第10話「捕虜返還交渉:その二」

 統一暦一二〇五年十月十八日。

 ゾルダート帝国帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮。マクシミリアン・クルーガー元帥


 グライフトゥルム王国から捕虜返還の条件が提示された。

 想定していたリヒトロット皇国からの第二軍団の撤退は条件になく、捕虜に対する身代金だけが要求された。


 そのため、交渉を一旦中断し、協議に入ることを提案した。

 マルクトホーフェン侯爵らが出ていった後、父である皇帝コルネリウス二世陛下が大きく溜息を吐いた後、話し始める。


「なかなかやるではないか、あのマルクトホーフェン侯爵も。まさか皇国からの撤退を条件に入れてこないとは思わなかったぞ」


 その言葉にヴァルデマール・シュテヒェルト内務尚書が大きく同意する。


「全くですね。こういった交渉では主導権を握ることが重要です。そのことをあの若い侯爵は理解しているようです。グレーフェンベルク伯爵、ラウシェンバッハ以外にも王国には人がいるということですね」


 その言葉に私を含め、全員が頷いていた。

 シルヴィオ・バルツァー軍務尚書が発言する。


「それにしても吹っ掛けてきましたな。九億マルクを超えるとなると、我が軍の年間予算の半分ほどとなります。そもそもそれだけの外貨を我が国は有しておりません。いかがいたしますか?」


 その発言にシュテヒェルトが続く。


「それについては小職から報告したいことがございます」


「申してみよ」


 父が認めると、シュテヒェルトは目礼してから発言を始めた。


「外貨のことですが、昨日モーリス商会の支店長が小職を訪ねてきました。そして、我が国に対し、低利での融資を行ってもよいという提案がございました」


「低利の融資だと。具体的にはどのような条件なのだ?」


 父がシュテヒェルトに問う。


「年利二パーセントで最大十億マルク。条件は南部鉱山地帯にある三つの魔銀ミスリル鉱山の百年間の採掘権と採掘した金属に対する税の免除です」


 商人組合ヘンドラーツンフトの商人たちの多くは金貸しでもある。彼らが貸し付けの際に設定する金利だが、我が帝国が相手であっても、年に八から十パーセントほどだ。信用力が低い帝都の商人が相手なら、二十パーセントを超えることも珍しくない。

 そう考えれば、破格の金利と言えるだろう。


「ミスリル鉱山は五ヶ所しかない。そのうちの三ヶ所を寄越せということか」


 南部鉱山地帯はリヒトロット皇国が開発していたが、それほど積極的ではなく、特に精錬が難しいミスリルについては膨大な埋蔵量があると言われている。


「年利二パーセントで十億マルクか……それだけの決裁権限を支店長が持っているとは思えぬが」


 私の疑問にシュテヒェルトが頷く。


「その点は小職も気になりましたので、確認しております。支店長に確認すると、一昨日本店からの指示が届いたそうです。グライフトゥルム王国が賠償金を求めることはヴィントムントでは噂になっていたそうで、それに食い込めという指示だそうです」


 タイミング的には充分にあり得る。


「なるほど。我が国が窮地に陥っているだろうから、その隙を突いて権益を奪い取れということか」


 父がそう言って納得する。


「年利二パーセントは非常に良心的な金利です。償還期限は二十年ですから、我が国にとっては非常に助かる提案です。もっともモーリス商会はミスリル鉱山の権益を百年に渡って有することになりますから、それだけでも儲けは充分にあるのでしょうが」


 シュテヒェルトの言うことはもっともだが、腑に落ちない点もある。


「確かに鉱山の権益を持てば長期にわたって収益を上げられる。特にミスリルなら当たれば十億マルクなどあっという間に稼げるだろう。だが、今のところ五ヶ所すべての鉱山でも年間五千万マルク分の収益は得られていなかったはずだ。三ヶ所で三千万マルクとして金利に換算すれば三パーセントほどだ。それに枯渇することも充分に考えられる。ならば、十億マルクを別の投資に回した方が、短期的には儲かると思うのだが」


「さすがは殿下ですね。私も同じことが気になり、支店長に尋ねています」


 そう言ってシュテヒェルトは微笑む。


「それで答えはどうなのだ?」


「我が国への投資だそうです。陛下や殿下の覚えが目出度くなるだけでなく、出征した兵士やその家族にも感謝されるので、今後の商売にプラスになると考えていると言っていました。それにミスリル鉱山は当たれば大きいですし、三つあれば枯渇のリスクも分散できるので、大きなリスクを負うことなく、恩を売れるとのことでした。モーリス商会長なら言いそうな言葉だと納得しましたね」


