第57話「ヘルマンの価値」

 統一暦一二〇七年十二月二十三日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵


 今日は弟ヘルマンの結婚式がこの屋敷で行われる。

 領地に戻れば盛大に行われるのだが、ここ王都では男爵家程度の結婚式は身内だけで行われるパーティに近い。


 それでもラウシェンバッハ家とクローゼル男爵家、それに加え、ヘルマンの学院時代の同級生や第二騎士団の関係者が集まり、三十人近い人数になっている。

 また、商都ヴィントムントの商人たちから多くの祝いの品も届いていた。


「こんなにたくさん……」


 新婦であるレオノーレが山積みにされた祝いの品を見て目を丸くしていた。


「ヘルマンは私の右腕としてラウシェンバッハ騎士団を率いるからね。商人たちも顔を繋いでおこうと思っているんだよ」


「そうなんですか……」


 クローゼル男爵家はラウシェンバッハ子爵領の南に領地を持っているが、小さな宿場町がある程度で特産品もなく、大商人との繋がりはなかった。

 そんな家で育った彼女には理解できないようで不思議そうな顔をしている。


「これからあなたも大変よ。ヘルマンはマティの唯一の実弟というだけじゃなく、学院でも騎士団でも優秀であったことは知れ渡っているわ。商人に限らず、貴族も彼と誼を結びたいと考えて接触してくることは間違いないの」


「貴族の方々もですか?……どうしましょう……」


 そう言って泣きそうな表情になる。

 脅し過ぎたとイリスも思ったのか、慌てて優しい口調でフォローする。


「大丈夫よ。あなたはヘルマンを支えることを一番に考えなさい。そして、困った時には領都にいらっしゃるお義父様、お義母様に相談すればいいわ。お二方とも王都に長く住んでいらっしゃったから、適切なアドバイスをいただけるはずよ」


「そうですね。ありがとうございます。お義姉様」


 イリスがいう通り、ヘルマンは第二騎士団の中隊長であった時より遥かに重要人物になっている。


 まず、貴族領騎士団とはいえ、数千の兵を預かる団長に就任する点だ。

 兵士たちの消耗品の納入に食い込むだけでも、大きな利益を得られるから商人たちが放っておかない。


 次に私の実弟という点も注目される要因だ。

 実弟という事実は今までと変わっていないのだが、私が爵位を継ぐまでは嫡男と次男ということで必ずしも関係がいいと思われていなかった。


 ヘルマンも王立学院兵学部を第五席で卒業し、王国軍の主力である第二騎士団の中隊長になったエリートだ。


 私の名が世間に知られ、家督相続は当然と思われた上で、更に兄弟の仲はいいという噂が流れていても、内心では納得していないのではないかと思う者が多かった。


 しかし、私が爵位を継いでも騎士団長という武力を有する役職を任せるほど信頼しているとなれば、私たちの関係は噂通り良好であり、私とのコネクションを得るために彼に接触してくる可能性は十分にある。


 また、私を通じてエッフェンベルク伯爵家、ノルトハウゼン伯爵家、更には五侯爵家の一つレベンスブルク侯爵家という有力貴族とも繋がっているから、マルクトホーフェン侯爵派を除けば、彼を田舎の男爵と侮る者はおらず、伝手を作りたいと思う者は多いはずだ。



 結婚式自体は和やかな雰囲気で行われた。

 親族以外は若い騎士団関係者や学院時代の同級生が多く、大規模な飲み会と言っていいほどだった。


 レオノーレは最初こそ緊張していたが、その雰囲気に笑みを絶やすことはなく、幸せそうな雰囲気を醸し出していた。


 宴会が終わった後、ヘルマンに声を掛ける。


「年明けには騎士団を立ち上げるから忙しくなる。新婚早々で悪いが、よろしく頼むよ」


「はい。既に士官候補とも話をさせてもらっていますから、何とかなると思います」


 ラウシェンバッハ騎士団の最大の懸念である士官不足については、エレンたち黒獣猟兵団を送り込むことで何とか目途が立った。


 ヘルマンは第二騎士団での引き継ぎを行いながら、日を空けずに屋敷を訪れ、彼らと話をしており、手応えを感じていたらしい。


「でもよく説得できましたね。彼らの兄上への忠誠心は弟の私が見ても、驚くくらい強かったですよ」


 私が答える前にイリスが答えていく。


「そうね。確かに説得は大変だったわ。“マティアス様のお傍に置いてください”と全員に懇願されて……何とか二人で説明して納得してもらったのよ」


 エレンたちは私の護衛であることを望んだが、ラウシェンバッハ騎士団をできるだけ早く戦える状態にすることこそが、私を守ることに繋がると説得したのだ。


 実際、来年の夏頃には帝国軍が皇都攻略作戦に着手するので、半年程度で実戦に耐えられる軍隊に仕上げないといけない。


 王都に詰めていたエレンたち黒獣猟兵団五十名のうち、リーダー十名とサブリーダー十名は士官学校の補助教員でもあったため、私とイリスが士官教育を行っている。満足できるほどの時間は取れなかったが、基本的なところは押さえているので問題は少ないだろう。


「エレンたちもそうですが、エッフェンベルク騎士団から教官を派遣してもらえるのは助かりますね。何と言っても最初に改革を行った騎士団ですから、導入時の問題点なんかも分かっているでしょうから」


