第56話「懸案処理」

 統一暦一二〇七年十二月二十三日。

 グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、ラウシェンバッハ子爵邸。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵


 庭の木々も葉を落とし、王都はすっかり冬模様だ。

 領都から戻って三ヶ月半ほど経ち、昨日までに士官学校での引継ぎを終えている。


 士官学校の主任教官の後任だが、妻のイリスに決まった。

 彼女としては私と一緒に参謀本部に入りたかったようだが、ハインツ・ハラルド・ジーゲル校長から直々に頼まれため諦めている。


『参謀が不足しておるのは理解しておるが、君はもちろん実戦経験があるイリス君まで抜けられては戦術の教育が滞ってしまう。何とかならんか』


 宿将であり、無理を言って校長に就任してもらった手前、妻も無下に断ることができず、主任教官に就任することを了承した。


 この他で変わったことは、ラザファムに第一子フェリックスが生まれたことだ。

 嫡男が生まれたことに対し、ラザファムはもちろんエッフェンベルク伯爵が喜び、伯爵邸はお祭り騒ぎになっていた。


 それを見たイリスが“子供が欲しい”と言って、最近では今まで以上に積極的になっている。


 結婚してから三年以上、やることはやっているが妊娠の兆候は一切見られていない。

 特に焦っているわけではないが、幼少期に高熱を何度も発していたことから、私自身に生殖能力がないのではないかと疑っている。


 しかし、この世界では調べる術がないので真相は不明だ。

 運がよければ授かるものだと考え、自然体でいる。


 王国の政治に関しては、大きな懸案であった宰相府の財務部門の停滞に対して手を打っている。

 領地から戻った九月上旬に、敵であるマルクトホーフェン侯爵の屋敷に行き、直談判を行った。


『メンゲヴァイン侯爵閣下が混乱の元凶であることは明らかですが、閣下が推薦したグリースバッハ伯爵が次官になってからの混乱は以前とは比べ物になりません。閣下の責任を追及するつもりはありませんが、何とかしなければ王国の存続自体が危ぶまれます。ご協力いただけないでしょうか?』


 相当追い込まれているのか、私の言葉にマルクトホーフェン侯爵も苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。


『確かに協力せねば我が国は危うい。だが、どうすればよいのだ?』


『宰相閣下は私の方で何とかしますが、グリースバッハ伯爵に対し、閣下から命じていただきたいのです。具体的には財務官僚であるクレンペラー子爵の上申に対し、すべて無条件で了承するよう説得していただきたいと考えております』


 アルミン・フォン・クレンペラー子爵は父リヒャルトや財務次官であったオーレンドルフ伯爵の二十年来の同僚であり、堅実な実務畑の官僚だ。


 ドラスティックな改革ができる人物ではないが、前年度までの実績に基づいて予算を組み、確実に執行するという点では信頼できると父から聞いている。


『クレンペラーか……卿らに与しているわけではないのだな?』


『クレンペラー子爵は財務官僚であることに誇りをお持ちの方だそうです。我々はもちろん、閣下からの提案に対しても、是々非々で判断していただけるという認識です』


『ならばよい。メンゲヴァインのことだが、卿に制御できるのか? グリースバッハが承認したものにケチを付けることは容易に想像できるのだが』


『その点はお任せください。我々に有利になるような姑息なことをすることなく、クレンペラー子爵の案をそのまま承認するように誘導してみせますので』


 私の言葉に侯爵が一瞬嫌そうな表情を浮かべる。


『確かに卿ならできそうだが……まあよい。国政の混乱は私の望むところではない。グリースバッハは私が、メンゲヴァインは卿が手綱を握るということでよいのだな』


『その認識で問題ございません』


 その後、クレンペラー子爵にその話を通したが、彼は一瞬驚いた後、表情を暗くする。


『そうしてもらえると助かるよ。もう少し早く手を打ってもらっていたら、オーレンドルフ伯爵もリヒャルト殿も辞めずに済んだのだが……』


 更に宰相であるメンゲヴァイン侯爵に話を持っていった。


『閣下はグリースバッハ伯爵がマルクトホーフェン侯爵に厳しく叱責されたことをご存知でしょうか?』


『なに! それは真か!』


 驚きのあまり立ち上がっている。

 その顔は喜色に溢れていた。


『マルクトホーフェン侯爵はグリースバッハ伯爵が国政を混乱させたとして、自派閥を含む多くの貴族から突き上げを食らったようです。それで伯爵に何もするなと怒鳴ったと聞きました。伯爵はずいぶん落ち込んだようですね』


『マルクトホーフェンもグリースバッハも凹んでおるのか。それは重畳』


 満足げにうんうんと頷いている。


『その上で私の方からクレンペラー子爵にこの話をして、今後は伯爵が邪魔をすることはないと伝え、子爵も安堵しておりました』


『うむ』


 クレンペラー子爵についてあまり記憶にないのか、曖昧に頷いた。


『そこで閣下に提案がございます』


『何かな?』


 宰相は機嫌よく聞いてきた。


『グリースバッハ伯爵が持ってくる上申は、何も言わずに承認されてはいかがでしょうか?』


『何を言っておる。宰相たる儂が確認しないわけにはいくまい』


 正論だが、できもしないことを平然と言ってきたため、内心で呆れていた。そのことは顔に出さず、微笑みを浮かべながら説得に当たる。


『これから持ってくる上申はすべて、クレンペラー子爵がお作りになった物ですが、以前はグリースバッハ伯爵が手を加えた物です。伯爵からすれば、クレンペラー子爵が作った物はそのまま承認され、自分が手を加えた物は厳正に確認された上否定されたとなれば、今以上に凹むことは間違いありません』


