第23話「情報戦:前編」

 統一暦一二〇四年十二月三十一日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。内務尚書ヴァルデマール・シュテヒェルト


 コルネリウス二世陛下が倒れられてから一ヶ月半が過ぎた。


 倒れられたという話を聞いた時には心臓が止まるかと思うほど驚いたが、その病状は軽く、陛下はすぐに話ができるまでに回復された。しかし、治癒魔導師は心臓近くにある魔導器ローアに異常があるため、楽観はできないと言っているらしい。


 陛下は意識が回復された後、すぐに私を呼び出された。

 寝室に入ると、陛下は寝台に横になっておられた。そこには治癒魔導師の姿もなく、信頼する侍従長と軍務尚書であるシルヴィオ・バルツァー殿だけが控えていた。


「あれほどの兵が見ていたのだ。隠しきれぬ。ならば、余が倒れたという情報を上手く使え」


 陛下はご自身の病気まで使えとおっしゃられた。

 その豪胆さに改めて驚かされるが、すぐに陛下のお考えに沿う策を考えた。


「では陛下の病状は軽く、すぐに回復されるだろうと公式に発表いたしましょう。噂が広がる前の対処ですから常識的な対応ですので」


 陛下は小さく頷かれた。


「少し時間を空けた方がよいのではないか? 混乱していると思わせた方がよいと思うが」


 私はそれにかぶりを振った。


「恐れながら、ここで混乱した様を見せれば、逆に不自然でしょう。速やかに対応した方が、我々の敵には自然に見え、何が起きているのか余計に分からなくなると考えます」


 私の説明に陛下はすぐに納得される。


「確かにそうだな。ヴァルデマールが指揮を執るなら抜かりがあるはずがないと、元老たちも思うだろう」


「小職も同感ですな」


 バルツァー殿も頷かれた。


「それでその先はどうするのだ?」


 陛下はいたずらっ子のような笑みを浮かべられた。私がどのような手を打つか興味がおありのようだ。


「陛下には申し訳ありませんが、しばらく、寝台で不自由な生活を送っていただきます。これは敵を誘き出すためです」


 陛下にはそう言ったが、病であることは間違いないので、ここで静養し治療に専念してほしいという思いもある。


「具体的にはどの程度寝ておらねばならんのだ?」


「最低二ヶ月です。年明けまでは公式の場に出ることなく、ここで大人しくしていただきたいと思います」


「二ヶ月か……余が死んだかもしれぬと疑うには充分な時間だが、ひと月程度でもよいのではないか?」


 二ヶ月も窮屈な思いをされたくないらしい。


「対象が元老だけであれば、それで十分ですが、グライフトゥルム王国も対象と考えれば、情報が届き、次の指示が来るまでには二ヶ月は掛かります。敵の反応を見るには最低この期間は必要かと」


「うむ……分からないでもないが長いな」


 陛下はご不満そうだが、必要なことだとして認めてくださった。


「軍事に関してはシルヴィオが取り仕切れ。その他はすべてヴァルデマールが差配せよ。この機を利用し帝都に巣食うネズミどもを一掃するのだ」


「「御意!」」


 私とバルツァー殿は同時に答えた。


 今回の策の目的は、帝国内で蠢動している勢力を炙り出すことだ。

 陛下のご病気を奇貨として、これまで尻尾を掴ませなかった敵を引きずり出す。そのために陛下には姿を隠していただき、更にはマクシミリアン殿下にもご不快な思いをしていただいた。


 予想通り、元老たちが動き始めた。

 具体的にはゴットフリート殿下を支持する軍関係の元老たちで、陛下の意識が戻った際に後継者を指名するべきだと主張する。


 その主張自体はおかしなものではない。

 ここで陛下が後継者を指名せずに身罷られたら、皇位を巡って内戦になる可能性がある。それを防ぐには後継者を早期に指名し、崩御後の混乱を最小限に抑え込むというのは常識的な対応と言っていいだろう。


 しかし、彼らの狙いは政敵になり得るマクシミリアン殿下ではなく、自分たちが操りやすいゴットフリート殿下を指名させることだ。彼らはそのために、マクシミリアン殿下に対する悪評を流し続けている。


