第36話「皇都進駐」

 統一暦一二〇九年一月四日。

 リヒトロット皇国皇都リヒトロット。皇帝マクシミリアン


 本日、余はリヒトロット皇国の皇都リヒトロット市に入った。

 昨年末、皇国の宰相アドルフ・クノールシャイト公爵が皇都とダーボルナ城からラウスラー城までを割譲する代わりに、残っている皇族と貴族、そして皇国軍の西部域への移動の保証を求めてきた。


 全面降伏に近い条件だが、余は皇国政府の資産の保全の徹底に加え、リヒトロット市の西二百キロメートルにあるナブリュック市までの割譲を要求した。

 資産についてはすぐに了承してきたが、ナブリュック市の割譲については頑なに拒んだ。


 彼らにとってナブリュック市を失うことは水軍を失うことであり、抵抗する手段を放棄することに等しい。そのため、皇都防衛総司令官エマニュエル・マイヘルベック公爵が強硬に反対したと聞いている。


 事前の情報ではマイヘルベックが戦略を理解している可能性は低く、こちらが強気に出れば折れると考えたのだが、皇国にも多少使える者がいたらしく、マイヘルベックとクノールシャイトに受け入れないよう迫ったらしい。


 何度か交渉を行ったが、ナブリュック市の割譲が条件なら徹底抗戦も辞さないと言ってきたため、半月ほど粘ったものの取り下げている。


 確かに今回手に入れておけば次の侵攻が楽になるが、ナブリュックは兄ゴットフリートが陥落させたことがある町であり、攻略自体は難しくない。


 時間を与えすぎると要塞化する恐れがあるが、そこまで時間を与えるつもりはないので問題はない。


 皇都には第一軍団の第一師団一万の兵と共に入城した。

 既に第三軍団の一個師団が皇国軍の武装を解除するために入っており、大きな混乱もなく、皇宮に向かう。


 皇都の人口は五万人ほどにまで減っているが、それ以上に人の気配がない。皆、我が軍を恐れて家に引き篭っているからだ。


 大通りには第三軍団の兵士が並び、余を称えてくれる。


「「「皇帝陛下、万歳!」」」


「「「ゾルダート帝国、万歳!」」」


 皇宮に入ると、更に閑散としている印象が強い。

 貴族階級の役人たちはほとんどが脱出し、残っているのは平民の下級官吏だけだからだ。


 本来なら引き渡しのための調印式を行うのだが、宰相はもちろん、伯爵以上の貴族はだれ一人残っておらず、形式的な式典すら行われない。


「ラウシェンバッハの手の者が動いていたようですな」


 総参謀長のペテルセンが蒸留酒の入った小型のボトルを片手に持ちながら発言する。

 真冬ということで身体を温めるためと言って、行軍中も常に持っていたが、酒が手放せないだけだ。


「皇国貴族どもを踊らせるのは容易いからな。帝国軍が進駐してきたら、捕縛された上で身代金を支払えなければ処刑されるという子供だましに近い噂でも信じるのだからな」


 王国の情報部は皇国に協力し、その結果、我が国の諜報局の諜報員の多くが捕縛され、拷問を受けた後に処刑されている。また、皇国内の協力者についても同様で、我が国に協力した者は処刑されるか、市民たちの私刑にあって命を落としており、情報網が壊滅している。


