第13話「遊牧民との邂逅:前編」

 統一暦一二〇八年九月二日。

 ゾルダート帝国南西部、シュヴァーン河北岸草原地帯。ヘルマン・フォン・クローゼル男爵


 九月に入ったとはいえ、まだまだ暑い日が続いている。

 私が指揮するラウシェンバッハ騎士団はシュヴァーン河を渡り、リッタートゥルム城から四十キロメートルほど上流で帝国側に入った。私は本隊を離れ、草原地帯に入っていく。


 涼しい風が吹く川と違い、正午頃の草原の空気は熱気を含んでおり、鎧の中はすぐに汗だくになった。


 本隊を離れて草原に入った目的だが、この辺りを縄張りとする草原の民、ドンナー族と接触するためだ。


 人数が多いと警戒されると考え、同行しているのは猛牛シュティーア族のジャコモ率いる護衛小隊三十名と副官のヴェラ・ヴァイスティーガー、参謀のクルト・ヴォルフとミーツェ・ハーゼのみだ。


 直属大隊だが、大隊長のカイ・ヤークトフントに指揮を任せ、獣人族セリアンスロープの大部隊が草原地帯に入っていったように見せる偽装を行っている。


「偵察小隊がいないと不安ですね。いつドンナー族が襲ってくるか分かりませんから」


 クルトが騎乗の私に話しかけてきた。

 これまでは船を使った渡河ということで馬を運べなかったが、帝国の国境警備隊を殲滅した際、馬を確保しているので使える。


 と言っても、騎乗しているのは私だけだ。

 獣人たちは騎乗より徒歩の戦いに慣れているためだ。私も四元流を使うため、地に足が付いていた方がいいのだが、騎馬民族でもある草原の民に侮られないよう乗っているに過ぎない。


「確かにそうだな。だが、ドンナー族も無警告で襲ってくることはないだろう。兄上がモーリス商会を通じて、根回しはしてくださっているからな」


 兄マティアスは今回の作戦に向けて、草原の民とトラブルにならないよう、事前に主要五部族に献上品を贈り、リヒトプレリエ大平原の南部で王国と帝国の戦闘が起きるが、王国に領土的野心がないと伝えているらしい。


「草原の民というのはどのくらいの戦士なんですか? ゴットフリート皇子にボロ負けしたと聞いていますけど」


 兎人ハーゼ族のミーツェが小首を傾げるような仕草で聞いてきた。


「これも兄上からの受け売りだが、軽騎兵としては大陸一らしい。特に騎射から騎馬突撃での一撃離脱は重装歩兵の方陣以外に対処する方法がないとおっしゃっていた。まあ、兄上もラウシェンバッハ騎士団なら倍の敵でも負けることはないと断言されていたが」


 私の言葉にミーツェだけでなく、クルトやヴェラも笑みを浮かべている。

 兄に認めてもらえるのが、何よりも嬉しいためだ。


 午後二時頃、草原に入って十キロメートルほど進んだところで警告を出す。


「そろそろドンナー族が出てくるはずだ。だが、現れても攻撃されるまでは絶対に剣を向けるな。但し、襲ってきたら容赦する必要はない。自分たちの命を優先しろ」


 この辺りは緩やかな起伏が続く丘陵地帯で見通しが利かず、絶好の奇襲ポイントであるため、警告を行ったが、元黒獣猟兵団のクルトたちなら言わずとも分かっていたはずだ。


「「「ハッ!」」」


 護衛たちは黒獣猟兵団と同じ右手を左胸に当てる敬礼で応える。


 それから十分ほどすると、百メートルほど先の丘の上に、三十騎ほどの騎兵が現れた。

 武骨な革鎧と兜、革のマントを身に着け、右手には二メートル強の槍を手にしている。


 こちらが停止すると、騎兵は全速で丘を駆け下りてきた。その姿に思わず剣を抜きたくなるが、右手を上げて無抵抗であることを示す。


 その行動が功を奏したのか、騎兵たちは私たちから三十メートルほど離れたところで停止した。


 近寄ってきた集団の先頭にいたのは十代後半くらいの若い男だった。日に焼けた浅黒い皮膚と鋭い目つきで、剽悍な騎馬民族のイメージそのものだ。


「ここは俺たちドンナー族の縄張りだ! 余所者はすぐに出ていけ! 出ていかないなら、力ずくで追い出してやるぞ!」


 その言葉で後ろにいる戦士たちが槍を向ける。


「こちらに戦う意思はない。我々はグライフトゥルム王国のラウシェンバッハ騎士団の者だ。私は団長のヘルマン・フォン・クローゼル男爵。族長であるスヴェン・ドンナー殿と話がしたいと思ってやってきた」


「王国の騎士団だと……親父に何の用だ!」


 運がいいことに族長の息子だったらしい。


「ここより南で我らは帝国軍と戦う。だが、我々には大平原に侵攻する気がないことを族長殿に説明したいと思ってやってきた」


「親父と話をする資格があるか、スヴェンの息子ウーリが試してやる。お前たちの中で一番の戦士を出せ。弱兵揃いの王国軍と聞いているが、俺に勝ったら親父のところまで案内してやろう」