 確かにライナルト・モーリスなら言いそうな言葉だ。


「なるほど。理解した」


 そう言った後、父に視線を向ける。


「今のところ、その融資は不要だな。そなたが考えた策、リヒトロット皇国から第二軍団の撤退を条件に賠償金を支払わせることができれば、わざわざ借金などする必要はないからな」


「その通りです」


 私が考えたのは、リヒトロット皇国から賠償金をせしめることだ。

 このまま戦いが続けば、皇国の敗北は必至だから、撤退してほしくば金を払えと言えば、裕福な皇国なら支払うはずだ。


 その賠償金を王国に回し、第三軍団の兵士を返還させる。

 これが上手くいけば、我が国は実質的に金を支払うことなく、敵国である皇国に大きな損害を与えることができる。


「しかし、なぜ王国は撤退を条件に入れてこなかったのでしょうか?」


 これまで沈黙していた第一軍団長のローデリヒ・マウラー元帥が口を開いた。


「その点は余も気になっている。そなたもそうではないのか、マクシミリアン」


 父の言う通り、私もそれが気になり、一度協議の場を設けたかった。


「おっしゃる通りです。グレーフェンベルクにしてもラウシェンバッハにしても、今回の王国軍の行動の目的がリヒトロット皇国救済であることは十分過ぎるほど理解しているはずです。それなのに、最も重要な目的を達成する要求はなく、賠償金のみを要求してきました。この点が腑に落ちないのです。何か悪辣な罠が待っているのではないかと……」


「確かに気になりますな。ヴェヒターミュンデの戦いでも、あれほど周到な準備を行っておりました。それが今回に限り、目的を無視したような要求というは解せませぬ」


 軍務尚書のシルヴィオ・バルツァーがいつもの無表情な顔で呟いている。


「それにしても厄介な奴だな、ラウシェンバッハは。ここにおらぬのに、余や余が最も信頼するそなたらを翻弄している。奴がこの条件を考えたのは一ヶ月以上前だ。その段階で我らをここまで悩ませるとは……」


 父の言葉に、私を含め全員が頷いた。


「そう考えると、皇国に賠償金を支払わせる策も想定されている可能性があります。ただ、それをどう使ってくるかが全く読めませんが」


 シュテヒェルトが誰にいうでもなく発言している。

 全く同感だ。


「ならば、こうしてはどうでしょうか」


 そう言って皆の注目を集め、考えを説明していく。


「こちらから第二軍団の撤退の話は切り出しません。また、皇国に対して賠償金を請求し、それをもって第二軍団を引き上げさせる方針でいきます。但し、モーリス商会からの融資の話も受けておき、まずはその金で捕虜を返還させ、その後に皇国から賠償金を回収した後、モーリス商会に返済します……」


 私の説明に全員が頷きながら聞いている。


「……これならば、我が国が受ける金銭的な損害は初回の金利分とミスリル鉱山の権益だけで済み、リスクは小さなものとできます。また、第二軍団も賠償金を支払わせての凱旋となりますので、敗戦で引き揚げてきたということにはなりません。あくまでテーリヒェンが失敗し、第三軍団が単独で敗北したという形にするのです……」


 私の説明に皆が考え込んでいる。


「それに万が一、皇国が賠償金を出し渋る場合でも、時間を掛けて締め上げることで、金を引き出すことが可能となります。唯一の懸念は陛下への責任追及の声が上がることですが、元老たちも今の段階では強く出ることはできないでしょう」


「おっしゃる通りですが、どうも誘導されているような気がして仕方ありません。根拠は全くないのですが……」


 シュテヒェルトが賛同しながらも歯切れの悪い発言をする。

 私自身、自分の提案がラウシェンバッハの掌の上で踊らされているのではないかという疑いを持っているので、彼の気持ちはよく分かる。


「マクシミリアンの案が最も合理的だな。だが、モーリス商会はラウシェンバッハと繋がっていたはずだ。余はその点が気になる」


 父の発言に全員が頷いた。

 そして、シュテヒェルトが気になっていることを口にする。


「確かにそうですね。商会長の息子がラウシェンバッハに師事しています。陛下の親書の件でモーリス本人が抗議しに来たことを思い出しましたよ。引き抜くつもりなら事前に相談してほしかった、お陰で息子たちまで罪に問われるところだったと言っていましたが、息子を預けるくらいに親密なのだと驚いたものです」


 その言葉に父が頷いた。


「そうなると、モーリス商会の申し出もラウシェンバッハの指示の可能性が高いな。その点はどう考えるのだ、マクシミリアン」


「それは……」


 父の問いに即答できない。


「もう少し考えた方がよいようですな」


 バルツァーの提案に、私を含めた全員が頷いた。

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