 元老たちの行動を監視し、誰がどう動くか、おおよそのところは分かってきた。国内に関しては策が順調に進んでいると安堵していたが、陛下が倒れられてから約一ヶ月後の十二月初旬に不本意な情報が入ってきた。


 それはグライフトゥルム王国内に送り込んだ諜報員のほとんどが捕縛され、今まで構築してきた情報網が崩壊したというものだった。


 きっかけはラウシェンバッハ子爵領の獣人開拓村への潜入作戦だった。

 こちらの目論見としては、商人に成りすまして村に入り込み、情報収集を行うつもりだったが、あっさりと見破られた。


 それだけなら敵の防諜体制が優秀だったというだけだが、彼らは我々の策を逆手に取ってきた。


 ヴィントムントの商人から得た噂であるため正確性は怪しいが、王国では我が国が獣人開拓村に潜入し、暴動を唆したという話になっている。諜報局に確認したが、そのような指示は出しておらず、局長も困惑していた。


「私が出した指示は村への潜入と情報収集のみです。行商人を殺して成り代われとは命じておりません。そのようなことをすれば、簡単に足が付きますから。どこで間違ったのか……」


 局長は頭を抱えていたが、この話を聞き、敵がこちらの策を逆手に取ったのだと気づいた。

 悔しさが込み上げてきたが、その時はマクシミリアン殿下に対する召喚要求に対応するため忙しく、深く考えなかった。


 マクシミリアン殿下を召喚するよう主張しているのは元老たちだ。

 しかし、枢密院議員の半数以上が賛同し、更に前内務尚書ハンス・ヨアヒム・フェーゲライン殿が代表となっており、下手な対応ができなかった。


 フェーゲライン殿は私利私欲に走らず、我が国のことを第一に考える人物として、ゴットフリート殿下派、マクシミリアン殿下派のいずれからも認められている。また、未だに内務府と軍務府に影響力を持っており、元老の中で最も警戒する人物でもあった。


 そのフェーゲライン殿がマクシミリアン殿下の召喚を要求してきたため、無視することは不可能だった。

 フェーゲライン殿と会った際、召喚の理由を確認したが、それも理に適っていた。


「元老である私が面会できぬほど、陛下のご容態が思わしくないのであれば、混乱の芽は予め摘んでおく必要があるのではないか。畏れ多いことだが、万が一陛下が身罷られた場合、マクシミリアン殿下がエーデルシュタインにいることは第二軍団と第三軍団の衝突を誘発しかねぬ。帝都に隔離しておけば、殿下が行動を起こそうとしても手足となる者がいない。殿下に罪がないことは確信しているが、ここは帝都にお戻りいただくのがよいのではないか?」


 帝国の混乱を抑えるためと言われれば、反論は難しい。バルツァー殿も表情こそ変えないが、認めるしかないと思っているようだ。


 しかし、これは最初から考えていたことで、マクシミリアン殿下を帝都に呼び戻せば、殿下に接触しようとする者が必ず現れる。それを手掛かりに帝国にあだなす者を炙り出すつもりだった。


