハを気に入り、エッフェンベルク騎士団の演習の際に、自ら状況を説明したと言われている。
質実剛健のケンプフェルトが見た目だけの少年を気に入るはずがなく、才能に惚れ込んだと言われた方がしっくりくる。
七年ほど前から私と兄ゴットフリートの関係を壊すような噂が流れ始めたが、グレーフェンベルクがラウシェンバッハを欲したタイミングとほぼ一致する。
ラウシェンバッハの献策を聞き、グレーフェンベルクが指示を出したと考えれば、十代半ばの少年であっても謀略を行うことは充分に可能なのだ。
「フフフ……ハハハハハ!」
私はようやくライバルと言える人物が現れたことに、笑いを抑えることができなかった。
私はラウシェンバッハに対する策を伝えるため、翌日シュテヒェルトを呼び出した。
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