第9話「獣人護衛部隊結成:その三」
統一暦一二〇五年三月二十六日。
グライフトゥルム王国南部ラウシェンバッハ子爵領、領都ラウシェンバッハ。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ
商都ヴィントムントを出発し、昨日子爵領の領都ラウシェンバッハに到着した。
領民たちにも私が追放になったという情報が届いており、領主館に多くの地元有力者や商人たちが訪れ、私を励ましてくれた。
代官であるムルタファ・フリッシュムートは私の処分に対し強い不満を持っていたので、帝国の介入を防ぐための策略であることを説明し、納得してもらっている。
策略のためとはいえ、いろんな人を騙しているようで心苦しい。
今日は私たちの護衛を依頼するため、獣人族入植地に向かう。
ここまでは馬車で来たが、今回は馬に乗っていく。これはリッタートゥルム城までの行程も考慮したものだ。
ラウシェンバッハからリッタートゥルム城の間には、リッタートゥルム街道と呼ばれる道がある。
しかし、街道と名が付いているものの、これは正式な街道ではなく、王国軍が便宜上付けているだけで、獣道に毛が生えた程度の悪路だ。そのため、馬車では乗り心地が悪すぎ、逆に乗っている者の負担になるらしい。
私も乗用の馬車は使わず、騎乗で移動することになった。なので、少しでも慣れておこうと思ったのだ。
幸いなことにヴェストエッケの戦い以降、時間があったので騎乗の練習はしており、以前より危なげなく馬に乗れるようになっている。といっても、戦闘ができるほどではなく、全力で走らせることも何とかできる程度で、実際にやれとなると心許ない。
フリッシュムートから獣人たちの装備を整えたという報告を受けている。
「装備はモーリス商会が格安で請け負ってくれましたので、守備隊の予算内で充分でした。子爵家の紋章を装備に入れたいという要望があったので許可しております」
「モーリス商会が格安に……また迷惑を掛けてしまったな」
モーリス商会には獣人奴隷の救出や長距離通信用の魔導具の設置など、いろいろと迷惑を掛けている。今回も儲け度外視の仕事をさせてしまったのではないかと思ったのだ。
「私もその点が気になったので聞いてみたのですが、そうでもないようです」
「どういうことかな?」
「まだ発注数は決まっていませんが、守備隊の装備はモーリス商会が落札しましたので、独占契約となります。今回の価格でもまとまった数なら充分に利益は出るそうです。それに獣人族の数から考えれば、一個騎士団に匹敵する受注になるから、結構な儲けになると言っていましたね」
一個騎士団だと二千人から最大五千人ほどになる。その言葉に困惑の表情を隠せない。
そもそも治安維持部隊として考えているので、ラウシェンバッハ子爵領の規模なら五百人もいれば充分だ。
「財源のこともあるから、そこまで戦力を増やすつもりはないんだが」
フリッシュムートは私の不安を笑顔で払拭する。
「財源についてですが、こちらは問題ありません。今の税収の伸びなら数年後には五千名程度の兵士を雇うことは充分に可能です」
ラウシェンバッハ子爵領は昔から綿花の栽培が盛んだ。以前は綿花をそのまま商都ヴィントムント市に出荷していたが、十年ほど前にモーリス商会が紡績工場を建設し、糸や布に加工するようになった。
また、モーリス商会が進出したことで、他の商会も競うように工場を建設するようになり、綿花をそのまま出荷することがなくなった。現在では領都ラウシェンバッハは綿糸や綿布の一大生産地となっており、獣人たちを除いても、人口は五倍近くに増えている。
その結果、税収は鰻登りで、王国でも有数の裕福な貴族領となっており、今でも二千人程度は雇えるし、この勢いのまま発展すれば、数年後には五千人程度の兵を養うことは難しくないようだ。
「それに獣人たちは兵士として雇われるのではなく、兵役としてほしいと言っております。そうなれば、支払う金は手当程度で済みますから、すぐにでも騎士団を組織することは可能です」
「それはできないよ。彼らには少なくとも十年間は税を免除すると約束しているのだから、兵役についても認められない。兵士として雇うなら、王国騎士団の兵士と同等の俸給は支払うべきだね。まあ、これは父上と相談することになると思うけど」
フリッシュムートは私の言葉に大きく頷く。
「そうおっしゃると思っておりましたので、今回の護衛隊の給与も今年度の予算に加えております」
三十人の予定が、なぜか五十人に増えているが、それでも一人当たりの給与や経費は月に三千マルク、日本円で三十万円程度であるため、年間でも二百万マルクを超えない程度であり、全く問題ないらしい。
朝食後、それほど急ぐことなく出発する。
今日の目的地は二十キロメートルほどの距離にある
三月の末ということでやや肌寒いが天気は良く、絶好の騎乗日和だ。
同行者はイリスとカルラ、ユーダの他に
イリスは銀色の鎧を身に纏い、たくましい白馬に跨っている。
その姿は美しい白馬の騎士であり、我が妻ながら見とれてしまうほどだ。
カルラを含めた
「いい天気ね。馬を駆けさせたい気分だわ」
「構わないけど、私は駆けさせる気はないから」
「つまらないわね」
イリスはそう言って少し拗ねた表情を浮かべるが、すぐに笑顔を見せる。
