第20話「失態:前編」

 統一暦一二〇八年九月八日。

 ゾルダート帝国南西部、シュヴァーン河北岸草原地帯。帝国軍第二軍団副官エドガー・イェンゼン上級騎士


 私はホラント・エルレバッハ元帥閣下の命を受け、遊牧民であるドンナー族が王国軍に協力していないか情報収集に当たることになった。


 情報収集と言ってもドンナー族が関与している可能性は非常に高く、閣下の書簡を渡すという名目で彼らの居留地に潜入し、この目で確認することが目的だと思っている。


 同行者は軍団長直属の偵察中隊から借りた騎兵二名のみだ。

 ラウシェンバッハ騎士団がいる草原に入るため、閣下からは護衛をもう少し連れていってはどうかと言われたが断っている。


『一個中隊でもラウシェンバッハ騎士団に発見されれば、全滅することは必至です。そうであるなら、連絡要員として優秀な騎兵を二名連れていくだけの方が損害は少なくてすみますし、発見される可能性も減るのでより安全になります』


 閣下は私の言葉に頷かれた。

 この任務は自ら志願した。理由はここで少しでも成果を出し、皇都攻略後に新設されるであろう第四軍団でより高い地位に就くためだ。


 私はヴォルフガング士官学校を第五席という成績で卒業し、二十七歳で軍団長の副官に抜擢されている。同期の中でも出世は早い方だし、元帥や将軍に顔を覚えてもらえるという点でも有利だ。


 しかし、私は元々ゴットフリート殿下の直属の中隊指揮官であったため、皇帝陛下や軍務尚書の覚えはよくない。陛下は過去を問われるような方ではないが、軍団長や師団長からはどうしてもゴットフリート派として見られてしまい、出世の道が閉ざされる可能性が高い。


 幸い、エルレバッハ閣下は色眼鏡で見るような方ではないが、今後のことを考えると、少しでも目立つべきだと考えたのだ。


 私が使者に決まる前、カルロス・リンデマン参謀長が元帥閣下に疑問を呈した。


『今回の任務は非常に重要です。イェンゼンではなく、私が出向く方がよいのではないでしょうか?』


 遊牧民の調査に師団長と同格の参謀長は大袈裟すぎる。しかし、軍団長と参謀長の会話に割り込むわけにはいかず、不安を感じながら閣下のお言葉を待った。


『今回は先触れに過ぎん。エドガーが私の書簡を渡して確認し、必要であれば、君が出向いて交渉を行う。いきなり将軍格の参謀長に来られても、彼らも困惑するだけだろう』


『なるほど。そうであるなら問題はありません。万が一、ドンナー族が裏切っていた場合でも損害を最小限にすることができますからな』


 お二人ともドンナー族が裏切っている前提で、私を派遣するようだ。

 確かに副官一人が殺されるだけなら、王国軍との戦いに影響は出ないから合理的だ。


 私が犠牲になってもよいと考えていることは少し気に入らないが、生きて帰ってくるつもりだし、豪胆さを示すことになるから問題はない。


『揉め事にならんように気を付けてくれ。まだ彼らが敵に回ったと決まったわけではないのだからな』


 出発前に閣下にそう言われたが、私はドンナー族が王国軍と関与していた証拠を掴むつもりでいる。皇都攻略作戦後、その証拠を根拠に遊牧民たちを討伐し、ゴットフリート殿下を捕らえる策を提案するためだ。