 エレンたちを送り込むだけではヘルマンの負担が大きすぎると思い、エッフェンベルク騎士団からベテランの隊長五名を教官として借りることになっている。


「お父様に今後エッフェンベルク騎士団でも獣人族の部隊が作られるのだから、慣れておいた方がいいと言って説得したのよ」


 イリスが言う通り、エッフェンベルク伯爵領にも一万人以上の獣人族が入植している。

 彼らも当面は生活基盤の確立で忙しいが、二年もすれば落ち着くので、ラウシェンバッハ子爵領の話を聞けば、志願してくる可能性は高い。


 エッフェンベルク伯爵領にも帝国からの謀略を防ぐためにシャッテンを送り込んでいるので、そのうち指導を仰ぐようになり、強力な戦士になるだろう。


 エレンたちの後任だが、両親やクローゼル男爵家の護衛として王都に来ており、私の護衛任務の引き継ぎが行われることになっている。


 そんな話をしていたが、母からお叱りを受けた。


「結婚式の日に無粋な話をするものではありませんよ。ヘルマン、あなたもレオノーレさんを放っていては駄目でしょう」


 正論なので素直に謝り、この話は終わった。


 主役の二人がホールを出た後、私たちも自室に戻る。

 まだ宵の口であり、私たちの他に結婚式に参加していたラザファムとハルトムートも一緒だ。


 メイド姿のシャッテン、カルラが酒とつまみを用意してくれた。それを楽しみながら昔のように話をする。


「それにしてもラウシェンバッハ騎士団は凄いことになりそうだな」


 ハルトムートがそう言って切り出すと、ラザファムも頷いている。


「実戦部隊だけで四千五百人。それも獣人の手練れたちがだ。帝国軍の一個軍団とも渡り合えるんじゃないか?」


 一個軍団は三万人でそのうち一割が輜重隊などの補助部隊であるため、実戦部隊は二万七千人ほどになる。


「さすがに六倍の数の帝国軍正規部隊の相手は無理だよ。兵士の能力は高くても支援部隊が貧弱だから継戦能力は低いしね」


 ラウシェンバッハ騎士団は領地での防衛戦かヴェヒターミュンデ城への派遣しか想定していないため、支援部隊がほとんどない。


 輜重隊は拠点での防御ということで、さほど重要ではないが、問題は治癒魔導師が少ないことだ。


 王国騎士団の編成では、治癒魔導師は三十名が定員で、ほぼ同数の衛生兵がいる。衛生兵は各小隊に応急手当ができる者を配置する予定だが、専任の治癒魔導師は数名しかいないのだ。


 叡智の守護者ヴァイスヴァッヘに依頼すれば、派遣してもらえるが、貴族領騎士団が多数の治癒魔導師を雇うと、他の貴族領騎士団にも派遣しろという話になり、ややこしい。そのため、他の騎士団と同程度の数しかいないことになっている。


 但し、獣人族を指導しているシャッテンも魔導師として優秀なので、駐屯地では彼らにも治癒魔導師として働いてもらうことにしている。


 いずれにしても数が圧倒的に足りないので、負傷者を早期に復帰させることは難しく、消耗戦に持ち込まれれば勝利は望めない。


「確かにそうかもしれないが、夜襲なら一個軍団が相手でも勝てると思うのだが」


 ラザファムの指摘にイリスが頷く。


「そうね。フェアラートでの斥候狩りでも精鋭の偵察隊を無傷で全滅させていたわ。野営地への襲撃が可能なら大きな戦果を挙げることはできると思う」


 私はその考えに疑問を呈した。


「それはどうかな?」


「どういうこと? 私が直接指揮を執ったから分かっているけど、全く危なげなかったわよ」


「それは奇襲効果も加味されているからだよ。こちらに優秀な獣人族部隊があると知っていれば、帝国の優秀な将たちなら必ず対応してくる。だからそこまで楽観できないと私は思っているよ」


「そう言われればそうね。でも、あなたがそれ以上の策を考えればいいだけよ」


「帝国の将を相手に、彼らを上回る策を考えるのは至難の業だよ」


 そう言って笑う。


「いずれにしても我々は切り札を手に入れつつあるということだ。特にマルクトホーフェン侯爵との対決では直接的な戦力として大いに期待できると思っている」


 ラザファムの言葉に私を含め、全員が頷いた。


「もっともこちらから仕掛けるつもりはないから、内戦で使う機会はないと思っているけどね」


 内戦で獣人族を使えば、勝利することは容易いが、相手の兵士も王国民であり、可能な限り殺したくない。そうなると、彼らを使うより謀略で何とかすることになる。


「それにしてもヘルマンが羨ましいぜ。あれだけの戦士を率いることができるんだからな」


 ハルトムートが心底羨ましそうに呟く。


「そう言えば、ヴェヒターミュンデ伯爵から声が掛かったと聞いたけど、本当のことなの?」


 イリスの質問にハルトムートが頷く。


「ああ、閣下からヴェヒターミュンデ騎士団の歩兵部隊長にならないかと言われたよ。でもな……」


 ヴェヒターミュンデ騎士団の歩兵部隊長と言えば、王国騎士団の連隊長と同じ千名の部下を持つことになる。


「いい話じゃないの。何が不満なの?」


「こっちの方がこうやって集まれるじゃないか。ヴェヒターミュンデだと何年も会えなくなるからな……」


「何を馬鹿なことを言っているの! こんな機会は滅多にないのよ。それに帝国が皇国を攻めれば、私たちもヴェヒターミュンデに行くことになるわ」


「そうだな……ところでイリスも騎士団について行くつもりなのか? マティは参謀本部次長だから騎士団司令部に入るんだろうが」


 確かに彼女が戦場に行く理由はない。しかし、当然という顔でイリスは答えた。


「ホイジンガー閣下を説得すればいいだけでしょ。さすがにクリストフおじ様より融通は利かないけど、説得する自信はあるわ」


「説得できなくても同行するつもりなんだろ?」


「当然よ。マティと一緒にいるためならどんな手でも使うから」


 その言葉に私たちは顔を見合わせた後、彼女ならとんでもない手を使いそうだと微妙な表情を浮かべた。

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