第22話「皇都の混乱」

 統一暦一二〇八年九月九日。

 リヒトロット皇国、皇都リヒトロット。ヴェルナー・レーヴェンガルト騎士長


 皇都リヒトロットはここ数ヶ月暗い雰囲気に包まれていた。

 ゾルダート帝国の皇帝マクシミリアンが即位から三年以内にここ皇都を陥落させると宣言しており、帝国軍の侵攻が近いことが疑いようのない事実であるためだ。


 また、皇国の方針が決まらず、民も脱出した方がいいのか、徹底抗戦に協力した方がいいのかと戸惑っており、そこかしこで議論が交わされていた。


 そんな時、ゾルダート帝国軍が皇都の南に現れたという情報が入った。

 グライフトゥルム王国軍の情報部から皇帝マクシミリアンが親征したことは聞いており、予想通りのことでしかないのだが、皇宮は蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。


 皇王テオドール九世陛下は慌てふためいて御前会議を招集した。

 私も末席で参加したが、この逼迫した状況もかかわらず辟易していた。


 宰相アドルフ・クノールシャイト公爵や皇都防衛司令官のエマニュエル・マイヘルベック公爵ら重臣は、この期に及んでも無駄な議論に終始する。


「……直ちに帝国に対して皇都を明け渡すと交渉すべきだと、小職は何度も言っている!」


 皇都を放棄し、西部での防衛を主張するのはクノールシャイト宰相だ。皇都を明け渡しても追撃してこないという確証はなく、希望的な観測だけで主張している。

 それに対し、明確な方針を打ち出さずに批判だけしているのが、マイヘルベック将軍だ。


「明け渡すといっても、民をどうするつもりか? このまま放置して、皇族と貴族だけが逃げ出すのであれば、西に行っても支持はされぬ。そうなれば、帝国に抵抗することすらできん。第一、帝国が退避する我らを、指を咥えて見ているとは思えん!」


 言っていることは間違っていないが、将軍が徹底抗戦派かと問われれば疑問符が付く。


「では、皇都で防衛戦を行うとして、どのような戦略で戦うのか。それを明確にしてもらいたい!」


 宰相の突っ込みに将軍は具体的な答えを出さない。


「水軍と城壁による防衛である。グリューン河を渡らせなければ、皇都は落ちぬ」


 これも間違っていないが、具体的な方針が示されていない。帝国軍がどこを攻め、誰が守るのか、前回のように予想外のところに上陸されたらどうするのかなど、前線を任されている私ですら困惑している状況なのだ。


「もう少し具体的に言ってくれぬか」


 陛下も同じことをお考えになったようで将軍に疑問をぶつける。


「帝国軍の配置が分からぬ状況で、具体策をお示しすることはできませぬ。敵の出方を見つつ、高度な柔軟性を維持しながら臨機応変に対応しなければ、裏を掻かれることになりますので」


 陛下に問われても、将軍は意味不明の説明で言葉を濁すだけだった。

 業を煮やした水軍のイルミン・パルマー提督が力強く説明する。


「我ら水軍は西のナブリュック市と皇都に分散して防衛します。これによって皇都への補給路を確保しつつ、万が一の脱出も可能となりますので」


 この方針はグライフトゥルム王国の軍師、マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵が密かに提案したことらしい。