 バルツァー殿の決裁により、マクシミリアン殿下の召喚が決まった。


 これで準備は万端だと考え、監視強化に注力したが、本日、再び不本意な情報が入ってきた。

 それはグライフトゥルム王国に情報部という組織が作られたという情報だった。


 十二月初旬の時点ではラウシェンバッハ子爵領の獣人入植地の件は、諜報員の一斉検挙と、我が国に対する国民感情を悪化させるためだと思っていた。


 しかし、今日入ってきた情報で、彼らは私の想像を超える狡猾さを持っていると思い知った。

 彼らは我が国が謀略を仕掛けてきたことを理由に、王国軍情報部を立ち上げたのだ。


 情報部の詳細はまだ分かっていないが、我が国の諜報局に近い組織なのだろう。

 一斉検挙から僅か半月で組織を立ち上げたということは、既に準備してあったということだ。


 グライフトゥルム王国という古い国に同じような組織が作られることはないと思っていたが、彼らも同じことを考えており、我々の行動を巧みに利用したのだ。


 これを考えた者が私のことを笑っているかと思うと、忸怩たる思いがあるが、起きてしまったことは仕方がない。

 このことを陛下に報告に行った。


 例年なら新年を迎える前日ということで、宮廷の中は慌ただしいのだが、陛下がお倒れになったということでひっそりとしている。


 陛下の寝室に入ると、すぐに報告を行った。

 概要を説明したところで、陛下は苦々しい表情を浮かべておられた。


「王国には想像以上に切れる者がいるようだな。諜報員を失ったのは痛いが、敵が見えたことでやりやすくなったと思うしかあるまい」


「陛下は情報部長となったクラウゼン男爵なる人物がその切れ者だとお考えでしょうか?」


「恐らく違うだろうな。ここまで正体を隠したのだ。自ら名乗り出るようなことはすまい」


 この点については同感だ。

 本人ではないが、情報部という組織ができたのだ。そこに指示を出している者を見つけることは、今までより多少容易になったのではないかと思っている。


「今後の王国での情報収集でございますが、オストインゼル公国を使おうと考えております。我が国に臣従しているとはいえ、彼の国であれば王国とも国交がございますので、ある程度の収集は可能でしょう」


 オストインゼル公国は我が国の東にあるオストインゼル島にある小国だ。我が国がリヒトロット皇国から完全に独立した時、同じように独立した国家だが、我が国の軍事力を恐れて朝貢国となった。


 島国という特徴を生かして、我が国だけでなく、大陸の各国と交易を行い、外貨を稼いでいることから、多くの情報が入っているだろう。


 また、オストインゼル島には魔術師の塔、真理の探究者ヴァールズーハーがあり、間者集団真実の番人ヴァールヴェヒターを擁していることから、情報収集能力は高いと見ている。


「オストインゼルか……奴らが素直に情報を渡すとは思えぬが、その点はどうだ?」


 陛下のご懸念は理解できる。オストインゼル公国としては、我が国が強くなりすぎることは安全保障上の問題となるため、故意に情報を止めたり、逆に情報の一部だけを切り取って渡したりして、我が国の拡大を阻止してくる可能性は充分にあるからだ。

 しかし、私としてはそれほど気にしていなかった。


「その点はあまり問題にならないと考えております。我が国はいずれ彼らのライバルである商人組合ヘンドラーツンフトの本拠地ヴィントムントを手に入れます。その際に商人組合ヘンドラーツンフトを潰すと確約すれば、積極的に支援してくるはずです」


「それでは組合ツンフトが我らの敵に回るのではないか? 今回の穀物騒動で奴らを敵に回すことが危険だと分かったはずだ。その点はどう考えておるのだ?」


「モーリスのような一部の商人を除き、組合ツンフトに属する商人は利己的です。自らの儲けになるのであれば、仲間を裏切ることにためらうことはないでしょう」


 商人組合ヘンドラーツンフトは一枚岩ではない。ライナルト・モーリスのような高潔で先を見通せる人物もいるが、ほとんどが金に汚く近視眼的で、目の前の利益と十数年後のリスクを天秤にかければ、前者に傾くはずだ。


「確かにそうだな。だが、組合ツンフトの方にも伝手を作っておくのだ。そのモーリスとの関係は維持しておけ。いずれ役に立つはずだ」


「御意」


 そう言って頭を下げるものの、モーリスは我が国に協力するとは思えない。ただ、彼は是々非々で付き合うことはできる人物だ。情報源とするだけなら、それほど警戒されることはないだろう。


「話を戻すが、王国に優秀な策士がいることは明らかだ。今回の余の急病に対しても何らかの動きがあるはずだ。余には何をしてくるのか想像もできんが、マクシミリアンなら何か思いつくかもしれぬ。マクシミリアンに密かに接触し、この件に協力させるのだ」


 確かにマクシミリアン殿下なら何らかの策を思いつくかもしれない。

 私は年が明けた一月六日、マクシミリアン殿下が帝都に帰還した翌日に殿下と面会した。

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