まだ新緑が芽吹くというほどでもないが、道の両側にはさまざまな小さな花が咲いており、春らしさを感じさせる。
途中で三度休憩し、午後二時頃にヴォルフ村が見えてきた。
昨年の夏に訪問した時も千人以上の人に出迎えられたが、今回は更に多く、どれくらいの人がいるのか分からないほどだ。
近づいていくと、出迎えの中に統一された装備を身に着けた一団がいた。
全員が艶消しの漆黒の鎧と黒い革のマントを羽織っている。鎧の胸にはラウシェンバッハ子爵家の紋章である模式化された百合の花に、盾と交差する二本の剣が白く描かれていた。
その兵士たちは右手を左胸に付け、背筋を伸ばして立っている。
これは一種の敬礼のようだが、王国騎士団で採用しているものではない。王国では抜剣して剣を掲げることはあっても、敬礼は存在しないためだ。
あとで聞いたのだが、これは私とイリスの会話をカルラが聞き、それをこの地に派遣されている
その会話とはこんな感じだった。
『王国騎士団には兵士たちが指揮官に敬意を表する簡単な方法がないんだね』
『それはどういうこと? 抜剣して掲げることはあるわよ』
『それって公式の行事の時だけだよね。普段行うには大袈裟だし危険も伴う。もっと簡単な敬意を表する決まった動作があれば、全員がすぐに同じようにできるから、やる方も見ている方も分かりやすくていいかなと思っただけだよ』
『それって面白いわね。どんな形がいいのかしら』
『右手を上げるとか、右手を左胸に持っていくとか、見た目がピシッと決まっていればいいと思うのだけど』
そう言いながら額に右手を当てる挙手の敬礼などを見せていく。
『あなたがやってもピシッという感じじゃないわね』
そう言って笑い話になったが、カルラはそれが獣人たちを団結させるためのいいアイデアだと思ったそうだ。
『リオからの報告では、氏族の間には強いライバル意識があるそうです。今はよいのですが、今後彼らが団結し続けるためには、彼らにとって特別なものがあった方がいいと思ったのです』
こんな話から始まった敬礼だが、統一された装備と厳しい訓練を受けた兵士たちによって、思った以上に絵になっていた。
村の入り口に近づくと、村長であるデニス・ヴォルフが前に出てきた。
「ようこそお越しくださいました」
そう言って頭を下げると、兵士以外の獣人たちもそれに倣って一斉に頭を下げた。以前のように平伏されると困惑するが、常識的な対応に安堵する。
馬を降りて感謝の気持ちを伝える。
「お出迎えありがとうございます。この方たちが護衛隊ですか?」
私がデニスの後ろに立つ兵士たちに視線を向けると、彼は大きく頷いた。
「マティアス様をお守りするために各氏族の精鋭を集めました」
その言葉で一人の兵士が一歩前に出る。
デニスの息子エレンだ。
「護衛隊五十名、ただいまよりマティアス様、イリス様の護衛任務に就かせていただきます!」
以前は荒々しい感じの若者という印象だったが、今は訓練を受けた兵士そのものだ。
兵士たちは二十代前半から三十代前半の男女で、種族はバラバラだった。但し、全員が真剣な表情で直立不動の姿勢を続けており、よく訓練されていることが私にも分かる。
立ち話も何なので、村に入っていく。
エレンたちがマントを翻して振り向くと、背中にも紋章が入れられており、よくこの短期間で揃えたものだと感心する。
「いい兵たちね。彼らなら安心できるわ」
彼らの動きを見ながら、イリスが納得したような表情を浮かべている。
「五十人もいるのかな。三十人でもよい気はするけど」
「そうね。そこまで大所帯で行く必要はない気がするわ。リッタートゥルム街道は野営が多くなるから補給の問題もあるし」
私とイリスが話していると、後ろからユーダが話に加わってきた。
「リッタートゥルム城周辺の調査をお考えなら、全員を連れていくべきでしょう」
計画ではリッタートゥルム城周辺の地図の更新と、撮影の魔導具での周辺地形情報収集を行うことにしている。
「情報収集は行うつもりですが、何か関係あるのでしょうか?」
「彼らの特徴を見る限りですが、この地にいる
その言葉にイリスが頷く。
「そのようね。
私には違いが分からなかったが、彼女は種族ごとに装備が違うことに気づいていたらしい。しかし、それと五十人も必要なことが繋がらない。
「確かにリッタートゥルム城周辺の調査はするつもりでしたが、
「それは存じておりますが、帝国の斥候がこちらに入り込んでいる可能性があります。我々
ゾルダート帝国との国境はシュヴァーン河だが、渡河地点は河口付近のヴェヒターミュンデと中流域のリッタートゥルム城周辺だけだ。リッタートゥルム城周辺は大規模な軍を運用するのが難しいため、どうしてもヴェヒターミュンデ周辺の監視に力を入れることになる。
しかし、昨年の中頃、マクシミリアン皇子が軍団長になった頃からリッタートゥルム城付近に帝国軍の斥候隊が姿を見せ始め、それで監視を強化したが、流域をすべてカバーすることは不可能で、帝国軍の斥候隊が密かに王国側に渡った痕跡も見つかっていた。
「そう言うことでしたら、今の構成の方がいいということですね。分かりました」
こうして私たちの護衛隊は当初の三十人から五十人に増えることになった。
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