『うむ』


 何となく理解してきたが、まだ納得したという感じはない。


『更にマルクトホーフェン侯爵が推薦した伯爵が関与しなければ、何も手を加える必要がなかったと周囲におっしゃられれば、マルクトホーフェン侯爵も悔しがることは間違いないでしょう』


 そこでようやく腑に落ちたのか、宰相はポンと手を打った。


『なるほど! マルクトホーフェンが無能な者を推薦した事実が知れ渡ることになるのだな! それはよい!』


 こうして宰相は私の思惑通り、ノーチェックで承認するようになり、財務関係の混乱は収まった。


 決裁者が機能していない状態は組織として問題なのだが、こうせざるを得ない王国の現状では仕方がないと割り切っている。


 この一連の行動で、宰相府内では私に対する期待が強くなったと聞く。財務部門だけでなく、他でも宰相がくちばしを挟むため、仕事が捗らないためだ。



 この他にはリヒトロット皇国の状況が更に悪化していることが大きな懸念だ。

 ゾルダート帝国の大攻勢を控えているのに、皇国内では大きな混乱が起きているのだ。


 帝国の諜報局と皇帝直属の諜報機関“オウレ”が暗躍しているようで、徹底抗戦するのか和平を模索するのかすら決まらない状況が続いている。


 そのため、皇都防衛計画が策定できず、ゴットフリート皇子による皇都攻略作戦での損失の穴埋めすらできていない。


 唯一の救いは皇国水軍のイルミン・パルマー提督が独自に防衛体制を強化していることだ。水軍の増強とグリューン河南岸の監視体制強化により、以前のような奇襲を受ける可能性は減っている。


 問題は我が国にもあった。皇国への支援があまり上手くいっていないのだ。

 王国騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵は二個騎士団一万人をヴェヒターミュンデ城に派遣し、帝国西部へ圧力を掛けるべきだと主張した。


 しかし、グレーフェンベルク伯爵の死去に伴う上層部の入れ替えにより、すぐには動けないため、私が皇都リヒトロットに軍事顧問として出向く提案をした。


 それに対し、ホイジンガー伯爵だけでなく、軍務卿のマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵、軍務次官のカルステン・フォン・エッフェンベルク伯爵、総参謀長のユルゲン・フォン・オーレンドルフ伯爵ら王国軍の首脳のすべてが反対し、実現に至っていない。


『万が一君が命を落とすなり捕らえられるなりしたら、参謀本部が立ち行かなくなる。それに騎士団の再編で混乱している状況で、君がいなくなればマルクトホーフェン侯爵が蠢動する可能性が高い。そのようなリスクは負えない』


 エッフェンベルク伯爵の意見に他の三人も頷いた。

 更にオーレンドルフ伯爵が皇国に対する懸念を示す。


『皇国に行っても若い君では意見を聞いてもらえないのではないかな? あの国は我が国以上に爵位や年功が重視されるのだ。若輩として相手にされない可能性が高いと思うのだが』


『確かにその可能性は充分にあります。どなたかに同行してもらえばいいのですが、時期が悪いですね……』


 軍事顧問を派遣するにしても、王国騎士団の再編が終わり、参謀本部が本格的に始動するまでは難しいという結論になった。


『帝国の諜報部の情報操作を妨害することはできんのかね』


 レベンスブルク侯爵がそう言ってきたが、私は首を横に振るしかなかった。


『帝国は諜報員の大部分を皇国に投入しているようです。一応こちらでも情報操作を行っているのですが、圧倒的に数で負けています』


『追加投入すればよいのではないかね?』


『諜報局だけなら可能なのですが、ペテルセン総参謀長が設立した皇帝直属の諜報部隊も投入されているようです。その組織は“オウレ”という名ですが、オウレの実態は未だに掴めておらず、シャッテンを積極的に投入するにはリスクが大きすぎるのです』


 ヨーゼフ・ペテルセン総参謀長は情報の重要性を理解しており、彼が就任してから諜報・防諜体制が大幅に強化されている。その結果、帝都では積極的な諜報活動が行えない状態が続いていた。


 得られた情報を分析して実態を明らかにしようとしているが、まだ全容が掴めていない状況だ。


『ならば余計に君を皇都に送り込むわけにはいかんな。諜報員と言っておるが、暗殺者も混じっているのだろう。そのような危険な場所に王国軍の頭脳を送り込むことはできん』


 ホイジンガー伯爵がそう言うと私以外の全員が頷いた。


 結局、皇国への支援は武具を送ることと、帝国軍が帝都を出発したら陽動作戦を行うこと、私が考えた防衛計画の骨子を送ることが決まったが、皇国の状況を見る限り、あまり役に立たないと思っている。

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