 そう言ってウーリは好戦的に歯を剥きだしにして笑う。

 族長スヴェンはなかなかの人物と聞いているが、その息子はただの脳筋だったようだ。


「誰か戦いたい者はいるか? いないなら私が出るが」


 構えを見ただけだが、正式に武術を学んだ感じはなく、油断さえしなければ、私でも十分に勝てるだろう。当然、ここにいる獣人族セリアンスロープの戦士なら、誰が戦っても負けることはない。


「あたしにやらせてください」


 そう言ってヴェラが一歩前に出た。

 弱兵揃いと言われたことにカチンときたようで、好戦的な目をしている。

 そのことに不安を持った。


「間違っても殺すなよ。私たちは交渉に来たのだからな」


「分かっていますよ。ちょっと撫でてやるだけですから」


 ヴェラは今回のメンバーの中では最も攻撃力がある。一対一という条件なら、普人族メンシュ最強と言われるケンプフェルト元帥閣下と互角に戦えるほどだ。


「女だと! 俺を舐めているのか!」


 ウーリはヴェラが前に出たことで激高する。


「つべこべ言わずに掛かってきな。何なら全員でも構わないよ」


 ヴェラはそう言って手をひらひらとさせている。

 その挑発に頭が痛くなった。


 しかし、兄が私の副官に推薦するほど、彼女は気が利くことを思い出した。そのため、何か意図があると確信し、黙って見ていることにする。


「舐めるな! 俺一人で十分だ!」


 ウーリはそう叫ぶと、馬の腹を蹴った。


 草原の名馬が爆発的な速度で迫ってくる。

 ウーリは右手の槍を水平に構えているが、怒りに任せている割に隙がない。


「なかなかのものだな」


 思わず感想が出てくるほど、見事な手綱捌きだ。


 一方のヴェラだが、彼女は愛用の両手剣を鞘から抜くことなく地面に刺すように持ち、仁王立ちのように微動だにしていない。

 その立ち姿は自然体で、迫りくる騎馬にも恐怖を全く感じていないことがよく分かる。


 すぐに両者は交錯する。

 すれ違いざま、ウーリが槍を鋭く繰り出した。


 槍がヴェラを捉える直前、彼女は剣を手放し、身体強化を使って垂直に飛んだ。その高さは騎乗のウーリの頭を越えていた。


「何!」


 ウーリの焦りを含んだ声が響く。


 ヴェラは繰り出された槍を躱すと、宙返りの要領で回転しながら右手を伸ばし、ウーリのマントを掴んだ。そして、そのまま着地する。


「うわぁぁぁ!」


 ウーリは驚きの声を上げながら、引きずられるように落馬する。

 ヴェラはきれいな着地を見せた後、刺してある剣を掴み、ウーリに突きつけながら微笑んでいた。

 確かにあの動きなら、三十騎で襲ってきても相手の度肝を抜くことができただろう。


「見事だ!」


 私はヴェラを褒めると、馬から降りる。

 そして、地面に大の字になっているウーリに近づいた。


 そこで呆然としていたドンナー族の戦士たちが慌ててこちらに迫ってくる。ウーリが負けるとは思っていなかったようだ。


「ウーリ・ドンナー殿。我が副官ヴェラの実力は認めてもらえたかな」


 そう言いながら右手を差し出した。

 彼は一瞬、私を睨みつけるが、敗北したことに気づき、差し出した手を取った。


「俺の完全な負けだ! 皆の者! 槍を納めろ!」


 そのやけくそ気味の言葉に、戦士たちが止まる。軍としての規律は思った以上にしっかりしているようだ。


「では、族長殿のところに案内いただけるかな?」


「ドンナー族の戦士に二言はない」


 そう言った後、指笛を吹いて馬を呼び寄せると、華麗に飛び乗った。


「お前たちが戦士であることは理解した! 勇者として歓迎する! 我が名において、お前たちの安全は保証しよう! 付いてこい!」


 そう言うと、馬を歩ませる。

 言葉の勢いから馬を駆けさせるかと思ったが、その速度は歩兵に合わせたゆっくりとしたものだった。

 ただの脳筋だと思ったが、意外に配慮ができる男のようだ。


「もう少し速度を上げても問題はない。我が騎士団の兵は騎兵並みの機動力も売りの一つだからな」


 私がそう言うと、ウーリは護衛小隊の猛牛族や熊人族を見て、大丈夫かという表情を一瞬浮かべた。


「俺たちも問題ない」


 ジャコモがそう言うと、ウーリも頷き、速度を上げた。

 スピードは上がったが、馬に無理をさせるつもりはなく、速歩はやあしくらいだ。

 それでも徒歩の兵たちは駆け足になるため、ウーリが心配そうに見ている。


「この速度で一時間ほど掛かるが、大丈夫か?」


 時速にして十二、三キロメートルほどであり、ラウシェンバッハ騎士団の兵士ならフル装備でも二時間以上走り続けられる。


「問題ない。この程度の速度なら二時間は走り続けられる。だが、配慮には感謝する」


「歩兵はそんなに走れないと聞いていたが、間違っていたようだな」


 草原の外のことを知っていることに意外さを感じたが、ゴットフリート皇子と戦い敗北したことから、外にも目を向けるようになったのかもしれないと思い直した。


「いや、我が騎士団が特別だ。帝国の精鋭でもこの速度で走れば、二十分ほどで息が上がるだろう」


「そんなものか……まあいい。日が暮れる前に宿営地に辿り着きたいから願ってもないことだ」


 私たちはドンナー族の戦士の先導に従い、東に向かって走っていった。

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