 そこで私は挙手し、発言の許可を求めた。

 マイヘルベック将軍もクノールシャイト宰相も、伯爵家の次男に過ぎず、千人規模の部隊の指揮官でしかない私を無視している。


「レーヴェンガルトよ、何か策があるのか?」


 本来は議長役のマイヘルベック将軍が許可を出すのだが、陛下が代わって許可してくださった。


「義勇兵を早急に配置すべきと考えます。その指揮を小官にお任せいただけないでしょうか」


 義勇兵は皇都民の志願者で構成され、一万人を超える。私が現在指揮しているのは一千名であることを考えると、非常識ともいえる提案だ。


「小官はレーヴェンガルト騎士長を全面的に推しますぞ」


 パルマー提督が力強く後押ししてくれた。


「マイヘルベックよ。余はよいと思うが、どうか?」


「陛下の思し召しのままに」


 殊勝なことを言っているが、この提案は既に昨日将軍に行っている。しかし、昨日は明確に答えることなく、有耶無耶にしていた。


 将軍は義勇兵が役に立たないと考えている。更に前線指揮官である私が抜けると、自分が命令を出さなければならなくなるため、義勇兵を適当に配置しようと考えていたのだ。


 それから二時間ほど御前会議は続いたが、結局私が義勇兵を指揮すること以外、具体的なことは決まらなかった。


「先ほどはありがとうございました」


 パルマー提督に礼を言いながら頭を下げる。


「ヴェルナー殿が義勇兵とはいえ、万を超える兵を指揮してくれた方が水軍としても助かる。マイヘルベック将軍が指揮する四万より余程安心感があるからな」


 前回の戦いでパルマー提督とは懇意になっており、私を高く評価してくれている。


「提督も身辺にお気を付けください。王国情報部からの情報では提督を暗殺しようと皇帝の直属部隊が動いているとのことですので」


「分かっている。だから俺も水軍の指揮に専念するという理由で出撃するのだ。貴殿も十分に気を付けてくれよ。先ほども言ったが、貴殿がいなくなれば、皇都が陥落することになるからな」


 自惚れではないが、私と提督がいなくなれば、皇都はすぐに陥落するだろう。


「身辺は王国軍の情報部が密かに見張ってくれているようです。ですが、今は暗殺者より仕事の多さで倒れそうですよ」


 まだ二十八歳の若造に過ぎない私が言うのもなんだが、皇国軍には人が居なさすぎる。各城への配置もそうだが、補給計画一つまともに考えられない者が将軍や参謀になっているのだ。ラウシェンバッハ子爵とは言わないが、王国軍から優秀な人材を借りたいと何度も思ったほどだ。


 現在の兵力だが、正規軍は四万人を超えている。

 一二〇五年の戦いで約一万を失ったが、三年で以前より増員することに成功した。これに周辺の四つの城の守備兵計二万、水軍の水兵五万人、義勇兵一万を加えると、十二万人という膨大な兵力となる。


 マイヘルベック将軍は帝国軍八万の一・五倍という数に、暢気に大丈夫だと思っている節があるが、実力的には帝国軍の三分の一程度、つまり帝国軍の半分程度と見ていい。


 その一番の要因が指揮官の能力不足だ。特に一万人以上の兵を動かすことができる指揮官がおらず、私が手を上げざるを得なかったほどだ。


 幸い水軍はパルマー提督がいらっしゃるので、彼らが帝国軍の渡河を防ぎ続けられれば、守るべきは北公路ノルトシュトラーセのダーボルナ大橋を守るターボルナ城だけで済む。


 私は直属の歩兵部隊一千と義勇兵一万を引き連れ、ダーボルナ城に向かうことにした。

 そのことを総司令官であるマイヘルベック将軍に報告に行く。


「義勇兵と共にダーボルナに向かいます。可能であるなら、ダーボルナでの指揮権を小官にいただきたいと考えております」


「城代はアントン・クルツであったな。あの者では不安があるが、君が皇都から離れれば、ここの守りが不安だ」


「ダーボルナ城を突破されれば、帝国軍が北岸に雪崩れ込んでくるのです。ラウエルン城で数万の大軍を抑え込むことは更に難しいです……」


 ラウエルン城はダーボルナ城と皇都の間にある城で、最終防衛ラインに当たる。


「……そうなれば皇都から脱出することすら困難になります。それに御前会議では義勇兵に対する指揮権が認められております。また、配置についても一任されておりますので、ダーボルナに向かうことは確定とお考えください」


「あの時は皇都内での配置の話であったはずだ。ダーボルナに向かうことを儂は認めておらんぞ」


 将軍はそう言って慌てる。


「そうおっしゃいますが、御前会議では義勇兵の指揮権と配置を任せるということで、承認されております。配置については皇都に限定されておりません」


 本来なら義勇兵ではなく、正規兵が送られるべきだが、正規兵が皇都を離れれば、陛下が不安に思われ、皇都を明け渡すという選択を採る可能性があった。そのため、次善の策として義勇兵の指揮権を得たのだ。


「確かにそうじゃが……」


「ここにいるより、ダーボルナに行った方が皇都は安全になります。水軍も前回の反省を踏まえて、ナブリュックとゼンフートの守備に力を入れるでしょうから、あとはダーボルナを守り切れば、王国軍と共和国軍の救援が到着するまで時間を稼げるのです。なにとぞお認め頂きますよう」


 将軍はそれでも考え込むが、十秒ほどした後、小さく頷いた。


「よかろう。卿にダーボルナ防衛の指揮を任せる」


「では、命令書をいただき次第、すぐに出発します」


 そう言ったものの、既に水軍に輸送を依頼しており、命令書を受け取れば、そのまま出発することができる。


 命令書を受け取ると、その日のうちに七十キロメートル離れたダーボルナ城に入ることができた。

 しかし、前途多難な状況に暗澹たる思いとなっていた。

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