 その結果、皇国関係者に接触できず、情報を持つ高位の役人は誰一人残っていないという状況だ。


「諜報局の工作員と協力者を失ったことは痛いですな。占領政策に影を落とさなければよいのですが……」


「仕方あるまい。情報操作に関しては奴の方に一日の長がある。今回の反省を踏まえて、再構築するしかないのだ」


 そう言ったものの、余も暗澹たる気持ちになっている。

 ラウシェンバッハが我が国の諜報網を壊滅させただけで済ませているはずはなく、何らかの謀略を仕掛けてくるはずだ。それも我らの想像もつかないような方法で。


 それに対抗するには情報が不可欠だが、我が帝国はリヒトロット市で目と耳を失った状態だ。早急に再構築する必要があるが、その時間があるとは思えない。


「少なくとも治安の維持は最優先でしょう。ここで暴動が起きては目も当てられませんから」


「そうだな。だが、その点については問題なかろう。少なくとも我が軍の規律は世界一だ。兵たちにも暴動が起きるようなことは慎めと言ってあるのだからな」


 精鋭である第一軍団はもちろん、ダーボルナ城で失態を見せた第三軍団も引き締めを行っており、軍規に緩みはない。


「物価の安定も重要ですな。商人たちが便乗値上げをせぬよう、布告を出すことを提案します」


「そうだな。不当な値上げをした場合には資産の没収を含めた厳しい処分を行うと布告しよう」


 そこであることを思いついた。


「モーリス商会はリヒトロットにも支店を出していたな」


「はい。そう記憶しております」


 ペテルセンは余の考えが読めず、僅かに表情を変えた。


「この地の商人たちについて、情報を聞き出すのだ。あの商会であれば、我が国に協力するはずだ」


「なるほど。モーリス商会であれば、皇国の貴族や官僚たちから情報を得ているはずで、網羅的に情報を持っている可能性が高い。モーリス商会もこちらからの情報を欲しているでしょうし、協力関係を築くのはよいお考えだと思います」


 ペテルセンは即座に余の意図を理解した。


 皇宮に入った後、残っていた官吏や町の顔役などを呼び出し、謁見を行ったが、取り入ろうとする者はいるものの、我々を警戒していることは明らかだった。

 そのため、彼らに帝国の方針を示した。


「余はこのリヒトロット市を更に発展させるつもりである。今回我が帝国の版図に組み込まれたリヒトロット市及び周辺の村々については、来年の税は免除し、更に翌年の税も減免措置を施すものとする……」


 税の減免と聞き、喜色を表している者が多い。


「今回諸君らは帝国の臣民となったが、既に臣民であった者と差別されることはない。権利については全く同等であり、当面の間は兵役の義務も免除する。但し、我が国の法に従わない者は厳罰に処す。我が帝国は皇国と違い、法は絶対だ。これは余にも適用されることである」


 皇国は貴族が力を持ち、平民は泣き寝入りをすることが多かった。そのため、そのことを明言したのだ。


 その後、モーリス商会の支店長、ルディ・ピークを呼び出した。

 ピークは三十歳ほどの笑みを浮かべた小男だが、余やペテルセンを前にしてもオドオドした感じはなく、その泰然としたさまはライナルト・モーリスを彷彿とさせた。


「リヒトロット市の掌握に力を貸してほしいと陛下はお考えだ。貴商会ならリヒトロット市の財政状況や商業関係の情報を持っているだろう。それを開示してもらいたい。無論、適正な報酬は与える。どうだ、やってくれるな」


 ペテルセンの言葉にピークは微笑みながら大きく頷いた。


「もちろんでございます。貴国は我が商会の最大のお得意様ですので。情報につきましては、我が支店が保有するものをすべて無償でお渡しいたします」


「無償だと? モーリス商会では損をするような取引はせぬと思っていたが……」


 ペテルセンが疑問の声を上げるが、ピークは表情を変えることなく頷く。


「その通りでございます。ですので、情報をお渡しいたしますので、当商会が有しております不動産を適切な価格でご購入いただきたいと考えております。情報がなければ、適正な価格かどうかご判断できませんので」


 詳しく聞くと、モーリス商会は何年も前からリヒトロット市の不動産を皇国貴族から買い漁っており、それをこの都市に見合った価値で買ってほしいとのことだった。

 その話を聞き、余は大声で笑った。


「ハハハハハ! さすがはライナルト・モーリスの部下だな! 余を相手にいきなり商売をするとは思わなかったぞ!」


「少し焦り過ぎましたか。ご無礼をいたしました」


 そう言って頭を下げるものの、ピークは笑みを浮かべたままだ。

 その豪胆さに更に笑いが出る。


「構わん! モーリス商会が不当な利益を得ぬことは理解している。今後も頼むぞ!」


 ピークは再び頭を下げ、謁見の間から退出していった。


「さすがはモーリス商会と言ったところですか。確かに我が国が土地や建物を必要とすることは容易に想像できますが、それを実行するとなると普通の商人なら二の足を踏むでしょう」


「余もそう思う。それにあの支店長もなかなかの人物だ。上手く使えば、リヒトロット市の掌握が早期に終わるかもしれん」


 今回の遠征では文官も伴っているが、占領地の統治は容易なことではない。特に現地に協力者がいなければ、年単位で時間が掛かる。

 モーリス商会が協力してくれるなら、その時間を短縮できる可能性が高い。


 その後、ペテルセンと今後の協議を行い、占領後の最初の夜を過ごした。

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