 皇帝陛下にとってゴットフリート殿下と遊牧民は目の上の瘤だ。

 遊牧民たちを臣従させ、ゴットフリート殿下の身柄を拘束することは、皇国領の安定のために必要だ。また、この提案をすれば、私がゴットフリート派でないことも周知できる。



 軍団と別れ、草原の中に馬を進めていく。私も騎兵中隊の指揮官であったため、手練れと言われる偵察隊の兵士に付いていくことは難しくなかった。


 出発から六時間、時々休憩を挟みながら緩やかな起伏が連なる草原を進んでいくが、徐々に自分がどこにいるのか不安になっていく。


 一応地図はあるのだが、この辺りで目印になるのは南にそびえるベーゼシュトック山地だけで、この広い草原ではあまり役に立たないのだ。


「どのくらい進んだと思うか?」


「北西に三十キロといったところですかね。それにしてもこっちで合っているんですか?」


 兵士もこのどこまでも変わらない景色に辟易しているようだ。


「合っているはずだ。間違っていても向こうから見つけてくれるから安心しろ」


 そう言ったものの、私にも自信はない。ただ、遊牧民は縄張りに余所者が入り込むことを嫌うと聞いているので、そのうち向こうから接触してくるだろうとは思っている。


 更に二時間ほど馬を進めた。

 午後四時を過ぎ、そろそろ野営に適した場所を探さないといけないと考え始めた時、兵士が警告の声を上げる。


「副官殿、右手に遊牧民の戦士がいます」


 言われた方を見ると、三十騎ほどの騎兵が丘の上から見下ろしていた。

 ようやく見つけてくれたかと安堵しながら、腹に力を入れて声を出す。


「私はゾルダート帝国軍第二軍団の副官エドガー・イェンゼン上級騎士だ! ドンナー族の族長と話をしたい!」


「帝国軍が何の用だ!」


 私より若い感じの戦士が怒鳴る。


「第二軍団長エルレバッハ元帥閣下から族長への書簡を持ってきた!」


「書簡だと……用向きは分かった。俺に付いてこい!」


 若い戦士は名乗りもせずに馬首を翻す。

 咎める気はないが、改めて未開の地の蛮族なのだと思った。


 戦士たちは速歩はやあしより速い、駈足かけあしに近い速度で馬を駆っていく。

 私たちの馬は既に七時間近く歩いており、すぐに付いていけなくなる。


「待ってくれ! もう少し速度を緩めてくれないと馬が潰れてしまう!」


 大声で叫ぶと、若い戦士が振り返った。


「まともに馬も扱えないのか。仕方がねぇな」


 侮蔑の表情を見せた後、スピードを落とした。


「この速度じゃ、一時間では着かんぞ」


 そう言われても馬を潰すわけにはいかないし、我々も疲れでミスをする可能性もあるので仕方がない。


 何とか日没前にドンナー族の宿営地が見えてきた。

 私も馬も疲れ果てた状態で、思わず安堵の息を吐き出していた。


「ここで待っていろ。親父に確認してきてやる」


 どうやら族長の息子だったらしい。今までの傲慢さの理由が分かった。

 すぐに族長の息子は戻ってきた。


「話を聞くそうだ。付いてこい」


 その言葉に素直に応じるが、疲れていることもあり、帝国軍の上級騎士に対して敬意の欠片もないことに苛立ちが募っていく。


 周囲を見ると、焚火を囲んで酒を飲んでいる戦士たちがいたが、私たちを一瞥すると何をしに来たという感じで胡乱げに見るだけだ。


 一番大きなテントに入ると、鋭い目つきの男が地面に敷いた布の上に座っていた。

 私は立ち上がるのを待ったが、その様子が見られないため、見下ろすようにして話し始める。


「ゾルダート帝国軍第二軍団長ホラント・エルレバッハ元帥閣下の副官、エドガー・イェンゼン上級騎士である。閣下からの書簡を持ってきた。受け取ってもらいたい」


 そう言って懐から封書を出して差し出すが、族長らしき男は名乗ることもなく、受け取ることもせずに私を見つめている。


「用件はそれだけか?」


「閣下からはこれを渡すように命じられている。受け取ってもらいたい」


 もう一度いうと、族長は息子に目配せした。その無礼な態度に更に苛立つが、ここで揉めるわけにはいかないと我慢する。


 息子が封書を受け取り、族長に渡した。

 すぐに開封し、読み始める。


「エルレバッハ殿の申し出は理解した。俺と話をしたいのなら、ここに来ればよい。だが、この宿営地に入れるのは五十名だけ、更に俺に会う時は、護衛は二人だけに絞ってくれ。それでいいなら、いつでも構わん」


 その言葉で私の堪忍袋の緒が遂に切れた。


「元帥閣下は三万の兵を指揮しておられる。いくらなんでも無礼ではないか!」


「俺が話をしたいと頼んだわけじゃない。それに王国の若い騎士団長は三十人ほどで来たし、護衛二人という条件にも文句は言わなかった」


「王国の騎士団長だと!」


「そうだ。ラウシェンバッハ騎士団のヘルマンだ。奴は俺に対し、敬意を持ってあいさつをしてくれた。だから俺も歓迎した。だが、お前はどうだ? 五大部族の族長である俺に頭を下げることもなく、視線を合わせることすらせん。お前のような無礼者を寄こす者に敬意を払えという方がおかしいだろう」


 私はラウシェンバッハ騎士団の団長がここに来ていたという事実に、族長の話をほとんど聞いていなかった。


「王国軍を招き入れたということか? 帝国に対する背信行為だぞ!」


 族長はそこで不敵に笑った。


「帝国に対する背信行為だと? 俺たち草原の民が忠誠を誓ったのは、ゴットフリート様に対してだ。そのゴットフリート様を放逐した皇帝に従うつもりなどないわ。まあ、王国にも義理はないが、ヘルマンたちは強者つわものであったし、気のいい奴らだったから、友として迎え入れたがな」


 皇帝陛下に忠誠を誓わないと堂々と宣言した上で、ラウシェンバッハ騎士団の団長を友と呼んだ。これでドンナー族が裏切ったことが確定した。

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